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「韓国修学旅行で土下座って本当?」その後

以前に「韓国修学旅行で土下座って本当?」という文章を書いた。その後もかなり手を加えて、現在は当初の形とはだいぶん変わったが、基本は

①広島県の世羅高校の韓国修学旅行での謝罪行事を報じた韓国日報の記事を紹介した1999年(平成11年)3月6日付の産経新聞記事には、元従軍慰安婦の方に土下座したなどという事は記事にも写真にも載っていない。

②2004年2月20日未明に2chの「【もうね】カンコク大嫌い【うんざり】」というスレの514、516、518、519番の書き込みは、いろいろなところでコピペされ、あたかも初出のように扱われるが、上記産経記事とは全くの別物であるだけでなく、書き込み自体の内容が不自然で信用できない。

③上の二つが同じ出来事としてネット上で扱われ、「世羅高校は韓国で土下座させられた」と喧伝されているが、この二つ以外にソースを明かせないのなら、これは間違いであるというしかない。また、これ以外に「土下座させられた」という記事は見つからないので、韓国に修学旅行に行って土下座させられたという学校は存在しないのではないか。

ということを論評したものである。少し長文になりすぎたきらいはあるものの、その都度思索をしながら書いた自信作である。

残念なのはこの文章に対するコメントがほとんどないことである。

末尾に

「よって過激に結論。韓国の修学旅行で土下座させられた学校は存在しない!
事実が確認できれば、内容の修正にやぶさかではありません。お知らせ下さい。」

とまで書いたにも関わらず、どこからもでてこないのである。やはり、土下座した学校など存在しないのか、それとも自分の意見に反する文章など読まない人が多いのか、のどちらかであろう。

それにしても、もっとネットウヨの方々から強い反発があるかも知れない、と覚悟していたので、拍子抜けの感がしないではない。

もっとも他のサイトやYahoo知恵袋などで、たびたび私の文章が引用されたりしていて、それに対する反応はまま見られるので、これに対して少し私の考えを述べたいと思う。

本文のコメント欄に直接あった反論はただ一つ。

通りすがり(2人目)さんの

「韓国修学旅行で土下座って本当?」に触れなかったのは、その価値がないと思ったからです。信憑性がないから「土下座は完全にウソ」って。総連の情報は鵜呑みにするのに…。」

というもの。他の知恵袋などの反応もこの方の域を出ない。

曰く、世羅高校の生徒に直接土下座しなかったのかどうか聞いたのか?」

曰く、メールの投稿者に直接ウソメールだということを確認したのか?」

ちなみに私はネット上の世羅高卒業生を名乗る書き込みは紹介しましたが、どうせ信じないでしょう。この言葉はそのままそっくりお返ししたい。

「世羅高校の生徒に直接土下座したかどうか聞いたのか?」

「メールの投稿者に直接本当のメールかどうか確認したのか?」

人や他国を貶める文章を公表するからには、情報が真実であることを証明する必要がある。でなければ名誉毀損。逆にいいかげんな情報に反論するには、その情報に信憑性がないことを証明するだけで充分なのだ。そうでなければ、自分で作った作り話をあたかも真実であるかのようにネット上に流すことが可能になる。ネット上では同じ情報が何度も様々な場所に顔を出すと、真実であるかのように受け取られる傾向があるからだ。

(もっとも、人を誉めたり称えたりする情報にはこのような面倒な手続きは必要ないと私は考えます。)

ネットにガサネタを流す人には「ノーリスクで人を貶めることの快感」があると思う。人の不幸の上に自分の幸福を築こう」という情けない風潮はなんとかならないものか。

ネットという便利なツールを汚すも生かすも人次第。残念ながら、汚す人が多いようで困る。

<追記>

2008.5.31に「無名氏」さんからたいへん有意義なコメントを頂戴した。下のコメント欄にもあるように、1999.3.10産経新聞に、生徒が読み上げた宣言文の全文が掲載されているということなので、探してみました。記事(大阪版)は以下の通りです。

