「韓国修学旅行で土下座って本当?」再び

韓国修学旅行で土下座って本当?」を書いてから3年が経った。その間様々なご意見もいただいたが、土下座させられた」学校はいまだ出てきていない。やはりそんな学校はなかったのだろう。

時々2ch等で引用されるらしく、突然アクセス数が増えるときがあって面白い。

そうした中で、いわゆる「ネットウヨ」の皆さんが、私の文章に批判されることがある。しかしどうもその批判が次元が低いのである。今回はすこし反論を書いておくことにする。

①「このプログは所詮は単なる2次資料だ」という批判へ。

こういう批判をするひとは、「韓国への修学旅行で土下座させられている」という情報がすべて2次資料ですらない情報で成り立っているということに気がついていない。産経新聞記事には、土下座も慰安婦もなし。あとは真偽不明のプログの書き込みだけ。二つをくっつけて「土下座させられている」と強弁して成り立っている情報なのだ。だからそれしか根拠がないなら「土下座はなかった」というしかない。この理屈が納得できない人は、他に土下座させられたという1次資料を出すしかないでしょう。

「単なる2次資料だ」という人は産経新聞記事が1次資料だと言いたいのかもしれませんが記事を読んでいないとしか思えない。次元が低すぎます。

②「韓国への謝罪行事を批判しているのに、土下座があったかなかったかに問題をすり替えている」という批判へ。

私ははじめから土下座の有無を問題にしており、すり替えなどはしていません。そういう方は私の文章を読んでそれ以上の反論がないのなら、まず「土下座はなかった」ということを認めていただきたい。

その上で私は「世羅高校の修学旅行は謝罪行事ですらない」と述べました。自分の価値観を揺るがしてしまう文章をじっくり読むのは確かにしんどいとは思いますが、ネットウヨの皆さんには、どうもそこまで読んで頂けていないようだ。それが悲しい。

ちなみに私は、高校生が過去の日本の行為を謝罪することには反対です。当時生きていた大人がやりなさい!高校生にできることは、「過去を乗り越えて手をつなごう」という世羅高校が行った未来志向の訴えだけかと思っている。

ところで気になるのは、それはなぜ韓国日報は世羅高校のアピールを「謝罪」であると報道したのかということ。もしかするとそこには、日本人が行った行為を認めればそれが謝罪であるという発想があるのかも知れない。もしそうなら、なんともおおらかな国民性ではないか。

③私を「ネットサヨ」扱いする人へ。

私の文章を読んで、イデオロギーにとりつかれて情報をねじ曲げてまで強弁する「ネットウヨ」や「ネットサヨ」のような傾向性を感じられる方がいることは心外だ。「ネットウヨ」の方は、私の文章が自分の意見と違うから対立する「ネットサヨ」に分類することで思考停止したいのでしょう。批判するならどこがどうおかしいのか説得力ある反論をしていただきたい。

私は、私の文章が否定される事実に出会えば変更する覚悟は持っている。事実、多くのコメントをいただき文章を修正してきた。

反論、修正のための情報をお待ちしています。

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久しぶりの日本武道館

長男が参加する日本武道館の少年剣道大会に、自家用車で行ってきた。往復とも高速深夜割引を使うために、夜中の0時~4時の間、少しでもいずれかの時間に高速道路上にいなければならないという条件をクリアするために、かなりの強行軍であった。

夜中の1時に出発。とにかく走り続けて牧ノ原SAで1時間ほど休憩。さらに足柄SAで小休止をとり、後は一路東京へ。ところがラッシュアワーに遭遇して、9時の開会式には間に合わない始末。あ~あ。

試合は団体戦。1回戦は難なく勝利。2回戦、惜しい試合展開ながらも惜敗。今一歩の力が出し切れずいわゆる「勝ちきれなかった」という状態。子ども達にはいい勉強になったと思う。

しかし、会場で思ったこと。再三主催者側が「フラッシュを使用しての写真撮影はご遠慮下さい」とアナウンスしているのに(フラッシュが目にはいると試合の妨害になる)、平気で撮影している指導者がいる。うちの妻が「アナウンスをお聞きになられましたか?」とていねいに注意しても無視(この人だけではない。会場内で結構光っていた)。「監督章のない方は観覧席にお戻り下さい」とのアナウンスも無視する人多数。プロクラムに「物を置いての席取りは禁止します」とあるのに、ほとんど完全無視少年剣道の指導者たちはいったい何を子ども達に伝えようとしているのだろう。子ども達も同じ趣旨徹底を聞いている。それを無視する身近な大人達を見て、彼らはどう思うのだろう

このままでは剣道も終わるな」と思わざるを得なかった。

帰りもさらなる強行軍。そもそも0時以降にインターを出るために、どこかで風呂に入って時間調整を、と考えていたのだが、足柄SAでは東京に近すぎる。また、コースを変えて中央道の諏訪湖SAではどうかと思ったが、距離が長くなりしんどそう。そこで発見したのが、刈谷ハイウェーオアシス。伊勢湾岸道(第二名神)のPAながら、スーパー銭湯(天然温泉かきつばたの湯)があり、産直市場やフードコート、デラックストイレ、観覧車もある。昼間ならゴーカートや遊具で子どもを遊ばせることもできる。ちょっとこれは驚いた。結局、スーパー銭湯に2時間も休憩してしまい、帰宅が遅くなったが満足だった。これも道路公団民営化の恩恵だ。

剣道への若干の落胆と、いい施設との巡り会い。複雑な気持ちの変化の一日であった。

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芦浦道を行く

芦浦(あしうら)道という道があったらしい」と聞いて一度たどってみたいと思っていた。

これまでも、司馬遼太郎の『街道を行く』に影響されて、近江の街道をたどってきた。東海道、中山道、朝鮮人街道、西近江路、北陸道、北国脇往還、御代参街道などなど。最近は志那街道や矢橋道などの脇街道の経路をたどってみたりしている。

http://chizuz.com/map/map35271.html 志那街道

http://chizuz.com/map/map35454.html 矢橋道

芦浦道は、マイナーな道である。東海道、中山道などの大道ではないが、湖辺を南北に通る道は他になく、地元の庶民が行き交う道であったらしい。現在は「浜街道」に役割をゆずっている。

芦浦道は、大津市大江で東海道と分岐して、いきなり一部が東レ瀬田工場によって消えているが、その後大萱、新浜、矢橋、御倉、木川、上笠、下笠、穴村を通って芦浦観音寺で有名な芦浦へと抜ける。芦浦からは志那街道を北東に中山道を目指すことも、そのまま北上することもできたようである。

たどってみて分かったこと。とにかく道が細い。道幅はほとんどが2m弱(一間)といったところ。軽自動車でもしんどいだろう。一部は田の畦道と化している。地元の方と話したりもしたが、これが古い道だとは分かっていても、「芦浦道」という道であることは知られていない。忘れられつつある道なのである。

しかし、細い道なのに小学生の通学路だったりする。他に大きな道が出来て車はそっちへ行ってしまいかえって安全なのだろう。志那街道でも同じ現象がある。おそらく伝統的にそうなっているのだろう。

他の街道にはない特徴は、昭和50年代の道標が2つある。この道を消えさせてはならない、という関係者の努力が感じられて感激させられるものがある。他にも道ばたの古く小さな道標、明治初期のものと思われる水準点(主要道路に設置される)が見られ、趣が深い。

周辺に重要文化財が少ないことも、近江の他の街道と異なる特徴である。近江には重要文化財がゴロゴロあって多くが旧道に面している。しかし芦浦道には、矢橋に石津寺本堂と鞭崎神社表門、終点の芦浦に芦浦観音寺があるだけである。文化財にはどうも乏しい。やはり「日常の道」だったのではないかと想像する。

興味のある方は、たどってみて下さい。自転車が最適です。

http://chizuz.com/map/map51194.html 芦浦道

この次は、「山田道」を探してみます。

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松江へ行って来た。

先日、島根県松江へ行ってきた。高速の休日1000円を活用して、格安の料金はうれしい。今まで行けなかったところにも足を伸ばそうと思うものである。

しかしおどろいたことがある。中国道から米子道へ。米子インターで降りて、山陰道米子道路へ。この山陰道。最初は無料区間。自然に山陰道安来道路に入りここは有料。さらに松江バイパスに入ると無料。さらに行くと山陰自動車道に入って有料となる。この間料金所以外になんの障害物もない一本の道路である。この不自然さは何だ。しかもこの山陰自動車道は斐文町というところですぐにとぎれ、出雲までさえも行けないのだ。島根県には西側にも益田、江津や浜田という都市があるが、浜田が浜田自動車道で広島とつながっているだけ。つまり、島根県を横断する高速道路はないのである。山陰自動車道を横断させ、西は山口、東は鳥取とつなぎ、兵庫まで行けるようになれば、県内だけでなく他県との交流も進むだろうと、素人でも想像できる。なんと不便なのだろうか。

この高速道路建設を遅らせている原因は簡単に想像できる。「費用対効果」というやつである。鳥取、宮崎も高知もこのわかったようなわからないような言葉のせいで道路建設を見送られている。今までさんざんもうけられるはずの路線でムダをして赤字を出したせいで、よりもうけが望めない路線は建設しないそうだ。つまり都会生じたひずみを地方に押し付けようということだ。

本来都会でもうけて地方の赤字をカバーするべきではないのか!それが「市場の失敗」をカバーする公共事業の真骨頂のはず。これだから東京目線はダメなのだ。

とはいえ松江の町はきれいだ。松江城は最高だ。便利と引き換えに町が汚れるならもったいないと、矛盾したことを考えるわたしであった。

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『嫌韓流2』を覗いてみた。

以前に「韓国修学旅行で土下座って本当?」を書いた。かなりの反響をいただいているが、韓国で土下座をさせられている学校などないという結論はまったく揺るがずに現在にいたっている。

ただ、気になる存在として「嫌韓流2」に、この件のことが書かれているという情報があった。他国の国民を「これでもか」と言わんばかりにこき下ろしているであろう内容を想像すると、本屋で買うほどの気持ちも起こらず、本屋ではビニールがかかっていることも多いので該当部分の立ち読みもできず、相変わらず読まないままでここまできた。しかし今回ひょんなことで中身を確認する機会が訪れたのであった。

世羅高校の件に限定して述べる。

これは完全な情報操作だ。根本から違う。

まず事実を述べる。

まず、世羅高校の校長先生が「日の丸・君が代」問題で板挟みとなって自殺される事件があった。なぜかそのタイミングで産経新聞が韓国日報の記事として「半年前に世羅高校が韓国に修学旅行へ行き戦前の日本の行為を謝罪した」と発表したのだ。その記事には「土下座」という表現は一切ないし、写真にも写っていない。時あたかも「国旗国歌法案」の審議が行われているときで、自民党の二人の議員が「教師達はお線香もあげにこない」というデマを流した。

この順番で出来事を読めば、産経記事自体が情報操作の可能性がある、と感じられるだろう。

ところが『嫌韓流2』は、まず「韓国で世羅高校が土下座させられた」と騒ぎ、その後で「しかもその半年後に校長先生が自殺している」とのべ、極め付きに「教師はだれも線香をあげにこなかった」(お葬式には全員参加したのにご自宅に行かなかった、というのが事実。)と、とことんすべてを教師の責任にしている。

まず、土下座させられた」がウソ半年後の自殺の原因を検討しない」のが不誠実線香をあげなかった」がウソ出来事の並べ方」が意図的

まあ、やっぱり所詮はプロパガンダ本なんだな、と思ったのである。

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御代参街道のルート

滋賀県・近江国の御代参街道(土山~小幡)のルートを載せてみました。滋賀県教育委員会の中近世古道調査報告5「御代参街道・杣街道」を参考にしました。歩かれる方の参考になれば幸いです。

http://chizuz.com/map/map36205.html

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近江の東海道 ルート決定版

近江の東海道をまとめてみました。意外に間違ったルートを歩いている方が多いようです。ご参考にしていただければ幸いです。

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おいしいそばやだったのに…

先日の事。久しぶりに滋賀県草津市のとあるそばやにいった。何年か前に入って、そのときはおいしかったのである。「全国新そば会」という有名そば老舗店の会にも加盟している。店舗を使って時々落語の寄席もやっている粋な老舗なのである。

しかし、出てきたざるそばを見て、我が目を疑った。色も艶もない、若干乾燥して互いにまとわりついている。においもない。コンビニのソバに「ほぐし水」がついているが、それが必要なくらい固まっているのである。そう、明らかに作り置きである。しかもどうみても「手打ち」ではない。新そばのシーズンだったのに「新そば」の表示もない。金がもったいないのでなんとか食べた後、あまりのまずさに「本当のそば」を求めて町をうろついてしまった。幸いにも栗東市に「平」というおいしいそばや(おいしい店は実名でもいいでしょう)があって命びろいをしたのである。件のそばやには二度と行くことはないであろう。

全国新そば会」というと、本当においしいそばやが集まっているという印象がある。有名な「かんだやぶそば」もその一員である。一度食べたが「かんだやぶそば」は本当においしかった。しかし、こんな会員がいるとは…。看板倒れも甚だしい!「全国新そば会」はこの店の退会を勧告した方がいい。

件の店のホームページを見てみた。「打ちたて、ゆがきたての名代○○そば」

うそつけ!功利を優先しやがって!

身近に「食品偽装」が発覚した瞬間であった。

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しられざる偉大な日本人シリーズ2 ウズベキスタンの抑留日本兵たち

西岡京治さんから、久しぶりの第二弾である。

中央アジア・もとソ連のウズベキスタン。ここにも各地に満州から抑留された日本兵捕虜収容所があった。ウズベキスタン全土だけで約1000人が故国の土を踏むことなく亡くなったという。

この国の首都タシケント(地理の学習では内陸の地中海性気候(Cs)として有名)には次のような碑文がある。

[日本人抑留者記念碑文]
1945年から1946年にかけて、極東からウズベキスタンに強制移住された日本国民25,119余名の内、9,760余名が過酷な条件のもとで、数年にわたりタシケントの都市建設に貢献した。望郷の念むなしく79余名がこの地に眠る。この厳粛な歴史を後世にとどめ、永遠の平和と友好を念じ建立する。主な労働場所:ナヴォイ劇場、電線工場、運河建設、住宅建築、道路建設など。<2002年5月25日 日本人墓地整備と抑留者記念碑建設代表発起人会>

狂人スターリンが日本人を異国の地の強制労働に駆り立てた。シベリアの奥地よりは過ごしやすいはずのこの地でも約80名の方が亡くなっている。そして、その彼らが建設した建築物こそ『ナヴァイ国立劇場』である。

強制労働という忌まわしい記憶の産物であるこの劇場は、しかし思いもよらぬ効果をもたらした。建設の際のまじめな労働への取り組みの姿があった。そしてなんといっても完成後の1966年の大地震でタシケント市内の多くの建造物が倒壊した時、この劇場はビクともせず、「日本の建築技術は素晴らしい」という評価が定着したというのである。これらの事情からウズベキスタンの親日感情は中央アジアの中でも飛び抜けているらしい。

当時総指揮に当たったのは永田行夫さん。25歳で隊長となり本来の航空隊技術をこえる仕事をやってのけたという。

(以下参照)http://homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek/works/2001/04_yuuzuru_nagata.html

羽田首相時代の2000年。事情を知る羽田首相とウズベキスタンの大統領との間で日本を代表するオペラ「夕鶴」の公開の話がすすんだ。翌2001年8月末、約束通りに「夕鶴」は講演された。現地の小学生は日本語を学びコーラスに参加したという。作曲者である團伊玖磨さんも指揮をする意欲を示しておられたが、残念ながら同年5月に逝去された。この時の公演は團伊玖磨さんの追悼公演ともなったのである。永田さんを含む当時の抑留者の代表も参加されたらしい。

戦中の日本の暴挙は批判されてしかるべきである。しかしだからといってスターリンの暴挙がゆるされるわけではあるまい。しかしそうした武力という強制力によって抑留された人々が、技術や文化の力によって日本への信頼を勝ち取ったのである。ソフトパワー(感化力・教育力など)がハードパワー(有無を言わさぬ強制力=武力・政治力など)に打ち勝ったすばらしい事例である。

日本の今後行く道がここに示されていると強く感じる。文化立国日本の建設を目指さなければならない。

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日本ではじめての高速道路サービスエリアは「吹田SA」ではない、という事実

ある日のこと。ふとしたことでNEXCO西日本グループの吹田SA情報をみる機会があった。

http://www.w-holdings.co.jp/sapa/index.php?institution_id=2004

そこには「名神高速道路初のサービスエリアです。」との表現があった。

「待てよ。日本で初めてのSAは大津SAやと聞いたことがあるぞ」そう思った私は、さっそく調査を開始したのである。

まず同じNEXCOのSA・PA情報の大津SAをみるとそのことには触れられていない。しかしいろいろ調べてみると、名神高速道路は日本初の高速道路で、1963年7月16日に栗東~尼崎間が開通。大津SAは、1963年10月1日オープンということが分かった。

ということは吹田SAは1963年7月16日~10月1日の間にオープンしたことになる。しかし、いくら探してもそんな情報はネットにはない。そこで思い切って吹田SAに電話してみた。

「つまらない質問ですみません。吹田のSAは日本で最初のSAだとHPにありますがそれでよろしいんでしょうか?」

「はい。その通りです。」(明るい女性の声)

「大津SAは1963年10月1日オープンですが、吹田SAのオープンはいつですか?」

「え~と、ちょっとお待ち下さいね。え~っと …  1965年7月9日ですね~」(ちょっと困った様子)

「ということは大津の方が早いんですね?」

「ということになりますね~。    お調べいたしまして折り返しお電話させていただきます。私たちも勉強になります~」ということで、電話待ちということになったのである。

ところが約束の時間になっても電話がかかってこない。やむを得ずこちらから電話。

「お仕事中すみません。先ほど吹田SAのオープンについてご質問させて頂いたものですけども」

「ハイ。」(明らかに不機嫌そう)

「先ほどの件いかがでしたでしょうか?」

「担当の者に問い合わせていますがまだ返答がありません。そちらから電話して頂けますか?」(さらに不機嫌なご様子)

NEXCO西日本のお客様サポートの番号を教えてもらってかけてみた。

「すみません。日本で最初のSAはどこですか?」

「大津SAです。」(さわやかな即答)

なんということか!こんなにすぐに分かることをこっちに振るなんて!吹田SAが日本初でないことが証明されて動揺したに違いない。

「じゃぁ吹田は2番目ですね?」という私の質問に担当者の方は「2番目かどうかは~ここではわかりません」とのこと。

しばらくの間、大津が最初だということでいいかと思っていたのだが何か気になる。吹田は2番目なのだろうか?

名神高速道路は、1964年4月12日に栗東~関ヶ原間が供用開始。この間には多賀SAがある。さらに同年9月4日に関ヶ原~一宮間が供用開始。この間には養老SAがある。こっちのほうが早い可能性がある!(東名は1968年とだいぶ遅いのでらち外)

多賀SAに電話。「1964年4月12日オープンです。」多賀町のHPで確認http://www.tagatown.jp/

養老SAに電話。「1964年9月4日オープンです。」養老町HPでは未確認ながらも、おそらく間違いはないだろう。

つまり、吹田SAは、日本で4番目のSAなのである!

この事実は、ウィキペディアのそれぞれの項目に記載させて頂いた。

ネットというのは怖いものである。そこに記載されている「事実」は不確定なものでも確定的な事実として一人歩きをする。今後も注意したいと思った出来事であった。

《追記》

ここまで書いて気がついた。

名神高速道路初のサービスエリアです。」という表現は、「名神高速道路に乗ってはじめて出会うSAです」という意味なのだろうか?それならあっている。(名古屋方面から来たら最後のSAだけど)

ついでに言うとNEXCO西日本も大津SAが日本最初のサービスエリアだということは認識している。

http://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h18/0912a/

じゃあなんで吹田SAの方はあんな勘違いをしていたのだろうか?!

よけいに分からなくなってきた。

(追記)

冒頭に引用したNEXCO西日本の吹田SAのページは「名神高速道路に乗って最初のサービスエリアです。」と訂正されています。NEXCO西日本の誠意を感じます。

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近江の以外と知られていない名所

再び、近江シリーズである。近江の国にはあまり知られていない名所がいくつかある。それをご紹介したい。

まず、「石塔寺」(東近江市石塔町)である。阿育王山の山号をもつのは、この寺の中心となる三重塔がインド・マウリア朝の阿育大王が作った八万四千塔のうちの一つという伝説があるからである。行ってみれば分かる。中央の三重塔(重要文化財)に向かう石段から始まる無数の石塔。石段の上の風景は、司馬遼太郎をして「最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては私は生涯わすれることができないだろう」(歴史を紀行する)と言わしめたのも納得できる異風である。伝説はインドであるが、実際の塔は韓国の百済様式という国際的な遺跡である。京都の化野念仏寺も石塔と石仏が無数にあるが、天台宗と念仏宗の違いなのだろうか、石塔寺のほうがあっけらかんとした明るさを感じる。

次に、「奥琵琶湖パークウェイである。絶景である。琵琶湖は大きく平坦な風景が多く、風景に迫力を求めてもなかなかないのだが、ここは別格である。この道は平成元年まで有料だったが、現在は無料。葛籠尾崎の先端が一番だが、残念ながら駐車場からの遊歩道が閉鎖されていた。もったいない!是非復活を願いたいものである。

次に、「醒ヶ井宿~県立醒ヶ井養鱒場」である。なかなかこんなに落ち着いた場所はない。秋の紅葉の時期は特にすばらしいが、地蔵川流れる生きた江戸集落のたたずまいと、鱒料理を堪能できる設備のマッチアップは子どもにはちょっと分からない魅力だろうと思う。

さらに高島市マキノ町「在原」の茅葺家屋群である。在原業平の隠居所との伝説のあるここは、重要伝統的建造物保護地区にはなっていないが、十数件の茅葺き家屋が残っており、日本の農村風景を堪能できる。「業平そば」もすばらしい。

近江のすばらしさは、どこまでも手つかずの無理をしない「ほったらかし」感にあるというのが私の持論である。思い出し次第本文を訂正し増やしていきます。

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グーグルアース日本版(世界史編)

 春休みに入ってやっと再開。今度は世界史編です。まだまだ情報量が少ないので、だんだん増やしていきます。

☆世界四大文明

 ◎中国文明

○殷墟(殷=商の遺跡。甲骨文字発見の現場) 

36° 7'16.79"N  114°19'7.45"E

○秦始皇帝陵(世界三大陵墓の一つ。始皇帝の墓)

34°22'52.72"N 109°15'12.99"E        

○万里の長城(現存は明代のもの)        

40°20'12.47"N  116° 1'57.35"E

○敦煌莫高窟                      

40° 2'22.16"N 94°48'18.94"E

○故宮博物院(清の宮殿。門前が天安門広場)

39°54'50.07"N 116°23'26.59"E

 ◎インダス文明

○カイバー峠(インド世界の入り口)         

34° 7'16.92"N 71° 5'7.91"E

○モエンジョ=ダロ(インダスの都市遺跡)    

27°19'36.82"N  68° 8'14.08"E

○ルンビニー園(釈迦が悟った場所)       

27°28'12.04"N  83°16'31.84"E

○サーンチーのストゥーパ(アショカ王の建立。仏塔の起源)

23°28'46.43"N  77°44'22.96"E

○タージマハール廟(ムガル帝国の王妃の墓) 

27°10'22.14"N  78° 2'33.30"E       

  □東南アジア

○アンコールワット(カンボジア・アンコール朝の寺院。ヒンドゥー教から仏教に変化)      

13°24'44.82"N 103°52'4.01"E

 ◎メソポタミア文明

○ウル(メソポタミア最古の都市遺跡)      

30°57'44.66"N 46° 6'13.91"E

○バビロン遺跡(古代メソポタミアの中心地) 

32°30'19.74"N  44°26'32.70"E

○ペルセポリス(アケメネス朝ペルシャの首都)

29°56'4.69"N 52°53'25.70"E

○エルサレム「嘆きの壁」(ヘロデ王建設の宮殿外壁)

31°46'36.21"N 35°14'1.96"E         

 ◎エジプト文明

○ギザの三大ピラミッド(古王国のファラオの王墓) 

29°58'35.98"N 31° 8'5.36"E

○王家の谷(新王国のファラオ達の墓所)       

25°44'26.51"N 32°36'5.84"E 

 

☆ヨーロッパの源流

 ◎ギリシャ文明

○クノッソスの宮殿(クレタ文明の中心地)     

35°17'52.50"N  25° 9'47.57"E

○トロイの遺跡(トロイ戦争の舞台)          

39°57'26.92"N  26°14'21.28"E

○アクロポリス(アテネ・ポリスの神殿)        

37°58'17.00"N 23°43'34.00"E

○オリンピア(オリンピックの前身の祭典が開催) 

37°38'14.83"N 21°37'50.01"E

 ◎ローマ文明

○ローマのコロッセウム(ローマの競技場)     

41°53'24.97"N 12°29'32.15"E

○ポンペイの遺跡                      

40°44'58.16"N 14°29'9.25"E

○カルタゴ(フェニキア人の植民市。ポエニ戦争) 

36°50'36.51"N  10°19'7.11"E

 □東ローマ(ビザンツ)帝国

○セント=ソフィア聖堂(ギリシャ正教会の中心)  

41° 0'31.07"N 28°58'48.23"E

○テオドシウスの城壁(コンスタンティノープル防衛の城壁)

41° 1'33.08"N 28°55'50.86"E

☆中世ヨーロッパ

○ベネツィア(欧州中世最大の貿易都市)      

45°26'8.12"N  12°19'43.49"E

○バチカン宮殿(カトリックの中心地)         

41°54'8.52"N  12°27'9.26"E

 ◎教皇権の盛衰

○カノッサ城(「カノッサの屈辱」の舞台)       

44°34'33.97"N 10°27'22.69"E

○アビニョン教皇庁(教皇のバビロン捕囚)     

43°57'9.01"N 4°48'30.21"E

 ◎百年戦争

○オルレアン(百年戦争でジャンヌ・ダルクが解放) 

47°53'52.57"N 1°54'27.64"E

○カレー(百年戦争で残ったイギリス領)       

50°57'14.76"N 1°51'24.48"E

 ◎ルネサンス・宗教改革・大航海時代

○ピサの斜塔                      

43°43'24.01"N 10°23'42.56"E

○フィレンツェ(ルネサンスの舞台)          

43°46'17.84"N  11°15'11.46"E

○ヴィッテンベルグ(ルター宗教改革の舞台)   

51°51'58.17"N  12°39'21.45"E

○発見のモニュメント(ポルトガル大航海貢献者の碑)

38°41'37.85"N 9°12'20.15"W

○喜望峰(バルトロメウ=ディアスが到達)     

34°21'25.20"S 18°29'52.44"E

○サンサルバドル島(コロンブスが到達)      

24° 1'36.16"N  74°28'29.95"W

☆イスラム文化

○カーバ神殿(イスラム教第一の聖地)       

21°25'20.22"N 39°49'33.93"E

○エルサレム「岩のドーム」(ムハンマドが昇天) 

31°46'41.57"N 35°14'6.14"E

○アルハンブラ宮殿(ナスル朝の宮殿)       

37°10'38.84"N 3°35'23.83"W

○ブルーモスク(モスクの最高傑作)         

41° 0'19.08"N  28°58'36.63"E

 

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近江と観光

 今日は、「近江シリーズ」として近江の観光について書いてみたいと思う。

 前から言っているように近江の国・滋賀の魅力の一端は「ほったらかし」にあるというのが私の持論だが、観光目的にちゃんと整備されているところや伝統的に観光地となっているところもちゃんと存在しており、それはそれで魅力がある。しかし、京都と比べると確実に見劣りするし、観光という言葉で「滋賀へ」という方はあまりおられないのではないだろうか。今回は、そんな近江・滋賀の見所をあえて紹介したい。近江は観光資源にむしろ優れていると思う。

☆近江八景

 近江の観光地というと江戸時代なら近江八景である。しかし時代も移り、今観光地として耐えられるのは「石山の秋月」(石山寺)、「三井の晩鐘」(三井寺)くらいである。

 「比良の暮雪」(比良山系)は景色としては素晴らしいが観光地としては今ひとつ。「瀬田の夕照」の瀬田の唐橋は日本三名橋の一つに数えられるもののトラックも走る鉄筋製で、期待しすぎるとがっかりすること請け合いだし、「堅田の落雁」の堅田浮御堂も再建で文化財として今ひとつである。「唐崎の夜雨」は由緒ある松の木が残るだけ。「矢橋の帰帆」「粟津の晴嵐」は見る影もない。

 そこで新たに考えられたのが「琵琶湖八景」である。近江八景が湖南地域に偏っていたのにくらべ、滋賀県全域から誇りうる景観が選ばれた。瀬田などに少し不満もあるが、現代の近江・滋賀県を代表する景色なのである。

 以上のことにまず触れてから、それ以外の観光地の紹介をしたい。

①琵琶湖

 言わずと知れた日本一広い湖・琵琶湖である。地元の人は「うみ」という。固有種が多く、なかでも源五郎鮒から作る「ふなずし」は近江の名物ではあるが、独特のにおいを嫌って食べられない人も多い。一度挑戦をお薦めする。これを食べられたら近江人である。

 特に夏は琵琶湖の季節である。近江大橋よりも南部を南湖、北部を北湖というが、泳げるのは北湖である。南湖は水が汚くてちょっと無理。しかし、草津市の南湖沿岸は、無料駐車場付の芝生が広がり、多くのバーベキュー客でにぎわう。近くのコンビニや家庭用品店にもバーベキューに必要な用具がそろっている。公衆トイレもちょいちょいあって便利である。もっとも地元民にとっては混雑して結構迷惑なのであるが。

 一年を通して湖岸を歩く人は多い。観光バスでいらっしゃって歩いて夕方集合というパターンもあるようだ。年配の方のツアーや若者の琵琶湖一周サイクリングへの挑戦など、リーズナブルな自然体験にもってこいなのが琵琶湖なのであろう。

 琵琶湖というと「釣り」を連想する人も多い。琵琶湖の天敵ブラックバスはここでは勝負の相手となり、多くの釣り客が挑戦する。ただし、「キャッチ&イート」が条例で決まっており、釣った魚をリリースすることは禁じられているのでご注意を。

 風景は湖北がお薦めである。竹生島(ちくぶしま)をのぞむ奥琵琶湖パークウェイは絶景だ。また、海津大崎の桜は湖岸に桜のトンネルを形成しすばらしい。

②古城

 近江は歴史の国土である。なかでも戦国~近世期の城には事欠かない。とにかくいっぱいある。

 まず井伊家35万石の彦根城が世界遺産の暫定リストに登録されていることは以外と知られていない。しかし、姫路城には負けると思うが、掛け値なしに名城であると思う。天守が現存で縄張りが保存されている城は、姫路・彦根・丸亀・弘前しかないと聞いたことがあるが、国宝天守は姫路と彦根・松本・犬山になるので、姫路城と彦根城がいかに貴重な城かわかろうというものだ。加えて、彦根には城下町が残っている。姫路にはない。とにかく一度訪ねられることをお薦めする。

 次に安土城である。建物は残っていないが石垣はすごいものである。これだけの規模のものはそうはない。さすがは織田信長の天下普請である。平山城なので体力の消耗度も低い。なぜこれだけ有名で手頃な城に見学客が来ないのか不思議でしょうがない。最近整備工事がすすんでいるらしいがやめてもらいたい。私はほったらかしがいいのである。摠見寺仁王門(重要文化財)の仁王像の色がはげ落ちているのがいいのである。三重塔(重要文化財)がボロボロで倒れそうなのがいいのである。最近入山が有料になったという噂を聞いたが、あれほどの文化財がタダだったことが異常なのである。これも一見の価値ある城である。

 次に観音寺城である。京極氏の城である。俗に五大山城といわれる戦国の山城である。近江には他に小谷城(浅井氏)も五大山城に数えられている。だれが五大山城を決めるのかは知らないが、そういわれても納得できるだけの石垣群である。ただし山頂までの徒歩は結構疲れるので、ヤマビル対策など装備から覚悟していただきたい。

 他にも、長浜城などがあるが、再建天守でもあるしそんなに薦めない。ただし長浜は別に触れたい。

 以上の城はすべて湖東地方にあり、一泊二日程度での旅行をお薦めする。宿泊は彦根がいいと思う。

③長浜

 今、近江でもっとも観光客を集めているのが長浜である。年間460万人の人が来るという。彦根城という武器をもった彦根市の290万人を遙かに超えている。大河ドラマの影響もあるようだが、それ以上に「黒壁スクエアー」の人気がすごい。もともとは第百三十銀行(明治銀行)の建物が教会になっていたものを1989年に黒壁ガラス館として残したもので、「なんで長浜にガラスやねん?」と決して地元受けしたものではなかったのに、何故か観光客に大受け。どんどん拡張してさびれまくった旧商店街が完全に生まれ変わってしまった。こういう町おこしの成功例は全国にもちょっと無いと思う。小樽の取り組みに近いのかな?周辺に温泉もあるので宿泊も可能である。

 さらに足を北へ伸ばせば井上靖が「日本一美しい観音像」と評した国宝・渡岸寺十一面観音もある。この観音は地元の方々によって保存されたもので、「渡岸寺」は寺の名ではなく地名である。10数年前に見に行ったときは、土蔵の中で寂しく市販のライトをあてられており、案内のおじいさんが一人おられて見学者が来ると説明のテープの再生ボタンを押されていた。地元に守られた観音といえば聞こえはいいが、国宝としての扱いを受けているとは言えなかった(近年は耐震ケースに入れられたと聞きました)。もちろんそこが近江のよさなのである。

 もちろん彦根見学と組むこともできる。彦根も城下町の改造・再生に取り組んで成功しており、湖東・湖北は今後楽しみである。

④重要伝統的建造物群保護地区

 昔の町を堪能したい人は、重要伝統的建造物保護地区へ行かれるのがいい。近江には3カ所ある。大津市坂本、東近江市五個荘町金堂、近江八幡旧市街である。どれも近江ならではで、色を塗り直したり無理をして観光客相手の店を出したりしていないのがいい。本当にタイムスリップした感じがする。そこに普通に人が住んできたのである。ここが近江のいいところだといつも思うのである。他の地区は、関宿(三重県)にしても妻籠宿(長野県)にしても、色を塗り直したり店が出来たりで俗化しつつあるところが多いと思う。

 特に近江八幡は八幡堀が有名で、年間220万人を超える観光客を集めていると聞いた。落ち着いたいいまちである。

⑤甲賀・信楽

 甲賀は甲賀忍者の里。甲賀町の忍者村と甲南町の忍術屋敷はなかなか面白い。一見の価値はある。しかし、そんな感想も信楽高原に上がれば忘れてしまう。ここは別世界なのである。信楽といえばタヌキの町。それは確かなことで陶器屋の店先に所狭しと並べられた大小のタヌキが独特の景観を醸し出している。しかし、それだけではない。ここでは何かが他の地域と違う。例えば喫茶店の名前。「ロクロ」「ネンド」。そんな名前の喫茶店は絶対に他にはない。朝宮地区へ行くと茶畑が広がるが、ここでは茶店にはいると「朝宮茶」のメニューがある。まさに喫茶店。注文すると、茶葉と急須・ぐい飲みのセットに茶菓子が付いてくる。結構いけるのである。陶器の狸を初めて作った「狸庵」さんへ行くと、本当に様々なタヌキにお目にかかる。ゴルフ狸や嫁入り狸なんか絶対売る気で作ったのではないと思う。他にも道ばたに巨大な寝ころんだタヌキがあって驚いていたら実は陶器屋だったり、信楽駅の公衆電話は巨大狸の通い帳だったり、とにかくここは何か常識が違うのである。半日でいいので、いろんな陶器屋へ入って話をすることをお薦めする。信楽には年間160万人が訪れるという。

⑥高島・朽木

 高島市は、近江の中でも長く俗化しなかった地域である。観光資源といっても安曇川の扇骨、先に書いた海津大崎の桜、箱館山のスキー場(人工降雪機あり)くらいしかない(スキー場は他にもマキノ・朽木・国境など)。

 しかし、ここ近年高島の食が注目されるようになった。鮒寿司はもちろん松の司などの地酒、箱館山や朽木のそば、鯖街道沿いの鯖寿司、宝牧場のソフトクリーム、安曇川の鮎などである。さらに朽木温泉「天空」などの人気温泉がある。

 しかし、なんといっても最近の注目は新旭の「川端(かばた)」であろう。川端を中心に新旭の里山と水辺をめぐるツアーがけっこうはやっているらしい。近江には自然と共生した生活が生きている、そう感じられるツアーのようだ。

 地域は離れるが、そういう生活は琵琶湖の対岸の米原市番場の地蔵川にも見られる。旧中山道なので、歩いて見られるとよい。落ち着いた雰囲気に「ほっこり」すること請け合いである。ついでに醒ヶ井の養鱒場に行かれるとおいしい鱒に出会えます。

国宝・重文寺社めぐり

 近江は京都・奈良についで国宝・重要文化財建造物の多い地域である。そのほとんどが寺社であるが、国宝は奈良・京都についで22件で3位、重要文化財は京都・奈良についで179件で同じく3位である。ちなみに建造物以外の国宝でも、東京・京都・奈良・大阪についで5位である。大都市には国立博物館なんかがあるが、近江の国宝はもともとの場所にあるのが特徴である。そのことはすなわちこうした文化財が京都・奈良と違ってバラバラに配置されていることになるので、観光客にとっては不便なのである。大津市の延暦寺や「近江八景」にも数えられる三井寺・石山寺なんていう有名な寺はそうでもないが、観光客なんか当てにしないで、相変わらず地元の檀家さんに支えてもらっている国宝寺社もある。ある国宝寺社を車で訪ねたら、大きな放し飼いの犬が車に飛びかかってきた経験がある。そんな例外を除いたら境内に入ったって誰もとがめない。逆に言うとじっくり本堂・三重塔を鑑賞することができる利点があるのである。

 そういう意味からも寺社の本当に好きな方は、京都よりも近江の寺社をお薦めする。ただし、一日にいくつも回れないのが難点である。

 一応地域別に列記しておこう。

☆大津地区 延暦寺・日吉大社(2件)・園城寺(三井寺)(2件)・勧学院・光浄院・石山寺(2件)

☆湖南・甲賀地区 御神神社・大笹原神社・苗村神社・常楽寺(2件)・長寿寺・善水寺

☆湖東・湖北地区 金剛輪寺・西明寺(2件)・都久夫須麻神社・宝厳寺  彦根城も忘れずに。

 ちなみに重要文化財寺社ならそこらにいっぱいある。国宝が多いので観光資源にはならないくらいあるのである。ちょっと古い道を走ればすぐに見つかります。

⑧琵琶湖博物館

 滋賀県で唯一のリピーターの見込める官製施設。それが琵琶湖博物館である。博物館の中では全国3番目の入場者数を誇ると言う。とにかく入れば分かる。工夫が面白い。遊び心があるのである。子ども連れには特にお薦めである。特に淡水魚水族館は素晴らしいの一言。隣の水性植物園と一緒に行かれると良い。

⑨その他

 他にも観光客を集めている施設にはブルーメの丘などいっぱいある。是非一度我が故郷近江・滋賀へゆっくり行ってみて下さい。

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グーグルアース日本版(地理)総集編1

 ここまで3回にわたって「地理編」を掲載してきましたが、ここでいったん総集編。あくまで第一弾です。つぎは、「世界史編」に取り組みます。

☆大地形

広がる境界     東アフリカ大地溝帯          0°36'31.77"S 36°14'20.66"E

ずれる境界     サン=アンドレアス断層   38° 2'46.31"N 122°46'3.67"W

ホットスポット  マウナロア山          19°27'44.10"N 155°36'4.67"W

安定陸塊      エアーズロック         25°20'47.40"S 131° 2'5.50"E

赤道標識      エクアドル・キト郊外       0° 0'0.00"N  78°27'21.46"W

☆小地形

カルデラ      阿蘇山(上空25㎞)        32°53'26.86"N 132°53'26.86"N

円弧状三角州    ナイル川デルタ       30°33'49.02"N 31°13'4.77"E

カプス状三角州   ティベレ川デルタ      41°44'58.67"N 12°14'29.09"E

鳥趾状三角州    ミシシッピー川デルタ   29° 6'23.25"N 89°16'0.56"W

三角江       テムズ川三角江       51°31'43.20"N  0°35'15.47"E

リアス式海岸    リアスバハス海岸     42°27'27.14"N 8°56'43.40"W

フィヨルド     ソグネフィヨルド        61°12'39.83"N 5°47'50.89"E

河岸段丘      群馬県片品川        36°39'1.26"N 139° 5'48.38"E 

海食崖       フランス ノルマンディ地方 49°21'5.52"N   0°46'30.75"W

山岳氷河      パタゴニア          49°49'18.63"S  73°14'46.26"W

陸繋島       北海道 函館         41°45'24.75"N 140°42'42.65"E

潟湖        北海道 サロマ湖       44° 8'16.28"N 143°48'3.22"E

環礁        マーシャル諸島        11°36'12.60"N 165°24'29.41"E

堡礁(ボラボラ島) 仏領ポリネシア       16°30'18.67"S 151°44'18.12"W

☆集落・都市

環濠集落     奈良県 稗田           34°38'26.30"N 135°47'42.76"E

輪中集落     三重県 桑名市       35° 3'26.29"N 136°43'17.52"E

寺内町      大阪府八尾市久宝寺町   34°37'38.64"N 135°35'16.02"E      

城下町      三重県伊賀市上野     34°45'57.78"N  136° 7'42.12"E

宿場町      滋賀県大津市        35° 0'23.33"N  135°52'0.69"E

新田集落     埼玉県 所沢市      35°49'50.47"N 139°28'38.60"E

散村集落     富山県 砺波市       36°33'59.43"N 136°55'53.59"E

円村集落     ドイツ ネルトリンゲン  48°51'3.01"N  10°29'23.41"E

星形城塞都市   オランダ ナールデン  52°17'45.95"N   5° 9'45.86"E

政治都市     ブラジル ブラジリア    15°47'1.70"S   47°54'10.76"W

             ナイジェリア アブジャ     9° 2'57.46"N   7°29'42.11"E                                             

☆農業関係

棚田       バリ島              8°27'38.80"S 115°10'46.88"E

アブラヤシ畑   マレーシア サラワク州  3°46'56.24"N 114° 0'16.37"E

等高線耕作    アメリカ西部        44°20'57.55"N  92°36'23.41"W

センターピボット サウジアラビア      28°40'49.15"N  36°19'48.50"E

        アメリカ グレートプレーンズ   40°23'27.17"N  99°28'39.08"W

混合農業地域   ポーランド        54°15'4.54"N   18°53'37.17"E

塩害       中央アジア         40°17'52.13"N  62°20'21.70"E

カナート     イラン            35°42'37.38"N  50°43'20.38"E

 ☆鉱工業・交易関係

ジュロン工業地帯 シンガポール      1°19'33.61"N 103°41'59.32"E

アラビア横断パイプライン            31°40'37.86"N  38°41'31.44"E

アスワンハイダム エジプト         23°58'43.23"N  32°52'39.69"E

アコソンボダム  ガーナ            6°18'6.49"N   0° 3'35.87"E

バナマ運河    パナマ              9° 3'30.73"N 79°39'23.83"W

スエズ運河    エジプト             30°37'54.93"N 32°19'13.89"E

 ☆領土・紛争

沖ノ鳥島     日本                20°25'23.22"N 136° 4'26.19"E

岩のドーム    エルサレム       31°46'41.57"N 35°14'6.14"E

 ☆宗教

カーバ神殿    サウジアラビア     21°25'20.22"N 39°49'33.93"E

ポタラ宮殿    チベット(ラサ)      29°39'27.70"N 91° 7'2.32"E

バチカン宮殿    バチカン市国     41°54'8.52"N  12°27'9.26"E

ゴールデンテンプル  インド       31°37'12.02"N  74°52'36.27"E

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韓国修学旅行で土下座って本当?

 前回、「朝鮮学校の生徒をいじめるバカ」という文章を書いたら、はじめてのコメントを頂戴した。自分の文章が他人に見られているという緊張感を持つことができ、ありがたかった。
 その中で、「日本人の高校生が修学旅行で行った韓国で元従軍慰安婦に土下座させられてます」と、そんなことを教えていただいた。私はそんなことは聞いたことがないので「何かの間違いでは?」と問い返したところ、以下のアドレスを教えていただいて、「これを見て日本人としてどう思われますか?」と問われたのである。http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k373.html
 そのときの私のブログ本文と趣旨が変わるので、今回、項を改めて私の思うところを申し上げたいと思う。

○産経新聞(韓国日報)の記事

 まず「私がマスコミを批判する理由」にも書いたように、私は情報を鵜呑みにしないようにしている。そこでこの記事にも検討を加えてみた。
 ネット上で調べてみたら、あるわあるわ。いっぱいだ。今まで知らなかったことが不思議なくらい。しかし元ネタとなっているものはそう多くはない。まずは産経新聞から。

韓国紙報道 ソウル記念公園に生徒200人 【ソウル5日=黒田勝弘】
「卒業式の「日の丸・君が代」問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。五日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の「生徒たちのまじめな表情に感動した」という感想も紹介されている。

韓国日報は「“キミガヨ”で悩みの校長の教え子たち」「5年前からタップコル公園で“謝罪の参拝”」という見出しで、昨年十月十六日の様子を詳しく報じている。
それによると、「世羅高校の男女生徒約二百人は昨年十月十六日午後四時、タップコル公園の三・一(独立)運動記念塔前でひざを折って座り、日帝侵略と植民地蛮行を謝罪する文章を朗読した。一部生徒はハングル(韓国の固有文字)を学び、謝罪とともに両国の和解を訴えるプラカードを日本で作って持ってきた」という。さらに「公園での謝罪儀礼は犠牲者に対する黙とうと班長のあいさつ、謝罪文朗読、日本から持ってきた平和を望む折りづる献呈、公園内の史跡訪問などとなっていた」としている。
タップコル公園はソウルの中心街にあり、これまではパゴダ公園といわれた。日本統治時代初期の一九一九(大正八)年三月一日、大規模な抗日独立運動のスタートになったところで、記念塔などの施設があり、市民の憩いの場になっている。
世羅高校修学旅行団を案内した劉載晃氏(七九)は記事の中で「これまで五年間、“謝罪修学旅行”を許可してきた校長先生が、日帝軍国主義の象徴である日章旗掲揚や君が代斉唱に反対する教師たちと教育委員会の間で悩んだ末に自殺を選んだのだろう」と語っている。
また「謝罪修学旅行を送り出してきた石川(敏浩)校長は、教育委員会の指示を拒否することも、自身の良心に反する行動も難しいという葛藤(かっとう)を味わったことだろう」という記者の見方が書かれている。
近年、日本の高校生の韓国への修学旅行は増え、年間数万人にのぼる。旅行先は古都の慶州などの史跡のほか、独立記念館など歴史がらみのところが多い
(産経新聞)1999年(平成11年)3月6日

この産経の記事には、従軍慰安婦云々はいっさい書かれていない。写真を見ても、50年以上昔に被害に遭われたというからにはかなりご高齢のはずの元慰安婦とおぼしき人は写っていない。どちらかと言えば男性が目立っているくらいだ。また、「ひざを折り、頭を垂れている」とあるが土下座という表現はない。写真も座ってはいるが土下座には見えない。資料とおぼしき紙を見ている生徒、後ろを向いている生徒もいる。つまりこの記事はあくまで「独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていた」ということを報じようとしたもので、元従軍慰安婦に土下座したことを報道したものではないのである。しかし、この写真が一人歩きし、広島県の世羅高校の生徒が「元従軍慰安婦の前で土下座させられた写真」として巷間に流布しているのだ。人によっては「どう見ても土下座している」とまでいうのだ。なぜそうなってしまったのだろうか。

○2chの投稿-これは世羅高校ではない!

 さらに調べると、ある女子生徒の投稿が存在するという。「体育館で元従軍慰安婦の方の体験を聞いたあと、司会が「土下座して謝ろう」といったので何人かで抵抗したら教師から怒鳴られた。結局土下座はしなかったが謝罪はした」とのこと。「2ch」で2004年(平成16年)2月20日未明の書き込みらしい。
 この書き込み、なぜか繰り返しネット上に登場する。2006年9月にもあたかも初出のように複数のサイトに登場した。だが、本当の初出は先にも書いたように2004年2月20日、2chである。http://ex2.2ch.net/test/read.cgi/korea/1068277882/格納情報を見る方法が分かる人は見て下さい。
 ところで世羅高校の修学旅行は、学校のホームページの「PTA新聞」と「学校新聞」から分かる。2004年2月は2003年度で世羅高校の修学旅行は東京である(ちなみに2004年度は台湾)。さらに言えば、先の産経記事の写真は屋外だがこのメールの舞台は「体育館のようなところ」である。つまりこのメールは世羅高校でのことではないのだ。しかし、ネット上のいたるところで1998年10月の世羅高校のこととして流布してしまっているのだ。

○なぜか2つがくっついて

そうつまり、以上の2つがくっついて一つの話になったらしいのである。

◎このサイトが、一番忠実に2chのメールを再現しています。2chの格納情報を見られない人はこちらをどうぞ。
http://chosonnews.txt-nifty.com/han/2004/09/post_17.html (2004年9月30日の文章)

◎この人はメールの記事を紹介。なのになぜか末尾に産経記事の写真を貼付。
http://bbs2.mbsp.jp/ch.php?ID=cyosenfuck&c_num=366314 (日付不明) 

◎この人なんか完全に勘違いして一つの話にしている。
http://www.ztv.ne.jp/web/ms-kudoh/Angles_2005(2)/angles_131(School%20travel%20in%20Korea).html (2005年7月30日の文章)

◎この人なんか、韓国日報記事を自分が読んだことにして、本文にない「土下座」を意図的に挿入。いいかげんだね。
http://plaza.rakuten.co.jp/nwaiwgp/diary/200501300000/ 2005年1月30日の文章)

これ以外が元になって「世羅高校の生徒が元従軍慰安婦の前で土下座をさせられた」という話はでてこない。そこでまず一つの結論。「世羅高校の生徒は元従軍慰安婦の前で土下座をさせられていない。」少なくともネットではそのような事実は確認できない。

○世羅高校生の声

 ついでにこれも参照。当時の世羅高校生の生の声が入っています。掲示板をどこまで信用するかは別問題としてありますが。(31と39と48は当時の生徒と名乗っています。)
http://chugoku.machi.to/bbs/read.pl?BBS=cyugoku&KEY=1112959576
リンク切れを恐れて、以下に引用しておきます。
○31の引用。
>わしらちょうどその有名な「土下座旅行の生徒」だったんじゃ。
>土下座だっつって騒いだのはおまえらアホの2ちゃんねらーと新聞だけじゃ、あほ。
>「たちっぱなしだと話長いししんどいからとりあえず着席してください」ってだけじゃ 
                           (中略)
>死んだ校長はたまに話したけどやさしかったしええひとだったで。
>韓国やらなんやらゆうておまえら騒ぎすぎなんじゃ どうでもええ
                           (後略)
○39の引用
>話は戻るが漏れは韓国ツアー第一号生徒だったが土下座した覚えはないぞ
 ここで話を終わってもいいのだが、いちおう2つのニュースソースを別々に検討してみよう。

○ネット上の産経新聞記事の検証

 まずは前半の、産経新聞が「韓国日報」から産経が抜粋したといわれる記事である。韓国を代表する三大新聞社は、朝鮮日報・中央日報・東亜日報。韓国日報はThe Korea Timesで、韓国を訪れる英語話者向けに発行されているものらしい。日本語版はない。この記事は時々「朝鮮日報」として引用されるが、それは明らかに間違いである。最初に断っておきたい。
 さて次に、この記事には明らかな虚偽が含まれている。それは「これまで五年間、“謝罪修学旅行”を許可してきた校長先生が、日帝軍国主義の象徴である日章旗掲揚や君が代斉唱に反対する教師たちと教育委員会の間で悩んだ末に自殺を選んだのだろう」との"韓国人のコメント"である。なぜならこの石川敏浩校長はその年の4月に赴任しているのである。黒田記者と産経新聞は「韓国日報」からの転載であるとしても間違いは正すべきだし、正すことができたはずである。このことだけで、この記事の信用性がグッと下がる。
 次に、この写真をもう一度よく見てみよう。資料らしきものを見ている生徒がいる。歓迎の横断幕?らしきものも見える。生徒と同じ色の制服らしきものを着た人が3人立っている。生徒の代表だろうか?生徒の代表が何か文章を読み上げている場面だとすれば、その点産経記事と話は合う。しかし、この「生徒」は生徒の側を向いている。謝罪文の読み上げなら前にいる韓国の方々の方を向いて行うべきである。ということは写真は「生徒代表が何か生徒向けの文章を読み上げている場面」ということになろうか。また、先にも書いたように、「ひざを折り、頭を垂れている」と本文にあるが、いわゆる「体育座り」やその場での「蹲踞」や、若者のよくするしゃがみ方でも「ひざを折」った座り方である。資料を見れば頭は下がる。左側に写っている男性が後ろ手で胸をはり、その前の生徒が資料を見るために頭を下げているから、先入観を持って見れば「土下座して謝罪した」という場面に見える人には見えるのだろう。そもそもわざわざ「ひざを折り」という不自然な表現を採用した意図を私は疑う。「ひざを折り」と表現することで「土下座したのでは」と読者がかってに勘違いする、そういう効果を狙ったのではないかと勘ぐりたくもなる。
 この記事が校長の自殺直後の3月5日に書かれたことも気になる。この修学旅行は約5ヶ月前の10月である。こんな微妙なタイミングでそんな約半年も前の出来事を取り上げたのである。なにか意図があったと考えないほうがおかしい。詳細は分からないが、少なくともこの記事は、石川校長を謝罪修学旅行を許可してきた韓国寄りの人物とし、韓国側からは「惜しい人を亡くしました」、日本の一部の人からは「生徒に土下座させるような校長の自殺に同情する必要はない」、というようなことを感じさせる効果を持っている。

 ルポライターの鎌田慧氏は、『家族が自殺に追い込まれるとき』のなかで、自殺までの経緯(教職員とは「君が代」未実施で了解済みだったが、教育委員会のプレッシャーと周辺校の状況がそれを許さなかったという苦悩の経緯)にふれ、この修学旅行を石川校長が自ら引率していたことに言及した上で、「石川校長が『日の丸・君が代』にたいして、強い抵抗感をもっていたのは容易に想像できる。」とし、さらにこの記事とこの記事を踏襲した「週刊文春」(三月十八日号)の記事を「死者に鞭うつ記事」であるとしている。

 ところがこの記事は中途半端に引用され、石川校長が現場の教員と対立したから自殺したとかってに思いこみ、世羅高校の教員を批判するのに使われる事がむしろ多い。それこそ石川校長をバカにした話なのである。

○実はこの産経記事には続きがあるのです。

以上がネット上の記事の検証だが、実は実際の産経記事には続きがある。

「韓国への修学旅行を引率した世羅高校の複数の教員は『韓国でどう報道されているかは分からないが、宣言文を読み上げる前に生徒たちが座った形で集会を開催。座ったままで黙とうして、頭を下げた生徒もいたと思う』と話している。
 広島県教委や世羅高校によると、修学旅行は昨年十月十五日から三泊四日の日程で、自殺した石川敏浩校長を団長に、二年生約二百人と、引率の教員十三人が参加した。
 韓国旅行は、それまでの北海道スキー旅行から、平和学習を目的に実施しており四回目だったという。
 「宣言文」は生徒たちが考えたもので『むかし、不幸な歴史があったけれども、これからは仲良くやっていきたい』との内容だったという。」

さらに同じ日の読売新聞にも報じられている。

「昨年の修学旅行を担当した世羅高校の教諭は「平和学習の一環であり、謝罪旅行ではない。三・一独立運動記念碑前では、座っただけで、ひざまずいてはいない。韓国の新聞で謝罪文としているのは宣言文で、生徒が考えた。垂れ幕には『平和をつくろう、私たちの手で』と書いてあり、謝罪の言葉はない」と話している。」

そう。教員の言葉を信じれば、土下座どころか謝罪行事ですらないのである!謝罪行事でなければ土下座などするわけがない。「韓国日報」はなぜかってに「謝罪文」「謝罪行事」としたのだろうか。まったく迷惑な話である。

○あえてゆずって言う

だいたい、あえてそういう事実(世羅高校がソウルの独立運動記念公園で行っていた行事が謝罪文を朗読するなどの“謝罪行事”であったという事実)があったということにしても、韓国側が謝罪を要求し無理矢理させたものではなく、学校側が自発的に行ってきたものだということだ。なぜこの記事を引用して「韓国人が謝罪させた。けしからん」という人がいるのか全く理解できない。その点確認。
あらゆる理由で、この件で韓国のあり方を批判するのはどう考えてもお門違いなのである。
ちなみにこの記事を間違いであるとした上で、「土下座させたというのは韓国側の捏造」として結局韓国を批判するのに用いる人もいるようである。本文に「土下座」という表現がないにも関わらずこんなことをいうのは、よっぽど韓国がお嫌いなのでしょう。もし言えるとしたら「なぜかってに”謝罪行事”と表現したのか」ということくらいであろう。それも韓国ではなく韓国日報を批判すべきである。

○直接関係ありませんが、ついでに。

ついでに、ネット上でよく言われる話について。

「世羅高校の教師は誰一人石川校長の葬式に行かなかった。けしからん!」というやつ。

事の発端は、広島県選出の代議士・亀井郁夫が行った次の質問です。

◆自殺校長宅での焼香 世羅高の教員はゼロ

国旗国歌、異常な現場を“告発” 自民・亀井氏
 「いまだに(自殺した)石川校長が職場をともにした(広島県立)世羅高校の先生が、線香を一本もあげていない」-。二日に行われた参院国旗国歌特別委員会における質疑で、広島県議時代から県教育界の正常化に取り組んできた亀井郁夫氏(自民)が、卒業式での国歌斉唱などの取り扱いを苦に今年二月に自殺した石川敏浩校長の自殺で浮き彫りになった広島の教育現場の異常さを“告発”した。
 これまで三回焼香に石川校長の自宅を訪れたという亀井氏は、世羅高校の教員が葬儀には参列したもののその後、焼香に訪れていないことを指摘して、「人間としてこんなことが許されるのか。一人くらい線香をあげる人がいてもいいと思うが、ゼロということに驚いた」と慨嘆。さらに、「数十人の世羅高校の先生が完全にマインドコントロールされているのか、あるいは何かが怖くて参ることができないのか。何が怖いか。解放同盟であり、教職員組合だろう」と述べ、反「日の丸・君が代」教育運動を展開する部落解放同盟広島県連合会、広島県高校教職員組合などに矛先を向けた。
 野中広務官房長官も、「石川校長を死に追いやるところまで追い込んだ先生方がどうして一人も校長の心情を分かってやろうとしなかったんだろうと思うと悲しく思う。この背景にあるものに問題を感じる」と亀井氏に同調。そのうえで、「石川校長の自殺を無にしないために勇気をもって対処したい」と
法案成立への思いを新たにしていた。
産経新聞 平成11年8月3日

