« 政治家と政治屋と | トップページ | 国防大臣の暴言 »

剣道と人格と

 高校時代に武道館に剣道の全日本選手権を見に行ったことがある。私の好きな剣士は、まずは上段の川添先生。高知学芸高校の中国修学旅行での列車事故でお亡くなりになって本当に残念だった。そして熊本の山田先生。威風堂々の剣風に感動して見上げていた覚えがある。

 最近、次のような新聞記事を教えて頂いて驚いた。

以下読売新聞からの引用。
「熊本県警巡査自殺、『いじめが原因』として両親が県を提訴 2004年5月、熊本県警巡査の山田真徳さん(当時22歳)が自殺したのは、所属していた剣道特練部員のいじめが原因として、父親の博徳さん(59)、母親の真由美さん(57)が5日、県を相手取り、約6360万円の損害賠償を求める訴訟を熊本地裁に起こした。 博徳さんは3月31日付で県警職員を退職。剣道八段で、世界大会や全国大会での優勝経験もあり、剣道最高位の範士の称号を持っている。県警の警察官に剣道を指導する立場にあった。 訴状によると、長男の真徳さんは01年4月、県警に入り、交番勤務などを経て04年3月に機動隊に配属され、02年1月、県警本部長から剣道特練部員に指名された。 しかし、練習では、2人1組で行う地稽古(じげいこ)で無視されたり、全員から突きでのど周辺を狙われたりした。公式試合前には、うその集合時間、場所を教えられたこともあった。 真徳さんは、04年5月、機動隊の寮の自室で首をつって自殺。10日ほど前には、自殺未遂をしていたが、報告を受けた機動隊長(当時)は、家族に連絡していなかったという。 熊本市内で記者会見した博徳さんは『剣道特練部から私を排除しようという動きがあり、そのために真徳はいじめに遭った。このようなことが二度と起こらないようにと願い、提訴した』と話した。 県警監察課は04年7月、『調査の結果、いじめは確認できなかった』と結論づけており、県警広報県民課は、提訴について『事実関係を把握していないのでコメントできない』としている。」

 ショックだった。

 今、私は剣道を特別な競技として見ていない。剣道をすれば人格が磨かれるということを言う人がいるが、私は信じない。国士舘大学での後輩いじめからの事故死もあった。大学界を代表する剣道部で絶対にあってはならない事故だった。1994年11月には三重県で、なんと範士九段の当時の県剣連理事長が一三〇〇万円の業務上横領で解職されるという事件が起こった。その後の詳細が伝わっていないが、ご本人は「私の追い落としのための作り話だ」と否定されていた。いずれにせよ該当の範士の周辺に派閥争いがあった事は間違いのない事実である。熊本県警にも派閥争いがあったという。人格が磨かれている人たちのすることだろうか。他にも、何回も連続してインターハイ出場を勝ち取っていたカリスマ顧問が最低の人格だったり、八段に通ったらいきなり傲慢になった人も知っている。剣道をすれば人格が磨かれるというのはウソである。磨こうとする人しか磨かれないのである。

 本当は「剣道を通して人格を磨き続けよう」が正しいのではないのか。人間は本質的に弱いもので、努力をやめればすぐに傲慢になり、ダメになる。段位があがると人格まで高まったというように勘違いするのなら、段位制度などなければよいのである。剣道も他のスポーツもそれを通じて人格形成をしようとすることができるという意味では、価値は同じなのである。(高野連も同じ勘違いをしている)

 剣道を好きだからあえて言いたい。剣道界は、剣道の価値を見直せ!

|

« 政治家と政治屋と | トップページ | 国防大臣の暴言 »

コメント

突然のコメント、失礼致します。
私は海外在住剣道をしているものです。日本で剣道をしてきました。海外の剣道も日本の方々から見れば「皆純粋に一生懸命やってるな」と思われるかもしれませんが、人間形成が出来ていないどころか外れている人たくさん見てきました。私も人のことをとやかく言う立場ではありません。が、剣道をやっている人が人格者だ、とまでは行かずともあまりにひどい剣道人を見ていて悲しくなってきました。未来を担う子供たちを少しでもまともな正しい道に導いて行きたいと思います・・。

投稿: 一剣道人 | 2012年3月 1日 (木) 06時52分

一剣道人さん。コメントありがとうございます。
困難に直面しても負けずに前に進み続けるところに「修行」の意味があるのだと、私は思います。剣道は、強い相手に立ち向かっていくところや、壁のようにそびえ立つ師匠に懸かっていくところや、同志に勝ったり負けたりの切磋琢磨をするところなどに、「修行」の意義があるのだと思います。
しかしそれは、人生の困難に立ち向かっている人にも同じ事が言えると思います。東日本大震災に関する報道で、自らが被災しながらも、身内を失いながらも、他人を支え励ます人々の姿が紹介されていましたが、まさにそれは「修行」であるし、そんなすごい事が出来る人というのは、すでに何らかの人生修行を経てきた人なのではないか、と思います。
一番質が悪いのは、「強くなった」「自分はある程度の領域に達した」「自分は完成した」と思いこんでいる人ではないか、と私は思います。剣道だけではなく、成長のための挑戦を辞めた人はその瞬間、突然人格がダメになりますね。そんなことになるくらいなら自分は弱いままでよかったな、と思うくらいです。
といいながら、剣道が「修行」になりうる、ということを信じつつ、今日も生徒たちと剣道に汗を流す日々です。

投稿: yossy | 2012年3月 3日 (土) 10時37分

努力をして先生先輩のご指導を素直に聞き段位を頂いた時嬉しいと共に感謝の気持ちが生まれます。試合と昇段試験の評価がおかしい事に気が付かない剣道指導者が問題です。ある先生が抜き胴より返し胴の方が価値がある等と言われ、小手より面に価値がある等と言います。この事を当然の様に思っている私もおかしいとおもいます。竹刀の剣道は昔の人にとってはゲームの様なものでした。又型稽古は命のやり取りの稽古です。技に対して昇段用、試合用を無くせば剣道は人間形成の道と成ると思います。

投稿: 福田 清 | 2016年3月 3日 (木) 17時20分

福田清さん、コメントありがとうございます。
この記事を書いてから8年が経過していますが、剣道団体に存在する派閥や高段者の無理無体な主張に相変わらず悩まされる毎日です。
やはり「成長しようとしない人は、成長しないどころかダメになる」。これは人生一般に通じることかもしれませんが、剣道界にも頻繁に見られるものです。剣道の鎧を脱いで生の人間として勝負しなければならない場面で、まったく話にならない人もいます。
残念なことです。

投稿: yossy | 2016年3月 5日 (土) 23時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/187530/15302227

この記事へのトラックバック一覧です: 剣道と人格と:

« 政治家と政治屋と | トップページ | 国防大臣の暴言 »