「招かれざる客」を見て

昨日、BS・NHKで、『招かれざる客』(1967年)を見た。シドニー・ポワチエ、キャサリン・ヘップバーン、スペンサー・トレーシーの出演。素晴らしい映画だった。

黒人・医師のシドニー・ポワチエがトレーシーとキャサリンの娘と結婚するために家を訪ねてくる。トレーシーは新聞社の社長で、長年社会差別を批判してきた人物だが、いざ娘が黒人と結婚するという現実を突きつけられてとまどう。

その会話の中に、たいへん示唆に富んだセリフがあった。

・ポワチエ『苦労するでしょうが子供は作ります。それが自然だ!』
・トレイシー『娘は何と?』
・ポワチエ『全員大統領にする気です。しかも有能なね!あなたの教育のお蔭です。』
・トレイシー『だが苦労する』
・ポワチエ『彼女は楽観的です。僕は国務長官どまりだと思っていますがね
・トレイシー『それでも心配だと言ったら臆病だと思うか?』
・ポワチエ『いえ でも、時代は変わります!』
・トレイシー『今の我が家ほどの急変はあるまいと思うが、いずれにせよ即答は無理だ!』

現在のオバマ大統領が1961年生まれであることを考えると、1967年以降生まれたはずのこの映画の子どもよりも年長である。ちなみにパウエル国務長官が初の黒人国務長官として就任したのは2000年。『今の我が家ほどの急変はあるまい』といった父親どころか、『時代は変わります』というセリフを考えた脚本家の予想をも上回る速度で、時代は変わったのだ。

1963年まで、白人と同じ公民権がなかった黒人が、55年後に大統領となった。民主党候補を争ったのは女性のヒラリー・クリントンだった。共和党候補は、アイルランド系のマケインだった。アメリカは差別も露骨だが、変化も速い。

日本との違いを感じる。

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『岳-ガク-』で考えた。

震災から早2ヶ月。この間の消防、警察、自衛隊、東電社員、ボランティア等のご尽力に感動しています。いまだ終わらない悲劇とこれから我が国を襲うであろう深刻な影響を思うとき、緊張を解くことはできません。がんばろう!日本!

とはいうものの、震災被害者の方々に配慮するあまり過度に趣味を我慢するのはよくない、というのはよくいわれること。久しぶりに映画を観てきた。

『岳-ガク-』である。

よかった。感動した。人が助かる話だけでなく、山で死ぬ人も描かれていた。生きることの大切さが描かれていた。自然のなかの人間が描かれていた。久しぶりの感動作であった。

Yahoo映画のユーザーレビューでも概ね評価は高いようだが、極端に評価の低い人がいる。その人たちのレビューを読むと共通点がある。

1.山を描くのに何故小栗旬?長澤まさみ?長澤は最後まで足が細すぎ。

山岳救助を行なうにはひ弱すぎるといいたいようです。私はそんなことは全く気にしません。黒澤映画ならいざ知らず、そんなことを期待して見に行っていませんから。

2.出演者の登山技術が未熟。

当たり前です。時々映画やドラマに剣道をするシーンがありますが、剣道を少しでもかじったことがある人がみれば、ほぼ例外なく不自然でへたっぴです。しかし、大多数の鑑賞者にとっては構わないのです。鑑賞するのが山岳関係者だけというならいざ知らず、そんなことはどうでもいいことです。もちろん細部をリアルに追求する作り方もあるでしょうが、この映画はそういう映画ではないのです。

3.原作マンガのあのシーンがない、このセリフが軽くなってしまった、一つ一つのストーリーに重みがなくなった。

原作のマンガはあくまでマンガです。これは映画です。原作を読んでいない私が観てストーリー的に不自然なシーンは、長澤がロープを切るシーンと小栗が確認もしないで飛び込むシーンだけです。マンガと映画は表現方法が違いますので、カットしたり新しいシーンをプラスするのは当たり前。原作をそのまま映画化してあると思っている人は観ない方がいいと思います。

それにしても最近マンガ原作のドラマや映画が多すぎる、というのはその通りである。今一番創造的な仕事をしているのはもしかしたら漫画家か?とさえ思う。

まあ、どんな映画でも御本人の趣味などで批判的な意見はあるもの。あまりうるさく云わずに感動の余韻に浸ることとしよう。

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“You’ll never walk alone”

3月11日、未曾有の災難が東日本を襲った。テレビ画面に映し出された津波の猛威はあまりにも激しく、それだけに現実の事とも思われず、ただただ呆然と眺めていることしかできなかった。おまえたち人間の力など自然の前では無力なのだよ、と見せつけられているかのようであった。

文明は、自然の「挑戦」に対して人間が「応戦」することで発達してきた。日本の文明も、台風や地震、津波という幾多の災害を乗り越えて発達してきた。その子孫である私たちである。何が何でもこの災厄を乗り越えて、新しい日本をもう一つ造るくらいのつもりで取り組まなければなるない。

まずは被災地の方々の生活を立て直し、原発の放射能を止めて制御することであることは間違いない。すべての英知と経済力を結集してこれを達成しなければならない。

被災地の立て直しには、善意と励ましが必要であることは論を待たない。今、多くの励ましが世界中から寄せられている。その中で私が再認識したのが「歌の力」である。

3月15日、インテルに移籍して間もない長友選手がバイエルン・ミュンヘンとの試合で逆転決勝点にからむ活躍をした。試合後長友は

「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない。みんながいる! みんなで乗り越えよう! You’ll never walk alone」と書いた日の丸を掲げた。“You’ll never walk alone”は長友が日本で所属していたFC東京の応援歌である。その時である。敵地バイエルンの満場のサポーターが“You’ll never walk alone”を大合唱したのである。

When you walk through a storm    (嵐の中をすすむときは)
Hold your head up high         (頭を高くして)
And don't be afraid of the dark.    (暗闇を恐れてはならない)

At the end of the storm        (嵐の向こうでは)
There's a golden sky           (金色の太陽が輝き)
And the sweet, silver song of a lark. (ひばりの美しいさえずりが聞こえる)

Walk on through the wind       (嵐の中を歩きなさい)
Walk on through the rain       (雨の中を歩きなさい)
Though your dreams be tossed and blown. (夢破れることがあったとしても)

Walk on, walk on            (歩き続けなさい)
with hope in your hearts       (希望を胸に抱きつつ)
And you'll never walk alone     (あなたは一人じゃない)
You'll never walk alone.        (そう、あなたは一人じゃない)

私は涙がでてしかたがなかった。

私がこの歌に出会ったのは高校時代。ボーカルエンターテーナーのペリー・コモが日本でのコンサートで歌った。確かコンサートのラストを飾った歌だったと記憶している。単語も平易なので意味も理解でき、たいへんに感動したものであった。ミュージカルファンの私はミュージカル「回転木馬」のラストソングであることを知り、ビデオを購入したりもした。流しのジャズシンガーにリクエストしたこともある。本当に大好きな曲なのである。しかし、こういう場面で聞くとは思わなかった。敵地サポーターから日本に届けとばかりに歌われた絶叫のような歌声は今も耳朶を離れない。

この歌だけではない。世界中が日本を心配し応援してくれている。期待に応えなければならない。そして他国に恩返しできる日本をみんなで造ろう!

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「希望の友」とみなもと太郎の思い出

子どもの頃、すでにキングもチャンピオンもマガジン、サンデー、ジャンプすべて発刊されていた。しかし我が家に配達されるのは「希望の友」であった。当時はよその家と違うことが引け目を感じさせるときもあったが、現在一部ファンから「伝説の少年誌」扱いされていると聞くと少し誇りにも思えてくる。

横山光輝さんの「三国志」は連載当時から読んでいた。コミックスも一巻から買って持っていた。発売当初のカバー意匠は現在のものと違い、一巻と二巻だけは背表紙が白かったのを覚えている。三巻から現在の意匠になりそのときに一巻と二巻も統一された。私は古い意匠が好きだったのでいつまでも持っていた。あれは実家にまだあるのだろうか。「三国志」の前には「水滸伝」も連載されていてこれもコミックスを持っていた(家の近所の医者の待合に今でもあって懐かしい)。

それだけではない。石ノ森章太郎さんの「変身忍者 嵐」、手塚治虫さんの「ブッダ」、藤子不二男さんの「T.P.ボン」など、今から思えば名作ぞろい。たしか「魔女っ子メグちゃん」も連載されていたと記憶している。やはり「伝説の少年誌」なのである。

しかしそれよりも私が幸せだったと思っているのは、みなもと太郎さんの作品との出会いである。みなもと太郎さんは世界の名作をギャグマンガにしてしまう稀有の天才である(最近はちょっとエッチなものも画いておられるようだが)。単にギャク化しているのではない。原作のストーリー展開はそのまま。そしてさらに原作とは一味違った心地良い後味を残すのである。「レ・ミゼラブル」には映画、ミュージカルなどこれを題材にした作品がいっぱいあってそれらもよかったが、私はこのマンガが最高傑作ではないかと思っている。「シラノ・ド・ベルジュラック」「ハムレット」「乞食王子」などの物語も、みなもと太郎さんのマンガで知った。先日ロクサーヌという外国人女性と知り合い、「シラノ・ド・ベルジュラックを読んだことがある」といったらものすごく喜んでいた。みなもとさんのおかげである。みなもとさんは他にも「モンテクリスト伯」をマンガにしておられる。今あげたものはすべて、我が家にコミックスで存在した。

先日のこと。みなもとさんの「風雲児たち」の存在を知った。厳密に言うともともと知っていたが初めて関心を持って読んだ。複雑な江戸時代の人間模様を題材にして、みごとにギャグマンガにしてしまっている。やはりこれは並大抵の才能ではないと思う。なぜこんな人がさほど有名でない作家で収まっているのだろう。もったいない。

この人を「希望の友」と同じように「伝説の漫画家」で終わらせたくない。そういう思いで一文をしたためた次第です。

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「黒部の太陽」に感激!

久しぶりに感激した。ドラマ「黒部の太陽」である。

原作も読んだし、現地にも行ったことがある。修学旅行では生徒を連れて行った。プロジェクトX「厳冬 黒四ダムに挑む」も買って見た。黒部ダムの売店に「このビデオをなぜ売らないのか」と文句をいったら半年後に行ったら売っていた。あとは石原裕次郎の映画だけ。ビデオにはしない、という遺言だそうだから諦めていたら、先日特別公開があったが、見られなかった。それだけに今回のドラマは楽しみだった。

「黒部の太陽」のストーリーは、熊谷組の大町トンネルの工事に特化している。それだけでもこれだけの迫力。感動である。黒部川第4ダムの工事はそれだけではない。辺境の地に越冬までして、大町トンネルの向掘りとダム本体の工事をした間組。他にも大成建設、鹿島建設、佐藤工業なども大きな役割を果たしていることはを忘れてはならない。現在観光客でにぎわうアルペンルートも、立山側からの資材搬入のためにブルドーザーで開削されたルートだ。

この工事で多くの尊い命が失われた。この工事以外にもそういう事はあっただろう。そのおかげで現在の日本の繁栄があるということは絶対に忘れてはならない。本当にすなおにそう思う。

(先の大戦についてもそのように美化して言う人がいる。しかし、違うのは指導者の質である。日本の戦争指導者には、「国民のため」という視点が欠けている。犠牲者が増大すると分かった時点でそれを防ぐべきだったのに、イデオロギーにとらわれて、いかなる対処もしていない。むしろ死ぬことを美化し奨励さえした。ノスタルジーにとらわれて、本土決戦などという実現不可能なことを声高に叫び、東京大空襲も沖縄戦も原爆の投下も防ぐことが出来なかった。特攻隊や戦艦大和の出撃などのまったく無意味な戦法を強行し、多くの若者の命をムダに失った。わたしは欧米列強の横暴にも怒りを感じているが、日本の無能な戦争指導者は東京裁判などという連合国の手による裁判でなく、日本国民の手によってこそ裁かれるべきだったと思っている。)

「偉大なる人々の心は地上の星である。もし我らの地球を上から眺めるならば、それらの心が空の星のごとく燦然と輝いていることであろう」 ハイネ

かつて多くの地上の星とよべる指導者がいた。そして今もいるとわたしは信じている。

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感染列島

休みをとって久しぶりで映画を観た。「感染列島」を選んだ。日本が未知のウィルスに襲われる話である。

いや~!はじめから終わりまで、息をつけない。悲劇、パニック、困惑の連続。ホッとするシーンがほとんどない。なにしろ特別出演の佐藤浩市はいきなり感染して死んでしまう。そこから始まって「え~!この人は普通生かしとくやろ。」と思える人までが…。

そこへ、いっしょに来ていた妻の携帯に娘の同級生の親からメール。「クラスがインフルエンザで学級閉鎖になるらしいで。」よりにもよってこんな時に。画面に展開されるウィルス感染悲劇と重なる。「早く帰らなければ」という気持ちになるから不思議だ。

観賞後の感想。この映画はいったい何を語ろうとしていたのか?ウィルスパニックへの対応は万全か。マスコミによる誤認報道がいかに危険か。どんなに追いつめられても絶対に諦めてはならない、という生き方へのメッセージか。

ハッキリ言えることは、「ちょっと疲れた」。今日は早く寝ます。

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ニュースは解説しろ!

最近ずっと感じてきたこと。ニュースが解説しない。

ニュースの使命は、視聴者に現在起こっている出来事を解説すること。事件であれば、その原因とその影響とその教訓などを視聴者に解説して、視聴者の生活が少しでも安全でよりよいものになるようにすることではないのか。

コメンテーターの感想なんか求めていない解説者を呼んでこい!いったいいつから素人がコメンテーターになったのだろう。「とんでもないですね」なんて時間の無駄。殺人事件の時に犯人が許せないのは当たり前である。しかし、犯人の側にも何か酌量するべき事情があるかも知れない。そのことに思いがいかないくらいバッシングのオンパレード。物事を単純化して正義の味方をきどるのはやめてもらいたい。今、マスコミが冤罪を作っている。

政治的な出来事の時に事態はさらに深刻になる。今は「お上」を批判すれば受ける時代。不景気が国民の不満を呼び起こし、「国のために自分に何ができるか」よりも「国が何をしてくれないか」ばかりを気にしている国民性がある。故ケネディ大統領が聞いたら嘆くだろう。だからニュースは国民に何ができるか、国民に必要な情報を開示し解説しない。勉強する時間がないくらい忙しい不勉強な人気メインキャスターや人気コメンテーターにとって、自分に期待されているのは国民と一緒になって怒ったふりをしていること。わかったような顔をして「私たち庶民の気持ちなんか、政治家には分からない」と言っていれば視聴率がとれるのである。国民は「そうそうその通り」と人のせいにして少し安心する。中小企業の融資政策に対してある経営者が「借りたら返すのが大変なんだ。政治家には我々のことなんかわかりっこない」と言っている映像が流されて、それにあいづちを打つコメンテーター。

100%すばらしい政策などあり得ないから、ニュースは残りの何%かをつけば国民の不安と不満を掻き立てることができるのである。「この政策の利点は何、欠点は何、この意見の利点は何、欠点は何。国民の皆さんどちらを選択しますか」という解説をしないから国民はため息をつくだけ。どんどんやる気がなくなる。とにかく与党・政府批判ばかり。これが今のニュースバラエティだ。

専門性の高い職業の人をこき下ろして「先生と呼ばれていても所詮こんなもの」という風潮も無関係ではあるまい。

このままのマスコミでは、マスコミが日本を滅ぼす、と言われても仕方がない。マスコミよ!変われ!そうしないと日本が危ない!

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「ホカベン」が深い

ちょっと想像外だった。

弁護士の仕事につきつけられた矛盾をここまで浮き彫りにするドラマは今まで無かった。

上戸彩は元気が取り柄だと思っていたが、役柄が全然違う。今までの彼女のファンはびっくりしているのではないか。だから視聴率がなかなか伸びないのかも知れない。

それほどに「考えさせられる」ドラマなのである。

弁護士の仕事を通じて、真実を明らかにし、弱者に手をさしのべたい主人公・堂本灯の前に、クライアント(依頼者)の利益になるように弁護するのが弁護士の仕事である、という現実が立ちふさがる。

第1話でこそ幼児虐待・DVの夫からは妻と子どもを救うことができたものの、その後は堂本灯が真実を貫いても、誰が救われたのか分からないようなストーリーが続く。第2話の少年犯罪は、全く反省していない少年犯罪者から高額の和解金を得ることができたが、加害少年の家庭は崩壊してしまう。第3話では依頼人を救うことはできたものの、依頼人のあまりに社会をなめた態度に「あなたなんて大嫌いです!」と言ってしまう。そして今日の第4話は、臨海学校で起こった中学3年生の水死事故が、単なる事故として処理しようとしていた弁護士事務所の方針に反して真実を調べ、実は被害者の生徒の悪質なイジメに対する2人の生徒の報復殺人であるということを明らかにしてしまう。加害者2人に反省を促すことはできたが、被害者家族は現地にいられなくなり引っ越しを余儀なくされてしまった。

そう、ゴクセンみたいに「何もかもうまくいった」というストーリーではないのである。真実を貫くことの意味は何か、弁護士はどうあるべきか、ということを考えさせる。重たいのである

しかし、なぜか毎週見てしまうのは、上戸彩が本質的に明るく前向きだからであろう。暗いキャラクターの人が演じるとたぶん見ていられない。

今後が楽しみなのである。

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ホカベンが面白い。

「ホカベン」が面白い。上戸彩が主演のドラマ。題材がいい。上戸彩がちゃらちゃらしていないのもいい。

話の内容はちょっと重い。だからだろうか視聴率は高くないようだ。しかし、いきなり弁護士の上戸綾が証人として証言台に立つという仰天の仕掛けなど、なかなかドラマとしての意外性もある。上司の見えない過去など、今後も様々な謎がちりばめられている。

今後も楽しみなのである。

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山場CM、ゆるさん!

山場CMという言葉をご存じだろうか。ドラマやバラエティが山場にさしかかったところでCMに入ることだ。「答えはこのあとすぐ!」とか「続きはCMのあとで!」などと予告を出す場合もある。CMの間にチャンネルを変えられずにCMを見てもらうためだそうだ。

バラエティなんかCMから復帰後にはほとんどの場合CM前の場面を繰り返すから「これって1時間の尺で実際は45分くらいじゃないの?」と思う時もあれば、映画なんかのいい場面でこれをやられると原作が台無しになることもある。いいドラマでこれをやられると「いいドラマやのにもっと自信持てや」とテレビに向かって叫んでしまう時もある。いいことは全くなし。スポンサーの都合だけのエゴ丸出しの現象である。最近は「このあと○○がマジギレ!」と言ってチョット相方につっこんだだけ、番組の後半に「この後○○が暴走!」とかいってCM明けに次回予告に入ったり、山場CMどころか「ウソCM」まである。

こんな番組作りを指示しているスポンサーの商品は買わないのが鉄則である。民法テレビはスポンサーの広告料で経営されている。その原則から考えればCMがあるのは当然である。しかし絶大な影響力を持つテレビだからこそ守りたい襟度がある。創りたい文化がある。発信したい主張がある。それが商業主義一本でいいのだろうか。社会貢献をしている企業はいっぱいある。テレビ文化の発展に寄与しようという企業は、シオノギ製薬だけでいいのだろうか(ミュージックフェアはすばらしい)。テレビ局はいいなりでいいのだろうか。

亀田問題しかり、バレーボールの変容しかり。私は「悪しき商業主義」の象徴が山場CMだと思っている。

ゆるさん!

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