マスコミの貧弱な野党観
以前から気になっていたとがある。
例えば、大新聞の社説に「審議を拒否せずに与党に党の主張を突きつけて一部でも飲ませ、与党の妥協を勝ち取るのが本来の野党」とか、「熟議の国会を期待する」とかいう論調が書かれる。
「反対するのが野党」というのは五十五年体制下の社会党が作り上げたバカげた野党観である。その意味からも社説に書かれていることは「その通り」とうなずける。
しかし同じ新聞が記事になると、自民の中に民主の政権運営に協力しようとする動きがあると「すわ!大連立へ!」、公明党が子ども手当に条件付で賛成すると「民公連携か!」と、なる。記事では政局しか報道しないのである。野党の政策実現は民主を動かさないとできないから駆け引きが必要なのに、少しでも民主に近づいたととられると、まるで権力の亡者であるかのように批判的論調で報道されるのである。
誤解を恐れずいうと、多くの新聞読者は社説を読まない。一面記事の見出しだけ読んでいる人も多い。記事の見出しで権力の亡者にされてしまってはどうしようもないので、野党は政権にとにかく反発しないと立場が維持できない。かくして「野党は反対」の五十五年体制が維持される。
日本人の政治に対する感覚が幼稚なのは、マスコミのせいだ。私はそう思っている。時代は大きく変わっているのに、マスコミの野党観は五十五年体制のままなのだ。しかし大マスコミは、旧態依然とした自分たちが原因なのに、「政争ばかりで政策が論じられない国会だった」などと総括することさえある。厚顔無恥というしかあるまい。
そもそも各紙政治部の記者というのは、果たして各党の政策をどこまで理解しているのであろうか。夜討ち朝駆けで政治家に張り付いているだけでは勉強する時間もないのでは?と同情する。それでは新しい野党観を身につけるヒマもないであろう。記事を作るトップがもっと勉強して社内でのイニシアチブを取るべきである。
不勉強な記者の書いた記事で踊らされる読者は不幸と言うしかない。
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