« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

しられざる偉大な日本人シリーズ2 ウズベキスタンの抑留日本兵たち

西岡京治さんから、久しぶりの第二弾である。

中央アジア・もとソ連のウズベキスタン。ここにも各地に満州から抑留された日本兵捕虜収容所があった。ウズベキスタン全土だけで約1000人が故国の土を踏むことなく亡くなったという。

この国の首都タシケント(地理の学習では内陸の地中海性気候(Cs)として有名)には次のような碑文がある。

[日本人抑留者記念碑文]
1945年から1946年にかけて、極東からウズベキスタンに強制移住された日本国民25,119余名の内、9,760余名が過酷な条件のもとで、数年にわたりタシケントの都市建設に貢献した。望郷の念むなしく79余名がこの地に眠る。この厳粛な歴史を後世にとどめ、永遠の平和と友好を念じ建立する。主な労働場所:ナヴォイ劇場、電線工場、運河建設、住宅建築、道路建設など。<2002年5月25日 日本人墓地整備と抑留者記念碑建設代表発起人会>

狂人スターリンが日本人を異国の地の強制労働に駆り立てた。シベリアの奥地よりは過ごしやすいはずのこの地でも約80名の方が亡くなっている。そして、その彼らが建設した建築物こそ『ナヴァイ国立劇場』である。

強制労働という忌まわしい記憶の産物であるこの劇場は、しかし思いもよらぬ効果をもたらした。建設の際のまじめな労働への取り組みの姿があった。そしてなんといっても完成後の1966年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した時、この劇場はビクともせず、「日本の建築技術は素晴らしい」という評価が定着したというのである。これらの事情からウズベキスタンの親日感情は中央アジアの中でも飛び抜けているらしい。

当時総指揮に当たったのは永田行夫さん。25歳で隊長となり本来の航空隊技術をこえる仕事をやってのけたという。

(以下参照)http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/04_yuuzuru_nagata.html

羽田首相時代の2000年。事情を知る羽田首相とウズベキスタンの大統領との間で日本を代表するオペラ「夕鶴」の公開の話がすすんだ。翌2001年8月末、約束通りに「夕鶴」は講演された。現地の小学生は日本語を学びコーラスに参加したという。作曲者である團伊玖磨さんも指揮をする意欲を示しておられたが、残念ながら同年5月に逝去された。この時の公演は團伊玖磨さんの追悼公演ともなったのである。永田さんを含む当時の抑留者の代表も参加されたらしい。

戦中の日本の暴挙は批判されてしかるべきである。しかしだからといってスターリンの暴挙がゆるされるわけではあるまい。しかしそうした武力という強制力によって抑留された人々が、技術や文化の力によって日本への信頼を勝ち取ったのである。ソフトパワー(感化力・教育力など)がハードパワー(有無を言わさぬ強制力=武力・政治力など)に打ち勝ったすばらしい事例である。

日本の今後行く道がここに示されていると強く感じる。文化立国日本の建設を目指さなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本ではじめての高速道路サービスエリアは「吹田SA」ではない、という事実

ある日のこと。ふとしたことでNEXCO西日本グループの吹田SA情報をみる機会があった。

http://www.w-holdings.co.jp/sapa/index.php?institution_id=2004

そこには「名神高速道路初のサービスエリアです。」との表現があった。

「待てよ。日本で初めてのSAは大津SAやと聞いたことがあるぞ」そう思った私は、さっそく調査を開始したのである。

まず同じNEXCOのSA・PA情報の大津SAをみるとそのことには触れられていない。しかしいろいろ調べてみると、名神高速道路は日本初の高速道路で、1963年7月16日に栗東~尼崎間が開通。大津SAは、1963年10月1日オープンということが分かった。

ということは吹田SAは1963年7月16日~10月1日の間にオープンしたことになる。しかし、いくら探してもそんな情報はネットにはない。そこで思い切って吹田SAに電話してみた。

「つまらない質問ですみません。吹田のSAは日本で最初のSAだとHPにありますがそれでよろしいんでしょうか?」

「はい。その通りです。」(明るい女性の声)

「大津SAは1963年10月1日オープンですが、吹田SAのオープンはいつですか?」

「え~と、ちょっとお待ち下さいね。え~っと …  1965年7月9日ですね~」(ちょっと困った様子)

「ということは大津の方が早いんですね?」

「ということになりますね~。    お調べいたしまして折り返しお電話させていただきます。私たちも勉強になります~」ということで、電話待ちということになったのである。

ところが約束の時間になっても電話がかかってこない。やむを得ずこちらから電話。

「お仕事中すみません。先ほど吹田SAのオープンについてご質問させて頂いたものですけども」

「ハイ。」(明らかに不機嫌そう)

「先ほどの件いかがでしたでしょうか?」

「担当の者に問い合わせていますがまだ返答がありません。そちらから電話して頂けますか?」(さらに不機嫌なご様子)

NEXCO西日本のお客様サポートの番号を教えてもらってかけてみた。

「すみません。日本で最初のSAはどこですか?」

「大津SAです。」(さわやかな即答)

なんということか!こんなにすぐに分かることをこっちに振るなんて!吹田SAが日本初でないことが証明されて動揺したに違いない。

「じゃぁ吹田は2番目ですね?」という私の質問に担当者の方は「2番目かどうかは~ここではわかりません」とのこと。

しばらくの間、大津が最初だということでいいかと思っていたのだが何か気になる。吹田は2番目なのだろうか?

名神高速道路は、1964年4月12日に栗東~関ヶ原間が供用開始。この間には多賀SAがある。さらに同年9月4日に関ヶ原~一宮間が供用開始。この間には養老SAがある。こっちのほうが早い可能性がある!(東名は1968年とだいぶ遅いのでらち外)

多賀SAに電話。「1964年4月12日オープンです。」多賀町のHPで確認http://www.tagatown.jp/

養老SAに電話。「1964年9月4日オープンです。」養老町HPでは未確認ながらも、おそらく間違いはないだろう。

つまり、吹田SAは、日本で4番目のSAなのである!

この事実は、ウィキペディアのそれぞれの項目に記載させて頂いた。

ネットというのは怖いものである。そこに記載されている「事実」は不確定なものでも確定的な事実として一人歩きをする。今後も注意したいと思った出来事であった。

《追記》

ここまで書いて気がついた。

名神高速道路初のサービスエリアです。」という表現は、「名神高速道路に乗ってはじめて出会うSAです」という意味なのだろうか?それならあっている。(名古屋方面から来たら最後のSAだけど)

ついでに言うとNEXCO西日本も大津SAが日本最初のサービスエリアだということは認識している。

http://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h18/0912a/

じゃあなんで吹田SAの方はあんな勘違いをしていたのだろうか?!

よけいに分からなくなってきた。

(追記)

冒頭に引用したNEXCO西日本の吹田SAのページは「名神高速道路に乗って最初のサービスエリアです。」と訂正されています。NEXCO西日本の誠意を感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

孤独な英雄・ リチャード・ジュエルさん!あなたを忘れない。

リチャード・ジュエルさんが8月29日に亡くなったと聞いた(享年44歳)。残念である。

ジュエルさんは96年アトランタ五輪開催中に警備員を務めていた公園で不審なリュックサックを見つけ警察に通報。そのおかげで多くの人を誘導できたが、リュックは爆発し1人が死亡、100人以上が負傷した。当初、英雄扱いされたが、地元紙の報道で一転、容疑者扱いされた人物である。その後真犯人が見つかるなど無実が証明された。

こういうと河野義行さんのことを思い出す方もおられるかも知れない。94年の松本サリン事件で一時犯人扱いされた方である。「会社員」という表現で完全に犯人扱いすることが長く続いた。マスコミは毎日の報道の相互に矛盾があるなど完全なスクープ合戦に堕ち、正確な報道は影を潜め言いたい放題・想像し放題の記事が紙面を飾った。専門家のはずの常石敬一長崎大学教授(当時)までが「有機リン系の農薬を原因とする、神経ガスが発生した」「サリンは知識さえ持っていれば簡単に製造できる」などと不確かな情報を流し、河野さんが犯人であるというような雰囲気の醸成に一躍買ってしまったのである。結局地下鉄サリン事件が起こり、オーム真理教の仕業であると確定したのである。

