「希望の友」とみなもと太郎の思い出

子どもの頃、すでにキングもチャンピオンもマガジン、サンデー、ジャンプすべて発刊されていた。しかし我が家に配達されるのは「希望の友」であった。当時はよその家と違うことが引け目を感じさせるときもあったが、現在一部ファンから「伝説の少年誌」扱いされていると聞くと少し誇りにも思えてくる。

横山光輝さんの「三国志」は連載当時から読んでいた。コミックスも一巻から買って持っていた。発売当初のカバー意匠は現在のものと違い、一巻と二巻だけは背表紙が白かったのを覚えている。三巻から現在の意匠になりそのときに一巻と二巻も統一された。私は古い意匠が好きだったのでいつまでも持っていた。あれは実家にまだあるのだろうか。「三国志」の前には「水滸伝」も連載されていてこれもコミックスを持っていた(家の近所の医者の待合に今でもあって懐かしい)。

それだけではない。石ノ森章太郎さんの「変身忍者 嵐」、手塚治虫さんの「ブッダ」、藤子不二男さんの「T.P.ボン」など、今から思えば名作ぞろい。たしか「魔女っ子メグちゃん」も連載されていたと記憶している。やはり「伝説の少年誌」なのである。

しかしそれよりも私が幸せだったと思っているのは、みなもと太郎さんの作品との出会いである。みなもと太郎さんは世界の名作をギャグマンガにしてしまう稀有の天才である(最近はちょっとエッチなものも画いておられるようだが)。単にギャク化しているのではない。原作のストーリー展開はそのまま。そしてさらに原作とは一味違った心地良い後味を残すのである。「レ・ミゼラブル」には映画、ミュージカルなどこれを題材にした作品がいっぱいあってそれらもよかったが、私はこのマンガが最高傑作ではないかと思っている。「シラノ・ド・ベルジュラック」「ハムレット」「乞食王子」などの物語も、みなもと太郎さんのマンガで知った。先日ロクサーヌという外国人女性と知り合い、「シラノ・ド・ベルジュラックを読んだことがある」といったらものすごく喜んでいた。みなもとさんのおかげである。みなもとさんは他にも「モンテクリスト伯」をマンガにしておられる。今あげたものはすべて、我が家にコミックスで存在した。

先日のこと。みなもとさんの「風雲児たち」の存在を知った。厳密に言うともともと知っていたが初めて関心を持って読んだ。複雑な江戸時代の人間模様を題材にして、みごとにギャグマンガにしてしまっている。やはりこれは並大抵の才能ではないと思う。なぜこんな人がさほど有名でない作家で収まっているのだろう。もったいない。

この人を「希望の友」と同じように「伝説の漫画家」で終わらせたくない。そういう思いで一文をしたためた次第です。

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「黒部の太陽」に感激!

久しぶりに感激した。ドラマ「黒部の太陽」である。

原作も読んだし、現地にも行ったことがある。修学旅行では生徒を連れて行った。プロジェクトX「厳冬 黒四ダムに挑む」も買って見た。黒部ダムの売店に「このビデオをなぜ売らないのか」と文句をいったら半年後に行ったら売っていた。あとは石原裕次郎の映画だけ。ビデオにはしない、という遺言だそうだから諦めていたら、先日特別公開があったが、見られなかった。それだけに今回のドラマは楽しみだった。

「黒部の太陽」のストーリーは、熊谷組の大町トンネルの工事に特化している。それだけでもこれだけの迫力。感動である。黒部川第4ダムの工事はそれだけではない。辺境の地に越冬までして、大町トンネルの向掘りとダム本体の工事をした間組。他にも大成建設、鹿島建設、佐藤工業なども大きな役割を果たしていることはを忘れてはならない。現在観光客でにぎわうアルペンルートも、立山側からの資材搬入のためにブルドーザーで開削されたルートだ。

この工事で多くの尊い命が失われた。この工事以外にもそういう事はあっただろう。そのおかげで現在の日本の繁栄があるということは絶対に忘れてはならない。本当にすなおにそう思う。

