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「先生」受難の時代 議員をバカにするな!

世に「先生」と呼ばれる職業がある。かつてはもんくなしに尊敬されていた職業である。教師はもとより他に議員、医者、弁護士などがある。これらの職業が今受難の時代を迎えている。

 かつて「先生」であるだけで尊敬される、という風潮があった。これが間違っていることは議論の余地がないであろう。不祥事を起こす教師、権力を笠に着て私腹を肥やす議員、ミスを隠蔽する医者、悪に魂を売り渡した弁護士などの存在は、連日マスコミをにぎわしているし、他にも大勢いるだろう。奈良県生駒市の元議長などは最低であるが、あんなやつは他の市町村にもまだまだいるに違いない。しかし、すべての「先生」が「所詮は自分のことしか考えていないつまらないやつら」かというとそんなことはない。本当に尊敬に値する実践をしている、またはそのように成長しつつある「先生」まで一緒くたに論じられているのではないだろうか。

 どうも最近、世間的に「上」であるとされる職業の人を自分たちと同次元に引きずり降ろそうという傾向が蔓延している。実際に悪いやつもいるから、あの人は偉い人にみえるけども、所詮は金に汚くて、自分のことしか考えておらず、女に弱いんだ、とすれば、日常の生活のストレスが幾分か晴れるのであろう。それにしても最近どうもいきすぎた風潮となってきていると思うのは私だけであろうか。 

 議員に例をとろう。最近、国・地方とも議員の評価が低すぎる。議員は私たちが選んだ私たちの代表である。それを不当におとしめるのはいかがなものか。

 議員の収入を減らせという方に言いたい。私たちの代表が世間の会社員程度の収入でいいのですか?それは私たち自身を低く評価することになりませんか?多くの市町村議会議員のように生活も出来ない収入では、議員になろうとする人は定年した人か、個人事業を持っている人か、議員の立場を利用してもうけようとしている人になりませんか?生活はきれい事ではない。意欲ある若い人材を確保するためにも議員には国・地方問わずしっかり収入を確保するべきだろう。その上でしょうもないやつを排斥するのである。今のままではしょうもないやつが定数の中に入らざるを得ない。

 議員宿舎にいちゃもんをつける人に言いたい。議員宿舎がなくなれば、首都圏選出の議員と地方選出の議員に大きな経費の差がでます。国会議員は一年の3/4くらいは国会期間。その間地方から選出される議員のために宿舎を用意することはそんなに不自然なことですか?さらに言えば、真剣に仕事をしてもらおうと思ったら宿舎が都心の一等地にあるのは当たり前ではないですか?交通費のかかる郊外に宿舎を構えると意味がなくなるでしょ。「ビジネスホテルに泊まってます」という議員がいるが、どれだけ経費がかかっているのですか?ビジネスホテルで来客をこなす等の仕事が充分にできるのですか?議員宿舎の家賃は世間のマンションの家賃と比較するのではなく、仕事に必要な装備を備えたホテルに泊まるのとどちらが高いか比べるべきである。「朝ズバッ」は論点が間違っている。要ははなから議員は仕事をしないという前提で議論するからこんなおかしな話になるのではないだろうか。自分は仕事をしているという確信のある議員さん!新宿の衆議院宿舎に是非入ってください!

 国会議員の人数が多すぎる、という人に言いたい。日本国の政治は、少人数で把握できるほど単純ではないことは分かるでしょ。複雑多岐にわたる国政の議論にはそれぞれの分野の専門家が議員にならなければ、官僚の思うがままになるでしょ。議員を減らせ。官僚に負けるなでは、話自体が矛盾していませんか?その事をふまえた上で人数に関する議論するべきではないだろうか。

 もちろん、肖像画を国費で描く、無駄な公用車の存在など、仕事と関係ない特権は廃止するべきであろう。しかし、私たちの代表たる議員が、後顧に憂いなく仕事に勤しめるようにすることは絶対に必要である。

 私たちは自分の憂さ晴らしのために、真剣な心ある議員の仕事を邪魔してはならないのである。その上で議員の立場を利用して金儲けをするやつらは、しっかり見抜いて追放するのである。「一期目は食べ物もなく、血反吐をはいて選挙運動を乗り切った」なんてお涙頂戴話をしているやつが実は地元に「○○御殿」と呼ばれている家を建てている。こんなやつを追い出せ!お前は国会議員になってどれだけ私腹を肥やしたのか!