私は当時すでにマスコミ報道の問題点を理解していたので、「この会社員が犯人とは決まったわけではない」と周囲にも語っていたのだが、周囲から変人扱いされたのを覚えている。

ちなみに河野さんはジュエルさんとも97年に対談されている。

日本ではマスコミのインタビューも受けておられる。

http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/ATLANTA/atlanta-asano2.html

驚くべき事に、真犯人が捕まった後もジュエルさんは、「あやしい」とか「うさんくさい」とか言われていたそうである。マスコミがパニックに陥ると事件から離れて個人攻撃に陥るからである。日本でも週刊新潮を始めとするマスコミが河野さんに関するウソを書きまくった。「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」などとあたかも河野家が異常な家系であり河野さんもその血を引いているかのように書いたが、実は河野さんは婿養子なので血筋とは全く無関係なのである。しかしそんな記事でも「犯人でなくても『怪奇家系』なんだろ」という印象だけは残すのである。

ジュエルさんの晩年はけっして幸せなものであるとはいいきれないものだとお聞きした。本当に残念である。それでも、ご自分が助けることの出来なかった爆破事件唯一の被害者の為に命日には爆破現場に花を供えに行かれていたという。

ジュエルさん。私は教師である限り、メディアリテラシーの大切さと報道被害の驚異について生徒に語り続けます。教師を辞めても一公民として語り続けます。その際に、必ずジュエルさんのような犠牲者を、二度と出してはならないと訴えます。

安らかにお眠り下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中学の地理をなんとかしてくれ!

高校のカリキュラムの世界史必修が維持の方向で検討されているらしい。

日本史を必修に、とか未履修問題の総括を、とか意見があったらしいが、結局は中学で日本史と地理を重視して高校で世界史を重視する流れをつくるということで合意がすすんでいるらしい。

現場がわかっとらん!

今の中学の地理がどれだけ悲惨な現状か、審議会の皆さんは分かっていないのだろう。世界の国など全く頭に入っていない。香港がハワイの位置にあると思っていたり、アメリカがヨーロッパにあると思っている生徒は、進学校でもざらにいるのである。

これでどうやって世界史をやれというのか!ばかもの!

教育を語る者は現場に来い!事件は文科省の部屋でおこってはいない!

いつでも現状を見せてやるから来い!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「世界柔道」-審判の稚拙さ

「世界柔道」で井上康生と鈴木圭治が負けた。不可解な判定が原因である。先に投げた側が判定されずに、後から投げた方が判定される。意味が分からない。

そもそも柔道の判定には以前から疑問を持っていた。何故副審はイスに座っているのだろうか。見えない角度があるだろうに。何故おしりをついただけで効果になるのだろうか。何故慎重に攻めれば指導を食らうのだろうか。今の柔道のルールには日本人の知っている美しい柔道とは違う要素が多い。そこへ持ってきて外国人審判の質は本当に低い。普段レベルの高い柔道を見ていない者に高いレベルの審判ができるはずがあるまい。

ことし剣道が世界選手権でアメリカに負けた際も、肩に当たっているのに「面あり」となったシーンがあった。やはり外国人審判である。もっとも日本人の審判でもミスは当然あるが、選手の努力を考えると、審判も必死に訓練しなければならないと強く思う。そうでないと、武道全体のレベルが低下する。そんな気がしてならない。

《提案》

剣道には別にスポーツチャンバラがありますが、似て全く非成るものです。日本の「柔道」も"JUDO"と別のものと考える。そして「柔道」と"JUDO"の選手は別に育成し、大会も別に開催する。"JUDO"は「こかしあいっこ」と相手に反則をとらせる技術と駆け逃げの技術を磨き、「柔道」はあくまで日本の道を貫く。これでいかがでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「世界競泳」とは何だったのか

先日、世界競泳の商業主義に驚いた話を書いたが、その後知ったことがある。

世界競泳の主催は、国際水泳連盟(FINA)の主催ではないのである。なんと日本水泳連盟(JASF)が主催した今回限りの大会なのである。選手も国内予選を勝ち抜いた選手ではないとのこと。

だから、日本人選手にあんなに偏りすぎた報道ができたのか!納得。

しかし、世界陸上の前にあんなに大々的に宣伝する価値のある大会なのだろうか。「競泳世界一決定戦」などとのたまっていたが、うそも甚だしい。世界陸上は世界最高峰の陸上選手権である。比べるのもおこがましい。

商業主義もここにきわまった感がある。テレ朝をはじめとするマスコミ諸氏よ!このままでは本当にマスゴミになるぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おお!クレーマーよ!

