いわゆる「リベラル」のこと
「リベラル」を名乗る政党がある。
「リベラル」の定義は毎日新聞によると「リベラルは英語の「自由な」に由来し、個人の自由を重んじて社会を変えていく立場で、欧米の歴史に根ざしている。」「日本のリベラルのルーツは戦後の革新勢力にある。」「今のリベラルは『革新マイナス社会主義』で人権・平和の理念を掲げている」とある。
米ソ冷戦の終焉とともに「革新」という名称が時代に合わなくなって、「リベラル」を名乗りだしたという事だ。
アメリカでは民主党がリベラルと言われる。そもそも建国の際に、連邦政府の権限を強化する方向性を持っていた勢力が共和党になり、州政府の権限を強くしようとした勢力が民主党になった。共和党は自由主義を標榜しているのが、民主党はオバマケアに見られるように、国民の生活をケアする方向にも動く。
日本の自民党にもリベラル派はいる。岸田文雄政調会長の率いる岸田派(宏池会)がそうである。小選挙区制度になって、おとなしくなったイメージがあるけども。
そうしたリベラル派と比べて、日本の野党のリベラル派はどうであろうか。
先の毎日新聞を引用する。
「国際医療福祉大の川上和久教授(政治心理学)は「社会民主主義を掲げる欧州のリベラル政党は福祉を重視し、大きな政府を志向する。それには税負担が欠かせない」とした上で、「日本のリベラル勢力は福祉重視を訴えても必要な負担増をこれまで国民にきちんと求めてこなかった」と指摘する。」
まさにその通りだと思う。主張のための主張。実現する気のない「政策」の名を借りた票集めのためのカモフラージュ。私にはそうとしか見えない。
多数派の与党が提案した政策の、難点を指摘するのはよい。危険性を挙げるのもよい。それが野党の役割だ。しかし、対案・修正案を提案しなければ議論にならない。共産党や社民党が、重要法案に対して自分たちの主張を少しでも反映させようと、説得力のある修正案を出したことがあっただろうか。
安保法制を例に取れば、自民党の案に「与党内野党」として修正をかけたのが公明党であった。さらに野党として修正を要求したのが日本維新の会であった。これも説得力のある修正であったように思う。安保法制の理解に最も役立ったのは、私にとっては維新の質疑であった。
しかし、民主党、社民党、共産党は反対!廃案!のみ。大した対案も出さずに、議決の際に国会内にプラカードまで持ち込んで大騒ぎして「強行採決」を演出したものの、結局は通してしまった。できあがったシアリオ通り。本気で廃案にできると思っている節など微塵も感じられなかった。こういうのを「少数者の横暴」という。反対の世論を掻き立てることで、次の選挙で票が多くなることが目的だったのだろう。多数者(与党)の側に、少数意見に耳を傾ける必要性があるのは当たり前としても、修正案を出さない反対にいつまでも付き合わなければならない謂れはない。
あんなことをしていた人たちが、希望の党で保守を名乗るという。人によっては「あの時は党の方針だったからしかたなかった」なんて言っている。面白いものだ。今度こそは本音で政治に取り組む、ということなら歓迎するが、どこまで信用すればいいのだろうか。
共産・社民の体質は変わらないでしょう。立憲民主党はどうだろうか。新しい政党が成立したばかりのところである。今は人気があるようだが、これまでの民主・民進党とは違うところを国民に見せないと、すぐに呆れられてしまうだろう。少~し期待している私であるが、さて、どうなるだろうか。
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