亀井氏や野中氏の発言自体、国旗国歌法案を成立させるためにこの事件を利用するための発言で、どこまで信じていいのか分からない。それにしても葬式には参列したというのに「線香を一本もあげていない」と指摘する、というのはどういうことだろうか。葬式に参列すれば当然線香をあげているだろう。葬式とは別にみんなが自宅を次々に訪問するべきだというのだろうか。そんなことをすれば、肉親を亡くされたばかりのご家族がどれほどお疲れになられることか。それとも広島にはそういう風習があるのであろうか。

しかもこれがネットに乗ると、例えばhttp://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/asia/kaba.2ch.net/asia/kako/998/998619025.htmlなどには、この記事の紹介(40番)の直後の42番の投稿にすらすでに「誰一人として、葬式に行かない教員達も異常としか思えない。」と葬式にさえ行かなかったことになっている。みんな葬式には参列したんだよ!かってに勘違いしてかってに怒っているんだ。実に滑稽です。

「教師たちが赴任したばかりの石川校長を土下座させて謝らせた」という話も散見されるが、ニュースソースは「アッサヒ新聞」という反朝日系サイトの信用できない投稿です。こんなあやふやなものを信じて論を立てるのはどうかしています。

○2ch投稿の検証

後半の女子高生の書き込みはどうであろうか。この書き込みは、2chの「【もうね】カンコク大嫌い【うんざり】」というスレの514、516、518、519番である。

まず本文に2004年2月20日未明の文章として「今日帰ってきました」とあることから、2月19日に帰ってきたことになっている。翌日20日は金曜日である。疲れて帰ってきて翌日登校しなければならないはずで、おそらく学年末考査も近いはずの高校生が、深夜(2:29~2:51)に長文の書き込みをしているのである。私はその時点で不自然さを感じる。15日の日曜出発の4泊5日の修学旅行なら代休で翌日は休みだとする考え方も確かにある。しかし疲れているはずの女子高校生が深夜2時半から22分間にわたって4回に分けて投稿しているのである。それだけでおかしいと感じないだろうか。
 また、2月という極寒の時期に韓国へ行くのも不自然だと思っていたら、韓国観光公社によると2005年度は3~4校あったらしい。この2003年度はSARSの影響により韓国への修学旅行が半減した年度であることから、もっと少なかったかもしれない。ちなみに平年では、ネット上に毎年スキー目的で行くところが2校。他に11月シンガポールの予定がSARSの影響で秋のシンガポールから2月韓国になった、毎年行き先を変えているその内の1回行った、等の話は発見できる。しかし2004年2月19日に日本に帰ってきた学校は見つからなかった。同じ2月でもほとんどが前半に終わっているのである。なぜなら2月中旬~3月までは、入試・学年末考査・卒業式と学校は大忙しなのである。

ついでながら、出入りの旅行業者に「土下座させられるなんてことがあるのか?」と聞いてみた。「私は聞いたことはない」「韓国は日本の修学旅行の受け入れに真剣だから、そんなことをすることはまず考えられない」「そんなところがあったら業者サイドで『あそこは行かない方がいい』という情報が回る。保護者から文句が出て業者選定してもらえないと困るから、業者はそういう情報に敏感ですよ」「スキー以外で2月に行くのは突発的なハプニングで他に予定されていた修学旅行ができなかった場合でしょうね。韓国の美しい季節からは春か秋ですから。」との至極常識的なお答えをいただいた。そうだよね、ふつう。はっきりいってそんなことをする学校があったらかなり変わっている。

以上の結果から私は、このメールはウソの可能性がかなり高いといいたい。教育現場を知っている人間から見れば、あまりにも不自然なのである。ちなみに、このメールの該当校を奈良県の智弁学園では?とするブログがあったが、智弁学園の2004年度の修学旅行は4月19日~23日と20日~24日の2団編成であり、明らかに異なる。
 ちなみにこのメールの内容を認めた上でもやはり最後は日本側の教師が「謝ろう!」と指示したことになっている。やはり韓国側の問題ではないのである。
 こんな話を取り上げて、「韓国に修学旅行に行ったら土下座させられる。けしからん。」などと騒ぐのは、「こんな話を待っていた」という人だけではないだろうか。

○まとめ

韓国への修学旅行をどのようなものにするか、ということは韓国とどのような関係を築くのかということと深く関係することは論を待たない。私は交流団で韓国に行ったことがある。完全に対等に握手し、笑顔を交わし、出迎えや見送りを受けた。本当に韓国が好きになった。全く通じない日本語と韓国語で、夜の東大門市場のはずれの屋台で楽しい酒を飲んだのもいい思い出である。日本に暮らす在日の友人も多くいる。中にはソウル大学へ入った人もいた。そんな私からすれば、こんな両国関係を分断するような情報が一人歩きする状況がどうしても理解できない。日本の中に存在するこのような風潮はなんとしても廃していきたいものである。
 韓国修学旅行をどのような修学旅行にするのか。本当の友好のために今後の思索課題としていきたい。

(付記)

ここで投げかけを。
「韓国に修学旅行に出かけて土下座してしているあるいはしたことのある学校は、果たして本当に存在するのでしょうか?」
私は、上記2ch情報以外にネット上も現実の上でもうわささえも聞いたことがありません。
ご存じの方、お知らせ下さい。

(追記) 世羅高校駅伝優勝おめでとうございます!2006.12.25
(追記2)
 約2年間にわたってこの問題に興味をお持ちの多数の皆さんに、ページを見て頂きましたが、いまだに「韓国で土下座させられた」という学校の証言者、あるいは知っている人は出てきません。よって過激に結論。
韓国の修学旅行で土下座させられた学校は存在しない!
事実が確認できれば、内容の修正にやぶさかではありません。お知らせ下さい。

「韓国修学旅行で土下座って本当?」その後をアップしました。2008.5.27

「韓国修学旅行で土下座って本当?」再びをアップしました。2009.10.19

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Google Earth日本版で地理ネタを拾う2

引き続き、Google Earth 日本版を使って地理授業で使える風景を探してみた。第2弾です。

☆集落・都市

○環濠集落(奈良県稗田) 34°38'26.30"N 135°47'42.76"E

周辺には条里制地割りが残り塊村形態が見られます。

○輪中集落(三重県桑名市) 35° 3'26.29"N 136°43'17.52"E

○新田集落(埼玉県所沢市) 35°49'50.47"N 139°28'38.60"E

このあたり新田集落だらけです。路村形態の典型と短冊形地割が美しいです。

○散村集落 (富山県砺波市)  36°33'59.43"N 136°55'53.59"E

日本を代表する散村です。

○円村集落(ドイツ・ネルトリンゲン)  48°51'3.01"N  10°29'23.41"E

典型的な中世の囲壁都市です。

○星形城塞都市(オランダ・ナールデン)  52°17'45.95"N   5° 9'45.86"E

びっくりしました。とにかくヨーロッパは、都市が美しい。

○政治都市(ブラジル・ブラジリア)  15°47'1.70"S 47°54'10.76"W

      (ナイジェリア・アブジャ)  9° 2'57.46"N   7°29'42.11"E

日本人による設計です。あまり鮮明ではありません。

☆小地形

○河岸段丘(群馬県片品川)  36°39'1.26"N 139° 5'48.38"E 

見事です。

○海岸段丘(フランス・ノルマンディ地方) 49°21'5.52"N   0°46'30.75"W

海岸段丘は上空からはわかりにくいです。

○山岳氷河(パタゴニア)  49°49'18.63"S  73°14'46.26"W

氷河が途中で溶けて川になっています。

○陸繋島(北海道・函館)  41°45'24.75"N 140°42'42.65"E

○潟湖(北海道・サロマ湖) 44° 8'16.28"N 143°48'3.22"E

 以上の経緯度をジャンプ・タブの一番上の空欄にペーストし、右にある虫眼鏡をクリックすれば、恐ろしい早さで地球が回りズームインします。写真を貼ろうかとも思いましたが、ご自分でやられた方が絶対に面白いです。

 他に面白い場所や使い方を知っておられる方、是非お教え下さい。

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グーグルアース日本版を試してみた。

「グーグルアース日本版(地理)総集編1」ここが最新の総集です。

http://yojinn.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_f2b1.html

    Google Earth日本版をインストールして見た。まあこれが面白い。場所(経緯度)を指定したらそこを目指して地球が回り、急速でズームイン。「これは社会の授業に使える」と思い試しにいろいろ探してみました。今は地理を担当しているので今回は地理の地形編

大地形

       広がる境界   東アフリカ大地溝帯      0°36'31.77"S 36°14'20.66"E

       ずれる境界   サン=アンドレアス断層    38° 2'46.31"N 122°46'3.67"W

       ホットスポット 天皇海山群          41° 0'46.30"N 169°36'1.56"E

       安定陸塊    エアーズロック        25°20'47.40"S 131° 2'5.50"E

      

 小地形

       円弧状三角州  ナイル川デルタ       30°33'49.02"N 31°13'4.77"E

       カプス状三角州 ティベレ川デルタ      41°44'58.67"N 12°14'29.09"E

       鳥趾状三角州  ミシシッピー川デルタ    29° 6'23.25"N 89°16'0.56"W

       三角江     テムズ川三角江       51°31'43.20"N  0°35'15.47"E

       リアス式海岸  リアスバハス海岸      42°27'27.14"N 8°56'43.40"W

       フィヨルド   ソグネフィヨルド      61°12'39.83"N 5°47'50.89"E

以上の経緯度をそのまま「検索」の「ジャンプ」タブの空欄にペーストして、その右の虫眼鏡をクリックして下さい。

ちょっと探しただけでこれだけ見つかりました。他に知っている方おられましたら、お教え下さい。

こちらもどうぞ

「Google Earthで地理ネタを拾う2」

http://yojinn.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_0781.html 

「Google Earthで地理ネタを拾う3」

http://yojinn.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/google_earth3_c635.html

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修学旅行って何?

 修学旅行の季節がやってきた。全国的には10月実施のところが多いようだが、本校は9月実施でまもなく出発する。

 多くの修学旅行を引率してきた経験から、修学旅行に複雑な思いをいたすことがある。私の中の思いは「費用面」「運営面」「目的」にまとめられるようだ。

 ①費用面

 修学旅行が受注型企画旅行でありパッケージツアーよりも高額になることは、日本旅行業協会の説明である程度理解できる。教員としての疑問は、教育委員会による限度金額の設定である。全国修学旅行研究協会の調査によると、平成16年度の段階で18の都県が実施金額に上限を設けている。その金額は国内旅行だけを見ても千差万別。愛知県の65,000円から宮崎県・千葉県の100,000円まで大きな開きがある(その後、滋賀が金額を上げ福島・宮崎が上限金額を廃止する中で、なぜか熊本は8万円から7万9千円に下げた)。宮崎が地理的位置からも高額になることは理解できる。しかし、同じ九州の福岡は77,000円、長崎は78,000円なのである。ふつうに考えれば「高い宮崎はけしからん」だろうが、そこが少し違う。77,000円で行けるところはせいぜい近畿地方や四国。しかし実際にはうっかりすると北海道に行っている。つまり限度金額が安すぎるのである。県民から「修学旅行が高すぎる」という声があがると県議会で質問がくる。教育委員会は「委員会としてはこの金額で指導しています」と答えたいのだろう。かくして責任は「ウソの報告(実際には教育委員会は知っている)」をした現場の学校にまくられるのである。実際、私は高校時代に滋賀で72,000円の修学旅行だったが、信州3泊4日だった。この金額で北海道・沖縄などに行けるはずがないのである。教育現場の責任は常に現場の教師がとることになっているのである。それなら限度金額などもうけて欲しくないのだ。

 ②運営面(業者とのこと)

 修学旅行の行き先は教師が決めたり生徒からアンケートを採って決めたり、生徒の修学旅行委員会に考えさせたりいろいろである。大まかな目的と目的地が決まったら入札を行い業者を決定する。

 私が分からないのはまずここである。入札で明らかにやる気のない業者がいるのである。こちらが出した条件をクリアーしていない案を持ってくるのだ。ある学校の時には毎年業者が違った時もあった。ついでにいうと、3年連続で契約をゲットした優秀な担当者が「栄転した」ときいていたのに実はやめていたということもあった。なんだかあやしいのである。

 また、修学旅行の下見を前年に行うのだが、ここにも問題があった。業者やホテルが当たり前のように教師に接待するのである。正直私もかつてはされるがままに受けていたことがあった。しかしよく考えると接待費は生徒から集めた修学旅行費から出ているのであるから、接待は生徒にするべきなのだ。ある先生と修学旅行担当になったときにそのことを話し合い、「いっさい接待を受けない」ことを約束しあい、そのことを業者に伝えたところ「上と相談させて下さい」とのこと、数日後に「わかりました」ということだったので、「その分生徒に還元してくれ」といったら「難しいですが何か考えます」となったことがあった。かつては修学旅行当日も毎晩接待が続いたものである。しかし、バブル崩壊とともに業者側から消極的になり、今は私の周りには接待はほとんど見られなくなった。他校・他県ではどうだろうか。

 ついでに言うと、下見を学年担任団全員で夏休みなどに行う学校がどうやら存在する。実費で行っているのであろうから大変なことである。

 ③目的

 修学旅行の目的とはいったい何であろうか。「友人との人間関係を強固にする」「集団行動を学ぶ」「学校内では学べないことを現場で直に感じ学ぶ」などいろいろある。しかし、人間関係を強固にすることではクラブやクラスの活動に及ばないし、集団行動を学ぶことは遠足でもできる。「学校外で学ぶ」ことももちろん大切であるが、一昔前ならいざ知らず今時国内も国外も行こうと思えばすぐに行ける。学ぼうとする意欲があればだれでも学べる。以前に北海道道東の修学旅行を企画し、北方領土・知床と釧路湿原の大自然・阿寒湖畔でのアイヌ民族学習を入れ込んだ企画をしたことがあった。あの時にはそれなりの成果をあげたように思っていたが、卒業した生徒に聞くと「楽しかった」だけ。果たして意味があったのかなと思うのである。海外ならもっとスリリングで有意義な体験ができるのかもしれない。しかし、最大の収穫はやっぱり「思い出を作る」ことではないか。そう思うと、わざわざ遠くまで行かなくても修学旅行の目的は達成できるのではないかと思えてくるのである。

 そこで最初の話にもどる。修学旅行は別に近場でもいい。業者も入れず、自分たちではじめから終わりまで計画して折衝する。県教育委員会の限度金額なんか関係なくそういう安上がりで意味のある修学旅行はできないものであろうか。そんなことを最近考えているのだ。

 でもそんなことしたら教師がたいへんか。自分の首を自分で絞めるとはまさにこのこと。難しいものだとつくづく思う。

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近江の東海道

 ふるさと近江は「道の国」である。古代の東山道で最も畿内に近いだけでなく、江戸時代の東海道・中仙道・北陸道がすべて通る「東国への入り口」である。琵琶湖があることもあってまさに交通の要衝であり、美濃と同じくここを征すると「天下を征する」といわれた。

 モータリゼーションの波が押し寄せると「国民通過県」などと揶揄された時期もあったが、高齢社会に突入すると時間の確保できる御年寄りを中心に、かっての街道を歩いて古き日本を味わおうとする方々が増えた。時代に乗り遅れていたがゆえに風情が残ったのである。NHK-BS2の「街道てくてく旅」で、サッカーの岩本輝雄選手(復帰万歳!私は大ファンです!)が東海道、谷川真理さん(加賀路)や岩崎恭子さん(四国)などが旧街道を歩いているが、見ていてスローライフというか余裕を感じられて楽しい。こんどはスケートの勅使河原選手が中仙道を歩くらしい。なかなか楽しみなのである。

 私は水口(現・甲賀市水口町)に住んでいた。水口が宿場町であることが私の「道」への関心を決定的にしたことはまちがいない。

 近江鉄道の「水口石橋」駅を降りるとそこはもう街道筋。三筋の紡錘型の宿場町が展開されている。二〇年前にはまだ「コバタ」という看板があり、長いこと何を売っていたのかわからなかった(もちろんタバコ)。すでにシャッター街になりつつあったが、古い旅館が残っておりそれなりの風情があった。しかし、名物のはずの干瓢は八百屋に売っているだけで土産になっておらず、水口高校グランドの水口城跡は当時堀と石垣が未整備に鎮座し、野洲川の渡しにある街道第一の大きさの常夜灯も、みんな前に書いたように「ほったらかし」だった。今はどうなっているのだろうか。水口城は模擬櫓があると聞いているが、多少の整備をしても整備後の「ほったらかし」状態が続き、それなりに風情のある姿になっていると思う。

 この「ほったらかし」状態は様々な場所にあり、重要文化財の社寺が街道筋にひょっこりとあるのがいいのである。かつては琵琶湖水運の一大拠点だった「矢橋の帰帆」跡には当時の船着き場の石場が見事にのこっているが、近所の人が洗濯物を干しいていたりした事もある。全く観光客を呼ぼうと思っていないのだ。重要文化財でなくても、神社でいえば「式内社」がゴロゴロそこらにある。これが近江なのである。

 近江の旧東海道はよく残っている。国道1号線の工事の際に拡幅されている場所は少なく、当時の道幅に近いものが残っていることがうれしい。時々明治時代の付け替えなどが災いして江戸期の跡を通っていない旅人がいたが(土山と草津に勘違いしやすい箇所がある)、比較的「広重ポイント」もわかりやすい(「石部」が栗東市を描いたものであることには驚くが)。

 どの道が旧東海道なのかを正しく表記した本がなく、いい加減だったことから、「よし俺の手で作ってやろう」と思っていた。いまでは相当正しいものが出版されているので、ちょっとくやしかったりするのである。

 近江は「道の国」。道は人と物と、文化が行き来するところ。そんな当時のにぎわいを想像しながら「道」に立つのが好きなのである。

 近江のシリーズはまた続けていきたい。 

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ふるさと近江

 わがふるさと・近江(滋賀)について書いてみたい。

 「行く春を 近江の人と 惜しみけり」と芭蕉は詠んだ。この句を紹介して司馬遼太郎さんが、「近江は他の地域とは違うんです」と講演で言われたことが思い出される。だから「街道を往く」は近江から始めたんです、と。「近江」という言葉にあわあわとのぼりゆく情感を感じるんです、と。

 私の思う近江の特徴は、「ほったらかし」の文化である。日本の中に息づいていた様々なものが「ほったらかし」で存在している。生きている。そこらへんにある神社や寺に重要文化財がひょいっとある。日常歩いている道が東海道や中山道や朝鮮人街道だったりする。最近でこそ整備されつつあるが、安土城趾は見事な石垣があるのにまさに「ほったらかし」だった。大溝城趾なんか今でも見たらびっくりするくらい「ほったらかし」。国宝の寺社でも常楽寺・長寿寺なんか観光客もいないふつうの村の寺。苗村神社もふつうの村社。「ほったらかし」てある。近江八幡の水郷なんかすごいと思うけども全く注目されないのはなぜか。

 しかし、それがいい。へんに手を加えていないのが近江の良さ。しかも醒ヶ井の地蔵川や新旭のかばたのように、昔から使われている自然を利用した施設が今も生活の中に息づいている。なんだか昔から現在までがいっしょに存在しているのが、近江というところではないかと思う。

 観光開発を言う人もいる。しかし、ここまで琵琶湖と彦根城関連以外の観光開発はことごとく失敗してきた。いろいろな原因はあるだろうと思うが、一番の原因は対象が観光資源というよりは、むしろいまだ生活資源であることではないだろうか。

 「ほったらかし」で十分。それがわがふるさと近江の良さであると思う。知っている人だけが知ればいい。知りたい人にだけ教えてあげるのである。

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