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橋下・日本維新への違和感の正体

橋下氏の政治主張に見るべきものがありそうな気がしていることは、以前に少し書いた。それは今も変わっていない。

首相公選、大阪都、道州制、それぞれに魅力的ではある。ガタがきた日本にてこ入れするには、思い切った大きな変革も大切であろう。こうした点、共感するところがある。

しかし、なおかつぬぐいきれない違和感を橋下・日本維新に感じるのは私だけであろうか。私は、この違和感が何に由来するのか、ずっと考えてきたが言葉に出来ずにいた。今回、橋下氏が「夜回り先生」水谷修先生にいちゃもんをつけたのを見て、やっとこの違和感の正体がわかった。

水谷先生はブログで、維新の会に鞍替えした松浪健太が水谷先生といっしょに写ったポスターを無断使用したことを指摘して、

「ましてや、維新の会・・・。多分ことばだけでも、子どもたちへの想いをひとつも語ることのない組織です。私は、彼らの気持ちがわかりません。ただ、大阪の教育を、ただむやみやたらにいじり、そして県知事の職を、ただ捨て、そして市長に。言うことだけは立派でも、結局は、何もしていないどころか、現場を混乱させた橋下氏を信じていないだけです。彼に聞きたい。子どもが大切ですかと。だったら私と夜回りをしましょう。子どもを愛していますかと。だったら、国政を何とかという前に、まずは学校と子どもたちの所へと。」

と書いた。橋下氏は党首として松浪に注意し、謝罪した上で、「超現場を知る水谷さんになぜ信用されないのか。自分の推進した教育施策のどこに間違いがあったのか」を謙虚にきけばいい。水谷先生は、学校でも拾い上げることの出来ない生徒の命を救う為に、自身の命を削って地道な活動をしている方である。テレビにいっしょに出たこともあってご本人の電話番号も知っているのだから電話すればいい。

それを「橋下は子どもの事を想っていないという決めつけはやめるべき」「水谷氏が学校を回るのは結構だが~」と水谷先生の話をでっちあげてツイッターで猛攻撃したのである。

どこに「橋下は子どもの事を想っていない」と書いてあるのか。「彼に聞きたい。子どもが大切ですかと」と呼びかけてあるだけである。「想っていますよ」でよいはず。

橋下氏の批判はしつこく続く。

「社会は役割分担だ。学校を回るのは、教育実践者だ。子どもと話すのも、現場の教員が原則だ。市長や知事は、教育行政の枠組み作りと、財源を確保しての予算の確保。巨大な教育行政を動かしていくのが、市長、知事の役割だということを認識して欲しい。」

ここまではよい。

「水谷氏のような大人に、指導を受ける子どもが、どのような大人になるのか心配だ。決め付けは絶対に良くない。議論をしてからロジックに結論を導く。これが成熟した民主国家において必要な教育。水谷氏は、完全に決め付け型。まさに佐野氏に近い。」

とまさにご自身がかってなでっちあげで「決め付け」と批判しておいて、取って返して「決め付け」の人格攻撃。

「夜回り先生こと水谷氏は、教育は教育実践でのみ成り立っていると勘違いしているのであろう。教育行政システムにも精通した教育評論家、専門家が必要だ。水谷氏に伝えたい。僕らも子どもの事を想って、教育政策を実行している。そこは水谷氏と同じだ。ただ考え方ややり方が違うだけだ。」

著名な教育評論家の尾木直樹氏を攻撃した人物とは思えないような口ぶり。(私は今の尾木氏の仕事振りには感心しないが、彼の教育評論や提言は本当にすごい、と感心させられてきた)

橋下氏は「教育は教育実践でのみ成り立っていると勘違いしているのであろう」とかってに想像するが、少なくともいえることは、教育実践なくして教育はありえない。教育行政だけの教育が存在するだろうか。

教育が行われているのはまさに現場である。生徒と保護者が教育を受けやすいように、教師が教育活動をしやすいように条件を整えるのが教育行政である。彼がいうように役割が違う。しかし、この二者はバラバラではいけない。今現場で何が起こっているのか、今現場に何が必要なのか、実施した教育施策が現場でどのように実践され効果をあげているのか、を教育行政を行うものが知ろうとしなければ、二者はバラバラなままである。ましてや橋下氏には教師の経験はない。教育理論を徹底的に学ぶ機会もなかったはずである。彼の教育観の大部分は、自身の体験に根ざしたものであるに違いない。だからこそ謙虚に現場に耳を傾けなければならないのに、そんなそぶりは感じられない。

しかも彼は、成果が出ないことの責任は、これまですべて現場のせいにしてきた。お定まりの組合批判や国歌・国旗への姿勢に問題をすり替えて、現場を攻撃してきた。しかし、知り合いの大阪の教師に聞いたが、もうそんな次元ではない。現場の教師がまったく信用してない最大の原因は、現場の意見に耳を傾ける姿勢がまったくみられず、責任だけは押し付けるからだという。

そう、橋下・日本維新への違和感。それは現場感覚が欠如しているということである。

現場の声に耳を傾けていないのに自分だけが知っているような勘違いをしているのではないか。大枠の制度を変えればすべてがよくなると思い込んでいるのではないか。

彼らの口から、現場の話を聞いたことがあるだろうか。市井の民の声なき声を救い上げた施策があったであろうか。ちょっとでも施策に意見しようものならたちまち「素人」「政治をしらないなら意見をいうな」「政策論議を」である。いっぱんの庶民には話をする気にさえならない。

大阪都構想もやっと法律ができて具体論にはいるかと思ったらどうなってしまったのか。いきなり国政に進出である。

大風呂敷は広げるけれども畳まない。そういう政党でよいのか。

もったいない存在だがこのままでは、一時期のブームに終わる。私はそう見る。

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