橋下はいらない

いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票が否決の結果で終了した。
私は素直によかったと思う。
以前も少し書いたが、複数の区割り案がでていて一長一短あるから「もう少し慎重に検討したい」という声があったものを「これで行く」と押し切ったのが今回の原案。当初から多くの矛盾点が指摘されており、今回の反対派はそれを指摘するだけで反対運動になったのだ。賛成派はそうした指摘を隠し打消しながら、最終的には「大阪都体制ができなければ、大阪は終わりですよ」と感情的に訴えるしかなかった。あれが通っていたら大阪はむちゃくちゃになっていたのではないかと思う。

最近、橋下という人がどういう人なのか、ようやくわかってきた。

①戦いが好きなだけの人

おそらく彼は、心底大阪をよくしようなどと思っていない。そして大阪をよくする唯一の手段が「大阪都構想」だとも思っていなかった。もし思っていれば、あんなにサバサバ敗戦の弁を述べられるはずもない。彼の説によれば「大阪都構想が否決されれば大阪は終わり」のはず。「いやー叩き潰されました」なんて気楽に言っているのは、ゲームの勝敗程度にしか考えていなかったからだろう。政治も法律も彼にとっては自身の戦いのステージと武器でしかない。だから解釈も無茶苦茶。そして今「自公の提案ている総合区について検討したい」と言っている。街頭演説で「野党は対案も出さないんですよ」と言っていたのはうそだったのだ。そういう人なのだ。

②民主主義をまったく理解していない人

民主主義は、「選挙で多数を取ったら何をしてもよい」という制度ではない。多数決そのものは単なる手段であって民主主義そのものではないのだ。よく多くの利害関係者の意見と主義主張に耳を傾け、限られた社会資源をできるだけ多くの人に配分できるよう調整するのが民主主義。しかし、最終的には何かを決定しなければならず、それを決するのが多数決である。そこで多数を得たとしても少数意見に耳を傾けなければならない、ということは小学校でも教えている。
 「野党議員は一部の市民しか代表していない」「今、大阪に必要なのは独裁」
 まったくわかっていない。

③民間活力をとことん嫌う人

他地域と比べて大阪のすごいところの一つに、民間活力がある。自前で切り開く文化。全国、全世界に誇る素晴らしい制度が民間発で作られてきた。
 橋下はそれをつぎつぎに潰していった。例をあげよう。

○子どもの家
20数年前、市内のあちこちで、普通のおばあちゃんたちが、自分の家で、子どもたち、高齢者、障がい者、シングルマザーさんなど、居場所のない人たちを、無料で、年齢制限も時間制限もない居場所づくりを始めた。これを「子どもの家」という。
大阪市では「これは有益な取り組みだ」ということで1989年に事業化され、補助金が出たり、市が管理する施設を提供するようになった。
それを2013年、「来年の3月31日で廃止にする、大阪市の施設でやってるところは、出て行け」と橋下が言い出した。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2014
それを境に嫌がらせの電話や、インターネットのいやがらせの書き込みが急増。そこに通う子どもたちへ、心ない罵声を飛ばされた。かくして全廃されてしまった。

○救護施設 今池平和寮(日本ヘレン・ケラー財団)
平成2年に高齢単身の生活困難の人々が利用する救護施設としてスタートしたこの施設。大阪市が「
それはいい仕組みです」と、市立今池生活館の跡地施設を提供することで現地にできた。25年間で100人を超える自立支援者を生み出した。ところが2013年、大阪市は急に来年の3月31日ででていけ、といいだした。理由は耐震問題。それなら代替施設を提供するのが筋道を通す態度のはず。しかし、一切なし。ついに平成27年3月、閉所となった。

http://www.helenkeller.jp/publics/index/208/&anchor_link=page208#page208

○大阪人権博物館 リバティ大阪
西浜の地域の人たちの土地提供によって設立されたリバティ大阪。まず橋下は展示内容にいちゃもんをつけた。「部落差別の内容が多すぎる」と。博物館側はさまざまな人権問題を広く扱う展示変更を実施したが、2013年大阪府市は補助金1億2千万円を廃止。さらに大阪市は土地の賃借料年2700万円を要求してきました。もう驚くしかない。
http://www.liberty.or.jp/member/

