« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

三浦和義氏がアメリカで捕まった

ロス疑惑で一時期犯人あつかいされた三浦和義氏が、アメリカのサイパンで逮捕された。正直驚いた。

1981年に起こった「ロス疑惑」で突然悲劇の夫が加害者扱いされたのが、1984年の週刊文春の「疑惑の銃弾」連載。以後、警察当局よりもマスコミが三浦氏犯人説を前面に押し出して報道合戦。その様は、後の「松本サリン事件」を彷彿とするものであった。

マスコミが冷静さを欠いてスクープ合戦におちいると、むちゃくちゃな報道が洪水のように押し寄せる。三浦氏に対する報道もむちゃくちゃだった(三浦氏は名誉毀損裁判で勝率80%。時効15%。敗訴のほとんどは「事実ではないが名誉毀損にはならない」)。世論は「三浦が犯人に間違いない」という思いこみで一色になっていた。私も「よくわからない」という状態だった。

その私が、「三浦氏は無罪にするしかない」と思ったのは、第一審の東京地裁判決だった。公判で争われたのは「三浦氏が奥さんの一美さんをAに依頼して殺させた」という事実だったのに、裁判官はAには犯行は不可能、として無罪に。ところが「三浦氏が誰かに依頼して犯行させたことは推定できる」として、三浦氏を無期懲役にしたのだ。こんなバカな判決はない。公判で争われた事実を裁判官が曲げて判決を出すなんて!「推定無罪」の原則は無きに等しい。結局2003年に最高裁により三浦氏は無罪となった。こうなるとその前に有罪判決の出ている「一美さん殴打事件」もあやしい。加害者の元三浦氏の彼女を名乗る女性の自供だけが有罪の決め手だからだ。

私は、新しい証拠が出ない限り三浦氏は無罪だと思う。あれだけ日本の警察とマスコミが探しても有罪とする証拠はでなかったのだ。それをアメリカの警察がつかんだというのだろうか。

日本の警察には何の連絡もなかったという。だとしたらなめられたものだ。

今後の推移を良く見守りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の大臣の見方

自衛隊の船が漁船にぶつかって二人の方が行方不明になった事件で、石破防衛大臣の責任問題が取りざたされている。「下の不祥事は上の責任」というのは一般的にもそう理解されているし、別にそれでいいのかも知れない。しかし、私には少し違和感がある。

以前の自民党一党独裁の官僚独裁時代には大臣というと、立場を利用して地元に大型工事を持ってきたり利権をむさぼって金を貯め込んだりしていた。実際の政治は官僚が行い、かくして彼らは傲慢にもなり国民の税金を使い込んだり裏金を作ったりもしてきた。互いが利用し合ってもたれあってきたのだ。だから上が責任を取るのは当たり前だった。

その体制に風穴を開けようとするとどうなるか。現場の官僚達は改革を実行する大臣がうっとうしい。大臣がまじめだといままで官僚達がしてきたことが不祥事として発覚する確率が高くなる。そこで「どうせ謝るのはあの大臣さ」ということで、不祥事を一生懸命隠さない。それどころかへたをすると大臣を素通りしてマスコミにリークする。そうすればまじめな大臣の株が下がる。辞任でもしてくれたらもうけものである。マスコミもバカだから大臣の責任のように報道する。そんな大臣が「これは自分が大臣になったからあばく事ができたのだ」と真実を言えば、現場はもう大臣を信用しない。実際の仕事をしているのは大臣ではなく現場の官僚なので仕事が進まない。そのことがまた不祥事を生み出したりもする。さらにうっかりすると世間も「自分がトップのくせに現場に責任をなすりつけている」などと批判したりする。

そう考えると、かえって何もでない省庁は危ない。今までおかしなことを一切していない訳がない。もっとあばけ!まじめな大臣の省庁ほど不祥事がでる!官僚の悪さを知るとこういう結論に達するのだがいかがだろうか。

だから私は「不祥事が発覚したから大臣が責任を取れ」と簡単に言えないのである。責任は官僚のトップが取ればいかが?もちろん利権をむさぼる大臣は別ですよ。

被害者のご親族は「政局にして欲しくない」といっているのに、民主党が一生懸命大臣の責任を追及する理由が見えてきた。民主党は現場の官僚達の組合の支援を受けているから、まじめな大臣はお嫌いなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山場CM、ゆるさん!

山場CMという言葉をご存じだろうか。ドラマやバラエティが山場にさしかかったところでCMに入ることだ。「答えはこのあとすぐ!」とか「続きはCMのあとで!」などと予告を出す場合もある。CMの間にチャンネルを変えられずにCMを見てもらうためだそうだ。

バラエティなんかCMから復帰後にはほとんどの場合CM前の場面を繰り返すから「これって1時間の尺で実際は45分くらいじゃないの?」と思う時もあれば、映画なんかのいい場面でこれをやられると原作が台無しになることもある。いいドラマでこれをやられると「いいドラマやのにもっと自信持てや」とテレビに向かって叫んでしまう時もある。いいことは全くなし。スポンサーの都合だけのエゴ丸出しの現象である。最近は「このあと○○がマジギレ!」と言ってチョット相方につっこんだだけ、番組の後半に「この後○○が暴走!」とかいってCM明けに次回予告に入ったり、山場CMどころか「ウソCM」まである。

こんな番組作りを指示しているスポンサーの商品は買わないのが鉄則である。民法テレビはスポンサーの広告料で経営されている。その原則から考えればCMがあるのは当然である。しかし絶大な影響力を持つテレビだからこそ守りたい襟度がある。創りたい文化がある。発信したい主張がある。それが商業主義一本でいいのだろうか。社会貢献をしている企業はいっぱいある。テレビ文化の発展に寄与しようという企業は、シオノギ製薬だけでいいのだろうか(ミュージックフェアはすばらしい)。テレビ局はいいなりでいいのだろうか。

亀田問題しかり、バレーボールの変容しかり。私は「悪しき商業主義」の象徴が山場CMだと思っている。

ゆるさん!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

灯油缶はなぜ倒れるのか?

全く腹が立つ。

灯油の缶はなぜあんなに倒れやすいのだろうか。

底が丸みを帯びているのが理解できない。

底が細長い構造になっているのも理解できない。倒れるべくして倒れるのである。

そして、キチッと締めてもなぜか少しこぼれる(にじみでる)口も許せない。

そしてなにより

どうしてあんなに持ちにくい取っ手になっているのだろうか!

手が小さな人にはとてもじゃないが持てないのである。

業者の皆さん!新しい容器を開発して下さい!

心からのお願いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »