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教育現場の数字目標

 数字は怖いと思うときがある。 

 例えば前回書いた出生率である。正確には「合計特殊出生率」という。過去1年間の女性の出生率を15歳から49歳の年代毎にはじき出し足したものだ。つまり、一人の仮想の日本人女性が15歳から49歳までを一年で体験したとしてそのときに生んだ子どもの数とでもいえばいいだろうか。ところがこの数字、扱いに注意を要するのである。例えば不景気の時など「もう少し経済基盤を整えてから」などと出産を遅らせる傾向の時には不当に低く出るのである。また、皇族の出産があると「ご学友ねらい」(?)などで出産が増える傾向がある時には高く出るのである。つまり本当に一人の女性が生涯に生む子どもの数ではなく、その年その年の社会状況によって大きく変化するのである。この数字に振り回されすぎるのは実はよくない。

 よく聞く「日本人の平均貯蓄高」なんてのもよくわからない。「格差社会」が指摘されて久しいが、ということはこの数字も一部の大金持ちによってつり上げられているということである。貯蓄0に近い人の方が圧倒的に多いのである。この数字はあまり意味のあるものとはいえないのである。

 「国民の借金は651万円」なんていうのも変だ。国の国債と借入金の残高を人口で割ったものらしいが、そもそも国債はだれが発行しているのかというと日本銀行。日本銀行はそれを売ったり買ったりして景気調整に使ったりしているわけで、諸外国からすぐに返金を迫られている借金がそれだけ日本にあるわけではない。国債を買っている国民もいるわけで、その人は国に金を貸しているわけだ。人口で割るのはおかしいと言わざるを得ない。

 事象を数字で示されると分かったような気分になることが怖い。数字を達成しても実は中身がともなっていないことが怖い。

 教育現場なんか数値目標がそぐわないことも多い。私は「自分を幸福にする力を身につける」ことが教育の目的だと考えている。そのために身近な目標を数字をあげて決めるのはよい。進学率、クラブの成績、出席率などがそれである。しかし、数字を達成しただけで目標を達成したと考えるのは早計にすぎる。先の出生率などのように仮想の数字を現実のものと勘違いしたり、平均貯蓄みたいに実はその裏で苦しい思いをしている人の存在を隠してしまうこともある。

 最近、教育現場に数値目標を導入しようとしていることに危惧を覚える一人なのである。

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