 教師も医者も同じである。一分野の専門家相応の尊敬も受けられず、一部の人間の不祥事がすべての人間の課題であるかの如くに論じられる。こんなに不当ないちゃもんをつけられる時代も過去にはなかったであろう。

 国民の大多数が、自分の経験が全世界に通用すると思っている「不勉強な専門家」になってしまった。ワイドショーのコメンテーターがその典型であろう。知りもしないのに知ったかぶりをしてコメントする。自分の生徒時代しか経験がないのに教師に自分の教育観を押しつけてくる保護者にはまったくこまったものである。そんな保護者に「最近の教師は」などと言って欲しくないのである。

 本当に腹立たしい限りである。

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通り魔事件ーマスコミはこれでいいのか

 今朝、「川崎市の会社員が通り魔の疑いで任意同行された」とのニュースがあった。報道によると、昨晩逮捕状を要求。今朝の任意同行だという。任意同行の後逮捕に切り替わったらしい。

 それが本当ならばおかしくないか。昨晩逮捕状、今朝逮捕なら分かる。任意同行になったということは、証拠不十分で逮捕状がでなかったということではないのか。今までも事情を聞いてきたという。では何故、今回に限って任意同行の時期がマスコミに流れて各社が用意できたのか。

 これは警察が証拠不十分のまま逮捕する手口だ。任意同行を逮捕のようにデモンストレートし、取調べの中で自白させるつもりだ。えん罪を作ってきたのはこうした捜査手法にあることは周知の事実である。

 なのにマスコミは簡単にその手口に乗った。、国民の間にこの人が犯人なのだろうという雰囲気を作るのに一役買った。続報も「この人が怪しい」「供述が矛盾している」のオンパレードだ。警察の正式な記者会見が開かれたとは聞いてないから、「夜討ち朝駆け」で担当のデカに聞いたことをスクープ合戦よろしく無批判のよこ流しにしているのだろう。警察の広報と化している。

 ここには松本サリン事件の反省などどこにも見られない。こういう時は「日本の警察は信用できる」というデータを信じる。今回も「山さんの勘」が当たって実際の犯人だったならいいが、えん罪ならどう責任をとるつもりだろうか。どうせ警察にだけ責任を押しつけるに決まってる。マスコミはいつでも自分だけがいい子チャンなのだ。

 やっぱりマスコミは売れればいいんだ。ショッキングならいいんだ。関西テレビを批判する資格などどの局にもない。

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教育再生会議は現場を知らないのか?

 教育再生会議が、学校自由選択制を検討しているという。それはいい。しかし、志望者の多い学校には予算も多くつけるという。しんどい学校で頑張っている教師の給料をあげようというなら話は分かる。ところがその逆の話である。いったい何を考えているのだろうか。

 どうやら教育再生会議は、学校は教師だけで成り立っているものと思っているらしい。地域無くして学校などありえないという現実を知らないらしい。新興住宅地と旧市街とは明らかに課題は違う。繁華街に近い中心地の学校の方が田圃の真ん中の学校よりも人気は出やすい。学校の人気は交通アクセスにも左右される。学校の伝統も評価の対象である。交通アクセスのよい中心地の伝統校は人気が高いものである。

 だいたい志望者数で学校を評価しようということが間違っている。それでいくと結局成績をあげられる学校がいい学校ということになるのは目に見えている。馬鹿をいうのでない。人権教育を大切にする学校、クラブ指導の熱心な学校、生徒会行事の盛んな学校、いろいろあっていい。その意味では学校自由選択制はいい。しかし予算に差をつけるのは明らかに間違っている。たまたま転勤を命じられてその学校に来た教員のモチベーションは下がる一方だろう。

 やっぱりダメだ。再生会議には任せられない。もう解散してくれ!

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