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靖国への疑問

今年も終戦(敗戦)の日が過ぎ去った。毎年この日に、戦没者の無念に思いを馳せ、「二度と戦争を起こしてはならない」と決意・確認することは、この国にとって本当に大切なことであると思う。

さて靖国である。

はじめに、
中国・韓国などの外国が日本の国内の宗教事情に首を突っ込んでくることには私は否定的である。「うるさい」「他国のことに口を挟むな」と言っておく。「政府が宗教を優遇したり弾圧したりしない」という政教分離原則は、国によって形は違うが近代民主国家が獲得した原理である。他国の宗教事情について口を突っ込むのは政教分離原則に反する可能性がある。政府レベルで抗議されても日本国政府が靖国という宗教法人のあり方を変えることは政教分離原則にしたがえばできるはずもない。靖国のあり方は宗教レベルの議論でしか変えられないものなのである。閣僚であれ政治家であれ、個人の信条で参拝することを強制的に止めさせることなどできるはずがない。それを政府レベルで「するな」というのは、近代民主国家の否定である。もちろん、公人として公費を支出しての「公式参拝」は違憲であるが、それも外国から指摘される筋合いのものではない。

ただし、中国・韓国が言うのは問題ない。議論もしたらいい。しかし、ことは靖国神社という日本の宗教法人の問題である。靖国問題は本来、靖国などというばかげた宗教団体を信じて参拝する愚かな政治指導者の「個人的な資質」の問題である。ところがこいつらは、中国・韓国などから批判があるたびに「内政干渉だ」と「政治問題」にすりかえようとする。日本の中で日本人が「靖国をどう評価するか」という議論を進めることが優先されるべきで、外からやいやい言われると、冷静でなくなる人がでてきて「内政干渉」だと勘違いする人もでてくる。自重してもらいたいものだ。

さて、ここからは「宗教法人 靖国神社」に対する私の思いである。

私は前安倍政権が誕生したときに「靖国神社に戦争責任がある」という趣旨の記事を書いた。その思いは今も変わっていない。
「日本人なら靖国に詣って当たり前」と言う政治家がいる。大きなお世話である。

1.私には靖国神社に英霊が眠っているとは思えない。
そこにはどのような哲学・死生観があるのだろうか。どういう理屈でそうなるのだろうか。
戦没者を祀るために作った神社だから戦没者が眠っているのは当たり前、とは私には思えない。いかなる信用があってそんなことが信じられるのだろうか。
公が作った作り物の神社になど魂が帰ってくるはずがない。日本の伝統でもなんでもない。日本各地に自然に成立した伝統的な神社を、国家権力によって統合再編成して(潰すものは潰して)ヒエラルヒーに押し込んむことで、むしろ日本の伝統を壊したのが国家神道ではなかったのか。その象徴が靖国神社ではないのか。靖国を認めることは、長年培われてきた日本の文化を国家主導で再編し、国民精神を集めようとした明治新政府の行為を認めることになる。
レイテ島で亡くなった私の祖父はそんな出来合いの靖国になどいない。もし、魂というものがあるのなら、遺骨が埋まっている現地に留まっているか、帰りたくって仕方がなかった祖母と母の元に帰ってきたかであろう。

2.靖国は戦争遂行装置である。
「靖国で会おう」この言葉が、どれだけ多くの若者が無策無謀な作戦を受け入れる動機になったのか。靖国はいわば戦争遂行装置だったのである。この国の軍隊ほど兵隊の命を軽く扱った軍隊は近代には存在しないのではないだろうか。「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の一節に象徴されている。「捕虜にならずに死ね」「死んだら靖国で神になる」この思想がいったいどれだけの生きることのできる命を散らすことになったのか。先の大戦の日本人兵士の半分以上が餓死であったことと考え合わせれば、私は怒りを禁じえないのである。
ちなみに、アメリカのアーリントン墓地などと靖国はまったく違う。アーリントン墓地に眠る兵士たちは母国を守る「神」などではない。アメリカの兵士は「アーリントン墓地で会おう」などと言って玉砕しない。
靖国は無策無能な戦争指導者が無謀な作戦における死を納得させる手段。兵士を玉砕させる言い訳。悲劇を美談に摩り替えるフィルター。つまり戦争の道具。

3.靖国参拝は日本人として当たり前などとのたまう政治家らがいるが、自分の宗教的信念を国民に押し付けていることが分かっているのだろうか。
靖国を否定する人を「日本人じゃない」「売国奴」とまで悪し様に批判する連中がいるが、いったい何様だと思っているのだろうか。議論はいい。信教の自由には布教の自由も含まれているのだから。靖国神社の信者を増やす為に論陣を張るのは信者ならば当然であろう。しかし靖国を嫌いな人、評価できない人に対して、日本人じゃないとまで悪し様にいう政治家の存在はいかがなものか。靖国を強力にすすめる人たちの言動に他の宗教団体にはない独善性・強迫性を感じるのは私だけであろうか。
4.現憲法下に存在する宗教法人靖国神社は自らの戦争責任をどう総括するのだろうか。
国民みなが祈りを捧げたのに一国を敗戦の憂き目に遭わせた宗教的責任。靖国は無力な宗教だということを証明しているのではないか。
○敗戦が決定的だったのにも関わらず、無能・無策な戦争指導者が、無謀な精神論だけで立案した計画で多くの若者の命を散らせた。「靖国で会おう」という誰でも知っている言葉が示すように、そうした無策無謀な作戦の実行に靖国は利用された。その責任を認めるのかどうか。
国内で無策無謀な作戦を立案した張本人たち(その象徴がA級戦犯。彼ら一人一人に対する評価はいろいろあるが、少なくとも戦没者ではない)を合祀した責任。靖国は戦場でなくなった方々を祀るために作られたのではないのか。なぜ、彼らを特別に合祀したのか。そのために、天皇陛下と多くの国民が参拝できなくなった。その責任はどのように誰に取るのか。

4.戦没者名簿を厚生省から得ていた過去のシステムは政教分離違反だったのではないのか。そのことの総括を靖国は行ったのか。

これは、先の大戦を日本人としてどのように総括するか、ということとも関連する問題ではあるが、私の思いの中心はむしろ靖国の宗教としての価値について、である。靖国には参拝に値する宗教的価値などない、と私は思っているのである。

戦争でなくなった方々を国として悼む場所として靖国がふさわしいとは私にはまったく思えない。

ちなみに私は私の宗教的信念に従って、戦没者を毎年供養している。そこに国家が介在する余地などない。なぜ靖国を信仰する人は、政治家に参拝して欲しいのだろうか。政治家が参拝することを目的としている宗教法人は他にないのではないか。靖国という宗教は国家に依存し自立できない弱い国民性を表してもいる。

やはり私には靖国など必要ない。
追記:次の「アゴラ」掲載の主張は、私の考えにほぼ一致している。感性の似通った人と出会うことは、本当にうれしいことだ。

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コメント

おひさしぶりですね。
管理人さん 暑い夏、体調崩されずにお過ごしですか?

靖国神社ですね。

マスコミが 穢してしまった感があります。

私、母の兄が 戦死してます。
その叔父が 靖国に居るかどうかわかりません。
でも 故郷の立派なお墓には 何も無いんです。
それでも お参りしています。

ただ もしかして おじさんの御霊は 靖国神社の どこかにあるのかな・・・と
思いながら お参りさせてもらってます。

私たちが わかる訳がない
戦時中の心理状態でしょう?

ひとりひとりの心を ただすことなんてできませんが。
『靖国で会おう』を合言葉にされていた先人達が
おられたのは 本当ではないでしょうか?
そして お骨も戻ってこないなか
遺族が 会えるんじゃないか・・・と
歩を運ぶのは そこではないのでしょうか?

靖国神社を 選んだのは
戦後生き残った私たち日本人じゃないんです。
亡くなられた方々なんです。

そこに その想いに添うだけの気持ちなんですよ。

そういう ふつうの心の動きを

いろんな非難の言葉で 汚してしまったのは
戦後『GHQ』の洗脳に侵された
左向きの思想家や夢想家
日本をディスカウントするためなら 嬉々として行動する
中国や韓国のDNAさんたちじゃないのかな?

内政干渉ですよ。

日本人なのに 日本の先人の想いを
想いやれないで・・・・それはさびしいことでしょう?

投稿: こんにちわ | 2013年8月29日 (木) 19時42分

こんにちわさん、コメントありがとうございます。

>靖国神社ですね。
マスコミが 穢してしまった感があります。

私は靖国には穢すほどの何ものもない、と思っています。ただ官製の建物があるだけだと思っています。

>ひとりひとりの心を ただすことなんてできませんが。
『靖国で会おう』を合言葉にされていた先人達がおられたのは 本当ではないでしょうか?

その通りです。まさに『靖国で会おう』という言葉が、国家が国民精神を総動員するのに靖国を利用したことを表わしているのです。無謀無策で無能な戦争指導者の、勝利に結びつくはずもない玉砕作戦に若者を参加させるのにこれほどの殺し文句もなかったでしょう。若者を騙し、その命を無駄に散らした罪が、戦争指導者と靖国にはある、と私は言っているのです。マスコミなんか関係ありません。

>靖国神社を 選んだのは
戦後生き残った私たち日本人じゃないんです。
亡くなられた方々なんです。
そこに その想いに添うだけの気持ちなんですよ。

たとえ、亡くなる寸前の心情が靖国にあったとしても、御霊があんな作り物の神社になどあるはずもない。私の母方の祖父はレイテ島で亡くなりました。玉砕だったそうです。祖母は最後まで「遺骨の収集に行きたかった」と言っていました。祖父の御霊があるとしたらレイテ島に眠っており、靖国になぞありません。
亡くなられた方々の想いに沿うのなら、靖国を利用した欺瞞の戦争指導者に騙された無念を想い、靖国を批判することこそが、想いに沿うことだと私は思います

>内政干渉ですよ。

靖国の問題は他国につべこべ言われるまでもなく日本人が徹底的に議論すべきだ、と意味では賛成します。
しかし「内政」ではありません。靖国に参拝するかどうかは政治課題ではありません。個人の課題です。でないと政教分離の原則に反します。私は、靖国を利用し国民に塗炭の苦しみを与えた戦前の政教一致で亡国の戦争指導者と、無力な宗教法人である靖国神社と、相変わらず靖国の本質を見抜けずそこに参拝する個人を、国民レベルで批判しているのです。もし、公式な参拝が行われれば、さらに、憲法を厳守する視点から批判することになります。

>日本人なのに 日本の先人の想いを
想いやれないで・・・・それはさびしいことでしょう?

繰り返しになりますが、私は先人の無念を想いやっているのです。先人のそういう声が聞こえませんか?

投稿: yossy | 2013年8月30日 (金) 21時50分

>相変わらず靖国の本質を見抜けずそこに参拝する個人を、国民レベルで批判しているのです。
>私は先人の無念を想いやっているのです。先人のそういう声が聞こえませんか?

横から失礼します。
yossyさん個人がそのようにお考えなのはわかりました。

当時はそれでよかったかもしれないけど今の時代には合わないよね。という提案なら同調できるのですが
根源的に靖国神社は否定されるべきという考え方を他の遺族へ押し付けるのであれば独善的で偏見に満ちていると私は思います。


明治は明治期の考え方があり
大正や昭和にはその時代に合った価値観が存在し、
彼らはその価値基準に沿って決断し、行動していたはずです。
しかし敗戦やグローバル化に伴い価値観はかなり大きく変異しました。
その結果論から現代人の倫理基準で
「日本は負けた。あなたたちは騙されていたのだ!」と
靖国を否定し、戦死者を含む遺族をも否定し、
ちゃぶ台をひっくり返すような批判を行うことは結構な違和感を感じます。

歴史学者としてその視点を誤ると
価値観が変わるごとに感情論のレベルでまったく別の解釈が成り立ってしまうので
非常に危なっかしい思考法と言えると思いますがその点いかがお考えでしょうか?

投稿: PublicComment | 2013年8月31日 (土) 12時35分

管理人様のおじいさまが 靖国にはおられないと
考えておられるのは わかりました。
それは 心の問題で 他人がとやかく批判することではないです。
私のおじの御霊が 靖国にあるように感じる私についても
他人がとやかく批判することではないのと同じです。

内政干渉という語意も
わかってもらえたら 嬉しいのですが
自分の心の中にまで踏み込んで 支配したり
指図したりするなよ!・・・という意味合いを含むのです。

韓国は当時 日本帝国民であったにもかかわらず
戦勝国のふりをするような批判を繰り返すのは
いったいどういう了見でしょう・・・。
認めたくない過去というものは
どの国においても 大なり小なりありますが
ならば 触らなければいいのに?

韓国が 靖国参拝批判をすることは
いかがなものでしょう?
整合性はありますか?

戦勝国であるアメリカやイギリスの要人が
靖国参拝をしていることについては どうですか?

管理人様は 個人的に思うに
真面目な方だという印象ですが

私は 頭脳や言葉では 全く太刀打ちできないです。
正直、管理人様の文章を読んでると 根気が続きません。ごめんなさい。

なぜか 感情レベルで同調できないんです。

投稿: こんにちわ | 2013年8月31日 (土) 17時42分

PublicCommentさん、いつもありがとうございます。

私がこの記事を書いた最大の動機は「外国からの干渉はおかしい」というなるほどと思える話に「日本人なら靖国に想いをいたして当たり前」などという自明でない話をくっつけて国民のなかに広めようとする風潮に一石を投じることにありました。
外国の圧力なんか関係ない。日本人にもいろいろな考え方がある。靖国とは何なのか、というテーマは日本人こそが考えるべきだ。かってに自明の理にするな。ということです。
議論の材料になればそれでいいのですが、あまりにもネット上にそういう風潮が強いように感じましたので、強い表現になってしまっていることは、その通りです。
ちなみに私は靖国は否定していますが、「戦死者を含む遺族をも否定し」てはいません。靖国に参拝する方の戦没者を悼む気持ちは大切な心情だと思っています。戦没者を悼む施設として靖国がそれにふさわしいとは思いませんが、それを邪魔しようとは思いません。

>根源的に靖国神社は否定されるべきという考え方を他の遺族へ押し付けるのであれば独善的で偏見に満ちていると私は思います。

靖国を大切にして参拝するのは日本人として当然、という勢力が政治的にも強くなっている時期にあって、そんな考え方を押し付けられてたまるものか、という思いでいるものですから、言い方が強くなるのです。
自分の意見を強く言ったから独善的だとは言えませんよね。意見の違う人間に対して非国民だとか反日だとかのレッテルを貼って排除して思考停止する人のことを独善的というのではないでしょうか。自分の意見を堂々と言いながらも、人と人としてつきあっていける、そういうあり方が大切だと私は思っています。

>明治は明治期の考え方があり大正や昭和にはその時代に合った価値観が存在し、彼らはその価値基準に沿って決断し、行動していたはずです。
しかし敗戦やグローバル化に伴い価値観はかなり大きく変異しました。
その結果論から現代人の倫理基準で
「日本は負けた。あなたたちは騙されていたのだ!」と靖国を否定し、戦死者を含む遺族をも否定し、ちゃぶ台をひっくり返すような批判を行うことは結構な違和感を感じます。

私は靖国に関しては、詐欺に似た厳しい感覚を持っているものですから、たしかにそういう表現になっていると思います。詐欺に引っかかったことが分かったときの感覚は「ちゃぶ台をひっくり返」されたような感覚ではないでしょうか。
祖母は祖父が靖国になどいるはずがない、と考えてましたので、それが投影されていると思います。
私も遺族の1人なのです。そういう遺族もいるということです。

投稿: yossy | 2013年8月31日 (土) 17時53分

連続投稿してすみません。

管理人様に お尋ねします。

朝日新聞、毎日新聞が
戦争中、末期、
疲弊した日本人を 無用に鼓舞したことについては
どう お考えですか?

軍部の意思決定を世論で 後押ししたのではないか?

もしかして 長崎の原爆投下だけでも
まぬがれたのではないか・・・・・・・・

そう 私は思うのですが。

金太郎飴のように 打てば響く反応を
してしまう 思想経路を
管理人様 されていませんか・・・・・・・・?
つちかった考えを翻すような気配は感じませんか?

日本帝国主義、軍国主義、すべて悪!!!!

その時代に生きたことのない私たちが

確信を持って 胸張って 
言えることって
どのくらい あるのかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

投稿: こんにちわ | 2013年8月31日 (土) 18時16分

早速のご返信どうもです。
>「戦死者を含む遺族をも否定し」てはいません。靖国に参拝する方の戦没者を悼む気持ちは大切な心情だと思っています。

と、お聞きできて良かったです。
yossyさんの怒りのボルテージが高いためか
散っていった方やご遺族への冒涜とも取れる表現をなされていたためにその点コメントさせていただきました。
yossyさんがご自身の宗教観から靖国をどのように解釈されていたとしても
ご自身の内に置かれているのであればご自由になされればいいと思います。

問題提起されていました靖国神社が戦争に利用され 靖国神社も戦争に協力したという件ですが
国家と宗教と戦争の関係性は世界中見渡してみてもどこもそんなに大差ないんじゃないですかねぇ?

キリスト教であれ、イスラム教であれ、
大体どの国の兵士も死ねば神の国=天国に召されます。
日本風に言うと「あの世」かと思いますが
日本にはたまたま靖国という都合のいい施設があったので出征する兵士が好んで使ったというだけで
私には「靖国で会おう」と「あの世で会おう」にそれほど大きな差異を見出すことが出来ないんですよね。
強いて違いを挙げるとすれば靖国に入ることによって得られる戦死者としての「名誉」だと思いますが
これも大体の国は戦死者に「Honor」を与えていることから見ても靖国固有の問題とは思えません。

なお、米軍にいたっては神職を戦場に従軍させてましたし宗教的、精神的な戦争への加担度合いで言えば
靖国ってそこまで悪しき存在なのか?と思ったりするわけで。。。。。


私はどういう形であれ国家が大戦の戦死者に対して慰霊をするという行事は重要だと思いますし
戦後、宗教法人として独立させられ憲法問題をはらむようになってしまいましたが
それでも靖国がその任に一番適していると考えてます。

憲法問題がどうにも解決できないのであれば
別の解決法を探る必要はあるでしょうが
そのとき靖国神社以外の選択肢があっても別にかまわないでしょう。
しかしその場合でもおそらく靖国神社は残ります。そのとき私たちは靖国神社をどのように処遇すればいいんでしょうね?


ところで話は変わりますが
靖国への参拝を強力に薦める人ってどんな人なんですか?
余計なおせっかいかも知れませんが
そんな人が近くにいるなら 付き合う人を選んだほうがいいと思います。

投稿: PublicComment | 2013年9月 1日 (日) 01時59分

こんにちわさん、コメントありがとうございます。

>朝日新聞、毎日新聞が
戦争中、末期、疲弊した日本人を 無用に鼓舞したことについてはどう お考えですか?

マスコミの戦争加担については、認識しているつもりです。文学者の戦争美化もよく指摘されるところです。それに国民が導かれたという視点も忘れてはならない教訓であろうと思います。メディアの世論誘導の危険性は時代が変わっても同じです。

>日本帝国主義、軍国主義、すべて悪!!!!
その時代に生きたことのない私たちが
確信を持って 胸張って 
言えることって、どのくらい あるのかな

実は私は別の記事で、当時の視点で考えればよしとしなければならないこともある、ということは述べています。しかしその当時の視点に一生懸命に立ってみても、特に太平洋戦争末期の軍部政府が「大本営発表」などのウソを駆使し、負けることが分かっていたはずの戦争を、「一億総玉砕」「神風」をヒステリックに叫んで休戦することもなく、結果多くの若者の命を散らし、しかもやっぱり敗戦したことは、どうしても許せないのです。たとえ日本が現在も明治憲法下で政体が変わっていなかったとしても、問わなければならない責任がそこにはあるのではないでしょうか。敗戦の責任、若者の命を無駄に散らした責任をなあなあにしてはならない、と思うのです。
私の靖国への不信感は、そこにあります。

投稿: yahoo | 2013年9月 1日 (日) 18時16分

PublicCommentさん、コメントありがとうございます。

>散っていった方やご遺族への冒涜とも取れる表現

私は、散っていった人の無念を思うだけです。冒涜しているとしたら、そのような事態に導いた無謀無能な戦争指導者だけです。

>国家と宗教と戦争の関係性は世界中見渡してみてもどこもそんなに大差ないんじゃないですかねぇ?

その通りですね。多くの宗教が戦争に利用されてきました。中世までは宗教が戦争の原因になってきましたが、近代以降は宗教が政治・戦争に利用されてきた、というふうに私は感じています。
日本においても、戦時中多くの宗教が、教義を歪めてまで国家神道を容認し、戦勝を積極的に祈り、戦争に協力したという事実があります。
しかし戦後にいたって、多くの宗教団体がそのことを振り返り、責任を認め、それぞれの総括をしているのです。外国においてもキリスト教などは過去を振り返り平和へ寄与する傾向性を強めています。私が靖国を厳しく批判するのは、戦争に利用されたという事実だけでなく、戦後宗教法人となった靖国神社が全く戦争に利用された総括をしないからです。もし総括が行われれば、私の靖国への態度は全く変わったものになるでしょう。

>靖国への参拝を強力に薦める人ってどんな人なんですか?

私が批判しているのは、むしろ風潮です。「日本人なら当たり前」という風潮です。

投稿: yossy | 2013年9月 1日 (日) 18時32分

風潮・・・・?
そんなもの 聞いたこともないです。
そんなもの いまここで 初めて目にしました。

それ どこで いつ 聞かれましたか?

靖国に参拝するのはけしからん!!!
って 風潮なら 毎年 夏のセミよりもウルサイですが・・・・。

投稿: こんにちわ | 2013年9月 5日 (木) 19時25分

靖国参拝 当たり前
と検索していただければ、「日本人なんだから参拝して当たり前」と、無批判に靖国を受け入れ、参拝しない日本人などあってはならない、と言わんばかりの、政治家をはじめとする人々の言が出てきます。
なんでせめて「いろいろな考え方があるかも知れないが私は参拝します」といえないのか。「日本人なら当たり前」なんて独善以外の何ものでもありませんよね。

投稿: yossy | 2013年9月 6日 (金) 21時54分

はじめまして。

私は靖国に英霊はいると思ってます。
私の曽祖父には「靖国で」と言って戦死した友人がたくさんいました。
「死人との約束は、違えてはいけない」が口癖でした。
キリスト教でもユダヤ教でもなんでもいいですが、それを信じて亡くなった人がいて、後の時代の人間が「あんなもの間違いだ!」と否定して、亡くなった人が亡くなる瞬間に抱いていた気持ちを無にすることは許されるんでしょうか。

私は「日本人なら参拝して当たり前」とは思いません。べつに参拝したくない人はしなくていいと思います。
ただ、そういう方はせめて、靖国を愛している人を否定しないでほしいと思ってます。
すごく悲しくなりますし…。
当たり前というような言い方も傲慢で間違ってますが、靖国を全否定するのも傲慢で間違ってると思います。どっちもおかしいです。

外交でごたごたせず、心安らかに陛下も総理大臣も参拝してくださる日がくればいいのにな…と思ってます。

投稿: あい | 2013年9月10日 (火) 09時53分

あいさん、コメントありがとうございます。
私は、他人の宗教的信念をどうこうしようという意図はありません。私の感覚からいって理解できない、ということを申し上げているだけです。
>公が作った作り物の神社になど魂が帰ってくるはずがない。あんなものは日本の伝統でもなんでもない。そんなことを信じられる人の死生観・宗教観を私は疑う。「国家の権威への迎合」を軽蔑する。
ときつい書き方はしましたが、本来の意図はそういうことです。

ただ一つ申し上げます。靖国神社も一つの宗教法人として、国民レベルで議論の対象になることがあるのは当然のことです。ネットやマスコミでは多くの宗教法人が議論や批判の対象になっていますが、靖国も一宗教法人としてその宗教的価値や教義の検討、社会的意義等について議論されるのは当たり前です。
靖国も特別な施設ではないのです。
私の意図の一つは、外国からつべこべ言われるのではなく、国民レベルで靖国について議論することです。

さらに申し上げます。あいさんは
>後の時代の人間が「あんなもの間違いだ!」と否定して、亡くなった人が亡くなる瞬間に抱いていた気持ちを無にすることは許されるんでしょうか。
と言われていますが、「亡くなった人が亡くなる瞬間に抱いていた気持ち」なんか実際には分かりませんよね。

私が新任の教員(23歳)だったある夏の夜、用務員さんが私のところにこられ、自らの戦争体験を語られました。中国最前線で戦った下士官だったそうです。
塹壕の中で明日をも分からない状態で、病気、栄養失調など戦闘以外の原因で多くの部下の命を失ったこと。
気が触れたように塹壕を飛び出して敵陣に突進し爆死した戦友の飛び散った肉片を涙を流しながら食べざるを得ないほど食料に窮していたこと。
「天皇陛下万歳なんて叫んで死んだやつはほとんどいない。みんな『おかあちゃん!』とか女房子供の名前を叫んで死ぬんだ。口に出してはいえなかったけどみんな本当は家に帰りたかったんだ。戦争を美化して『靖国で会おう』なんていっていたのは内地で戦場を知らないやつらばっかりだ。最前線の生き残りは絶対に戦争反対だ。」という話でした。どうやって帰国したかという話を含めて二時間くらいお話を伺いました。

私は、母方の祖父もそういう無念の思いだったのかと思いました。私の祖父は飛んで祖母のところへ帰りたかったに違いない、娘である母を抱きしめたかったに違いない。祖父の遺骨は帰ってきませんでした。であれば、魂魄はレイテ島に留まっているのだろうか、祖母と母の命のなかに帰ってきたのだろうか。家の仏壇にいるのだろうか。用務員さんの話を伺ってしまうと、私には祖父が靖国で会おう、と思っていたとはとても思えません。

あいさんは、曽祖父さまの戦友の方々がお国のために潔く散っていかれた、と思っていらっしゃるようですが、私は「祖父を殺された。無念だったろうに」と思っているのです。

だから軍部政府に利用され祖父をはじめとする若者を死地に追いやるのに加担した靖国に腹が立つのです。遺族の1人としてご遺族のなかにそのように考えない方がおられることは知っています。しかし、政権与党に押し付けがましいやつらがつべこべ発言する昨今、遺族の中にこういう考え方もある、ということを書きたかったのです。
これは私の自然の心情です。
それを自分のプログに書いた。それが傲慢ですか?

投稿: yossy | 2013年9月12日 (木) 20時26分

はい、傲慢というか、「やっぱりそういう気持ちを認めたくないだけだったのかな」と思ってしまいました。
曽祖父の話をしたのは、1についての疑問の答えになるかなと思ったからです。

>靖国参拝をすすめる方は「戦没者の霊が靖国に眠っている」と本当に思っているのだろうか。

というあなたの疑問への答えになるかなって。
だから私は「思ってます」と申し上げました。多くの人が本当に英霊が眠ってると思ってるということを、知っていただきたいんです。
そこは分かっていただけたでしょうか?
なので「思ってない人」の話で返されても困ります。
私はそこは分かっているからです。
思ってない人がいるのは、私はよく知ってますし、そういう人を否定しようとは思いません。
そういう人にとってはそうなんでしょうね。

私は、学校の先生があなたのような考えかたで、平和教育という名前で、靖国を否定する教育を受けました。
靖国を否定するおじいさんの話も聞きました。
なので、そういう方がおられること、知ってます。
学校の平和教育では、なぜか分かりませんが、基本的にそういう考えの人しか呼ばれず、最近までとても不思議でした。
それを家で話して、「おじいちゃんの、死人との約束は、違えてはいけないって言葉を大事にしようね」って母に言われました。
私はネットを見てはじめて、同じ気持ちの人が日本にたくさんいて、鬱屈がたまってたことを知りました。

>靖国参拝を強力に薦める方々がいるが、自分の宗教的信念を他人に押し付けていることが分かっているのだろうか。
靖国をすすめる人たちの言動に他の宗教団体にはない独善性・強迫性を感じるのは私だけであろうか。

これについてはきっと、あなたが靖国を否定されてるので、そういう言葉ばかりが目につくんじゃないかなと思います。
私なんてずーっと、それこそ学校の平和教育を受けたときから、まったく逆のことばかりが目についてましたよ。笑
靖国が不当に宗教弾圧を受けているようにしか思えなかったです。
日本を代表する大手メディアが、いろんな理屈をつけて靖国を否定してますし…。
まさに、「靖国を否定する人たちの言動に、独善性・強迫性を感じ」ていました。
きっとそれが、ネットとかで、靖国をかばう人の強い言葉を生んだんじゃないかなと思います。
そしてそれがまた、靖国を否定する人の強い言葉を生む…
お互い様ではないでしょうか?
悪循環だなと感じています。

確かに議論は自由なんでしょう。
議論の自由を否定したいわけじゃありません。
靖国を大事に思う人を軽蔑されるのも、あなたの自由だと思います。悲しいけど。笑
やっぱり議論しても解決しないんだろうなあ…という思いがふくらむばかりです。
もちろん議論は否定はしませんけどね☆


投稿: あい | 2013年9月13日 (金) 07時35分

あいさん、返信ありがとうございます。
>思ってない人がいるのは、私はよく知ってますし、そういう人を否定しようとは思いません。
そういう人にとってはそうなんでしょうね。

それがお聞きできれば十分です。
私は「日本人なら靖国を敬ってあたりまえ」と、押し付けがましく政治的立場にある連中がいうこと、ネット上に靖国を理解できない人を非国民扱いする連中がいること、が我慢ならないのです。日本人として、遺族として、戦没者の無念を思うことがなぜ非国民になるのか、靖国の否定はその延長線上にあるもので、私の場合まず靖国否定ありきではありません。ちなみに私は「平和教育という名前で、靖国を否定する教育」を受けた覚えはありませんし、自分がしたこともありません。
ただ、宗教法人として戦争に利用された総括をしていないのは確かなことです。それは宗教法人靖国神社はきちっとするべきです。「靖国の使命は戦没者を慰霊することにあり、二度と戦争遂行に利用されることはない」と宣言するべきです。多くの宗教団体がそうしています。

あいさんの「英霊観」とそれに列なる「靖国観」は戦没遺族者の多くの方が抱かれている思いでしょう。
私との違いは
「お国のために潔く誇りを持って散っていかれた」と
「無駄死にさせられた。無念だったろうに」というものではないでしょうか。言い方を変えれば、戦死の責任を、亡くなった方の意志によるものと考えるか、無策無能な軍部政府によって死に追い込まれた、と考えるかの違いではないかと思います。

その考え方のどちらの考え方をするのかは、自分で決めるしかないですよね。他人から押し付けられるものではない。ただ、戦没者を想う気持ちは同じでも全然違う違う想い方がある、ということを理解しあうしかない。

私の文章が、強い物言いになっているのは、石原慎太郎や森田健作などのように「靖国に英霊がいらっしゃって、そこに参拝するのは日本人なら当たり前だ。」とえらそうに喧嘩腰に主張するやつらに言い返すような気持ちで書いているからです。

こんにちはさんの
>日本人なのに 日本の先人の想いを
想いやれないで・・・・それはさびしいことでしょう?

あいさんの
>傲慢
という言葉もその流れのなかで引っかかってしまったというわけです。感情を害したのならあやまります。

投稿: yossy | 2013年9月14日 (土) 21時15分

>「平和教育という名前で、靖国を否定する教育」を受けた覚えはありませんし、自分がしたこともありません。


以前、韓国の土下座問題の時のコメントでも触れましたけど
靖国神社へ、たとえば修学旅行の際に訪問しようなれば政治的な話を持ち出して妨害する人がいるんじゃないですか?
yossyさんはそのような提案があった場合どのように行動されますか?
そして上記のような状況にもかかわらず外国の戦争記念館のようなプロパガンダ施設への訪問を工程に組み込んでしまう学校もある。
この感覚はおかしくないんでしょうか。

政治的な要素を絡めて靖国神社を評価したり断罪しようとする。そのような風潮こそが靖国の否定と言えるのではないでしょうか。

投稿: PublicComment | 2013年9月15日 (日) 15時39分

PublicCommentさん、コメントありがとうございます。

修学旅行で学年が全員で訪れる場所としては、それが宗教法人であったり政治的主張が異なる生徒や保護者が想定される場合、そこには行くべきではない、と私は思います。例外は国宝や重要文化財などの文化財、史跡など、国や都道府県、市町村が価値を認めてなんらかの指定を受けている施設の場合です。それでもそこを拒否する生徒がいれば配慮して慎重な検討をするのが、現在の公立教育現場の常識です。ちなみに、最近の修学旅行でよくするやり方として「班別自主研修」といって班を結成して自分たちで行き先を決める時間(半日ほど)を持つことが多くなっています。そのときに靖国に行く班があったとしても私は止めません。せいぜい「班でよく話し合って不満がないようにしなさい」と指導するくらいかと思います。
韓国などの海外の場合は自主研修は難しいのではないかと思います。全体で独立記念館などの政治的に議論があることが明らかな施設への訪問が提案されれば、私は自分の主義主張とは別に反対します。それが公立学校の教師のあるべき公正な姿勢であると思います。

投稿: yossy | 2013年9月15日 (日) 18時06分

こんにちは。

前回、1と2の疑問に返事したので、いっそ3番目のこれについても返事しておきますね。


>靖国を薦める人は、宗教法人靖国神社が自らの戦争責任を総括しないことを、いったいどう思っているのだろうか

まず私は「靖国を薦める人」ではなく「自由でいい」と思ってる立場です。
ただ、積極的な肯定派なので、回答する権利はあるかなと思います。
私は総括なんてする必要ないと思ってます。
万人が納得する総括なんてできませんから、靖国が総括なんてしたら、むしろ問題は大きくなると思っているからです。
仮に自らの存在を肯定的に総括したら(靖国の本音はこちらでしょう)、否定派は「総括してない!責任を認めてない!こんな責任もあるはずだ!あんな責任もあるはずだ!」って大騒ぎするでしょ。
仮に否定的に総括したら、私個人の話をするなら悲しい気分になります。英霊を「無駄死にした国策の犠牲者」みたいな扱いで靖国が率先して語るなんてことしてほしくないからです。もちろん悲しくなる私みたいなタイプだけでなく、大騒ぎする人もいるでしょう。
だから、黙っているのがいちばん賢いことだと思います。
本音をいうと、どーんと肯定的な総括をして英霊を称えてほしいなという気持ちもあるんですが、そうすることが政治的問題を拡大させるということは私もじゅうじゅう承知してますし、「陛下や総理大臣が、心やすらかに参拝できるようになってほしい」という望みがむしろ遠のくのが分かってるので…、この一番の望みは諦めています。笑

それぞれ、個人個人が「自分のなかの靖国」を総括すればいいと思います。
ブログ主さんも総括的なことを書いておられますし、私にももちろん「これだ」と思う総括的な意見があります。長くなるのでここには書きませんが。

以上が、ブログ主さんの3番目の疑問についての、私個人の気持ちです。

投稿: あい | 2013年9月16日 (月) 12時31分

あと四番目も!
すみません、何回も何回も。

>4.戦没者名簿を厚生省から得ていた過去のシステムは政教分離違反だったのではないのか。そのことの総括を靖国は行ったのか。


これについても靖国がみずから総括する必要があるとは思いません。
総括の必要があると思われる方は裁判に訴えればいいし、靖国は堂々と司法の場で自分の主張をすればいいと思います。
時効とかで無理なのかな。
仮に時効だとしたら、それを問題だと思う方が、言論を通じて主張するのが正しいと思います。
それが近代民主社会のやり方だと思います。
こういうものは、一歩間違えると人民裁判になってしまう。

個人的には、「政教分離違反」の規定そのものに疑義がありますけどね。
もう少しグレーゾーンを大きくすべきじゃないかなと思ってます。
公的参拝か私的参拝かという話を、くだらないなあと思ってます。
とくにメディアは、首相が伊勢神宮に行くことや教会に行くことについて「公的か私的か」なんて言わないのに、靖国のときだけ騒ぐので。
公務で宗教施設に行くのが違憲なら、キリシタンを殉教する史跡に行くことも違憲なんでしょうか。
よく分からないです。


あと、私の気持ちについて少し勘違いされてる部分を説明しますね。

>私との違いは
「お国のために潔く誇りを持って散っていかれた」と
「無駄死にさせられた。無念だったろうに」というものではないでしょうか。


こう書かれてますが、私は「お国のために潔く誇りを持って散っていかれた」とも思ってません。
その言葉は、「そう思ってほしいと願う英霊に捧げたい言葉」であって、私個人の思いはまた別のところにあります。
仮に「無駄死にさせられた。無念だったろうに」と思ってほしい英霊がいらっしゃるなら、その方には、その言葉を捧げたいと心から思っています。
分かりづらい説明かもしれませんが、私は死の瞬間に英霊が抱いてた思いをそのまま尊重したいと思って、靖国に感謝の祈りを捧げに行っています。
靖国に総括をしてほしくないのは、その総括は、どんな言葉であっても、英霊の魂を傷つける言葉になるだろうと思ってるからでもあります。
そして靖国そのものを否定される方にとったら、靖国に英霊の魂はいらっしゃらないと考えるのでしょうから、そういう方はそういう方で、自分の信じるところに添って、英霊に祈りを捧げればいいんじゃないかなと思います。

投稿: あい | 2013年9月17日 (火) 12時31分

国民を死地に追いやる原因の一つであった靖国神社が、そのことを総括しないで戦後一宗教法人として存在していることが、なんといっても一番許せません。戦後どのような宗教法人として存在し続けようとしているのかも伝わってこない。「総括をすればよけいにややこしい」というのは理解できますが、それは単なる「逃げ」です。
>黙っているのが一番賢い
はずるいだけ。
だから私は靖国には信用ゼロです。

政教分離についてはもう少し勉強してから言及されるほうがいいです。憲法の条文とその解釈についてしっかり把握してから議論しないと、単なる感想の言い合いになり、何も生みません。

最後に再度の指摘になりますが
>死の瞬間に英霊が抱いてた思いをそのまま尊重したいと思って、靖国に感謝の祈りを捧げに行っています。
死の瞬間に英霊が抱いていた思いが、「靖国で会おう」だと思っていらっしゃるのが私には理解できません。家族の元に帰りたい!ここで命を落とすことが無念だ!それが自然な最後の思いではないか、と私は思います。「靖国で会おう」はスローガンとしてはあったし、最前線に出ないうちに人前ではそういったかも知れませんが、まさに死に行くときの感情としては少し不自然です。
もっともご遺族のことを考えれば、突然肉親の死を突きつけられ、亡くなった現実とその瞬間の無念を真正面から受け止めることが相当しんどいことであったであろうことは十分に想像できます。そういう方々にとって「靖国で会おう」といってお国のために犠牲になったのだ、と考えることが慰めとなり、必要であったということは一定理解できます。靖国を必要としていたのは英霊ではなくまさにその時遺されたご遺族だったのではないでしょうか。
戦後もうすぐ70年となる昨今、まだ靖国は必要なのでしょうか。戦争の犠牲になられた英霊の無念を思い慰め不戦の誓いをたてるのには、私は靖国はふさわしいとは思えません。

投稿: yossy | 2013年9月20日 (金) 20時41分

>>国民を死地に追いやる原因の一つであった靖国神社が、そのことを総括しないで戦後一宗教法人として存在していることが、なんといっても一番許せません。戦後どのような宗教法人として存在し続けようとしているのかも伝わってこない。「総括をすればよけいにややこしい」というのは理解できますが、それは単なる「逃げ」です。
>黙っているのが一番賢い
はずるいだけ。
だから私は靖国には信用ゼロです。

あなたの意見は知ってます。前の記事も読みましたから。
私はあなたの「靖国を薦める人は、宗教法人靖国神社が自らの戦争責任を総括しないことを、いったいどう思っているのだろうか」という疑問について、理由をそえて返事しただけです。
そう、「逃げ」です。ずるく逃げるべきだと私は思ってます。今以上に大きな争いの原因になるからです。
あなたが「総括の必要がある」と思われるのは自由だと思ってます。
ただあなたが必要だと思ってるのは「靖国の本音での総括」ではなく、「戦争責任があると認め、告白し、懺悔する形での総括」ですよね。
私は仮に総括するのなら、本音を語ってほしい。
反対派につきあげられ、「言わされる形」で本音とは違う総括をし、争いの原因を作るなら、黙っているのが賢いと思います。


>>政教分離についてはもう少し勉強してから言及されるほうがいいです。憲法の条文とその解釈についてしっかり把握してから議論しないと、単なる感想の言い合いになり、何も生みません。

そこそこは勉強してますよ。
「憲法学者ってなんか変な理屈も多いなあ…」と感じてます。
もちろん勉強は足りてないと思いますけど。
そのうえで、「政教分離違反だから政治家の靖国参拝は駄目」という理屈に疑問を持ってます。
少なくとも、宗教的な施設を公務として訪問することを政教分離違反だというのはおかしいと思います。
日本にも海外にも特定の宗教の施設がたくさんあるし、政治家がお仕事でそこを訪問すること、よくありますよね。
数々の宗教施設のうち、「靖国神社」のみが政教分離違反だから駄目だということについて、きちんと説明ができてる反対派さんの話を私は聞いたことがありません。


>>最後に再度の指摘になりますが
>死の瞬間に英霊が抱いてた思いをそのまま尊重したいと思って、靖国に感謝の祈りを捧げに行っています。
死の瞬間に英霊が抱いていた思いが、「靖国で会おう」だと思っていらっしゃるのが私には理解できません。家族の元に帰りたい!ここで命を落とすことが無念だ!それが自然な最後の思いではないか、と私は思います。「靖国で会おう」はスローガンとしてはあったし、最前線に出ないうちに人前ではそういったかも知れませんが、まさに死に行くときの感情としては少し不自然です。

あなたが理解できないのはわかりました。
だからといって、決め付けは良くないと思います。
あなたが考えるように考えて亡くなった英霊もたくさんいらっしゃった。
でも、そうじゃない英霊もたくさんいらっしゃった。
私はそういうふうに思います。
申し訳ないですが、想像力が固定されすぎてるような気がします。

投稿: あい | 2013年9月21日 (土) 06時17分

すみません、続きです。

>>もっともご遺族のことを考えれば、突然肉親の死を突きつけられ、亡くなった現実とその瞬間の無念を真正面から受け止めることが相当しんどいことであったであろうことは十分に想像できます。そういう方々にとって「靖国で会おう」といってお国のために犠牲になったのだ、と考えることが慰めとなり、必要であったということは一定理解できます。靖国を必要としていたのは英霊ではなくまさにその時遺されたご遺族だったのではないでしょうか。

んー、、、
そもそも慰霊施設は、「生きてる人間に必要なもの」で、そういう観点から見ればもちろん靖国も「必要としていたのは英霊ではなくまさにその時遺されたご遺族だった」んでしょう。でもね、だとしたらどんな慰霊施設も同じですよね。
「英霊のために」というと、そういった反論をされる方がいますが、「色々ごっちゃにしてるなあ…」と思います。
すべての慰霊施設は遺された人間のための場所(1)であり、同時に遺された人間が「亡くなった方のために」と思って行く場所(2)です。
(2)の話をした相手に、(1)で反論するのは、「無し」とはいいませんが、物事をごっちゃにしてるんじゃないかなと思います。

あとやはり、遺族の思いを一方向で決め付けすぎだと思います。英霊の思いもですが。
私の曽祖父は(遺族ではないですが)、けしてそんなふうに思ってたんじゃないし、そんなふうに分析されるアンチ靖国の話に、「分かってない」と怒ったり悲しんだりしていました。
もちろん曽祖父が100パーセント正しいわけではなく、あなたが分析されてるように考える遺族の方もいたんだろうと私は思います。
英霊についても、「家族の元に帰りたい!ここで命を落とすことが無念だ!」もちろんそういう思いは自然です。でもそれだけではないと思います。同時に、当時の日本社会を思えば、「自分の命で、国と家族、陛下、日本という国を守れるなら…」と思うのも自然な思考だと思います。靖国に祀られることを誇りに思うのも、当時の教育を考えれば自然なことだと思います。
日清日露を戦って、たくさんの兵士の犠牲があって勝ち、それが当時の日本を作ったことを彼らは知ってましたから。家族に会いたい気持ち、ここで死にたくないという無念さ、同時にこれで日本国のためになるのならという気持ちがあり、日清日露を戦った先人たちとともに靖国に祀られることを誇りにも思う気持ちもあり…私はそのすべての感情が内包されていたと考えるほうが「自然」だと思います。もちろん前者を一切思わない人、後者を一切思わない人もいたでしょう。
ただ、あなたが「こう思うのが自然だ」と一方向だけで考えるのなら、それは違うと思います。
当時の社会や日本の教育をまったく考慮してないんじゃないでしょうか。
あとこういうことをいうと、靖国反対派の方は「国家に洗脳されてたからだ」と言います。
でも同時に「死ぬときは無念さしかなかったはずだ」みたいなことも言われます。
これすごく矛盾してるなあ…と感じます。
私はね、洗脳はあったと思うんですよ。ただ同時に、現代を生きる私たちも、現代の価値観に洗脳されていると思ってます。
そして、洗脳であろうがなかろうが、そのときにその人が持ってた価値観は真実だと思っています。
英霊の気持ちを想像するときは、当時の価値観を考えあわせる必要があり、あなたのように一向で決め付けるのは間違ってると思います。
繰り返しますが、「家族の元に帰りたい!ここで命を落とすことが無念だ!」という気持ちがあったことを否定してるわけじゃありませんからね。肯定した上での話をしています。


>>戦後もうすぐ70年となる昨今、まだ靖国は必要なのでしょうか。戦争の犠牲になられた英霊の無念を思い慰め不戦の誓いをたてるのには、私は靖国はふさわしいとは思えません。

あなたにとっては必要ないんだろうと思います。
でも、必要な人にとっては必要です。
あなたにとってはふさわしくないんだろうと思います。
でも、ふさわしいと思う人にとってはふさわしいんです。

あと私は、靖国を「戦争の犠牲になられた英霊の無念を思い慰め不戦の誓いをたてる」場所とは思ってません。
もちろんそういうふうに思われるのは自由だと思いますが、私はそういうふうに「だけ」思うことは、英霊に対して失礼だと思っています。
そして私は靖国の成り立ちを考えれば、不戦の誓いは別の場所でたてるべきだと思います。
そういう意味で、以前小泉首相が「不戦の誓いをたてにいった」みたいなことをいったとき、ちょっと首をかしげました。
でももちろん、どういう気持ちで靖国に行かれるかは個人個人の自由で、小泉首相がそう言われるならそれでもいいとも思いましたけどね。

投稿: | 2013年9月21日 (土) 06時22分

あいさん、何度もありがとうございます。

ここまでの話として、靖国を必要とする思いの方と靖国なんかとんでもない、という思いの方が日本国にはいらっしゃる、ということだけは確認できたと思います。靖国にどのような場であって欲しいのか、ということもどうやら参拝をする人によっても違う。
それらはどれがおかしいというものでもないのだ、と。それぞれの人が考え選ぶものだ、と。

であれば、政治家が、ましてや内閣総理大臣が、「国を代表して=内閣総理大臣として」靖国を参拝するのはやはりおかしい。「日本人なら当たり前」ではない。そんなことをすれば日本人の中にある多様な思いのいくらかが、ないがしろにされる可能性があるからです。個人として参拝するのは自由。そのことは確認できますよね。
他の宗教施設でもそれは同じことです。国として靖国を特別な宗教施設として厚遇することはおかしいですが、靖国だけを特別に批判の対象にするのもおかしい。それは逆に政教分離の趣旨に反することになるでしょう。

私はそれが確認されれば十分です。この記事を書いたそもそもの理由はそこにあったのですから。やはり一国を代表する政治家の発言は気をつけなければならないのです。

しかし、個人の議論は自由です。私の思いとあいさんの思いに違いがある。違う思いが時にぶつかりあったり納得しあったりしながらお互いの考え方が少しづつでも更新されていく。それが「思想信条の自由」を保障する日本国憲法が描く日本の姿だと私は思います。だからこういう場はあっていいのだと改めて思います。

一つ分からないことがあります。
「靖国の本音」とはなんですか?
あいさんは、「靖国の本音」をご存知なのですか?

投稿: yossy | 2013年9月21日 (土) 10時49分

>>ここまでの話として、靖国を必要とする思いの方と靖国なんかとんでもない、という思いの方が日本国にはいらっしゃる、ということだけは確認できたと思います。靖国にどのような場であって欲しいのか、ということもどうやら参拝をする人によっても違う。
それらはどれがおかしいというものでもないのだ、と。それぞれの人が考え選ぶものだ、と。

であれば、政治家が、ましてや内閣総理大臣が、「国を代表して=内閣総理大臣として」靖国を参拝するのはやはりおかしい。「日本人なら当たり前」ではない。そんなことをすれば日本人の中にある多様な思いのいくらかが、ないがしろにされる可能性があるからです。個人として参拝するのは自由。そのことは確認できますよね。


申し訳ないですが、それでは確認できないです。
前段と後段を「であれば」で結ぶ理屈がよく分かりません。
「誰かが反対してるから、人それぞれ気持ちが違うから、多様な思いのいくらかがないがしろにされるから駄目」というなら、どんな場所にも、どんな政策にも、とにかく何事にもそれが当てはまりますよね?
なぜ「靖国の公式参拝」に限ってそういう理屈での否定が成り立つと思われるんでしょうか?
誤解のないように言いますが、けして「反対派の意見をないがしろにして良い」と言いたいわけではないです。
「理屈としておかしい」ということを言いたいだけです。
「否定派がいるから駄目」だと、常に「否定したもの勝ち」になってしまいます。


>>他の宗教施設でもそれは同じことです。国として靖国を特別な宗教施設として厚遇することはおかしいですが、靖国だけを特別に批判の対象にするのもおかしい。それは逆に政教分離の趣旨に反することになるでしょう。

どこが厚遇なんでしょうか…?
伊勢神宮や明治神宮への参拝が許され、キリシタン大名の慰霊ではキリスト教式のミサが行われる場所に赴くことが許され、また海外の宗教的な施設に公務で赴くことが許されるのに、なぜ靖国だけが「公務で行くのは政教分離違反だ」ってなるんでしょうか?
否定派の方で、そこに答えてくれた方がいません。
申し訳ありませんが、あなたこそ政教分離について、間違った考え方をされておられるような気がします。
日本以外の国でも政教分離をうたう国はいくつもありますが、「特定の宗教施設に公務で赴くこと」を政教分離違反だと主張するような国はないんじゃないかなと思います。もちろん外国でも政教分離違反についての議論はさまざまにあって、そもそもがグレーゾーンを内包しているものだと思ってますし、外国にならう必要はなく、日本独自の政教分離違反で良いと思ってますけど。でも改めて、「特定の宗教施設に公務で赴くこと」を政教分離違反だと主張される憲法学者さんがいるなら、現実を知らない相当おかしな学者さんだなと思います。
「厚遇」はもちろんいけないと思います。
でも現状は、厚遇どころか、「靖国だけ不当に差別を受けている状態」です。
「他は構わないけど、靖国にだけは行ってはいけない」と言われてる状態なわけですから。
こういう「特定の宗教に対する不当な差別」をなくすことこそが、もともと政教分離違反を決めたときの信念だったんじゃないのかな。


>>私はそれが確認されれば十分です。この記事を書いたそもそもの理由はそこにあったのですから。やはり一国を代表する政治家の発言は気をつけなければならないのです。

なにを確認できたのか分かりません。
無理やりすぎます。


>>一つ分からないことがあります。
「靖国の本音」とはなんですか?
あいさんは、「靖国の本音」をご存知なのですか?

想像しているだけです。
靖国のことは大好きですから何回も訪れてますし、パル判事の銅像が建ててあったり、英霊の言の葉を配っていたり、そんなさまざまなものから「本音」を想像しています。
遺族の気持ちを想像したり、亡くなった英霊の気持ちを想像したりするのと同じように。
もちろん私の想像が間違ってる可能性もあると思ってます。
ただ、靖国の本音が肯定派の意見に近いものであるというのは、けして突飛な想像ではないと思います。

投稿: あい | 2013年9月23日 (月) 03時18分

個人の資格で書いた私のプログ記事に、
>靖国を愛している人を否定しないでほしい
>傲慢で間違ってる
といってこられたあいさんが、靖国が嫌いな人の気持ちに反して政治家が公人として参拝することを許容されることが理解できません。

私は靖国が現在厚遇されているなどと一言も言っていません。何か勘違いされていませんか?
靖国であろうが、伊勢神宮であろうが、キリスト教の教会であろうが、浄土宗の寺であろうが、創価学会の会館であろうが、個人の資格で参拝するのは構わないが、公人を名乗って参拝するのはダメだと言っているのです。私は個人として靖国は嫌いでまったく信用していませんが政治家の参拝先として「他は構わないけど、靖国にだけは行ってはいけない」とは言っていません。公人として参拝するのはどこも全部ダメだと言っています。
ポイントは私人か公人か。単なる訪問か参拝という宗教的行為か。もっともどこまでが宗教的行為なのか、は議論が分かれるところでしょうね。視察・見学・献花などの敬意を表する行為は、それには当たらないと私は思います。宗教法人としての儀礼を伴うものは宗教的行為だと思います。

ちなみに、キリシタン大名の慰霊のために教会に公式的に参拝した政治家って、いつの誰のことですか?興味深いお話です。ぜひお教えください。

投稿: yossy | 2013年9月23日 (月) 10時55分

>>個人の資格で書いた私のプログ記事に、
>靖国を愛している人を否定しないでほしい
>傲慢で間違ってる
といってこられたあいさんが、靖国が嫌いな人の気持ちに反して政治家が公人として参拝することを許容されることが理解できません。

「常に否定したもの勝ちになる『理屈』を使われるのはおかしいのでは?」というのが私の指摘です。
「ここまでは確認できますよね」とおっしゃったので、なんでそんなおかしな理屈で、確認できたことになっちゃうのかな…と思って。
行ってほしいというのは私の希望であり、私の意見であるにすぎないです。
行ってほしくないというのがあなたの希望であり、あなたの意見にすぎないように。


>>私は靖国が現在厚遇されているなどと一言も言っていません。何か勘違いされていませんか?
靖国であろうが、伊勢神宮であろうが、キリスト教の教会であろうが、浄土宗の寺であろうが、創価学会の会館であろうが、個人の資格で参拝するのは構わないが、公人を名乗って参拝するのはダメだと言っているのです。私は個人として靖国は嫌いでまったく信用していませんが政治家の参拝先として「他は構わないけど、靖国にだけは行ってはいけない」とは言っていません。公人として参拝するのはどこも全部ダメだと言っています。
ポイントは私人か公人か。単なる訪問か参拝という宗教的行為か。もっともどこまでが宗教的行為なのか、は議論が分かれるところでしょうね。視察・見学・献花などの敬意を表する行為は、それには当たらないと私は思います。宗教法人としての儀礼を伴うものは宗教的行為だと思います。
ちなみに、キリシタン大名の慰霊のために教会に公式的に参拝した政治家って、いつの誰のことですか?興味深いお話です。ぜひお教えください。


岩手県水沢市の後藤寿庵廟ですね。
ここでは毎年春に「カトリック式」の祭典が行われますが、水沢市の市長が公務として参列しています。
たとえば関東大震災の慰霊祭も、思いっきり「仏教式」でおこなわれているものとかありますが、政治家が多数公務で参加しているかと思います。もちろんお焼香等の宗教法人としての儀礼をともなう行為もなさっておられます。
私は関西在住ですが、あちこちで阪神大震災の慰霊がおこなわれてます。仏教式のものに参加したことがありますが、政治家さんがお来しになっていました。
ごく最近だと、安倍首相はアーリントン墓地を公式訪問されました。ここは主にキリスト教式とユダヤ教式の墓地です。
伊勢神宮や明治神宮への公式参拝も、たくさんの政治家がなさっておられます。
政治家は海外で、さまざまな慰霊行事に参加されてますが、たいていその国の宗教様式にしたがったものだと思います。(そもそも宗教国家もありますし、国教を定めている国もたくさんありますしね。)
小泉首相がブッシュ大統領を連れて金閣寺に赴き、お参りの作法をブッシュに教え、お二人で、宗教法人としての儀礼をともなう行為をなさったりもしてたことありました。
それらも「政教分離違反だから駄目」なのでしょうか?

靖国神社の参拝についてはたくさんの訴訟がありましたが、裁判所は、原告の訴えである首相の靖国神社参拝中止要求については、全て棄却しています。
これは、あなたの言葉を借りれば「憲法の条文とその解釈についてしっかり把握」してる専門家さんたちも、靖国への首相の公式参拝を法的に否定できなかったということではないでしょうか。
それとも、「憲法の条文とその解釈についてしっかり把握」すれば、はっきり違憲なんでしょうか。

仮にはっきり違憲なら、私は憲法のほうがおかしいと思いますけど。笑
アメリカがちょいちょいと作ったいびつな憲法の弊害で、人間の営みや日本の歴史というものをまったく無視したものだなあと思います。仮に違憲ならば、の場合ですが。私は違憲だと思ってませんので。
まあ日本国憲法に政教分離の条文を入れたアメリカも、政教分離を定めている国ですが、大統領は就任宣言で聖書を片手に演説し、牧師が祈祷を行い、賛美歌が歌われたりしてますけどね。

投稿: あい | 2013年9月23日 (月) 17時32分

「常に否定したもの勝ちになる『理屈』を使われるのはおかしいのでは?」の意味は私にはまったく分かりません。
あいさんが靖国にいくことは自由で、私は個人的には否定的でも「そんな人もいるんだな」で終わりです。しかし、総理大臣が公人として国を代表して行くとなると私のような「行って欲しくない人」の感情は踏みにじられます。あいさんが、「行ってほしい人」という希望を持っている人で、それによって行って欲しくない人の気持ちが踏みにじられることに何も感じることがないとすればそれだけが残念です。

靖国の公式参拝の憲法判断についてここで議論することが、どこまで生産的なのか私には分かりませんが、一応述べておきます。

その前に「政教分離」に違反しているかどうかの規準として「公費の支出があるかどうか」をあげるのを忘れていましたので、付け加えておきます。失礼しました。
憲法89条
「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

まず、外国施設について例にあげることにはあまり意味はありません。「政教分離原則」のあり方は国によって歴史も考え方も違います。国際的な定型はないのです。日本の政治家が他国を訪問する際には「郷に入れば郷に従え」で、その国の考え方にあわせた方法を取ることがある程度求められ、それが外交であり礼儀です。

国内に目を移すと、総理大臣であろうが誰であろうが、それがいかなる宗教施設でも、もちろん靖国でも、個人的に参拝することは止められません。憲法違反でもありません。小泉首相は公費を支出する公式参拝をしておりませんので、差し止めなどできるはずがありません。公式行事ではない時間を使って外国の客人を寺に連れて行くことがあってもいいでしょう。
あいさんがあげられた事例のすべてについて「公費が祭礼者に支出されたかどうか」「市長などの政治家が宗教法人に公費を支出する方式だったか」ということを今調べるのは困難ですが、はっきり言えることは「特定の宗教法人に対して依頼した宗教的儀礼に対して公費を支出するのは憲法違反だ」ということです。公的施設の地鎮祭や慰霊祭などもそれは同じで憲法違反の疑いがあります。伊勢神宮への参拝の例をあげるさいに「公式参拝」という言葉を使われましたが、公費を支出していなければ公式参拝にはなりません。もしこれらの例で「公金が支出されている」という具体的な話があれば教えてください。私も抗議するなど考えたいと思います。
以上が公費支出の話です。私の感情や思いとは別の法曹界の多数派の話でした。

ここからは私の思いです。私には総理が靖国へ行って「内閣総理大臣」を名乗ることが許せません。裁判になると原告が具体的に権利の侵害を受けたという証明ができなければ行為の差し止めなどできません。「腹が立つ」くらいで権利の侵害にはならないので、判決はおっしゃる通りです。しかし、為政者たるもの一人一人の国民の思いにもっと敏感であるべきだと私は思います。たしかに「行ってほしい人」にとっては胸のすく話かもしれませんが。
さらに私が総理大臣に靖国へ行って欲しくないように、仏教式の慰霊祭などに知事に参加して欲しくない人もいるはずです。そうしたことに政治家は謙虚であるべきだし、配慮するべきです。「公金が支出されていないからいい」というのは最低限の話です。

投稿: yossy | 2013年9月23日 (月) 23時13分

長い文章を ずっと読むだけで疲れちゃった。

なにはともあれ ここは管理人さんの場所なので
どんな意見でも 管理人さんの主となってOK。
だけど。
コメント欄があるからには 反対意見もある訳で。
日本という国の弱さであり強さである・・・
自由過ぎる発言権^^
韓国や中国では 土下座や粛清が待っています。
管理人さんは この日本を
憎んでいるのですか?