○大阪府立国際児童文学館
児童文学者鳥越信氏の膨大なコレクションを、滋賀県とのし烈な誘致合戦を勝ち抜いてもらい受け、1984年に大阪府が設立した、世界に誇る文学館。以後、年間2万点の児童書が無償で提供され、研究もすすんでいた。2008年、橋下はこれを突然中央図書館に移設するといいだし実施した。鳥越氏をはじめとする寄贈者から蔵書・資料の返還請求があったが無視。

④効率だけが基準の文化否定の人

「文化」というものは人の心を潤すもの。それだけで存在価値がある、と私は思っている。「市場の失敗」という言葉があるが、市場が非効率で手が出せない分野を担うのが行政の意義の一つであることを思えば、文化への投資は間違いなく行政の仕事である。
文楽、大阪センチュリー交響楽団への補助金打ち切り。大阪市音楽団の廃止と楽団員の解雇。彼は文化をも効率という尺度でしか測れない。


彼が本当にやめるのかどうか知らない。

ベーコンは物事の正確な把握を邪魔する偏見をイドラと呼んだ。四つのイドラのうち「劇場のイドラ」というのがある。「思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと」つまり政治家やコメンテーター、思想家などの発言を無批判に受け入れること、である。劇場では、観客が演技者の演技を楽しむ。演劇で表現されているものが事実でないことは、だれもが知っている。その上でいい意味で騙されに行くのが劇場である。

「橋下劇場」という言葉があるが、それは橋下氏のことというよりは橋下氏のことを「面白い」「次は何をするのか」と眺めている市民の側の状態を言い表した言葉ではないだろうか。
劇場のイドラを払拭し、真実を見つめねばなるまい。

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何が悪いのか分からん!

旧聞に属する話である。

埼玉県の県立高校で、自分の子どもの入学式へ出席するために入学式を欠席した担任教諭の行為が批判された。

何が悪いのか分からん!

女性の社会進出、夫婦共同の子育てを推進するためには、

「仕事の代わりはいても親の代わりはいない」

という発想で、入学式や卒業式、運動会などのイベントに保護者が出席できるように制度を整備する必要がある。未来を開く子どもたちに接する学校の教師は、率先してそれを実践すべきだと私は思う。

「担任の代わりはいない」という人もいるだろう。しかし、入学、卒業などの式典は、形式上「学校」全体で行うものである。必ずしも担任がいなければ成立しないものではない。

ましてや入学式で出会う生徒は、ここまで何の関係もなかった、これから毎日接する生徒たちである。入学式の日に担任がいなかったとしてもいくらでもフォローがきく。

卒業式は、形式はともかく、ともに3年間を過ごしてきた生徒と担任の別れという側面がある。担任教諭も何としても出席したいし生徒もそれを望むであろう。

(だからといって「出席するのが当然」などと言われたくないが)

校内人事を決めるのに、選挙で主任を選んだり人事委員会を設置して決めていることが批判されている。

何が悪いのか分からん!

私の赴任校では、主任は校長が決め、他の人事は希望と事情を聴集して管理職が原案を作り、選挙で選ばれた人事委員会がさらに原案を加えて職員会議で最終決定している。もちろん職員会議での決定事項とはいえ、最終決裁者が校長であることは周知の上で、このような「形式」を踏んでいるのである。

なぜなら管理職は2~3年で人事が変わる。現場の事情が完全には分かっていないのである。現場の事情とは、教員同士の人間関係や生徒との関係、前年度無理をしていただいた、などの文書に出来にくい事情を含む。これらの中には現場でないと把握できていないことも多い。しかしそれらを加味ないと最大限に力を発揮できる組織にはならない。

真剣な学校長ほど、現場の声に耳を傾け「ともに子どものために仕事をしよう!」という。そうした学校長にとっては、人事に関して現場の声を聞くことは必須なのである。「民間」とは事情が全く違うのである!