「韓国修学旅行世羅高宣言文 「真実忘れない」 独立記念館の展示に驚き」
1999.03.10 大阪朝刊 1頁 総合1面 
 国旗掲揚、国歌斉唱問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が韓国へ“謝罪修学旅行”を行っていた問題で、産経新聞は九日、同校の生徒会がソウル市内の公園で読み上げた「宣言文」(韓国日報の報道では「謝罪文」)を入手した。
 旅行中に訪れた独立記念館での印象に触れ、「展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付きなさけなくなった」「今、自分の目で見た真実を忘れない」などと書いている。
 独立記念館はソウル南方にあり、日本の朝鮮統治時代に日本の官憲が韓国の独立運動家を拷問する残酷な場面をロウ人形で再現した「拷問コーナー」などが設けられている。
 宣言文は昨年十月十六日、タップコル公園で開かれた生徒会主催の「平和集会」の中で読まれた。生徒たちが公園の三・一独立運動記念塔前で、ひざを折り、頭を垂れ、独立運動の犠牲者への黙とうなどを行っている写真や記事が今月五日付韓国日報に掲載され、日本に衝撃を与えた。
 ◆宣言文全文
 「遠い昔から現代まで多くの人々が行き来した玄界灘。
 それは古代から日本に文化を伝え続けた海峡であり、韓国と日本の歴史的に不幸な事実や在日韓国人が受けている不当な差別的現実を生んだ海峡でもある。私たちは昨日その海峡を渡った。
 韓国、こんなに近くにある国なのに、私たちは今まで自分たちから求めてこの国のことを知ろうとしただろうか。教科書や歴史の授業の中で自分から日本とこの国の歴史の真実を学ぼうとしただろうか。
 今、私たちは、日本と異なる文字ハングルや風物の違いを目のあたりにし、「異なるものの存在は当たり前のことである」ということを改めて心の中にきざみ込んでいる。そしてさっき訪れた独立記念館の展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付きなさけなくなった。私たちはこの独立記念館がこの国の人々の「過去を忘れず再びこのようなことのないように子孫に真実を伝えたい」という思いで建立されたのだということをしっかりと受けとめたいと思う。私たちも今、自分の目で見た真実を忘れない。キョレーの家で私たちを迎えてくれた「不屈の韓国人像」の「不屈の魂の叫び」を私たちひとりひとりの心の中にきざみ込みたい。私たちは今、この地に自らの足で立ち、自らの目や耳や心、全身全霊で受けとめられるもののすべてをしっかり自分のものにしたいと思う。この旅は私たちにとって「どの様に生きるか、どの様に生きなければならないか」ということを自らに問うものだと思う。自らの偏狭な価値観で異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人となる第一歩としたい。
 この地で学ぶ日本とこの国の過去の不幸な歴史的事実を教訓とし21世紀を創る世代の人間のひとりとしてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたいと思う。
 今ここに集う者全ての思いを込め
 平和な未来を求め Lets be ambitious!!」

まずこの産経記事には、「謝罪だと結論づけている」ところはありません。

その上で宣言文をどう見るかは人それぞれでしょう。

宣言文はまず前半で、日本統治下において朝鮮半島の人々が受けてきた仕打ちの展示を見た、驚きの心情と知らなかったことが情けないといった思いが素直に表現していますが、この文章の主題は後半にあり、そのような事態になった原因を、民族に優劣をつけようとする偏狭な価値観に求め、異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人として過去の不幸な歴史を忘れず、乗り越えてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたい決意が述べられています。

同じ日の産経新聞の東京版には、この宣言文を紹介した上で、

「日本の朝鮮統治を一方的に悪とみる残酷な展示に生徒たちが影響を受けことさらに卑屈になっている心情がうかがわれる。」

としていますが、どこをどう読めばそうなるのか私には分かりません。文章の全体を見ず、前半の一部を切り離して読めばそう見たい人にはそう見えるのでしょうか。半島で日本が行ったことがどのようなものであるかを検証することは確かに必要なことかも知れませんが、かれらはそれを超えていこうとしている。いったい宣言文のような「真の国際人」としての決意を批判する必要がどこにあるのでしょうか。どうしても「韓国人が日本を残虐・残忍な民族であるというレッテルを貼ってバカにしている。けしからん」といいたい人は、宣言文のいう「偏狭な価値観」のレベルから一歩も出ていないと思います。

さてその上でたとえこの宣言文を謝罪文である、としたとしても、はっきり言えることは「土下座はしていない」ということです。産経新聞は「ひざを折り、頭を垂れ」という不自然な表現にとどまり土下座とは表現できていません(したかったのかも知れませんが)。土下座したという情報がなかったからこういう表現しかできなかったのだろうと、推察するものです。

いったい産経新聞はこの報道で何を読者に伝えたかったのだろう。いっそう分からなくなってきました。

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「ホカベン」が深い

ちょっと想像外だった。

弁護士の仕事につきつけられた矛盾をここまで浮き彫りにするドラマは今まで無かった。

上戸彩は元気が取り柄だと思っていたが、役柄が全然違う。今までの彼女のファンはびっくりしているのではないか。だから視聴率がなかなか伸びないのかも知れない。

それほどに「考えさせられる」ドラマなのである。

弁護士の仕事を通じて、真実を明らかにし、弱者に手をさしのべたい主人公・堂本灯の前に、クライアント(依頼者)の利益になるように弁護するのが弁護士の仕事である、という現実が立ちふさがる。

第1話でこそ幼児虐待・DVの夫からは妻と子どもを救うことができたものの、その後は堂本灯が真実を貫いても、誰が救われたのか分からないようなストーリーが続く。第2話の少年犯罪は、全く反省していない少年犯罪者から高額の和解金を得ることができたが、加害少年の家庭は崩壊してしまう。第3話では依頼人を救うことはできたものの、依頼人のあまりに社会をなめた態度に「あなたなんて大嫌いです!」と言ってしまう。そして今日の第4話は、臨海学校で起こった中学3年生の水死事故が、単なる事故として処理しようとしていた弁護士事務所の方針に反して真実を調べ、実は被害者の生徒の悪質なイジメに対する2人の生徒の報復殺人であるということを明らかにしてしまう。加害者2人に反省を促すことはできたが、被害者家族は現地にいられなくなり引っ越しを余儀なくされてしまった。

そう、ゴクセンみたいに「何もかもうまくいった」というストーリーではないのである。真実を貫くことの意味は何か、弁護士はどうあるべきか、ということを考えさせる。重たいのである

しかし、なぜか毎週見てしまうのは、上戸彩が本質的に明るく前向きだからであろう。暗いキャラクターの人が演じるとたぶん見ていられない。

今後が楽しみなのである。

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知らなかった。こんなすごい人がいたなんて。

今日の産経新聞ネットに次のような記事があった。

【ベルリン=黒沢潤】第二次大戦中、ナチス・ドイツの支配下にあったポーランドのワルシャワ・ゲットーから、ユダヤ人の子供たち約2500人を救ったポーランド人女性、イレーナ・センドラーさんが12日、死去した。98歳。

 センドラーさんは1940年秋から、社会奉仕家の立場を利用して同ゲットー内に入り、幼児たちをスーツケースに入れたり、スカートの中に隠すなどして逃すことに成功。ナチス占領下でユダヤ人を助けることには、銃殺などの重罪に処せられる危険があったが、2年以上も命がけの活動を続け、子供たちを孤児院や病院、教会などに匿った。

 43年春、ゲシュタポ(国家秘密警察)に逮捕され、強制収容所で拷問を受けるが、「活動内容を明かすぐらいなら迷わず死を選ぶ」(生前の伝記)と、かたくなに沈黙を守り通した。その後、仲間がナチス高官を買収し、辛くも死を免れたが、拷問のため足や腕を骨折し、無意識状態のまま近くの森の中に捨てられた。

 英雄的な行動は、幼児たちを救ったことにとどまらない。“生き別れ”を余儀なくされた幼児と親が戦後、再開できるようにと、幼児1人1人の名前などを紙に書き、リンゴの木の下に埋めたことがその例だ。戦後は社会奉仕家として活動を再開、65年にはイスラエルから表彰を受けた。

 同ゲットーで43年、ナチスへの絶望的な蜂起を仕掛けたユダヤ人生存者、マレク・エデルマン氏は12日、地元テレビに対し、「他者のため、弱者のために立ち上がった人は当時、まれだった。偉大な人物を失った」と、その死を嘆いた。

 センドラーさんは昨年のノーベル平和賞候補にも挙がるなど、その勇気ある行動は世界で称賛されたが、死の間際のインタビューにで、「私が『英雄』と呼ばれることには抵抗がある。実はその逆だ。私はほんの一握りの子供しか救えなかったことに、今も良心の呵責(かしゃく)を感じ続けているのです」と語っていた。

偉大だ。あまりにも偉大だ。

最後の私はほんの一握りの子供しか救えなかったことに、今も良心の呵責(かしゃく)を感じ続けているのです」との言葉は、映画「シンドラーのリスト」のラストシーンでオスカー・シンドラーが言う言葉を思い出させる。何故もっと救えなかったのか!もっと救えた筈だ!あと一人でも二人でも・・・」。日本の杉原千畝もベルリンへ向かう列車が発車するとき、ユダヤの人々にこういった「許してください、みなさん。私には、もうこれ以上、書くことはできません…。みなさんのご無事を祈っています。」あの極限状態で人を救った方々はみんな「もっと自分にはできたはずだ」と思っている。

イスラエルは「諸国民の中の正義の人」賞という賞を作り、ホロコーストからユダヤ人を守った人を表彰しているが、2006年1月現在で21,311人おられるという。スウェーデンの外交官であったラウル・ワレンバーグは10万人ものユダヤ人を救った。さきにも触れた日本の外交官であった杉原千畝は本国の命令に背き、6000人のユダヤ人を救った。そのような社会的立場のある人もいたが、これらの英雄のほとんどが名もない庶民だ。あのベルリン市内でユダヤ人をかくまい続けたドイツ人もたくさんいるというから驚きだ。少女時代のオードリー・ヘップバーンもオランダでナチスへの抵抗運動の資金稼ぎのために踊り、かくまわれていたユダヤ人に食べ物を運ぶなど協力していたという。

日本ではどうだろうか。軍国主義政権に反抗し続けた庶民はどれだけいたのか。知識人はどれだけいたのか。私は、創価教育学会の牧口常三郎戸田城聖両先生と、横浜ホーリネス教会の菅野鋭牧師、少数の共産主義者、政治家では尾崎行雄しか知らない。

歴史上にはすごい人がいる。こうした人々の精神を忘れてはならない。日本にはこうしたすごい人たちをバカにする傾向がある。ホロコーストはなかった、だなんて命がけで戦った人たちの前で言えるのだろうか。命がけで戦って命を落とした人もいたはずだ。何もできていない我々にできることは、客観的に評価することではなく、ただ尊敬しその一分でも実践できるように心を強くすることだけだ。

日本は嫉妬社会。この風潮に巻き込まれまい。

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