先日の放課後のこと、校長室の前を通ると中年とおぼしき男性の怒鳴り声が聞こえた。

「ははぁん、クレーマーが来たな」と中で対応しているであろう管理職に同情しながらも、私の担当する生徒指導に回ってくることを半ば覚悟しながら、そのときはその場を立ち去ったのであった。

しかし、いくら待っても回ってこない。「うちの管理職もたいしたものだ」と感心しつつ、教頭に顛末を聞いてみたのである。

要は、うちの生徒が夜中まで楽器の練習をしているのがうるさい、学校の教育方針を教えろ。学校が悪いから近所まで迷惑しているのだ、責任をどう考えているのか、ということだったらしい。

名前も名乗らず当該生徒の名前も「個人情報だから」と言わないクレーマーに対して教頭は、家庭に帰れば家庭の責任です、とか名前も教えてくれなければ対処のしようがない、とか対応していたそうである。

そこへ入ってきた学校長。「名前も名乗らない方の無責任な情報につきあう必要はないと考えている。」と一喝。びびらした後で、とにかく当該生徒の名前を言って欲しい、と促すと、出てきた名前はなんと本校生徒ではなかったのである!

クレーマーがほうほうの体で帰っていったことは言うまでもない。

かつての赴任校で7月に行われた地区別懇談会で、「なんで退学する生徒がこんなに多いのか!」と保護者に詰め寄られたことがある。しかし、その年の退学者が0であることをお伝えすると素直に謝罪されたことを思い出した。

クレーマーの皆さん!クレームをお寄せになる際にはよく調査をして、学校に寄せるべきクレームなのかどうかも含めてよく検討してからお寄せ下さい。そうしないと恥をかきますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

近江の以外と知られていない名所

再び、近江シリーズである。近江の国にはあまり知られていない名所がいくつかある。それをご紹介したい。

まず、「石塔寺」(東近江市石塔町)である。阿育王山の山号をもつのは、この寺の中心となる三重塔がインド・マウリア朝の阿育大王が作った八万四千塔のうちの一つという伝説があるからである。行ってみれば分かる。中央の三重塔(重要文化財)に向かう石段から始まる無数の石塔。石段の上の風景は、司馬遼太郎をして「最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては私は生涯わすれることができないだろう」(歴史を紀行する)と言わしめたのも納得できる異風である。伝説はインドであるが、実際の塔は韓国の百済様式という国際的な遺跡である。京都の化野念仏寺も石塔と石仏が無数にあるが、天台宗と念仏宗の違いなのだろうか、石塔寺のほうがあっけらかんとした明るさを感じる。

次に、「奥琵琶湖パークウェイである。絶景である。琵琶湖は大きく平坦な風景が多く、風景に迫力を求めてもなかなかないのだが、ここは別格である。この道は平成元年まで有料だったが、現在は無料。葛籠尾崎の先端が一番だが、残念ながら駐車場からの遊歩道が閉鎖されていた。もったいない!是非復活を願いたいものである。

次に、「醒ヶ井宿~県立醒ヶ井養鱒場」である。なかなかこんなに落ち着いた場所はない。秋の紅葉の時期は特にすばらしいが、地蔵川流れる生きた江戸集落のたたずまいと、鱒料理を堪能できる設備のマッチアップは子どもにはちょっと分からない魅力だろうと思う。

さらに高島市マキノ町「在原」の茅葺家屋群である。在原業平の隠居所との伝説のあるここは、重要伝統的建造物保護地区にはなっていないが、十数件の茅葺き家屋が残っており、日本の農村風景を堪能できる。「業平そば」もすばらしい。

近江のすばらしさは、どこまでも手つかずの無理をしない「ほったらかし」感にあるというのが私の持論である。思い出し次第本文を訂正し増やしていきます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »