政教分離、再び

政教分離についていろんな本を読んでみた。つくづく世界にはいろんな政教分離がある。

イギリスには、イングランドにイギリス国教会、スコットランドに長老派教会という国教が存在する。ウェールズには国教はない。国教だから政府の金で運営されている。公立学校を教会が運営していることもあるらしいし、宗教教育も行われている。国教会が成立した背景にはカトリックの影響力からの脱皮という大きな課題があったが、現在の政府は教会・宗教団体を差別しないし、国民の宗教生活には介入しない。政治判断や法律にひとつの教会の意志が入り込むこともない。そういう政教分離。

ドイツでは、教会は「公法上の社団」としての公の地位が与えられる。カトリック、ルター派、カルヴァン派、の信者として登録された人から政府が教会税を取り、教会に分配している。しかし、憲法上は他の宗教(ユダヤ教やイスラム教など)も「公法上の社団」になりうる可能性があるし、イギリスと同じく、政府は国民の宗教生活には介入しない。政治判断や法律に特定の教会の意志が入り込むこともない。

フランスは、ライシテというより厳格な分離を行う。フランス革命において自由、平等、博愛の精神を保障する共和国を打ち立てるためには、カトリックは打倒するべき旧勢力だったのだ。特に教育の世界からのカトリックの排除に力がそそがれ、公の場においては宗教的なシンボルを身につけることも、宗教教育も拒否される。そのかわり政府は、一般市民生活における宗教界には一切介入をしないことで、すべての教会の平等をはかっている。

アメリカは、世界ではじめて国教を禁止した国で教会税の徴収もしないという意味ではフランスに近いが、「市民宗教」といわれるキリスト教的な伝統は肯定される。大統領は就任の際に聖書に手を置いて宣誓し、God Bless Americaで演説は終わる。議会や軍隊にはチャプレンという教会に属さない聖職者がいるし、貨幣や紙幣にはIn God We Trust「我ら神を信ず」と書いてある。このことはフランスでは考えられないそうである。イギリスで迫害された多様な教会が集まってできた国なので、特定の教会が優遇されたり迫害されたりしないようにすることがアメリカにとっての政教分離のそもそもの意味なのである。

世界にはこのように多種多様な政教分離が存在するので、それをひっくるめて定義するとなると『国家と宗教との分離』橋本公亘「日本国憲法」、が一番オーソドックスだがこれでは具体的に何を意味しているのか分からない。ほとんどの専門書は定義をしないで内容の解説に入っている。つまり定義すること自体が難しいのである。広辞苑、大辞林、大辞泉などの辞典も表現が微妙に違う。しかもどれも国際的な政教分離の現状を表しているとは言い難く表現が薄っぺらい。これに随うと、イギリスやドイツには政教分離はないことになり、たいへん失礼な定義となっている。

こうして考えるとひとつの共通点が見えてくる。つまり、国家それ自体の宗教色は国によって違うが、国家は宗教の世界には介入しない、そして国は特定の教会や宗教団体の意向に従って政策判断をしない、ということである。イギリスは国費で国教を維持していても、ドイツはキリスト教3教会の教会税を徴収していても、フランスは公の場からは宗教的なものを徹底的に排除しても、アメリカは市民宗教的な伝統は息づいていても、国家は国民の宗教の場には介入しないのである。そして特定の教会を優遇・迫害せず、その意見や都合で政治判断が決定されることはない。これが世界の政教分離の共通項なのである。

つまり、政教分離とは、宗教に対する規制ではなく、国家に対する規制なのである。

この共通項さえ人類の資産として守っていくならば、日本には日本の政教分離があっていいと私は思う。ヨーロッパにはカトリックが世俗権力に対して絶対的上位にあったが、日本にはそのような宗教は存在してこなかった。中世の比叡山・三井寺などの大寺社がそれに匹敵するという見方もあるようだが、国家の方が基本的に強い。いくら発言力があったといっても将軍を比叡山の法主が任命することなどなかった。ヨーロッパと比べると日本の宗教は弱かったのである。しかも江戸時代以降は完全に権力に飼い慣らされ、寺請け制度という戸籍管理、役所仕事の片棒を担がされ、利用され、寺もそれに安住した。だから日本の歴史をふまえれば、国家の宗教への介入にこそ敏感であるべきだし、神道が国教扱いされていた戦前を思えば、その復活を許さないことにこそ神経を使うべきである。アメリカがこうだからとかフランスがこうだからとかあまり考えなくてもいい。日本の歴史をふまえて日本の政教分離を確立すればいいのである。

さらに、政教分離が信教の自由を守るために設定された「制度的保障」であるという日本国憲法の基本を確認するならば、宗教団体が国民的な権利から政治に対して積極的に発言するのを、国会質問などの国の権力の場を使って批判したりなどすることは、信教の自由の侵害にあたり絶対に慎むべきである。

政治家よ、歴史観と見識を持て!私は声を大にしてそういいたい。

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河合隼雄先生のご冥福をお祈り致します。

河合隼雄先生がお亡くなりになった。

「臨床心理学の第一人者として心の問題に取り組む一方、教育や宗教など幅広い分野で業績を残した元文化庁長官で京大名誉教授の河合隼雄(かわい・はやお)さんが19日、奈良県天理市内の病院で死去した。79歳だった。

 河合元長官は奈良市内の自宅で脳こうそくの発作を起こし、昨年8月に緊急入院して手術を受けていた。

 兵庫県出身。京大大学院と米カリフォルニア大で心理学を学んだ後、スイス・チューリヒのユング研究所で心理療法家の資格を得て1965年に帰国、ユングの心理学を日本に初めて紹介したほか、箱庭療法を実践、普及させた。

 75年に京大教授となり、心の病を抱えた患者の治療に現場で取り組む一方で、文学、宗教、科学、教育などの分野で積極的に発言した。国際日本文化研究センター所長、文部科学省顧問なども歴任。2000年に文化功労者に選ばれた。」YOMIURI ONLINEより

あまり知られていないが、河合先生は元数学の高校教師(天理高校)である。元文化庁長官などという仰々しい肩書きよりも、心理学を学問の分野から臨床さらには家庭や教育の現場に役立つものとして定着させた功績はあまりにも大きい。先生は長官になられてからも患者を担当し診ておられたと聞いている。

河合先生の本は本当に読みやすい。分かりやすい。門外漢でも難なく読むことができ、読めば自然に自分を見直す機会を与えられるのである。

先生、本当にありがとうございました。

これからも先生の遺された本を読み続けます。

心からご冥福をお祈り致します。

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変わった名字

 教師をやっていると、多くの人に出会う。変わった名字の生徒に出会うこともたびたびある。以前から、教員生活の中で出会った方、それ以外のことで出会った方のお名前をまとめてみようと思っていた。実際に出会ったことのある人限定。さあ、やってみよう。

(思いだし次第増やします。)

阿迦井(あがい)   滋賀県守山市赤野井町の名前

鐙(あぶみ)

阿部羅(あべら)

安楽(あんらく)

五十棲(いそずみ)

一木(いちき)

井門(いど)

禿(いなづか)

今在家(いまざいけ)

祝迫(いわさこ)

采女(うねめ)

雲林院(うんりんいん)

蛭子(えびす)     山口県のご出身でした。

大地(おおぢ)

乙須(おとす)

鏡畑(かがみはた) 

蚊野(かの)     

上垣内(かみがいち)

亀苔(かめのり)

勘坂(かんざか)   富山に多い。

雲(くも)        滋賀県甲賀市甲賀町の名前

纐纈(こうけつ)    岐阜県に多いと聞きました。

興梠(こうろぎ)

小鯛(こだい)

金銅(こんどう)

齊戸(さいと)             滋賀県守山市欲賀に多いです。     

座光寺(ざこうじ)

流石(さすが)

属(さっか)

完甘(ししかい)

〆(しめ)

十一谷(じゅういちや)

十二里(じゅうにり) 滋賀県守山市十二里町に多い。

田井中(たいなか) 滋賀県東近江市能登川町に多い。

●(くさかんむりに)父 (たんぷ) 熊本にあるそうです。

丹菊(たんぎく)

道明(どうみょう)

十一(とかず)

土老(ところ)

頓宮(とんぐう)

八里(はちり)    滋賀県甲賀市甲南町に多い

泥谷(ひじや)

屏風(びょうぶ)

日和佐(ひわさ)

福造(ふくぞう)

馬杉(ますぎ)   

厩本(まやもと)

朏(みかづき)   

文字(もんじ)

万木(ゆるぎ)   滋賀県高島市安曇川町に同じ大字がある。

緩利(ゆるり)

吉戒(よしかい)

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教育現場の数字目標

 数字は怖いと思うときがある。 

 例えば前回書いた出生率である。正確には「合計特殊出生率」という。過去1年間の女性の出生率を15歳から49歳の年代毎にはじき出し足したものだ。つまり、一人の仮想の日本人女性が15歳から49歳までを一年で体験したとしてそのときに生んだ子どもの数とでもいえばいいだろうか。ところがこの数字、扱いに注意を要するのである。例えば不景気の時など「もう少し経済基盤を整えてから」などと出産を遅らせる傾向の時には不当に低く出るのである。また、皇族の出産があると「ご学友ねらい」(?)などで出産が増える傾向がある時には高く出るのである。つまり本当に一人の女性が生涯に生む子どもの数ではなく、その年その年の社会状況によって大きく変化するのである。この数字に振り回されすぎるのは実はよくない。

 よく聞く「日本人の平均貯蓄高」なんてのもよくわからない。「格差社会」が指摘されて久しいが、ということはこの数字も一部の大金持ちによってつり上げられているということである。貯蓄0に近い人の方が圧倒的に多いのである。この数字はあまり意味のあるものとはいえないのである。

 「国民の借金は651万円」なんていうのも変だ。国の国債と借入金の残高を人口で割ったものらしいが、そもそも国債はだれが発行しているのかというと日本銀行。日本銀行はそれを売ったり買ったりして景気調整に使ったりしているわけで、諸外国からすぐに返金を迫られている借金がそれだけ日本にあるわけではない。国債を買っている国民もいるわけで、その人は国に金を貸しているわけだ。人口で割るのはおかしいと言わざるを得ない。

 事象を数字で示されると分かったような気分になることが怖い。数字を達成しても実は中身がともなっていないことが怖い。

 教育現場なんか数値目標がそぐわないことも多い。私は「自分を幸福にする力を身につける」ことが教育の目的だと考えている。そのために身近な目標を数字をあげて決めるのはよい。進学率、クラブの成績、出席率などがそれである。しかし、数字を達成しただけで目標を達成したと考えるのは早計にすぎる。先の出生率などのように仮想の数字を現実のものと勘違いしたり、平均貯蓄みたいに実はその裏で苦しい思いをしている人の存在を隠してしまうこともある。

 最近、教育現場に数値目標を導入しようとしていることに危惧を覚える一人なのである。

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地理という教科の難しさ

私は日本史の採用である。出身は経済学部である。したがって、日本史はもちろん得意であるが、現代社会、政治経済そしてなんとか世界史も大学時代の積み上げかある程度あるので教えることができる。しかし、地理はダメである。大学の教養地理の先生は歴史地理学の先生で、自然地理も人文地理も高校で扱うようなことはいっさい勉強してこなかったのである。

ところが、現赴任校には地理の専門家がいないのである。毎年誰が地理を持つかで教科会議がもめるのがいやで、引き受けて3年目。涙ぐましい努力の日々であった。

そうした中、地理学(高校地理だけ?)のいいかげんさにうんざりすることがある。一応進学校なので、時々生徒が質問をよこすが、そんなときにそうしたいいかげんさに突き当たるのである。今回はアメリカのグレートプレーンズとプレーリーについてであった。生徒曰く「グレートプレーンズとプレーリーの境目はどのへんですか?」そんなことは地図帳にはハッキリしていない。しかも帝国書院の地図帳では、縮尺が変われば位置も微妙に変わっているように見える。資料集には「西経100°の当たり」と書いてあるものがあったが、地図帳とは矛盾している。「おかしい。」そう感じた私は徹底調査をすることにしたのである。

まず、カナダ出身のALTに聞いてみると、「カナダにはグレートプレーンズはない」という。プレーリーは長草平原で、ロッキー山麓のマニトバ州をはじめとする3州が含まれるという(プレーリー3州という言葉まである)。帝国の地図帳ではそこはグレートプレーンズである。ALTは「アメリカではプレーリーのことをグレートプレーンズと言うのではないか?」とのたまうが、アメリカにはプレーリードッグがいる。プレーリーもあるはずである。

インターネット情報もいい加減である。どれもこれも相互に矛盾がある。追いつめられた私は帝国書院に電話してみる以外に方法が無くなった。「調べてみます」と誠意ある対応。最終的な答えは、「グレートプレーンズは中央平原(=構造平野)と隣接するアメリカの地形名。カナダでは使わない。ロッキー山麓を流れる川が形成する複数の沖積平野の総称です。プレーリーは植生・土壌名なので、グレートプレーンズにも中央平原にもかかります。しかし、いつの間にかプレーリーも地域名として使われるようになった」とのこと。ああスッキリした。おっとでは帝国の地図帳でグレートプレーンズの「グ」の字がカナダにかかっているのは何故?問い合わせると「間違いです。次版から訂正します。ありがとうございました。」とのこと。

このことだけではない。地理の学習をしていると相互に矛盾した情報に出会うことが多い。たとえばブラジルのカンポとセラードの関係も資料によって違う。帝国書院の地図ではカンポは一文字づつ□で囲んであるが、セラードは囲んでいない。どう違うのかと調べてみたら、セラードは正式には「カンポ・セラード」で疎林(サバナ)の一種(気候はAw~Cw)。カンポはどうやら「カンポ・リンポ」のことで、セラード南部に接する草原(気候はBS)のことらしい。帝国の地図の表記ではカンポの中にセラードがあるように見えるが、それならばリンポを同じ字体で表記するべきである。それにしても、ほとんどの参考書ではカンポといえば「サバナの一種」としてある。これはどう解釈すればよいのだろうか。

他にもマンガンの生産国順位も違う。東アフリカ大地溝帯が「広がる境界」なのかどうかも本によって違う。中国の「チンリン-ホワイ川ライン」の年降水量は750㎜~1000㎜までいろいろである。もういい加減にして欲しいのである。

 しかし、こういう矛盾に出会うと「このやろう何とか真実を解明してやるぞ」とやる気が出るのもたしかなのである。学問的欲求が刺激されるのである。

 問題は授業までに結論が出るのかどうか。そんな勝負を日々している毎日である。

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知られざる偉大な日本人シリーズ1(ダショー西岡)

 時々だが、知られざる偉大な日本人シリーズを書いていきたいと思います。日本人にもすごい人(人々)がいるものである。発見次第ご報告したいと思います。日本人の誇りを取り戻す為にも。

1.ダショー西岡(西岡京治)さん

 「こんなすごい人がいたのか」というのが実感である。西岡京治さんは、ブータンの農業指導に携わり、ブータンの食糧事情を変えた人物である。その功績を称えてブータン国王から外国人初の「ダショー(ナイト)」の爵位を授けられた。