私は愛しています。

靖国神社を 放火しようとして捕まった韓国人と
管理人さんは 似た思考回路なのでしょうか。
と書いてしまうのは あまりに飛躍してますよね。ごめんなさい。

ピンとこないんです。
管理人さんが 靖国を敵外視される感覚。

ほんとに 素直に 不思議になるんです。

いろんな意見が自由な日本。
だから 自分がピンとこなくても 理解したいのに。

頭が悪いんだ、私。

管理人さんは 靖国を平常心で受け止める人が
当たり前に存在することくらい 周知されてた・・・?
でも なさそう。
管理人さんも 違う価値観を
怒りを抑えて 少し 理解して。

なんだか 脳細胞が硬直してるみたいです。

お互い様ですが^^


投稿: こんにちわ | 2013年9月24日 (火) 18時46分

>>「常に否定したもの勝ちになる『理屈』を使われるのはおかしいのでは?」の意味は私にはまったく分かりません。

この理屈のおかしさは、もう少し広い視点で、「他の例」を考えてみれば分かると思います。
たとえばひめゆりの慰霊行事があったとします。
「行かないでほしい」という日本人の集団がいたとして、あなたは「行くべきじゃない!行ってほしくないという人の気持ちを踏みにじってはいけない!」と同じように主張できますか?もちろんそこに行ってほしくないという日本人なんていません…いや、でも、一億人以上いるんですから、少しはいると思います。どんなことにも「え」と思うような意見が存在しますしね。
つまり、常に否定したもの勝ちになる理屈は、「ゴネ得」の理屈なんですよ。
これはどんなことにも当てはまることで、サミットに参加するなという日本人もいるし、中国や韓国に訪問するなという日本人もいますよね。最近の日本の情勢を考えれば、総理の韓国訪問に反対する日本人は相当いると思います。
同じように「行くべきじゃない!行ってほしくないという人の気持ちを踏みにじるな!」と言えますか?
繰り返しますが、これは理屈そのもののおかしさを指摘してるだけで、「踏みにじってよい」と主張しているわけではありません。


>>あいさんが靖国にいくことは自由で、私は個人的には否定的でも「そんな人もいるんだな」で終わりです。しかし、総理大臣が公人として国を代表して行くとなると私のような「行って欲しくない人」の感情は踏みにじられます。あいさんが、「行ってほしい人」という希望を持っている人で、それによって行って欲しくない人の気持ちが踏みにじられることに何も感じることがないとすればそれだけが残念です。

自覚がないのはあなたです。
それ、お互いさまなんですよ。
「行ってほしい人」の気持ちがずっと踏みにじられていることを、あなたはまったく気づいておられない。
そのことについて何も感じることがないのが残念です。…とは私は言いませんけど。笑


>>以上が公費支出の話です。私の感情や思いとは別の法曹界の多数派の話でした。

では少数派は?
なぜ政教分離について、最高裁まで行って争うことになるのか、なぜさまざまな判決が出るのか、なぜ議論が多いのか、それはまさにグレーゾーンが大きいからじゃないんでしょうか。
目的効果基準の話を持ち出すまでもなく、「公金が支出されているから違憲」なんて断言できるようなものではないと思います。

皮肉じゃなく不思議に思います。
連綿と続いてきた日本の文化を守るのは、日本国の、そして日本の総理の仕事のひとつだと思います。
もちろん靖国は明治からですから、そんなに古くはないですが、日清日露を戦った兵士もいらっしゃる場所ですね。大切に思う日本人が100年200年と守っていけば、いろんな意味で日本の歴史を象徴する施設になるでしょう。
文化財の保護や特定宗教の学校などにも公金が支出されていますが、憲法の文章をまともに読めば、それすらいけないことになってしまいかねません。
そもそも日本国憲法で日本の象徴として定められている天皇陛下は、神道の祭司としての役割も担っているわけで、その行事には公金が支出されています。

靖国はつい最近、韓国人によって放火未遂にあいました。
公金を支出して警護すべきだと思いますが、それにも反対されますか?

投稿: あい | 2013年9月24日 (火) 23時54分

一度話を振り返りましょう。

あいさんははじめ、靖国という宗教法人を評価できない私の文章に、
>せめて、靖国を愛している人を否定しないでほしいと思ってます。
>靖国を全否定するのも傲慢で間違ってると思います。どっちもおかしいです。
と書かれました。

それに対して私は、
>私は、他人の宗教的信念をどうこうしようという意図はありません。私の感覚からいって理解できない、ということを申し上げているだけです。
とした上で、
>靖国神社も一つの宗教法人として、国民レベルで議論の対象になることがある
ことは当然だとしました。
さらに私の戦没者への思いがあいさんと異なることを私の祖父の例をあげてお話しました。そういう思いの遺族もいるのだと。そのように戦没者の最後の思いをとらえるのは傲慢ですか?といいました。

それに対してあいさんは、ご自分の戦没者への思い(英霊への思い)を再度述べられ、
>多くの人が本当に英霊が眠ってると思ってるということを、知っていただきたいんです。
そこは分かっていただけたでしょうか?
なので「思ってない人」の話で返されても困ります。
私はそこは分かっているからです。
思ってない人がいるのは、私はよく知ってますし、そういう人を否定しようとは思いません。
とされました。

私はあいさんのような思いの方がおられることは重々分かった上でこの文章を書きました。ここで戦没者への思いには多様性があることをあいさんにお分かりいただけたと思いましたので、
>それがお聞きできれば十分です。
>私は「日本人なら靖国を敬ってあたりまえ」と、押し付けがましく政治的立場にある連中がいうこと、ネット上に靖国を理解できない人を非国民扱いする連中がいること、が我慢ならないのです。日本人として、遺族として、戦没者の無念を思うことがなぜ非国民になるのか
とした上で
>戦没者を想う気持ちは同じでも全然違う違う想い方がある、ということを理解しあうしかない。
と述べて、
強い物言いになってしまったことについて
>感情を害したのならあやまります。
としました。

ここでいったん話は終わったと私は思いました。

しかしあいさんは、
靖国が戦争を総括する必要はない、とこれまでと違う次元の話をいわれましたので、
私は、それは逃げだ、としました。そのことについてはあいさんは「逃げでいい」といわれましたので、それ以上私にいうことはありません。
さらに、
>死の瞬間に英霊が抱いてた思いをそのまま尊重したい
と前にされた話をもう一度されました。また、
>靖国そのものを否定される方にとったら、靖国に英霊の魂はいらっしゃらないと考えるのでしょうから、そういう方はそういう方で、自分の信じるところに添って、英霊に祈りを捧げればいいんじゃないかなと思います。
とされました。

それに対して私は、再度靖国を信用できないことを述べて、よせばいいのにあいさんの内心に踏み込むようなことを言いました。
>死の瞬間に英霊が抱いていた思いが、「靖国で会おう」だと思っていらっしゃるのが私には理解できません。
これがよくなかったのかな。

さらに話は「政教分離」の話になりました。
私はこの話は法曹界がするべきもので、こんなコラム欄でするのは生産的ではない、と思いますので正直気が進みません。私も勉強してきたつもりですが完全な知識を持っているわけがない。「法曹界の多数意見」は知っていても「そんなもん知るか」という人に切り返すだけの知識は持ち合わせてませんから。あいさんもご自分の気持ちが踏みにじられた気持ちになって引けなくなっておられるようで、日本の問題に外国の話を持ち出したり、「公式参拝」という用語を連発されたり、「多数派」という言葉に「では少数派は?」と切り替えしたり、失礼ですがかなり付け焼刃な感じになっていますよね。
ついには、私が個人の参拝は自由だと言っているにも関わらず、
「参拝して欲しいという思いを、参拝して欲しくないという人に踏みにじられるのはおかしい」という趣旨のことを言われているわけですね。

最初あいさんは私に、日本国のなかにある戦没者への思いにはあなたとは違う思いの人がいるんだ、と、多様性を認められるように言われていたではないですか。私にそこを踏みにじって欲しくないと。私はそのように感じさせてしまったことを謝りました。
私のような思いは踏みにじられてもいいのですか?しかも政治家という権力者に。なんだか話が変わっていませんか?

ご返事はその点だけで結構です。

投稿: yossy | 2013年9月25日 (水) 01時11分

こんにちはさん、
私は、靖国が嫌いな理由を、私の祖父の例をあげて説明しています。
なぜ「この日本を憎んでいるのですか?」になるのか分かりません。
日本を愛する人は靖国を愛しなければならないのですか?
私は、日本を愛し靖国を嫌います。
そこが分からなければ、私の記事を理解したことにはならないでしょうね。

また、私のこうした思いを、「左翼」的、「戦後民主主義的」。「中国・韓国」的、などという人がいるでしょうが、まったく関係ありません。
そのことははっきりさせておまます。

投稿: yossy | 2013年9月25日 (水) 01時19分

>>私のような思いは踏みにじられてもいいのですか?しかも政治家という権力者に。なんだか話が変わっていませんか?
ご返事はその点だけで結構です。


すでに返事しました。

<繰り返しますが、これは理屈そのもののおかしさを指摘してるだけで、「踏みにじってよい」と主張しているわけではありません。>

↑読み落とされたのかもですが、前回の書き込みのこの部分です。


こういうとき私は、他の例で考えます。
たとえばイスラム教ならどうだろう。
あるいはキリスト教ならどうだろう。

「キリスト教やイスラム教への批判、あって当然だ。」その通りです。
「キリスト教やイスラム教について、議論がなされるべきだ。」その通りです。
「キリスト教やイスラム教を否定する人がいるなら、否定する人の気持ちを踏みにじるべきではない。政治家は否定する側の気持ちを尊重すべきであり、大事に思う人の気持ちを尊重しなくても良い。」それは違う。
何度も書いてますが、私がずっと言ってるのは、「否定するもの勝ちになる理屈を使われるのはおかしいのでは?」ということです。

それから前回私はこうも書きました。

<それ、お互いさまなんですよ。
「行ってほしい人」の気持ちがずっと踏みにじられていることを、あなたはまったく気づいておられない。
そのことについて何も感じることがないのが残念です。…とは私は言いませんけど。笑>

私のような思いは踏みにじられてもいいのですか?しかも政治家という権力者に。…とは私はやはり言いませんけど。笑
私は政治家は、まず個人の信念を持って動くものだと思っています。そのうえで、国民のさまざまな思いを受け止めてほしいと思っています。だから、自分の気持ちが尊重されないからって、即座に「踏みにじられた」とは思わないです。なぜなら、その場合は私の思いの反対側にいる人を尊重したんだろうなと思うからです。政治家は180度違う要求をされるし、そうなれば、どちらかを選択しなければいけなくなるものですし。
いや、あえてあなたに聞いてみたいです。

私の思いは現在進行形で政治家に踏みにじられていますが、私のような思いは踏みにじられてもいいとあなたは思われているのですか?
そのことについて何も感じることがないのでしょうか?
私にこういう疑問を投げかけるあなたが何故、ご自分がその言葉に当てはまる行為をしていることに気づかないんでしょうか?

あと「では少数派は?」というのは、べつにやけくそで苦し紛れに言ったわけじゃないですよ。
ちょっと意地悪でしたが、言葉のほころびをついただけです。そもそも「公費が支出されたら政教分離違反」って主張こそ少数派だと思ってます。
外国での話も同じです。
苦し紛れに出したわけではなく、もともと憲法における政教分離の原則は外国由来ですし、憲法を作ったのはアメリカですから、外国での話を考えるのは欠かせないと思います。
そのうえで、「日本の文化や歴史にあった日本固有の政教分離」を考えるべきだと思っています。
日本が仏教と神道のふたつの宗教と共に歩んできた国なのは紛れもない事実ですから、そのへんのことを考えないのはおかしいし、歴史にたいする冒涜だと思っています。
憲法も法律も、条文を四角四面に実行すると、現実との整合性が取れない部分がたくさんあって、ゆえに苦し紛れにつじつま合わせをしていますよね。その場合、本来考えるべきなのは現実を条文に無理やり合わせることよりも、法律のほうを現実に合ったものに変えることじゃないかなというのが私の考え方です。法律違反していいっていう意味ではないです。歴史は変えられませんが、法律は人間が作るもので変えられます。繰り返しますが、法律違反していいとか法律を重視しなくていいという意味ではありません。少数派を迫害していいという意味でもありません。
あなたは過去の記事でも断言しておられた。
「明らかな政教分離違反である」でしたっけ。
断言できるようなものではないです、ということを言いたかっただけです。

投稿: あい | 2013年9月25日 (水) 10時41分

yossyさん

ここはyossyさんのblogではありますが
各所で繰り広げられている炎上案件をご覧になればわかるように
netは公の空間でもあり、何を表現しても受け入れられるいうわけではありません。


ご自身でも気づかれているように
今回の記事ではかなり感情的に表現されてます。


>死の瞬間に英霊が抱いていた思いが、「靖国で会おう」だと思っていらっしゃるのが私には理解できません。

>私には、戦没者の霊が靖国になど眠っているとはとても思えない。

そして冒頭のコメントにあった

>私は先人の無念を想いやっているのです。先人のそういう声が聞こえませんか?

というのは全てyossyさんの主観ですよね。
その主観を振りかざして断罪してたんでは
そりゃー反発されますよ。

特に他者の宗教観に踏み込んで
>そんなことを信じられる人の死生観・宗教観を私は疑う。「国家の権威への迎合」を軽蔑する。
>敗戦の象徴でありむしろ不適格であると思う。

と、した上で
>靖国など必要ない。

と、結論付けられるのはちょっと他人への、特に靖国を必要とされている人への配慮が無いのではないでしょうか。

と感じました。


加えて言うと
yossyさんと私を含めた反論者の価値観のズレは
歴史上の事象をその当時の価値観で計るでのは無く
現代人の現在の価値観で評価しようとする事から生まれているのではないですか?


