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都教委の新基準に覚悟はあるのか?

東京都教育委員会が、教師の生徒個人情報の扱いの新基準の作成をするそうだ。

 児童や生徒のテスト結果など個人情報を教員が学校外に持ち出し、紛失するケースが相次いでいることから、東京都教育委員会が個人情報の扱いを詳細に定めた独自のガイドラインづくりに乗り出したことが25日、分かった。新たな管理基準は、教員に個人情報を含むメールの送信を禁じるほか、学校外で児童・生徒の情報を話題にした会話も禁止するなど厳格化した点が特徴という。違反した場合、厳しく処分する方針で検討している。

 都内の公立学校で今年4~10月、児童・生徒や卒業生の個人情報を紛失するミスが5件も発生。いずれも個人情報が入ったメモリーやパソコンを入れたかばんを電車内や飲食店などに置き忘れる不注意が原因だった。

 都教委は、これまで断続的に注意喚起や再発防止を指示してきたが、ミスが絶えない原因を「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」と分析し、個人情報管理の厳格化が必要と判断した。

 新たな管理基準には、

(1)個人情報の入った電子メールの送信禁止(2)個人情報を記録したメモリーや書類は必ず鍵のかかる引き出しなどに保管(3)私物パソコンの学内使用禁止(4)個人情報が記された書類の裏面をメモ用紙に使用しない-などを盛り込んだ。また、学外で児童・生徒の個人情報を含む会話も慎むように求める。

 緊急時の保護者の連絡網など、校長の許可で持ち出せる個人情報の種類まで定めるとしており、「個人情報の取り扱いをここまで詳細に定めた基準は全国でも例がない」(教育関係者)という。

 都教委は管理基準作成のため、教員の個人情報管理の実態を把握する調査を開始。19日には全教員に個人情報管理について23項目の「自己点検票」を配布し意識レベルを細かくチェックする。

 都の公立学校の教諭が個人情報を紛失したケースとしては、都立拝島高校の男性教諭(54)が10月下旬、定期試験の結果や調査書など生徒ら1087人分の個人情報を保存したUSBメモリー4本が入ったバッグを、JR中央線武蔵境駅の公衆電話に置き忘れたほか、4月に都立広尾高校の男性教諭(40)が調査書など生徒ら2757人分の個人情報が入ったメモリーを無断で持ち出し、電車内で紛失したものなどがある。

(産経ニュース 07.11.25)

「個人情報の入った電子メールの送信禁止」とは、どこまでを個人情報とするつもりなのだろうか?クラブの大会試合結果はどうだろうか?試合・シンポジウム等の参加申込みはどうだろうか?電子メールの否定は時代の逆行である。メール使用の際のガイドラインを作ることこそが時代の流れではないだろうか。

「私物パソコンの学内使用禁止」とは聞こえがいい。しかし裏返せば、これまで学校で教師の私物パソコンが使われてきた現実を暴露している。教師が私物パソコンを使わなければ仕事にならないというのが現実なのである。はたして都教委は教師分だけのパソコンを用意する覚悟があるのだろうか?予算はどこから持ってくるのだろうか。

学外で児童・生徒の個人情報を含む会話も慎む」というのは、校内ですべての仕事をせよ、ということであろう。都教委はその時間学校に拘束される教師の残業をどう処理するつもりなのだろうか?また、教師にすべての矛盾を押しつけるというであろうか。

生徒の個人情報を保護しなければならないのは当然である。なさけない事故の事例も報告されているのは事実であろう。しかし、何が問題なのか現場と問題意識を共有する努力を教育委員会はしていない。事故が起こるとアリバイ作りの「通達」を発するだけだ。教育委員会は世間受けばかり考え教師と共に取り組もうという発想に欠ける」というのが私の持論である。何か新しい事を起こすと現場でどのようなことが起こるのか、は現場の教師にしか分からない。教師に問題提起し、教師とともに考えてもらいたいものだ(教師の現場が意外と保守的であることはその通りだが、心ある人も多いのである)。

無理だと思うけど。

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「ジョシデカ」は面白い!

「ジョシデカ」がおもしろい!コミカルなくせに、観る者に推理を要求する。毎回、犯人像を変えざるを得ないほど新しい条件が加わる。

俳優も個性的だ。

コミック出身でないことも好条件である。

なかなかいい!

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企業での「研修」について

最近ブログが書けていなかったのには理由がある。メッチャクチャしんどかったのである。

実は現在、ある民間企業へ「研修」へ行っているのである。「教師は非常識だから民間企業の体験をしてこい」というような、分かったような分からないような理由で設定された派遣研修に、半ば強制的に参加させられているのである。「マンネリ化した教師生活だ。気分転換にはなるかな」くらいの軽い気持ちで返事した私がバカだった。学校現場に無理をお願いし、生徒にも負担をかけてまでやる価値があるのだろうか。しかも、長い教師生活の末に多くの初めての体験をするのは、やはり精神的にも肉体的にもしんどいのである。

この経験は何に生きるのだろうか?一人の人間として新たな経験をすることが悪いことであるはずがない。しかし、企業で経験したことが学校現場で生きなければ、何の意味もないことは明らかである。

企業で働きながら(働くマネごとをしながら)日に日に思うこと。その第一は、「もっと教育技術をアップさせる研修を受けさせろ」である。日々教員としての技量アップを図っていることが前提で、その上で「企業も覗いてこい」ならまだ分かる。しかし県内の研修でもその時間を作ることは大変なことなのである。一日二日なら授業の時間をやりくりして無理矢理参加しても、長期となるとそうはいかない。企業研修なら臨時講師もつけられるのに絶対につかない。しかも予算逼迫の現今、特に県外への研修などには絶対に旅費は出ない。参加料など絶対に出ない。どんなに先進的な内容であっても、「自費で行くならいい」との返事である。

第二に、この研修は国民・県民受けのための研修ではないのか、ということである。教員のための研修であるとはどうも思えないのである。転職を奨められているのかとさえ感じることがある。さきにも触れたが国民の中に「教師は世間知らずだ」という決めつけがあって、それに対応してますよ、というポーズのための研修ではないのだろうか。

第三に、ここからは学んだこと。「企業で通用する人材を育てる」ことよりも「社会に変革をもたらす力をつけて企業へ送り出す」ことのほうが大切だ」ということである。第四に、「したいことを探す」「夢を実現する」力よりも、「目の前の困難を乗り越える」力のほうが必要とされている、ということである。それほどに企業社会は矛盾だらけである。残念ながら「夢」などというきれい事だけで渡っていける社会ではない。

きびしいようだが、学校時代に苦労を避けた人、我慢をできなかった人、つまり、学校でつけられる力さえもつけないで苦労を避けて通った人は通用しない、そんな風に感じる。

力のない人には「夢」は実現できない。うっかりすると本当の自分の価値も発見できないから本当の夢さえ発見できなかったりするのである。だから大切なことは「目の前の課題から逃げないで立ち向かう」こと。他人の力を借りてもいい。乗り越えようと努力すること。乗り越えられなくてもいい。少なくともそこで力はつく。

断言する。自分の子どもの前に壁が立ちはだかると、すぐに学校や他人のせいにしてどこかしかに抗議してくる最近のモンスターペアレント達(甘やかし親)からは絶対にいい人材は育たない。そうやって育った子は世間で通用しない。このことは以前から考えてきたことだが、そのことの再確認はできた。

ということは、私にとっての企業研修には意味があったということか。

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