 はじめ話は師匠である中尾佐助氏にあった。中尾氏は自身の娘婿でもある愛弟子の西岡さんを適任者として推薦した。二人は山岳植物の研究をしていたそうである。

 JICAからの任期は2年間だった。しかし、ブータンの食糧事情は2年での帰国を許さなかった。収穫率は低く、平均年齢は40代だった。彼は農民と話し合い、栽培する野菜や稲作の技術を押しつけではなく納得の上でブータンに根付かせようとした。まず、自分で実験農場を経営し、作って見せる。その野菜を市場に出し、圧倒的な品質を見せつける。その上で希望者に技術を伝える。橋を架ける際にも、膨大な費用を使って立派な橋を架けるのではなく、みんなで自分たちの橋を架けるのである。身の丈にあった支援に、結局28年間という歳月を使われた。そしてブータンでその命を閉じたのである。ブータンで行われた葬儀は国葬となり、多くの人々が参列したそうである。

 なによりすばらしいのは、今のブータン農業は西岡さんの弟子が支えているということである。後継者をつくったということである。彼は一流の教育者でもあったということであろう。

 

 

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市民運動に思う(腹の立つ事)

 各地に市民運動がある。そのこと自体何ということもない。がんばって盛り上げなければならない運動もあるし、私も協力したことがある。忘れられないのは「カンボジアにラジオを送る」運動である。内戦直後のカンボジアの奥地にまで情報を速やかに届けるのにラジオが一番だということで、カンボジア暫定統治機構の明石靖さんが日本の家庭に眠っているラジオを送って欲しいと要請されたことに始まる運動だった。私も駅頭に立ったが、たちまちに100個を超えるラジオが集まったことを覚えている。有意義な協力ができた実感があり、うれしかったものである。

 しかし一口に市民運動といっても、一様ではない。時々変な市民運動を見かける。何のためにやっているのか、誰のためにやっているのかわからない運動が存在するのである。

 もっとも疑問に思ったのは、「豊郷小学校校舎存続運動」である。豊郷小学校の校舎は、私も見学したが、建築家ボリーズの作った威風堂々としたすばらしい校舎である。この校舎を壊して新校舎を建てる計画がでた時に、住民の反対運動が起こったのである。「私たちはすばらしい校舎で学んでよかった」「あの校舎で学ばせてあげたい」「町長が校舎をつぶすのはけしからん」というのである。しかし、本来どのような校舎で学ぶのかはどのような教育をするのかという問題と直結している。つまりどのような校舎を選ぶのかという問題は、学校の主役である教師と児童(その背景にいる保護者)の意見なしにはありえないのである。なのにこの問題では教師の声はいっさい聞こえてこなかった。校舎の耐震問題も対不審者の安全構造の問題も議論されなかった。保護者の声も聞けなかった。

 声を出しているのは過去の卒業生と歴史家や他県の見学者。「おまえらは脇役やろ!すっこめや!」教師の問題意識も児童の安全も議論されずに、「住民」を名乗る方々が主役を乗っ取っていたのだ。私はこれを「主役偽装」とよびたい。

 それにしても、マスコミはなぜあんなに「住民運動」という言葉に弱いのだろう。

 私は歴史屋の端くれなので「校舎を残せ」は理解できた。しかし教師なので「校舎を使え」は理解できなかった。だからおかしいと思ったのである。もっとも運動の責任者も元教師らしい。運動家であることにうつつを抜かして現実の教育を忘れたに違いない。

  結局まず町長とけんかをすることが目的で、戦場に学校を選んだということだろう。実は運動の責任者に、「我々が現代のボリーズになって今の技術の粋を尽くして最高の校舎を建てればいい」とメールしたら「それでは町長の思うつぼだ」と帰ってきた。つまり端からけんかが目的なのだ。児童はそのけんかの被害者である。校舎がきずつけられて泣いている児童の声が繰り返し報道されたが、校舎がきずついて泣いているのか、大人がののしり合っているから泣いているのか、分からなかった。運動している方々にそうした加害者意識はないだろう。「自分が主役」だと思いこんでいるから。

 カンボジアの国民を主役として、日本の市民が協力する。あんなに気持ちのいい取り組みはなかった。しかし、この運動は違う。なにか他の目的が透けて見えるのである。私はこれを「臭う」と表現している。

 他にもなにか「臭う」市民運動がある。主役は混同されていないか。私はこれが市民運動を見分ける一つの基準であると思っている。 

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