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小沢の居座りはみっともない。

民主党の小沢代表が、公設第1秘書の逮捕立件にもかかわらず代表の座に居座り続けている。

理解できない。

政治家個人は企業から政治献金を受けてはならない。これが現在の法律。小沢事務所の陸山会は、企業の隠れ蓑のダミー政治団体から巨額の献金を受けていた。実質的には企業献金だった。これはみなが認めている事実。それを「西松建設がウラにいるとは知らなかった」「やましいことは何もない」という言い逃れをしようとしているのだ。

結果的に企業から個人献金を受けていたという事実をどうするつもりなのか!過去いくつもの政治家の不祥事が「知らなかった」「記憶にございません」でごまかされてきた。そのことを国民は知っている。それをまた繰り返そうというのか!

本当に知らなかったとしても、結果としてまずかった、と身を引くべきだ。それでこそ「いさぎよい」。そして決然と自民にもいる同様の議員を攻撃すればよい。

それなのに、「企業献金は全面禁止に」と突然矛先を変えてみたり、「たいした罪ではない」と開き直ってみたり、「検察の国策操作だ」などと八つ当たりしたり。実に往生際が悪い。

そもそも検察の逮捕の時期が悪いというが、政治家の罪が明らかになればその都度逮捕・立件して欲しいというのが国民の率直な思いではないのか。選挙が近いのに政局に影響のある逮捕は不自然」などという理屈は、事情通のしったかぶりのいうことで、国民感覚からは全くずれまくっている。小沢総理が誕生してから立件されたらもっと大きな問題になったはず。それとも総理になればもみ消せたとでもいうのだろうか。民主党が検察と与党をひっくるめて批判するのを聞いていると、逆の意味で政治から検察への圧力に見えてしまうのは私だけだろうか。

小沢では日本は変えられないな、それを擁護する民主党でも変えられないな、そういう空気が日本国中に蔓延してきている。日本の政治危機をどう救うのか。岐路にさしかかっている。

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「黒部の太陽」に感激!

久しぶりに感激した。ドラマ「黒部の太陽」である。

原作も読んだし、現地にも行ったことがある。修学旅行では生徒を連れて行った。プロジェクトX「厳冬 黒四ダムに挑む」も買って見た。黒部ダムの売店に「このビデオをなぜ売らないのか」と文句をいったら半年後に行ったら売っていた。あとは石原裕次郎の映画だけ。ビデオにはしない、という遺言だそうだから諦めていたら、先日特別公開があったが、見られなかった。それだけに今回のドラマは楽しみだった。

「黒部の太陽」のストーリーは、熊谷組の大町トンネルの工事に特化している。それだけでもこれだけの迫力。感動である。黒部川第4ダムの工事はそれだけではない。辺境の地に越冬までして、大町トンネルの向掘りとダム本体の工事をした間組。他にも大成建設、鹿島建設、佐藤工業なども大きな役割を果たしていることはを忘れてはならない。現在観光客でにぎわうアルペンルートも、立山側からの資材搬入のためにブルドーザーで開削されたルートだ。

この工事で多くの尊い命が失われた。この工事以外にもそういう事はあっただろう。そのおかげで現在の日本の繁栄があるということは絶対に忘れてはならない。本当にすなおにそう思う。

(先の大戦についてもそのように美化して言う人がいる。しかし、違うのは指導者の質である。日本の戦争指導者には、「国民のため」という視点が欠けている。犠牲者が増大すると分かった時点でそれを防ぐべきだったのに、イデオロギーにとらわれて、いかなる対処もしていない。むしろ死ぬことを美化し奨励さえした。ノスタルジーにとらわれて、本土決戦などという実現不可能なことを声高に叫び、東京大空襲も沖縄戦も原爆の投下も防ぐことが出来なかった。特攻隊や戦艦大和の出撃などのまったく無意味な戦法を強行し、多くの若者の命をムダに失った。わたしは欧米列強の横暴にも怒りを感じているが、日本の無能な戦争指導者は東京裁判などという連合国の手による裁判でなく、日本国民の手によってこそ裁かれるべきだったと思っている。)

「偉大なる人々の心は地上の星である。もし我らの地球を上から眺めるならば、それらの心が空の星のごとく燦然と輝いていることであろう」 ハイネ

かつて多くの地上の星とよべる指導者がいた。そして今もいるとわたしは信じている。

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週刊誌の終焉

週刊現代に「あしたのジョー」が再連載された。

これを聞いて「週刊現代も終わったな」と思ったのは私だけだろうか。

そもそも記事でなく、中年サラリーマンの懐古趣味頼みとは情けない。

しかも記事自体の信用性が低い。先日は大相撲の八百長疑惑を報じて、名誉毀損裁判で1500万円という賠償を命じられた。その前には若ノ鵬にウソの八百長告発をさせている。他にも信用できない記事がいっぱいある。

2008年上半期に、前年同期から25%減の264,389部の販売部数となったことが報じられたのが昨年11月。最高150万部を発行していたというから、その凋落ぶりは激しい。

週刊現代だけではない。週刊新潮の記事が信用できないことは、統括責任者であった斎藤十一がうちは文芸をあつかう出版社。真実でなくてもいい。」などと公言していたというからも明らか。ゲテ者趣味、高潔な人間も一皮剥けば金と酒と女、といった人間をバカにした取材軽視の編集方針は以前から批判されてきた。それでも反省はしない。このほどは朝日新聞阪神支局襲撃事件の真犯人であるという男性の独白記事を掲載したが、当の被害者である朝日新聞社への取材を怠り矛盾を指摘されている。これなどは自殺行為といえる。販売部数も下降気味だ。

真のジャーナリズムが育たないと、国が滅びる。「報道の権利」が国民の「知る権利」と密接な関係があることは明らかだ。マスコミは「売る」ためでなく「国民に真実を伝える」ために報道の権利を国民から付託されている、と考えるべきなのだ。しかし、ここまでの週刊誌は違った。センセーショナルに不確定なことや時にはウソを掻き立ててきた。国民が見放すのは当たり前だ。そもそも週に一回きちんとした取材をして週刊誌を発行することなど出版社に可能なのであろうか。

新聞社系の週刊誌の変化も私は気になっている。サンデー毎日はなぜ出版社系のような体裁に変えたのだろうか。同じ轍を踏まないよう、祈らざるを得ない。

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