私はyossyさんのそのような考え方は進歩的だと思いませんし、むしろ学者として極めて危険な思考法だと思いますがその点どのようにお考えでしょうか?と改めて伺わせて頂きたい次第です。


投稿: PublicComment | 2013年9月28日 (土) 21時50分

あいさんとのやりとりで、いくつか分かったことがあります。
一つは
>「行ってほしい人」の気持ちがずっと踏みにじられていることを、あなたはまったく気づいておられない。
>私の思いは現在進行形で政治家に踏みにじられていますが、私のような思いは踏みにじられてもいいとあなたは思われているのですか?
という言葉に典型的に表れていることです。つまり宗教法人靖国神社は、首相などの政治家が公式参拝しないと信者や支援者の気持ちが踏みにじられる宗教である、ということです。これは他の宗教にはない特異な特徴です。自由権は別名「国家からの自由」といい、信教の自由も「国家に介入されず自分たちの世界を守る」という性質を持っていますが、どうやら靖国神社は国家の権威に頼らないと存立用件のいくらかが足らなくなってしまう宗教団体であるらしい。なぜ、自分が自分の信じるところによって参拝し英霊に感謝するだけでは満足できないのか。私にはまったく理解できない。やはり、宗教法人靖国神社は現代の日本国憲法の発想からは浮いた存在らしいということが解りました。

二つは
靖国を信じる人とは議論にならない、と感じないことはなかったのですが、そんなことはない、と否定したかった。でもやはり無理なの人もいるんだな、ということです。

靖国は私にとっては他の宗教団体とは違います。私の祖父の死に関わった宗教団体です。キリスト教やイスラム教やひめゆりの塔の慰霊行事などと同列に並べられてはたまりません。これは「理屈」ではなく「感情」です。私はタリバンやオウム真理教とさほど変わらない目で評価しているのです。祖父の敵の一部ですから。
それを解っていながら平然と
>「ゴネ得」
と言う。私が祖父を思う気持ちを「ゴネ」といった。許せません。
私は、オウム真理教の道場に政治家が参拝することを肯定するしているような気持ちであなたの無遠慮で得意げな「理屈」を聞いているのです。もう沢山です。
>せめて、靖国を愛している人を否定しないでほしいと思ってます。すごく悲しくなりますし…。
>靖国を全否定するのも傲慢で間違ってると思います。どっちもおかしいです。
と、わざわざ考え方の異なる他人のブログにやってきて、自分の考え方のような人間に配慮するべきだ、といっていた人が、ブログ主の私の信条は踏みにじって、しらっとしている。ついには、
>そのことについて何も感じることがないのが残念です。…とは私は言いませんけど。笑>
などと冷笑記号まで使う。その文章は私をさげすむことが目的であることが受け取れます。

私が
>なんだか話が変わっていませんか?
と言ったのは、あいさん、あなたの二面性についていったのです。
自分の信条が理解されないと
>すごく悲しくなりますし…
と言っていたのに、私には
>そのことについて何も感じることがないのが残念です。…とは私は言いませんけど。笑>
という矛盾です。まるで前半と後半で人が入れ替わったのではないかと思うくらいです。

議論というのは、自分の信条・立場を主張し、相手の信条・立場と主張を理解し、共通点と相違点を整理し、折り合えるところを見つけることです。しかし、私の信条を理解しているのかしていないのかわかりませんが、少なくともあなたは、私が靖国を祖父を殺した神社としている激情にまったく配慮しません。靖国の評価が前提から違うのだからそこから立てる理論も違うのは当然なのに、得意げに持論を展開され、ついには笑>などと刺激する。これはもう議論ではありません。

議論にならないことがわかりましたので、もう書き込みは結構です。不快になるだけ。あなたも不快になんでしょうから、私の文章を読まなければいいだけです。

投稿: yossy | 2013年9月28日 (土) 22時23分

PublicCommentさん、コメントありがとうございます。
私は、靖国に関して感情的になる部分があることは認めます。その理由も、ここまでに書いてきました。

その上で私のこの文章は、
第一に、靖国に行くのは当たり前、などという押し付けがましい政治家連中に対する反論として書いたものです。
第二に、私は宗教法人靖国神社が価値のないものだと思っていますので、価値があると思っている人と議論がしたかった、ということがありました。現代社会で靖国だけが議論や批判の対象から漏れることはできません。もちろん、がさネタで批判されたり悪口を言ったりされたら、それが例え靖国であっても私は「それは違う」といいます。
議論はしたかったのですが、難しかったようです。

ただ
>yossyさんと私を含めた反論者の価値観のズレは歴史上の事象をその当時の価値観で計るでのは無く
現代人の現在の価値観で評価しようとする事から生まれているのではないですか?
は、ちょっと違うと思います。私は、当時の祖父を始めとする戦没者の無念の思いを、最前線の体験者の話をもとに思いやっています。それは、当時の思いであり現代の価値観とはいいきれないでしょう。
また「靖国で会おう」と戦地に赴いた人たちが多くおられたことは十分に知っています。それは社会を覆っていた「当時の価値観」ではあったでしょうが、私にはどうしても死に征く間際の兵隊さんが「靖国へ」と思って死んだとは思えません。
「当時の価値観」も現代の私たちが忖度するしかないのですから。

投稿: yossy | 2013年9月28日 (土) 22時42分

>>あいさんとのやりとりで、いくつか分かったことがあります。
一つは
>「行ってほしい人」の気持ちがずっと踏みにじられていることを、あなたはまったく気づいておられない。
>私の思いは現在進行形で政治家に踏みにじられていますが、私のような思いは踏みにじられてもいいとあなたは思われているのですか?
という言葉に典型的に表れていることです。つまり宗教法人靖国神社は、首相などの政治家が公式参拝しないと信者や支援者の気持ちが踏みにじられる宗教である、ということです。これは他の宗教にはない特異な特徴です。自由権は別名「国家からの自由」といい、信教の自由も「国家に介入されず自分たちの世界を守る」という性質を持っていますが、どうやら靖国神社は国家の権威に頼らないと存立用件のいくらかが足らなくなってしまう宗教団体であるらしい。なぜ、自分が自分の信じるところによって参拝し英霊に感謝するだけでは満足できないのか。私にはまったく理解できない。やはり、宗教法人靖国神社は現代の日本国憲法の発想からは浮いた存在らしいということが解りました。


文意を読み取っていただけてないのが残念です。
私はあなたの引用されている言葉を、本心で書いたわけじゃないですよ。
「あえてあなたに聞いてみたいです。」
「あえて」と書いてからその質問を投げかけた意味を、くみとっていただきたかったです。


>>つまり宗教法人靖国神社は、

この文章以下は、あまりにも勝手な解釈です。
私の書き込みを読んでくれてないみたい?
私の書き込みでなぜ、そんな飛躍した解釈をされるのか、本当にびっくりしました……

首相が行かなくても靖国は靖国として存続しますし、大事に思う遺族や私などにとって、大事な場所であることに変わりはないです。
「行ってほしい」というのは私個人の願望です。あなたが引用されてる文は、「あえて」書いたものです。意味が解りますでしょうか?
私は、私個人の願望が満たされなくても、踏みにじられたと思わないです。それは、【私は政治家は、まず個人の信念を持って動くものだと思っています。そのうえで、国民のさまざまな思いを受け止めてほしいと思っています。だから、自分の気持ちが尊重されないからって、即座に「踏みにじられた」とは思わないです。なぜなら、その場合は私の思いの反対側にいる人を尊重したんだろうなと思うからです。政治家は180度違う要求をされるし、そうなれば、どちらかを選択しなければいけなくなるものですし。】←これで説明できてると思ってたんですが…。

首相が来られるのを希望するのは、国民の権利だと思います。
靖国は、歴史的に見ても、遺族や日本国民が、首相の参拝を求めるだけの理由があると思っています。
もちろんあなたのように思わない人もいるんでしょうけど。それは人それぞれですよね?
靖国を大事に思う人が理由を説明し、首相が来られるのを希望するのは、国民の自由な権利だと思います。
これは他の慰霊施設についても同じことです。他に慰霊場所を作って、そこに首相が来られるのを希望する人がいるとしたら、それはそれでその人の自由ですし。

>>>「ゴネ得」
と言う。私が祖父を思う気持ちを「ゴネ」といった。許せません。

私はあなたが祖父を思う気持ちを「ゴネ得」といったわけではありません。
よく読んでもらいたいです。
「常に否定したもの勝ちになる論理を使うこと」を「ゴネ得」って言ったんです。例をあげて説明してますから、本当にもう一度読んでください。そう説明しながら、何度も「踏みにじられていいと言う意味ではない」って書いてるのを、何故読んでいただけないのか…
なんだか、生理的な嫌悪感?みたいなものがあって、私が書いた文章をあんまりよく読まずに返信されてるような気がするんですが…。
繰り返しますが、私はあなたが祖父を思う気持ちを「ゴネ得」といったわけではありません。

で…
あなたが靖国を「オウム真理教」と言ったのは、どうなんでしょうか?
オウムは日本の刑法上、明らかな犯罪を犯しました。
まあ同じだと思うのはあなたの自由かもですけど…
「ゴネ得」という言葉を誤解して、多くの遺族の思いを踏みにじる言葉、「靖国はオウム真理教と同じ」とまで言い切るってどうなんでしょう。
これ、靖国を大事に思う戦没者遺族にとって、とっても傷つく言葉ですよ。
私の言葉を誤解して、売り言葉に買い言葉だと思って、こういう言葉を感情的に使ったのかもしれませんが…
申し訳ないですが、その部分だけは訂正してもらいたいです。訂正したくないなら構いませんけど…

でもそれって、靖国を感情的に擁護して、「靖国に行かない日本人は売国奴」みたいな罵り方をするいわゆる「独善性・強迫性を感じる右翼のような」人と、どう違うんでしょうか。
私は靖国を否定する人たちの言動にも、これと同じ「他にはない独善性・強迫性を感じる」と言いました。
たとえばあなたのような返事が返ってきたときにそう思います。

>>冷笑記号まで使う。その文章は私をさげすむことが目的であることが受け取れます。

冷笑ではないです。
こういったやりとりで、あまりに感情的で厳しい言い争いにならないよう、わざと(笑)を使うことはありますが。
誤解があったようなので、その点は謝罪します。


>>議論にならないことがわかりましたので、もう書き込みは結構です。不快になるだけ。あなたも不快になんでしょうから、私の文章を読まなければいいだけです。


もちろん私は不快ですけど、否定してる人の話こそなるべく読むようにしています。
あなたは議論を肯定してました。
「日本の中で日本人が「靖国をどう評価するか」という議論を進めることが優先されるべき」といわれてました。
勝手な判断で侮辱されてると思い込み(私の書き方も悪かったのかも知れませんが、改めて自分の書いたものを読み返しても、きっちり説明はしています。)、それこそ感情に任せて靖国はオウム真理教と同じだと言われるのが、あなたのおっしゃる議論なんでしょうか。
感情的に靖国を否定される方が、議論?
あなたが感情的になるのは解りました。
でもそれなら、ずっと感情的に否定されてればいいと思います。それなら「議論が必要」なんていわないでほしい。
1番から4番まで番号をふって、疑問をたくさん投げたのは、「肯定派の本心が知りたい」という気持ちからではなかったんでしょうか。


投稿: あい | 2013年9月30日 (月) 21時28分

もうひとつ書かせてください。
あなたは教師をされている。
もし私のような生徒がいたら、どうなさるんですか?

私はかつて、靖国を否定する教師の言葉に本当に深く傷つきました。
以前の書き込みで、少しだけその話を書きましたが、もっと詳しく書くと、当時の私は言い返しました。
でも、あなたと同じような言い方で、私は全否定されました。
詳しいことは忘れましたが、そのときの先生が使ってたのも、「靖国に殺されたと思ってる家族の気持ちを考えてください」というような論理でした。さらに「それが思いやりです」というような、まさしくあなたが婉曲に表現したかったのであろうことも断言されました。
私は子供でしたが、「お前は思いやりがない」と言われたように感じました。私は、人格を否定されたように感じました。
私は当時はとても真面目な子供でしたから、そういう言い方をされれば、口をぱくぱくさせるだけで、なにも言い返せません。

今思い出しても、涙が出るほどに悔しい経験です。
今目の前にあの先生がいたら、「あなたには教師の資格はない」と言ってやりたいほどに。
否定だけならいいですが、平和教育の授業での感想文の宿題では、私はことごとく低い評価をされましたしね…(苦笑)国語が得意で作文が得意だったけど、平和教育の感想文だけは、絶対に良い点数をくれなかった。
今考えてもあれは、「偏向した思想教育」だったと思います。

あなたがそういうことをするとは思ってませんけど。

ただ、靖国を否定される方は、ご自分の「傷」にはとても敏感です。
そして、自分の「傷」を訴えることに、とても熱心です。
でも、相手の「傷」にはとても鈍感だなと感じています。
「あのときの先生の記憶が強すぎるせいかな?」と何度か自問したことがありますが、その後も靖国に関するあらゆる文章、あらゆる議論を読むなかで、客観的に見ても、「傷を訴えるのは、圧倒的に靖国を否定する側が多い」というのが私なりの結論でした。

なぜこうなるかというと、否定される側には、相手を傷つけているという自覚がないからだと思います。
否定される方には「誰かを傷つけている」という自覚がほとんどない。だからとても残酷になれる。残酷だということにも気づいていない。
もちろん肯定する側も残酷なんでしょう。ただし、それでも譲れない信念があるので、残酷さを承知で靖国を肯定しているんです。ただ、自覚があるから、自分が傷ついてると主張することには消極的なんです。
否定派がご自分の傷を主張して、理性的に議論しようとしている肯定派の口を閉じさせようとする場面、私は何度も何度もみました。
私も今、あなたに同じことをされていると感じました。
でも、私はあなたと同じように、自分の傷で対抗しようとは思わなかったんです。だから「とは言いません。笑」と言ったんです。
それでもあなたは重ねてご自分の「傷」を主張されました。
だからあえて、本当にあえて

「私の思いは現在進行形で政治家に踏みにじられていますが、私のような思いは踏みにじられてもいいとあなたは思われているのですか?
そのことについて何も感じることがないのでしょうか?
私にこういう疑問を投げかけるあなたが何故、ご自分がその言葉に当てはまる行為をしていることに気づかないんでしょうか?」

この質問をしたんです。
「あえて」しただけなので、けして「自分の傷の言いあいっこ」をしたかったわけではありません。
お互いさまであることに、気づいて欲しかっただけです。
だから、こういうことも言いました。
「そういう方はせめて、靖国を愛している人を否定しないでほしいと思ってます。すごく悲しくなりますし…。」「自分の信条が理解されないとすごく悲しくなりますし…」

これのどこに矛盾があるんでしょうか。

私は靖国を肯定する人間として、「靖国を否定する人間も、誰かを傷つける加害者である」という自覚を持ってほしいなと思っています。
お互い様なんです。

投稿: あい | 2013年10月 1日 (火) 01時19分

1.靖国参拝をすすめる方は「戦没者の霊が靖国に眠っている」と本当に思っているのだろうか。

参拝している元日本兵に聞いてみれば分かるんじゃないでしょうか?さらに言えば、そんなに重要な事ですか?

2.靖国参拝を強力に薦める方々がいるが、自分の宗教的信念を他人に押し付けていることが分かっているのだろうか。

半分同意。でもyossyさんも反対意見読んだけど、一緒だよね。

3.靖国を薦める人は、宗教法人靖国神社が自らの戦争責任を総括しないことを、いったいどう思っているのだろうか。
「○国民みなが祈りを捧げたのに一国を敗戦の憂き目に遭わせた宗教的責任」

ここが分からないんですが、靖国が無くても戦争に負けていたし勝利してればそれで良かったのかと?さらに言えば、靖国が戦争を始めたのか?そもそも戦争に踏み切らずに欧米の植民地となって生きてればそれで良かったのかと?

戦争を回避して日本が独立国家として生き残る道があったなら、武力以外で世界の植民地が欧米から解放される道があったと考えているなら、教えてほしいです。

○敗戦が決定的だったのにも関わらず、無能・無策な戦争指導者が、無謀な精神論だけで立案した計画で多くの若者の命を散らせた。「靖国で会おう」という誰でも知っている言葉が示すように、そうした無策無謀な作戦の実行に靖国は利用された。その責任を認めるのかどうか。

無能・無策で無謀な精神論と言いますが、そもそも欧米相手に資源を断たれた日本が戦争を挑むことが、無茶ですよね。有効な策も取りようがない。じゃ、やっぱり欧米の植民地になれば良かったのかに戻るんですよ。いじめっ子が暴れてて、周りのひ弱な子から金を巻き上げてる状態で、次は我が身。でも日本もいじめっ子には敵わない。さ、どうする?ってなった時、精神論で立ち向かうしかないんじゃないでしょうか?負けても戦わなければならない時ってあるでしょ?負けましたよ。そりゃ、見事に。スポーツでも敵わない相手と試合をする時、負けるから棄権するのが正解なんでしょうか?精神論で勝つと信じて戦うでしょ?

無謀な作戦に利用された。その責任を認めるのかどうか?と言いますが、利用された側に責任って生じるものなのでしょうか?仮にyossyさんが強制的に剣道部の顧問にされ、大会に負けたから責任を取れと言われたら、理不尽だと思いませんか?

4.戦没者名簿を厚生省から得ていた過去のシステムは政教分離違反だったのではないのか。そのことの総括を靖国は行ったのか。

政教分離については私には分かりません。答えを知りたいなら裁判するしかないよね。

「私の思いの中心は靖国の宗教としての価値について、である。靖国には参拝に値する宗教的価値などない、と私は思っているのである。」

わざわざ、声をだして「参拝に値する宗教的価値などない」と言う必要があるんでしょうか?私はキリスト教が大嫌いですし、創価学会(創価は流してね)に疑問を持ってますが、参拝するなとも思わないし、「値する」なんて絶対に言わないし(過去に言ってないよね?)「宗教的価値などない」なんてことも言った事はありません。宗教なんて信じてない側から見ればどれも理不尽だし信じられないこと言ってます。靖国に霊が眠ってると信じてない私ですが、だからと言って靖国に宗教的価値がないとは思いませんし、参拝する機会があればします。参拝時、霊がいるとは信じられないけれど、日本の為に犠牲になった人に感謝もしますし、若くして命無くした人を思い、色々な感情が湧くと思います。

Yossyさんにはyossyさんなり理由があって靖国に反対の立場なのは理解しますし、yossyさんの宗教的理念に従って供養してるのも分かります。しかし、だからと言って宗教的価値、値する、などの言葉は本当に必要なのでしょうか?

靖国に問題があることは認めますし、議論をするべきことです。ただ、「靖国など必要ない」で話を終わらすのはどうかと思って、久しぶりに書き込みました。

最後に、二つだけ言いたい。一つは、この世にある物で不必要な物は存在しません。私にとってどんなに無意味で不必要で憎む物であっても、誰かにとって必要だから存在するんだと考えてます。自分にとって不必要だから存在が赦せないとみんなが言いだしたら、全ての存在が否定され、全ての物が争いの種となります。

二つ目は、Yossyさんの意見は絶対原発反対論者に似ている。そりゃ、原発ないほうが良いけど、じゃ、無しでどうするのと聞くと、方法論が抜けてたりする。嫌韓も戦争論も、イジメの時もそうだったんだけど、今起こっていることや過去の現象に対しても、理想論だけで話を進める。私も戦争が無く、靖国も存在せず、世界中が平和で、宗教対立もない世界を望みますが、その望みの為に絶対戦争反対、靖国反対、キリスト教の滅亡なんて言っても仕方ない。理想論だけで理想が実現するならこんな世界になってない。だから、現実的な議論で相手の意見を尊重して、お互いに妥協点を探り、話をするしかないと思うんです。

Yossyさんが提供する話題は面白いし、議論しがいがあるんですが、yossyさんも少しは実現可能な妥協点を探りませんか?

投稿: junk | 2013年10月15日 (火) 23時09分

はじめまして。
「韓国 修学旅行 土下座」の検索で、このブログにたどり着いた者です。
この記事のコメント欄を、大変興味深く拝見しました。
私は、あいさんの意見に共感します!
Yossyさんは、靖国神社に対する強い負の感情を起点に理論を組み立てているような気がします。

私も中学校で酷い自虐史観教育を受けました。
ただ、あいさんと違って先生の言うことを純粋に受け入れた側です。
当時の私は「韓国(朝鮮)人に何を言われても仕方がない。土下座して謝ろう。」と本気で思っていました。
幸いにも、そのような機会は訪れませんでしたけれど。
しかし、未だに日の丸が振られている光景を見ると恐怖感が脳裏をよぎります。
これはもう理屈ではなく、条件反射のようです。
自分は日本人なのに、日の丸は美しい国旗なのに・・・
そのたびに、私は心の中で葛藤しています。
靖国神社についても同じことが言えるのではないでしょうか。
何も知らない子供が、戦犯の象徴としての靖国神社を刷り込まれてしまうと、あいさんのような人に心をはせることが出来なくなってしまう可能性があります。
極端な話、地元の護国神社に参拝することさえ抵抗を感じるようになるかもしれません。
靖国参拝については、日本人と神社の長い関わりの歴史を含めて考える必要があると思います。

投稿: NS太郎 | 2013年10月25日 (金) 02時58分

はじめまして。私も韓国修学旅行土下座の検索からこちらのサイトに辿り着いた者です。「韓国修学旅行で土下座って本当?」の記事を大変興味深く拝読し、またコメント欄に於いても終始誠実に冷静に対応していらっしゃるyossyさんの姿勢にも好感を抱き、他の記事も拝読していたのですが…。
この記事(とコメント)では、あまりに感情的で、驚きました。失礼を承知で申し上げると、「韓国修学旅行」の記事とコメントを書かれた方と本当に同一人物なのかと、特に あい さんに対する最後のコメントで、突然激昂されて議論を拒絶されているのには、本当に驚き、そして残念に思いました。
もちろん個人のブログなのですから、コメントを返そうが返すまいが、削除しようが、開設者の自由ですし、私が勝手に「感情的にならずに冷静に議論をし、相互理解に近づくように努力する」姿勢を期待し、勝手に残念がるというのは、yossyさんにとって迷惑な話だと思うのですが(^^;;
私自身にとっての靖国神社は、yossyさんに近いものがあります。靖国神社を作った思惑は、国民の不満逸らしだと思いますし、もし私が兵士であったなら、魂が何処かに還るものだとするなら、靖国ではなく愛する人の許に還りたいと思うだろうと想像します。
しかし、靖国に還ろうと思った人がいたかもしれない事、そして、兵士として亡くなった大切な人が、そう思ったかもしれないと信じて靖国に参ろうとする人たちの気持ちや、そうした人たちにとっての靖国神社の価値を理解できないとか軽蔑するという事はないです。
私も最近の「ネトウヨ」という不気味な人々の非論理性について空恐ろしくなる者の一人なので、「靖国に参らない人間は日本人ではない」というような言論に対抗して、というyossyさんの気持ちも分からないではないのですが、この記事とコメントでは「表現がキツくなった」どころではなく、最初からケンカ腰&靖国必要派の価値観全否定という印象を受けました。

私は理性の無い「ネトウヨ」は大嫌いですが、あいさん、PublicCommentさんのコメントは私と靖国神社に対する考え方が違っても、なるほどと思う部分が多く、色々と気付かされ、勉強になりました。
靖国神社については、yossyさんがこれほど感情的になるという事は、それほどにお祖父様とその死に対する想いが強いのだと推察致しますが

>私が祖父を思う気持ちを「ゴネ」といった。許せません。
私は、オウム真理教の道場に政治家が参拝することを肯定するしているような気持ちであなたの無遠慮で得意げな「理屈」を聞いているのです。もう沢山です。

というのは、

>私には、戦没者の霊が靖国になど眠っているとはとても思えない。戦没者を祀るために作った神社だから戦没者が眠っているのは当たり前、などと言ってはならない。いかなる信用があってそんなことが信じられるのだろうか。
公が作った作り物の神社になど魂が帰ってくるはずがない。あんなものは日本の伝統でもなんでもない。そんなことを信じられる人の死生観・宗教観を私は疑う。「国家の権威への迎合」を軽蔑する。

と、生死観を疑う・軽蔑するとまで言われた方にとっても、貴方が抱いた気持ちと同様に「許せない」と思うであろう事は、容易に想像できます。

公平に見て、yossyさんが許せないと仰った あい さんは、非論理的でもないですし、わざと意地の悪い事を書いている訳でもないように思います。ですから、「もし生徒さんが学校で同じような事を主張したらどうするのか」という心配には、私も同感です。
学校に於いて、先生というのは一つの権力です。
釈迦に説法かもしれませんが、ケンカ腰ではなく真摯に主張する相手に対して、特にそれが宗教観や家族の大切な思い出に関わるような事柄については、ディベートのように相手を論理でねじ伏せたり、感情的になって対話を打ち切るような対応を…とりわけ先生と生徒という、立場に差のある関係でしてほしくはないと、老婆心ながら切に願います。

長々と駄文、申し訳ありません。
修学旅行で土下座の記事とコメントが大変秀逸だったので、つい 惜しい気持ちが抑えられず…

しかし、この記事とコメントも私にとっては大変考えさせられ、有益でありました。
お仕事柄、お忙しいと思いますが、これからもブログ楽しみにしております。

投稿: ひまじん | 2013年10月26日 (土) 11時25分

しばらく体調がすぐれず、ほったらかしになっていたことをお詫びいたします。
あいさん、junkさん、NS太郎さん、ひまじんさん、コメントありがとうございます。

まずもって、私の感情的な文章を、本文・コメント欄を含めてお詫びいたします。特にあいさんには申し訳ありませんでした。祖父の件があり、私はどうしても靖国がはっきり嫌いです。どうしても感情的になってしまう傾向があります。これを書いた背景には石原慎太郎などの傲慢無礼な発言に頭にきていたことがあり、本来そうした押し付けがましい政治家連中に対して言いたい思いがあったのですが、皆様のご指摘の通り、靖国神社を信仰する人を批判するような表現が多々見られます。これは本来の私の意図ではなく明らかなミスです。冷静に読み返して、訂正するべだと思いました。
本文を訂正しお詫びします。取り消し線が削除、アンダーラインが付け加えた部分です。押し付けがましい政治家に対する批判と、私の靖国に対する個人的な思いを述べたようにしたつもりです。しばらくこの表現にしておいて、しばらく後に取り消し線部分とアンターラインを消すつもりです。

これからもご意見を頂戴したいのですが、先に書いたように体調が全くよくありません。ご返事は遅くなることが多いと思いますので、よろしくお願いいたします。

投稿: yossy | 2013年10月26日 (土) 23時05分

体調が優れないとの事で心配ですが、そのような中でレスを頂き、ありがとうございます。
訂正された本文も読ませて頂きました。
不要な誤解を産む余地を取り除き、よりyossyさんの考えが伝わりやすいように変わっていると感じました。

またコメントを入れる事で、体調不良の中煩わせてしまうのでは?と恐れつつ、コメントを入れてしまいました…(;-ω-)a゙すみません。
私のコメントにはスルーで構いませんので、ご自身のお身体を第一に、どうかご自愛下さい。

yossyさんが復調し、また新しい記事を投稿できるほどお元気になるまで、過去記事をゆっくり拝見したいと思います。いくつか読ませて頂いたのですが、コメント欄も含め、とても読みごたえがありました。

投稿: ひまじん | 2013年10月27日 (日) 01時14分

いえいえ、どういたしまして。
ただ一点、オウム真理教と同じといった部分だけは訂正していただきたかったです。
もちろん、絶対に訂正してほしいとは言ってませんし、そう思われるのはブログ主さんの自由だと思ってますけれど。

傷ついてるのも傷つけてるのも、じつはお互いさまです。
私が真に言いたかったのは、本当にそれだけです。
その自覚を持ったうえで「日本人同士で議論」を進めれば、真に建設的な議論ができるんじゃないかなと思っています。

私は「ネトウヨ」も好きじゃないです。でも実は嫌いでもないです。
靖国を大事に思う遺族を遠慮なく傷つけながら、平気で「ネトウヨ」の批判をする人のことは、正直いって、ネトウヨと同じ穴のムジナだと思ってます(すみません)。
もちろん好きでもないですが、同じく嫌いでもないです。

ただ、これはもう埋めようのないものなのかもしれないなと、訂正文を読みながら、改めて思いました。
なので改めて、靖国は総括なんてしてはいけないと思いました。絶対に亀裂が大きくなってしまう。
永久にナアナアにしておくのもひとつの勇気だと思います。


新しい文章にあった疑問に答えますね。

>>そこに国家が介在する余地などない。なぜ靖国を信仰する人は、政治家に参拝して欲しいのだろうか。

理由は、亡くなった兵士にとっては、それが国との約束だったたからです。「国として」御霊を慰霊してもらえるものだというのが、「当時の常識だった」わけですから。
もちろんすべての兵士が同じように思ってたわけではないでしょうけど。
「靖国で会おう」と言って亡くなった兵士の多くは、それを国との約束だと思っていました。
少なくとも私の曽祖父はそう言ってましたし、同じことをいう遺族や生き残った兵士の発言などが、本当に山のようにあります。これは、戦後の言論状況のなかで、なかなか大手メディアやテレビなどで取り上げてもらえなかった主張です。知らない人も多いんじゃないかなと思います。左派の多い教育界…学校でも、こういった遺族や兵士の発言は紹介されてこなかっただろうと思いますし。あまりにも一方的なものでした。
私のようなタイプの靖国肯定派の思いはただひとつ、「亡くなった兵士が亡くなる瞬間に持っていた感情をできる限り尊重してあげたい」ということです。靖国を批判される方こそ、そういう遺族や生き残った兵士の発言を、たくさん読んでいただきたいなと思っています。
もちろん逆に、靖国肯定派は、靖国を否定する遺族や生き残った兵士の発言を、たくさん読むべきだろうと思っています。
繰り返しますが、すべての兵士が同じように思ったわけではないとも思っています。
亡くなった兵士は何も語れませんが、靖国を愛し、靖国に帰った御霊を、国や政治家がないがしろにするのは、私のような者にとっては悲しいことだと思っています。
押し付けるつもりはありません。
疑問に答えただけですので…

投稿: あい | 2013年11月 1日 (金) 21時34分

「日本人として当たり前」
って言葉が嫌みたいだけど、

日本を守ろうと頑張った人たちが
奉ってある靖国神社に、
感謝の意味を込めて、
礼を言いに参拝しにいく、
のは「日本人として当たり前」のふるまい。

って意味なんだろうと思ってる

「日本人」じゃないなら、
感謝しに行く筋もべつにないだろう。
「当たり前」ってのは、
やっぱり日本人の道徳観として、
ありがたいって気持ちがあるなら、
感謝するのは当然のふるまいだと思う。

だから、
「日本人として当たり前」で
別に疑問はないな。

進んで戦死した人も、
嫌々ながらも戦いに行った人にも、
感謝したいです。

嫌だーって逃げ回ってしまってたら、
今の日本はなかったかもしれん・・・・
すごいかっこいいとおもうわ。

たとえ、主みたいに、
靖国がただの建物にすぎない、にしても、
別にいいんだよ。

英霊がいる、とされている場所に、
感謝の念を込めて、あいさつにいく。
その程度のことなんですよ。

本当に靖国に英霊がいるかいないかよりも、
その形式と感謝を込めるってセットが
大事なんだとおもうわ。

逆に言えばその程度のことも、
できない日本人って・・・・
軽蔑しちゃうなぁ~~
まぁ強制はしないさ。
ただ、軽蔑するってだけ。


それに比べると英霊たちは
めっちゃかっこいいわー
命をかけて、死ににまで行けるんだからさ。

投稿: 改造部 | 2013年11月20日 (水) 05時51分

暑い夏から 始まったこの課題。
短すぎる秋が 走り去っていくなか
朝晩 冷え込む季節になりましたね。
風邪ひかないように 気を付けてくださいね。

靖国神社と また逢いたいなぁ~と
思う私は ここのやり取りを越えても
1ミリも動じませんでした(笑)

管理人さんと 私の『幸福度』を
測る物差しが あるとすれば
私の方が 若干、僅差で 幸せかも。

あんまり 賢くないのって良いことなのかな?

