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立憲民主党と共産党へのギモン

衆議院選挙を前にして、立憲民主党が共産党と選挙協力に踏み出そうとしている。

何を考えているのだろうか。

「立憲」の名称通り、憲法を堅持する方針を持っているはずなのが、立憲民主党である。しかし、共産党は違う。「生産手段の社会化」(党綱領より)を目指している党である。「生活手段」の私有は認める、とはしてあるものの、生活手段と生産手段の線引きには言及されていない。

そもそも生産手段とは一般に、生産に必要な土地、建物、機械、原材料、燃料等をいう。資本主義国家においてはこれらを所有しているのは「資本家」か「地主」である。しかし、いくら資本家や地主が生産手段を所有していても、労働者が労働しなければ生産物は生産できない。生産物には生産手段にない価値が付け加わっている(付加価値)が、これらは労働によって生み出されたものであり、資本家にこれらを用意した功績はあるにしても、本来はすべて労働者に帰さなければならない。しかし、資本家は労働に対する対価を賃金という形で支払ってはいるものの、その金額は不当に安く、付加価値による利潤のほとんどは資本家によって「搾取」されている。これを改めるには、資本家や地主が独占している生産手段を社会化し、労働者が管理するしかない。

以上が、私の理解している社会主義の論理である。現在の日本にあっては個人商店でない限り、生産手段の所有者は「株主」である。株主の所有する生産手段を社会化(つまりは、国有化)するということである。共産党も「個々の資本家が持っている工場や機械などの生産手段を働く人たちの手に移すこと」とはっきり言っている。これが私有財産制(憲法第29条)の否定につながらないとなぜ思うのだろうか。

そもそもこれまで存在してきた社会主義国も同じものを目指していたはずである。しかし、成功例はない。共産党はそれらを「社会主義ではない」として、ソ連や中国を否定しているが、自分たちの目指す共産主義社会を「資本主義のもとで人々のたたかいによって勝ち取った自由と民主主義をすべて引き継ぎ、豊かに花開かせる社会であり、すべての人が自分の持つ力をいきいきと花開かせることができる社会」としているが、社会化した生産手段を、誰が、どのように管理し、そこでどのように労働が行われ、どのように分配が行われるのか、という具体的な共産主義像は提示できていない。これを信じろという方が無理である。

共産党が綱領を目指すなら、憲法の改正は必須条件なのである。なぜ立憲民主党はこんなところと組むのだろうか。

そもそも日本共産党は、現憲法の成立に反対した唯一の党である。その反対理由のなかには、「天皇制」だけではなく、9条の「戦力の放棄」はオカシイ、というものまで入っていた。戦争には正しくない不正の戦争と正しい戦争があるとして「一体この憲法草案に戦争一般放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっと的確ではないか、この問題に付て我々共産党はこういう風に主張している 」としているのだ。マルクス・レーニン主義によると資本主義下の国の憲法はブルジョワ憲法であり、憲法、議会、裁判所もすべて破壊の対象である。日本共産党にとっては現憲法は「国家機構の組織と作用を含めた基本の法であるが故に、支配階級が人民を支配する手段」(「憲法問題と日本共産党」)でしかないので「わが党があきらかにした革命路線にしたがって、人民の民主主義革命が達成されたあかつきには、確立される人民権力にふさわしいようにあたらしい憲法がつくられることは当然」(前掲書)なのである。

この方針はいつ変わったのだろうか。以前このような主張だったが今は違う、というのなら「変わりました」というべきである。現綱領では「二段階革命論」をとっている。だから当面は憲法改正は言わない。現憲法下で支持を広げる。その後、社会主義に移行する。その時は「憲法改定」に反対する人は少数派になっているから大丈夫、ということであろう。過去を否定できない党。変化したことを認められない党。だから「本当は変わってないのだろう」という懸念が消えず、信用できないのである。

変化を認めない、という意味では、1950年代の前半に、コミンフォルムからの押し付けとはいえ、51綱領をかかげて「暴力革命」を目指していた時期があったことも紛れもない事実。共産党は「分派のしたこと」と言い訳をするが、そもそも宮本憲治がコミンフォルムの意見を受けて、アメリカを解放軍として扱っていた当時の主流派(野坂参三、徳田球一ら)を攻撃(国際派)。当時の主流派は「所感」を発表して日本の状況を説明して対抗した(所感派)が、コミンフォルムの圧力を背景とした国際派に自己批判を迫られて作ったのが51綱領なので、この段階では一党あげて暴力路線を取ったのである。ましてやのちの書記長になる宮本憲治こそがその急先鋒なのである。「暴力革命しかない」という路線は「敵の出方」によってどうするか決める、という路線に変わり、その「敵の出方」という言葉は使わない、と変化してきたが、「紛らわしいから使わない」という説明はどう考えても間違っている。

また、現在共産党は、ソ連や中国の体制を「共産主義ではない」と否定しているが、そのスターリンが生きている間は共産党はソ連を礼賛していたし、フルシチョフのスターリン批判後は毛沢東にべったりだったではないか。ベトナム戦争で北軍を応援することを企画し、中国にソ連の武器輸送を手伝うことを提案したら、中国にけんもほろろに拒否されて、それから毛沢東との関係が冷えていったことなど、少し年がいった人間は知っている。ソ連と中国をなぜ、いつから批判するようになったのか。北朝鮮への「帰国事業」を最後まで推進していたのは共産党ではないか。この時北朝鮮を「地上の楽園」と呼んでいたではないか。いつから変わったのか?

ソ連型でもない、中国型でもない社会主義とはどのような社会主義なのか。現綱領にはまったく明らかではない。

「ずっと護憲」「ずっと平和主義」「ずっと暴力革命否定」「ずっとソ連、中国否定」すべてウソ。これだけウソのつける政党は他にないだろう。

なぜ「共産党は変わったのです」と言えないのか。それが言えないから「暴力革命の可能性が消えてない」と言われてしまう。

社会民主主義(現体制のもとで議会を通じて社会主義的な政策を実現する)になったとなぜ言えないのか。共産党という党名になぜ拘るのか。

もっとも「生産手段の社会化」には賛成できないから、もし「変わった」と言っても応援できないけどね。

立憲民主が本当に分からない。

#共産党

#暴力革命

#生産手段の社会化

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