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希望の党について

久しぶりの書き込みである。

このところ、少しSNSに傾注したところもあり、パソコンに向かうのが億劫でなかなかブログを書く気にならなかった。これほど長く離れていたことに少し驚いている。

突然発足した「希望の党」が新しい流れを作りつつある。これについての感想を書いておきたい。

戦後、自民政権(その前身を含む)を退陣に追い込んだ例は、3回ある。

昭和47年の社会党・片山哲内閣が最初である。この内閣は日本国憲法下における最初の内閣で、選挙によって政権を得た最初の内閣なので、その後の政権とは少し事情が違うと言えるかもしれない。

二回目が、平成4年の非自民非共産連立内閣である。これが連立時代の始まりとなった。佐川急便事件、選挙制度改革の先延ばしに反発した世論の大勢に、自民党内からも造反が続き、宮沢内閣不信任決議が可決。自民から分かれた新生党新党さきがけそれまで野党であった民社党公明党社民連民改連社会党に加えて日本新党が結成され、八党連立内閣が結成され、政権を握った。党首には日本新党を結成して国政に躍り出た元熊本県知事・細川護熙を担いだ。しかし、新生党と社会党との路線対立、細川のスキャンダルと突如の政権投げだしで、社会党とさきがけが離脱。新進党の結成も及ばず、羽田孜内閣が退陣となった。

つぎが八年前の平成21年の鳩山内閣である。民主党はさきがけ系、新生党系、日本新党系、さらには社民党右派系も加わり、右から左までの選挙互助会的な政党である。「政権を取れば何でもできる」と言いたい放題のバラ色のマニフェストを発表して大勝したが、結局何もできずに野田内閣で下野した。

さて、今回の「希望の党」である。選挙互助会的な色合いはごまかせない。公約も「安保法制OK」「原発廃止」「一院制の実現」などの大枠は掲げられているものの、具体性に欠ける。しかし、これまでの勢力と違うところは、左派を意識的に排除しようとしているところである。小池代表は、平成4年日本新党での初当選である。八党連立の崩壊も見ている。小沢一郎の側近として、新進党崩壊後の自由党に参加。保守党を経て自民党へ、という経歴である。政権の崩壊、野党暮らし、連立小党の悲哀。いろいろなことを経験したようだ。
だからであろうか。大胆に見える今回の挑戦にも、過去の反省が生かされているように見える。

まだまだ不安定だがなかなか、面白い。

こういう勢力が出てこなかったから、自民党の一人一人の国会議員にゆるみがなくならないのである。相次ぐ問題発言、不倫にいそしむ議員(自民だけじゃないけど)。若手の大臣政務官に、肩書を振り回して飲み屋で女の子に声をかけまくっているやつが複数いるらしい。もう一度お灸をすえるいい機会ではないか、と私は思っている。

民進党も左派系だけで一つの政党を作ればよいのである。他人を批判することにしか存在意義を見出せない社民、共産は話にならない。民進党左派は、現実的な提案をするヨーロッパ型の社会民主政党を目指せば、存在意義は大いにある。保守派と別れることは、やむなく共産党に行かざるを得なくなっている真面目で冷静なリベラル票を集めるチャンスになるのではないか。連合も付いてこよう。(数日後に立憲民主党が結成された。我が意を得たりである)

こうなると、公明党の動きが面白い。八党連立、新進党、自自公連立、自公保連立、自公連立と、長く与党を経験し、実務家集団の色合いを日に日に濃くしている。自民も公明党を必要としている。それは都議選で証明された。「希望の党」も欲しいに違いない。参議院議員の山口代表を「総理大臣に」などという実現不可能なことを口走ったのは、自民との間を分離する目的とともに公明党懐柔の意味もあるのではないか。しかし、公明党は八党連立を組んだ時の八党で現存する唯一の政党である。あの体制の痛みを忘れていないだろう。もし「希望の党」が政権を取るようなことがあっても、すぐには公明党は動かないであろうと私は思う。

久しぶりに、今考えていることを書いてみた。それにしても面白い政局である。

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