民主党が 挟んだ3年半のおかげで
最低を見た・・・と 目覚めて

この国の輪郭を 知りたいと思うようになりました。
自分のチョイスを信じてます。

管理人さんも 大丈夫ですよ。
ご自身のチョイスを信じてください。

みんな違ってみんないい。

ほんとに便利な言葉^^

投稿: こんにちわ | 2013年12月 2日 (月) 20時11分

安倍ちゃん 靖国参拝!
嬉しすぎる・・・・。

ごめんね、管理人様。

投稿: こんにちわ | 2013年12月29日 (日) 19時38分

やはり靖国信者は国家による権威付けが信仰に影響を与えるようですね。現行憲法下では異端的な存在であることが証明された格好です。「宗教は弱い人がやるもの」という人がいるけど、国家の権威付けを喜ぶ宗教の存在を見るとやっぱり「弱い人」がする宗教なんだろうな。私は私のやり方で祖父の慰霊を行います。

首相の参拝には「無駄なことをして海外を怒らせて、不見識で愚かな人だなー。得意げになって周囲が見えなくなってるなー」という以外に何の思いも湧きません。
「永遠の0」の公開に続く参拝という現在の風潮には”静かな誘導”のようなものを感じますので、今後も注視していきたいところです。

投稿: yossy | 2013年12月30日 (月) 17時28分

海外?
どこの海外でしょうか?

中国・韓国以外の。

あわれです・・・・自国を愛せない人って。

中国や韓国を見習ったらどうでしょう?
何が何でも 嘘も真に上書きしてでも
愛国心満載。

投稿: こんにちわ | 2013年12月31日 (火) 19時15分

私は、靖国に対するyossyさんのお考えは尊重したいと思います。
ただ靖国参拝の可否を論じる際に、中国と韓国を引き合いに出すのは間違いだと考えます。
彼らは政治・外交カードとして靖国を利用しているからです。
個人的には、中国人や韓国人は愛国心の希薄な人達だと思っています。
だからこそ強烈な愛国教育を行う必要があり、敵を作って自国を正当化することに血道を上げるのでしょう。
翻って、日本人は違います。
敵がなくとも、自虐史観教育を受けようとも祖国に誇りを持ち愛せる稀有な国民です。
近い将来、日本人が愛国心を持つことをタブー視されない日が来ることを願っています。

最後になりましたが、本年がyossyさんにとって実り多き年になりますようお祈りいたします。

投稿: NS太郎 | 2014年1月 2日 (木) 00時06分

先程別の件でコメントさせてもらったものです。
この標題も今初めて読ませていただきました。
このような標題は、今が旬なため当然好奇心がありますし、また、穏やかに議論したい欲求にかられます(笑)。
さて、失礼ながらブログ主さんの主張がよく理解できません。
もちろん靖国は嫌い、ということはわかるのですが。
まず印象的なところから始めます。
日本人なら靖国に参拝するのはあたりまえ、はおかしいという話。
私は別段おかしくないと思います。
靖国神社というものは、先の大戦で亡くなった人だけを祭っているのではない。
明治維新期からその国に殉じた人を祭るために靖国神社が出来たと聞いております。
したがって、靖国神社とは明治維新後の近代国家成立を祭っているのだと思います。
拠って、そのことを感謝する意味で靖国参拝は日本人にとって当然であり、先の大戦で亡くなられた人も国に殉じたのですから靖国に祭られるのは当然であると思われます。
もう一つ。
内閣総理大臣として参拝するのは憲法違反の可能性が高い。
もちろん公費を使ったのであれば問題ですが、単に内閣総理大臣として署名し、自費にてお参りすることは何の問題もないし、当然に憲法違反ではないと思われます。
これについて、そうすべきではない、という主張のようですがなぜでしょうか。
本日も安倍首相が伊勢神宮にお参りしたとの報道をニュースでしておりましたが、伊勢神宮については何の反対もない。奇妙だと思います。

投稿: 官兵衛 | 2014年1月 6日 (月) 22時03分

ご無沙汰しております。体調を崩されているということですがお元気でお過ごしでしょうか。
安倍総理が参拝したこともあり息の長いトピックになりましたね。

前回コメントを入れさせて頂いた際はyossyさんが感情的な記述をなされていた為にその点を指摘させて頂いただけにとどまっておりましたが
冒頭に指摘されておられた「日本人なら靖国に参拝というのは余計なお世話」という意見には賛同します。
(今更で申し訳ございませんが。。。)

別に靖国に限った話でもなく

日本人ならお伊勢さんにお参りしなきゃ。
日本人なら富士山を一度はみとかなきゃ。
日本人なら初詣にいかなきゃ。

なども該当するんですが
確かにこれらは日本人にとって古来より培われてきた信仰であり、文化であったのは間違いないでしょう。
ただ、上記の言葉の後ろには日本人なら~~しなきゃ(ダメですよ。)という行動規範的なものが見え隠れしています。

正直、今の世の中でそんな価値観に縛られるのは余計なお世話ですし御免蒙りたいです。

ここ最近のコメントで「日本人なら~~」という意見をちらほら見かけますが
排他的な同調圧力を伴う言葉であるということをもうちょっと認識されたほうがいいと思いますよ。

投稿: PublicComment | 2014年1月 8日 (水) 22時34分

ブログ主さんのいないところで大変失礼ですが、コメントさせていただきます。
靖国参拝は日本人としてあたりまえ、に対し不快感を感じるや否や。
その分岐点は結局以下の点にあると思われます。

そもそも靖国神社とは、明治新政府が明治天皇承認のもとで、近代国家成立のための精神的支柱として発起し、先の大戦ではその精神の拠り所として国家は利用し続けた。ということであろうかと思います。
そうした背景の下に、東京裁判が下された。この東京裁判をどうみるか。
いわゆる東京裁判史観、つまり明治維新により我が国が辿った近代国家の歩みというものは、帝国主義、軍国主義への道であったので全否定されなければならない、という考え方。
一方ポツダム宣言は受け入れる、つまり先の大戦自体は否定するが、明治維新からの近代国家としての歩み自体まで否定するものではない、という考え方。
後者に則れば、幕末維新およびその後の世界的帝国主義時代にかけて西洋列強の強圧から我が国を守った先人たちに感謝するのは自然の感情であって、ましてや我が国のトップがその名のもとに参拝するのはむしろ当然であり、国民としても当然だと思われます。
私はこの後者の考え方に同調する者です。

投稿: 官兵衛 | 2014年1月 9日 (木) 08時01分

いまさら~ですが
ほんとに知らなかったんです。

靖国参拝にいちゃもんつけられたのは
戦犯を合祀してから以降なんですよね?

だけど
サンフランシスコ講和条約で
AもBもCも 戦争犯罪者ではないと
名誉回復されたんだって!!!

http://military38.com/archives/35273252.html

どうして 日本国民はこのこと
しっかり認識出来てないの?

たとえば 外国人に詰問されたって
こんなふうに答えられないよ・・・・

なんで 教えてもらってないの?

管理人さん、先生でしょ?

おかしくない?

日本の教育現場。

投稿: こんにちわ | 2014年1月10日 (金) 22時41分

官兵衛さん、PublicCommentさん、こんにちはさん、コメントありがとうございます。

確認ですが、私は、

日本の伝統と関係なく、政府が戦争遂行の都合で作った出来合いの神社もどきの靖国になど、英霊がいるはずがない。亡くなった人が帰ってきているとしたら地元の神社や遺族のところ。だから参拝すること自体に意味はない。

という考えです。官兵衛さん、こういう日本人もいるのです。日本には思想信条の自由がありますので、宗教法人靖国神社の捉え方にも多様性があっていいはずです。
ですから、こうした私の考え方に「それは違う」と意見するのならともかく「日本人なら参拝は当たり前」というのはおかしい、と申し上げております。
ぜひ「追記」に紹介しました主張をお読みください。私の考えにおおむね似ています(靖国は「純粋な宗教施設でない」というところなどいくらか異論はありますが)。

PublicCommentさん、お気づかいありがとうございます。健康面は相変わらずです。ボチボチやっていきます。

こんにちはさん、私はA級戦犯について議論するつもりでこの記事を書いたのではないことをまず確認しておきます(少なくとも戦死者ではない人物を合祀した靖国のご都合主義にはあきれていますが)。
その上で少しだけ触れると、サンフランシスコ講和条約第11条にそういう解釈をするひとが一部いらっしゃることは承知していますが、政府の公式見解ではありません。参拝した当の安倍総理ですらそのことには触れていません。したがって私が授業で話すことは当然ありません。
今回の参拝後の安倍総理の説明は「英霊への感謝」だけで「A級戦犯」には触れませんでした。中韓をはじめとする諸国が批判したり疑念を感じているのは、靖国への参拝そのものではなく「A級戦犯が合祀されている神社に参拝する」ことなのですから、あなたの今回接した解釈が正しいのなら、そのような立場を内外に表明すればいいのです。なぜしないのか。それは国際的に通用しない強引な解釈だからではないですか?

ちなみに、私は靖国の施設としての価値さえ認めていませんので、中韓なんかよりはるかに反靖国です。

投稿: yossy | 2014年1月11日 (土) 22時16分

yossy さんお返事ありがとうございます。
まず初めに、yossy のような考えの人と議論の場を偶然にも得られたことに感謝します。
さて、お返事の内容について、yossy さんの言われていることがよくわからない、というのが正直な感想です。
追記のアゴラ今初めて読みました。私もその記事に対して概ね異論がなく同意します。
が、結論が違います。だから靖国参拝はおかしい、とは思いません。その理由については追々触れていきましょう。

―日本の伝統と関係なく、政府が戦争遂行の都合で作った出来合いの神社もどきの靖国になど、英霊がいるはずがない。亡くなった人が帰ってきているとしたら地元の神社や遺族のところ。だから参拝すること自体に意味はないー

失礼ながら上記出だしの3行からしてyossyさんの主張がよくわかりません。
1. 靖国は政府が戦争遂行のために作った。
どうして戦争遂行と思われるのか。
明治政府が、中央集権的近代国家設立のため作ったのだと思います。
富国強兵が外部面とすれば靖国神社が国家としての内面的支柱として設けた。いわば国家主導の作為的なものだとは思います。しかしこれは当時の西洋列強に対峙するには近代国家を作ることが急務であり、その新国家設立正当性の拠り所として作出された。
国家に求心力をもたす装置として、むしろ国家運営としては見事な発想だと逆に思います。
したがって、戦争遂行のためなどというのは結果論的後付であろうと思われます。

2. ―英霊がいるはずがない。亡くなった人が帰ってきているとしたら地元の神社や遺族のところ。だから参拝すること自体に意味はないー
この意味していることがよくわからない。突然に中世ヨーロッパの神学論争の様な奇異な感じを受けます。
むろん多分そういう意味ではないとは思われます。
したがって、そんな言説は無意味なことだと思います。英霊がどこにいるや否やなどというものは、各人の心象であろうと思います。
拝むという行為は、そこに霊がいるか否かということではなくて、その者に感謝の意を捧げ、謙虚な自分を作出する行為であろうと思います。


さて、靖国神社というものが国内外を合わせてなぜにこうした大きな議論を呼ぶのか。
思うに、靖国問題というものはその生い立ちからして、先にコメントしたように明治維新からの我国近代国家としての歩みまでを全否定するのか否やということを内包しているからだと思います。
Yossyさんは、靖国神社そのものを否定するということは、明治維新をはたまた明治から日中戦争前までの我が国の歩みまでも誤りであったとお考えですか?
私は、当然に、そこまで卑下する必要はまったくないと考える者です。


投稿: 官兵衛 | 2014年1月12日 (日) 12時10分

私は、反靖国派の主張を聞いたり読んだりしていると、胸がつかえたような違和感を感じてしまうのです。
その理由の一つが、天皇の戦争責任をどう捉えるのかという問題です。
靖国が戦死を美化するために利用されたという理論に基づけば、天皇の存在こそ正にそうだと思うからです。
しかも、当時の天皇は現人神(あらひとがみ)であり日本の元首でした。
昭和天皇がA級戦犯に問われなかったことを問題視しなければ辻褄が合いませんし、ましてその天皇を象徴としている日本国憲法第1条は即刻削除すべきと主張しても不思議はありません。
しかし、首相の靖国参拝にあれほど激しく反発する人達の多くは、そのような主張をしません。
私から見ると、とても矛盾しているように感じますし、説得力に欠ける点です。
yossyさんは、どのように思われますか?
さしつかえなければ、教えてください。

投稿: NS太郎 | 2014年1月12日 (日) 16時58分

はじめまして。少し古い記事ですが、僕はyossyさんにすごく同意ですね。yossyさんは記事を書く立場からか、「侵略戦争肯定の神社だから」と言うよりは、公人が偉そうに「〇〇しなければならない」と言うのがダメだと、必ずしも太平洋戦争と言うよりかは一方の決め付けはダメだと色々な考えの人へ配慮したように見えます。心中お察しします。
yossyさんのコメ欄で特に共感したのは

>私がこの記事を書いた最大の動機は「外国からの干渉はおかしい」というなるほどと思える話に「日本人なら靖国に想いをいたして当たり前」などという自明でない話をくっつけて国民のなかに広めようとする風潮に一石を投じることにありました。

これです。僕も靖国がダメかの理由に他国の干渉を受けるからとの言い分には疑問がありました。
僕などは単純ですから、他国から言われるまでもなく日本人の首相としてあの「間違った」戦争を推進した神社への公人参拝はダメでしょう、でスッキリです。もちろん個人で参るのは一向にかまいませんが。

そしてもう一つ。オウム真理教云々の話がありましたが、実は僕も以前からこの類似性を思っていました。尊師を信じてテロを行うことと、天皇を信じて特攻を行うことにどれだけの違いがあるのか、僕にはわかりません。
まあオウムに関してはyossyさんが取り消されているので通りすがりの僕がとやかくは言えませんから不快であれば無かったことにしてください。
こちらのようなリベラル的な人はネットでは少ないのが残念でが、ここに書き込まなくてもあなたのような意見に共感する人は必ずいます。そういう意味でこのブログも僕などにとってはとても勉強になりました。是非これからもyossyさんなりの意見を発し続けてください。応援しています。

投稿: タカ | 2015年2月 3日 (火) 21時52分

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