今回の二つの報道は、にわか仕込みの教育専門家きどりには、何も分かっていないということを改めて露呈した。大阪ではさっそく選挙をやめさせるらしい。あの人らしい手の打ち方である。大阪で校長・教頭のなり手がどんどん減っているのも当たり前である。

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静岡県知事の失態

静岡県の知事が何かやっている。全国学力テストの結果がわるかったから腹を立てているらしい。

http://mainichi.jp/feature/news/20130921ddm041100018000c.html

私は困難校に長くいたので、どうしても先生がたの苦労を思う。自分の時間と精神力とお金を使って、何度も家庭訪問し、何度も保護者に怒鳴られ、何度かは「今日は家に帰れないのでは」と思う夜もあった。それでも勉強しない子は勉強しない。何とか卒業までこぎつけられる生徒とそれさえもできない生徒がいる。それが困難校だ。
この静岡県知事は、現場を見ようとしているのだろうか。何故平均点の低い学校と高い学学校があるのか、この知事は「教職員の努力が足りない」くらいにしか思っていないらしい。家庭教育のままならない地域が実際にあることを知らないのであろうか。
地域に飛び込んで家庭教育の大切さ(朝食の重要性、子供のほめ方叱り方にいたるまで細かく)をレクチャーし、地域の雰囲気を変えていった教師たちを私は知っている。10年がかりの大仕事である。市も県も何の支援もしなかった。
この人には何も見えていないだろうな。自分が恥をかかされたくらいに思っているのではないか。こんな知事ほど、自分は教育に造詣が深い、と勘違いして教育に首を突っ込んでややこしくするのである。
大変な地域で悪戦苦闘している教師の存在を知り、称え、応援すること。それなしには教育がよくなるはずもない。

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「誰だって分かることなんです」

「小学生でも分かる理屈じゃないですか」「民間の常識からは大きく外れてますよ」「市民感覚から見ておかしいですよ」「国際的にはそんなの常識ですよ」「所詮学者には分からないですよ」議論を回避しつつ相手をやり込めるときに使う橋下氏の常套手段である。
相手の言っていることが本当に「小学生でも分かる」のか、「民間の常識から大きく外れている」のか、「市民感覚から見ておかしい」のか、彼の言っていることが本当に「国際的に見て常識」なのか、「学者には分からない」のか、ここではいっさい検討されない。相手をとことん下に見る上から目線で議論に勝つことだけを目的にした手法である。彼はけんか腰になるとこういう物言いをする癖があるようである。

「必要なのは誰だって分かる」今回の従軍慰安婦発言で彼ははっきりとこういった。それを批判されると、「誤報された」といっているがそれは無理であろう。はっきり言ってしまったのだから。

彼が本当に言いたかったのは、「世界各国の軍が慰安婦制度を持っていたのになぜ日本だけが批判されるのか」ということである。私はこの論にはある程度理解する。慰安婦制度に巻き込まれた人、今もって売春婦呼ばわりされている人、戦場で強姦された人、みな悲劇である。世界のどこの国であっても許してはならない。橋下氏は世界を相手に喧嘩を売るつもりだったのだろう。それを維新の支持率アップの材料にしたかったのかも知れない。

しかし、不用意な発言が彼を逆に窮地に追い込んでいる。口癖の「誰だって分かる」が変な出方をし、米軍に風俗の利用を薦めたことと合わせ技になった。いくら弁解してもだめであろう。「女性を男性の性欲処理の道具としてみている」という印象は拭い去れない。少なくとも「彼自身が風俗を利用した」ことは間違いないであろう。そういう印象を与えるのに十分な発言であった。

敵をやり込める手法が彼を窮地に追い詰めている。私はそもそも彼の人の発言を聞かずにとにかくとりあえずやり込める体質がきらいだったので、「ついにこのときがきたか」という気持ちで一連の報道を見ている。

「維新の国政進出は早すぎた」本当にそう思う。

私は、そう思う。

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“You’ll never walk alone”

3月11日、未曾有の災難が東日本を襲った。テレビ画面に映し出された津波の猛威はあまりにも激しく、それだけに現実の事とも思われず、ただただ呆然と眺めていることしかできなかった。おまえたち人間の力など自然の前では無力なのだよ、と見せつけられているかのようであった。

文明は、自然の「挑戦」に対して人間が「応戦」することで発達してきた。日本の文明も、台風や地震、津波という幾多の災害を乗り越えて発達してきた。その子孫である私たちである。何が何でもこの災厄を乗り越えて、新しい日本をもう一つ造るくらいのつもりで取り組まなければなるない。

まずは被災地の方々の生活を立て直し、原発の放射能を止めて制御することであることは間違いない。すべての英知と経済力を結集してこれを達成しなければならない。

被災地の立て直しには、善意と励ましが必要であることは論を待たない。今、多くの励ましが世界中から寄せられている。その中で私が再認識したのが「歌の力」である。

3月15日、インテルに移籍して間もない長友選手がバイエルン・ミュンヘンとの試合で逆転決勝点にからむ活躍をした。試合後長友は

「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない。みんながいる! みんなで乗り越えよう! You’ll never walk alone」と書いた日の丸を掲げた。“You’ll never walk alone”は長友が日本で所属していたFC東京の応援歌である。その時である。敵地バイエルンの満場のサポーターが“You’ll never walk alone”を大合唱したのである。

When you walk through a storm    (嵐の中をすすむときは)
Hold your head up high         (頭を高くして)
And don't be afraid of the dark.    (暗闇を恐れてはならない)

At the end of the storm        (嵐の向こうでは)
There's a golden sky           (金色の太陽が輝き)
And the sweet, silver song of a lark. (ひばりの美しいさえずりが聞こえる)

Walk on through the wind       (嵐の中を歩きなさい)
Walk on through the rain       (雨の中を歩きなさい)
Though your dreams be tossed and blown. (夢破れることがあったとしても)

Walk on, walk on            (歩き続けなさい)
with hope in your hearts       (希望を胸に抱きつつ)
And you'll never walk alone     (あなたは一人じゃない)
You'll never walk alone.        (そう、あなたは一人じゃない)

私は涙がでてしかたがなかった。

私がこの歌に出会ったのは高校時代。ボーカルエンターテーナーのペリー・コモが日本でのコンサートで歌った。確かコンサートのラストを飾った歌だったと記憶している。単語も平易なので意味も理解でき、たいへんに感動したものであった。ミュージカルファンの私はミュージカル「回転木馬」のラストソングであることを知り、ビデオを購入したりもした。流しのジャズシンガーにリクエストしたこともある。本当に大好きな曲なのである。しかし、こういう場面で聞くとは思わなかった。敵地サポーターから日本に届けとばかりに歌われた絶叫のような歌声は今も耳朶を離れない。

この歌だけではない。世界中が日本を心配し応援してくれている。期待に応えなければならない。そして他国に恩返しできる日本をみんなで造ろう!

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Yahoo知恵袋とカンニング

Yahoo知恵袋が、京大入試のカンニングに利用されたという報道があった。早稲田大学でも同様の行為があったらしい。私もチェックしてみたが、他にもありそうである。

そもそもYahoo知恵袋は、正常な使われ方をされていない側面がこれまでもあった。質問の形で気にくわない団体や個人の悪口を書立てて「これをどう思いますか?」としてみたり、自分で質問して自分で回答しているようなものも見受けられる。私も質問に対して真面目に回答したのに明らかに不真面目な回答がベストアンサーに選ばれ唖然としたことがある。開発者は純粋にユーザーの役に立つことを目指しているのだろうが、性善説に立ちすぎである。ネット社会では一定性悪説に立たないとやられてしまう。

携帯電話がカンニングに使われる可能性は、学校現場では早くから指摘されていた。携帯は単なる通信端末ではなく情報端末だからである。辞書、電卓、インターネット、メールなんでもござれ。私の赴任校では定期考査であっても試験会場に携帯を持ち込んだことが分かった段階で、カンニングで0点となるだけでなく特別指導の対象となる。使ったかどうかは関係ない。そのことは入学時点で保護者にも説明しているし、毎時間のテスト前に全教員がテストを配る前に「今携帯を持っている生徒はすぐに廊下に出しなさい」と呼びかけている。実際にカンニング扱いになった生徒もいたが保護者からも文句は出なかった。

京大は甘い!携帯の電源を切るだけで持ち込んでもいいという段階で、受験生に「それなら使ってみようかな?」と心に誘惑を生じさせているのだ。持ち込み禁止にすれば持ち込んでしまった段階で少しは罪悪感がある。「使ってみようかな」という思いになるのに一つハードルをあげることになるのである。

もっともそれでも確信犯には通用しないがばれたときの言い訳はできなくなる。よほどの覚悟がないとできないこととなるのだ。すべての大学が対応を見直すべきであろう。

Yahoo知恵袋は一度閉鎖して問題点を洗い出し、性悪説に立って出直せばどうか。いついじめや犯罪に荷担するかも分からない、現在の状況は問題である。

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マスコミの貧弱な野党観

以前から気になっていたとがある。

例えば、大新聞の社説に「審議を拒否せずに与党に党の主張を突きつけて一部でも飲ませ、与党の妥協を勝ち取るのが本来の野党」とか、「熟議の国会を期待する」とかいう論調が書かれる。

反対するのが野党」というのは五十五年体制下の社会党が作り上げたバカげた野党観である。その意味からも社説に書かれていることは「その通り」とうなずける。

しかし同じ新聞が記事になると、自民の中に民主の政権運営に協力しようとする動きがあると「すわ!大連立へ!」公明党が子ども手当に条件付で賛成すると「民公連携か!」と、なる。記事では政局しか報道しないのである。野党の政策実現は民主を動かさないとできないから駆け引きが必要なのに、少しでも民主に近づいたととられると、まるで権力の亡者であるかのように批判的論調で報道されるのである。

誤解を恐れずいうと、多くの新聞読者は社説を読まない。一面記事の見出しだけ読んでいる人も多い。記事の見出しで権力の亡者にされてしまってはどうしようもないので、野党は政権にとにかく反発しないと立場が維持できない。かくして「野党は反対」の五十五年体制が維持される。

日本人の政治に対する感覚が幼稚なのは、マスコミのせいだ。私はそう思っている。時代は大きく変わっているのに、マスコミの野党観は五十五年体制のままなのだ。しかし大マスコミは、旧態依然とした自分たちが原因なのに、「政争ばかりで政策が論じられない国会だった」などと総括することさえある。厚顔無恥というしかあるまい。

そもそも各紙政治部の記者というのは、果たして各党の政策をどこまで理解しているのであろうか。夜討ち朝駆けで政治家に張り付いているだけでは勉強する時間もないのでは?と同情する。それでは新しい野党観を身につけるヒマもないであろう。記事を作るトップがもっと勉強して社内でのイニシアチブを取るべきである。

不勉強な記者の書いた記事で踊らされる読者は不幸と言うしかない。

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谷亮子の参議院選挙出馬に失望

谷亮子が参議院選挙に出馬するという。柔道は現役引退するのかと思ったら、続けるという。ロンドンで金を目指すという。

政治家をなめている!

オリンピックで金を狙うということは、片手間で出来ることではあるまい。「ママでも金」の言葉に込められた子育てとの両立への決意は並大抵のものではないと思ったから、心から応援してきた。年齢との戦いもあるはずだ。自分の心にも、衰える肉体にも打ち勝ち、子育てとプロ野球選手の妻の役割をも成り立たせるのは、並大抵のことではないはずだ。だからガンバレ!と思ってきた。

その生活のどこに政治家として活動する時間があるのだろうか。国民の代表としての国会議員は、委員会や国会に出席するだけが仕事ではない。真面目な国会議員は、国民との対話、調査・研究など時間がいくらあっても足りないくらいだという。私の後輩にも参議院議員がいるが、若者との対話に時間を割き、ハイチの地震の現場に飛び込み、介護施設を訪問し、街頭に立って聞く耳もたない聴衆に必死で訴えかけて、全国、全世界を駆け回っている。

再度言う。

政治家をなめている!ふざけるな!

薦めた小澤は、政治家を自分の駒かなにかと思っているのだろう。数合わせの一人、人気取りの一人にくらい思っているのだろう。でなければ、オリンピックの金メダルを目指している人を立候補させようとは思わないはずである。両立など絶対に無理である。政治家とは、そんな軽い仕事ではない!いやあってはなるまい!

あー情けない。やっぱり国会議員の数は減らすべきなのかな?そんな国会議員いらんもんな。持論を考え直すきっかけになりそうな出来事である。

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岡田外相は何をしたいのか?

岡田外相が、日米の「密約」についての文書を探し当てたという。米軍の空母などが寄港する際に核兵器を搭載したままで寄港してもよいという密約である。非核三原則に反するのではないかと言われている。

この問題はすでに元駐日米大使のライシャワーなどの複数のアメリカ人によって公にされてきたが、日本側はその存在を認めてこなかった。そもそも日本にエネルギーや食料の補給のために寄港する際にわざわざ核兵器をどこかに降ろすわけがないので、搭載してあることは「公然の秘密」に属していた。

私が分からないのは、岡田外相はこれを暴いていったいどうしようというのだろうか、ということである。

前与党の自民党が国民にウソをついてきたことを暴きたいのだろうか。しかし、岡田も鳩山もその自民党でいっしょにウソをついてきたのである。小沢なんか幹事長だったのだ。今の自民党だけの責任にはできまい。

既成事実として核搭載空母の寄港を正式に認めようというのであろうか。そんなことをすれば、社民党との関係が悪化することだけではなく党内も分裂する可能性がある。

核搭載を今後認めない、ということだろうか普天間移設問題が紛糾しているこの時点でそんなことをすれば、アメリカとの関係が相当に悪化することは目に見えている。

この問題は相当な難しさを含んでいる。だからこそここまでの政権はアメリカ側が指摘しても認めてこなかったのである。

単に「国民の目の前に事実を白日の下にさらす」というだけなのだろうか。いや、それでは政治家として無責任の誹りを免れまい。

岡田外相は、何を考えているのだろうか。来年1月に分かる。

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教員養成六年制にも反対する

政治家というものは、時に現場感覚からかけ離れた話をするものである。政治家とはそういうものだと言ってしまえばそれまでの話だが、あまりにかけ離れた政策を実行することは百害あって一利無しである。教員免許更新制はその一つだが、教員養成六年制もそうである。唖然としてしまう。鳩山総理に象徴される「お金持ちの論理」だ。

「教師は重要な仕事だから六年くらいは勉強するべき」という人もいるだろう。しかし、医者や薬剤師、弁護士などの六年間の修学が必要な資格は就業にほぼ直結している。六年間努力すればほとんど必ず就業できるのである。しかし、教師は違う。

「六年間やらなければいけないとなると、いい加減な人はもたない。教員になりたいという意志の強い人が残るからいい」という人もいるだろう。しかし、意志だけでは六年間持たない。実際に就職できるかどうか分からない免許を取得するために六年間をかけるリスクは大きい。家計の苦しい苦学生にとってこの壁はあまりにも大きいだろう。もっといえば、意志の強い人も欲しいが力ある人が欲しい、というのが現場の本音である。この制度は、金持ちのポンポンを優遇し、力もやる気もある苦学生を排斥する事になりかねない。

「一年間の教育実習」なんていうのは、もう愚の愚の愚作である。教育実習がどんなものか分かっていない人のいうことである。日教組がこれを提案したとすれば、組合専従がいかに現場から乖離したものとなっているか、ということの証左となる。そもそも教育実習は医者のインターンと違って教育現場の触りしか経験できないものである。成績、問題行動の指導、カウンセリング、保護者との対応、などの生徒のプライバシーに関わることは一切関わらせない。教科指導やホームルーム指導、休み時間の接し方にプラスしてクラブ指導くらいが教育実習の範囲である。世間の方々が表面的に「教師の仕事」と思っている部分だけしか触らせない。教職の最も大切な部分にはタッチできないのである。いや、させないのである。それも当たり前である。無責任な学生に外で何をしゃべられるか分かったものでないのだから。それでいったい一年間もなにをさせようというのか。

ましてや、経験も責任感も薄い実習生の存在は学校にとって大きな負担なのである。授業内容に間違いもある。実習生が帰った後で授業をやり直す事もあるくらいである。生徒に不用意な言葉を投げかければホローは指導教員の責任。社会人としての自覚に欠ける実習生の指導は大変なのである。それを一年間などとは、現場を知らないとしか言えない。

さらに、教育実習に真面目に取り組もうとすればアルバイトをしている時間などない。私は二週間の実習の間に有り金を使い果たしてしまいしばらく悲惨な食生活をした。一年間バイト無しで実習に取り組めるとしたら、ヤッパリ金持ちのボンボンだろう。

様々な角度から考えて、やはり六年制は無理と言うしかない。

川端氏にいかなる資質があって文部科学大臣になったのか知らないが、組合上がりで教育の現場を知らないなら、教師の意見を聞けばよかろう。教員免許更新制の代わりになるならどんな制度でもよい、ということにはなるまい。

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