芦浦道を行く

芦浦(あしうら)道という道があったらしい」と聞いて一度たどってみたいと思っていた。

これまでも、司馬遼太郎の『街道を行く』に影響されて、近江の街道をたどってきた。東海道、中山道、朝鮮人街道、西近江路、北陸道、北国脇往還、御代参街道などなど。最近は志那街道や矢橋道などの脇街道の経路をたどってみたりしている。

http://chizuz.com/map/map35271.html 志那街道

http://chizuz.com/map/map35454.html 矢橋道

芦浦道は、マイナーな道である。東海道、中山道などの大道ではないが、湖辺を南北に通る道は他になく、地元の庶民が行き交う道であったらしい。現在は「浜街道」に役割をゆずっている。

芦浦道は、大津市大江で東海道と分岐して、いきなり一部が東レ瀬田工場によって消えているが、その後大萱、新浜、矢橋、御倉、木川、上笠、下笠、穴村を通って芦浦観音寺で有名な芦浦へと抜ける。芦浦からは志那街道を北東に中山道を目指すことも、そのまま北上することもできたようである。

たどってみて分かったこと。とにかく道が細い。道幅はほとんどが2m弱(一間)といったところ。軽自動車でもしんどいだろう。一部は田の畦道と化している。地元の方と話したりもしたが、これが古い道だとは分かっていても、「芦浦道」という道であることは知られていない。忘れられつつある道なのである。

しかし、細い道なのに小学生の通学路だったりする。他に大きな道が出来て車はそっちへ行ってしまいかえって安全なのだろう。志那街道でも同じ現象がある。おそらく伝統的にそうなっているのだろう。

他の街道にはない特徴は、昭和50年代の道標が2つある。この道を消えさせてはならない、という関係者の努力が感じられて感激させられるものがある。他にも道ばたの古く小さな道標、明治初期のものと思われる水準点(主要道路に設置される)が見られ、趣が深い。

周辺に重要文化財が少ないことも、近江の他の街道と異なる特徴である。近江には重要文化財がゴロゴロあって多くが旧道に面している。しかし芦浦道には、矢橋に石津寺本堂と鞭崎神社表門、終点の芦浦に芦浦観音寺があるだけである。文化財にはどうも乏しい。やはり「日常の道」だったのではないかと想像する。

興味のある方は、たどってみて下さい。自転車が最適です。

http://chizuz.com/map/map51194.html 芦浦道

この次は、「山田道」を探してみます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アグネス=チャンがすごい

最近、アグネス=チャンの歌を聴いている。アグネス=チャンを知らない人もおられるかもしれないがデビュー曲の「草原の輝き」の「おっかの上ひなげしの花で~」という歌い出しだけは聞いたことがあるのでないだろうか。私はけっこう古いファンなのである。

そのころはアイドル全盛だった。天地真理、麻丘めぐみ、浅田美代子、森昌子、山口百恵、桜田淳子などがいた。ルックスとぶりっこが最大の売りだった時代である。歌はだんだんうまくなる人と、いつまでもうまくならない人がいた。そんなことはどうでもよかったのだろう。そんなアイドル観の時代にアグネスはトロント大学に留学したり、国際平和論文へ応募したり、ボランティア活動でアフリカへ行ったり、と「アイドルらしさ」の型をやぶった。さらには子連れでの芸能活動が論争を生んだりもした。

前作の「そこには幸せがもう生まれているから」がすばらしかった。聞く人を静かに励ましてくれるのである。病気休職が決まって落ち込んでいる友人にこのCDをあげたら、「本当にいい曲だ。元気がでる」と喜んでいた。アグネス自身がこの曲に励まされてアゴ下の腫瘍を克服したといっていた(2007/3/7の日記)が、本当にすばらしい力のある曲である。

今日、新曲の「ピースフル ワールド」を聴いた。出だしの「出来ることから 一歩踏み出せば…」は、きっとアグネスの人生の投影に違いないと思った。そして戦争や内戦に泣く人たちに思いをはせつつ、その一人の一歩が後に続く仲間を作りいつかピースフルワールドができる、という歌詞である。8月の原爆、敗戦の記念日にこういうメッセージの歌である。CDショップでは演歌の売り場においてあるらしいが、ちょっと演歌の次元を超えている。

9/25には、なんと中国の人民大会堂でコンサートをするらしい。日本の国会議事堂でコンサートってできるんだろうか。中国も変なところで開かれてるな、と妙なところで感心したが、すごいことであることは間違いない。

アグネス、応援してるよ!

| | コメント (0) | トラックバック (1)