(先の大戦についてもそのように美化して言う人がいる。しかし、違うのは指導者の質である。日本の戦争指導者には、「国民のため」という視点が欠けている。犠牲者が増大すると分かった時点でそれを防ぐべきだったのに、イデオロギーにとらわれて、いかなる対処もしていない。むしろ死ぬことを美化し奨励さえした。ノスタルジーにとらわれて、本土決戦などという実現不可能なことを声高に叫び、東京大空襲も沖縄戦も原爆の投下も防ぐことが出来なかった。特攻隊や戦艦大和の出撃などのまったく無意味な戦法を強行し、多くの若者の命をムダに失った。わたしは欧米列強の横暴にも怒りを感じているが、日本の無能な戦争指導者は東京裁判などという連合国の手による裁判でなく、日本国民の手によってこそ裁かれるべきだったと思っている。)

「偉大なる人々の心は地上の星である。もし我らの地球を上から眺めるならば、それらの心が空の星のごとく燦然と輝いていることであろう」 ハイネ

かつて多くの地上の星とよべる指導者がいた。そして今もいるとわたしは信じている。

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感染列島

休みをとって久しぶりで映画を観た。「感染列島」を選んだ。日本が未知のウィルスに襲われる話である。

いや~!はじめから終わりまで、息をつけない。悲劇、パニック、困惑の連続。ホッとするシーンがほとんどない。なにしろ特別出演の佐藤浩市はいきなり感染して死んでしまう。そこから始まって「え~!この人は普通生かしとくやろ。」と思える人までが…。

そこへ、いっしょに来ていた妻の携帯に娘の同級生の親からメール。「クラスがインフルエンザで学級閉鎖になるらしいで。」よりにもよってこんな時に。画面に展開されるウィルス感染悲劇と重なる。「早く帰らなければ」という気持ちになるから不思議だ。

観賞後の感想。この映画はいったい何を語ろうとしていたのか?ウィルスパニックへの対応は万全か。マスコミによる誤認報道がいかに危険か。どんなに追いつめられても絶対に諦めてはならない、という生き方へのメッセージか。

ハッキリ言えることは、「ちょっと疲れた」。今日は早く寝ます。

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ニュースは解説しろ!

最近ずっと感じてきたこと。ニュースが解説しない。

ニュースの使命は、視聴者に現在起こっている出来事を解説すること。事件であれば、その原因とその影響とその教訓などを視聴者に解説して、視聴者の生活が少しでも安全でよりよいものになるようにすることではないのか。

コメンテーターの感想なんか求めていない解説者を呼んでこい!いったいいつから素人がコメンテーターになったのだろう。「とんでもないですね」なんて時間の無駄。殺人事件の時に犯人が許せないのは当たり前である。しかし、犯人の側にも何か酌量するべき事情があるかも知れない。そのことに思いがいかないくらいバッシングのオンパレード。物事を単純化して正義の味方をきどるのはやめてもらいたい。今、マスコミが冤罪を作っている。

政治的な出来事の時に事態はさらに深刻になる。今は「お上」を批判すれば受ける時代。不景気が国民の不満を呼び起こし、「国のために自分に何ができるか」よりも「国が何をしてくれないか」ばかりを気にしている国民性がある。故ケネディ大統領が聞いたら嘆くだろう。だからニュースは国民に何ができるか、国民に必要な情報を開示し解説しない。勉強する時間がないくらい忙しい不勉強な人気メインキャスターや人気コメンテーターにとって、自分に期待されているのは国民と一緒になって怒ったふりをしていること。わかったような顔をして「私たち庶民の気持ちなんか、政治家には分からない」と言っていれば視聴率がとれるのである。国民は「そうそうその通り」と人のせいにして少し安心する。中小企業の融資政策に対してある経営者が「借りたら返すのが大変なんだ。政治家には我々のことなんかわかりっこない」と言っている映像が流されて、それにあいづちを打つコメンテーター。

100%すばらしい政策などあり得ないから、ニュースは残りの何%かをつけば国民の不安と不満を掻き立てることができるのである。「この政策の利点は何、欠点は何、この意見の利点は何、欠点は何。国民の皆さんどちらを選択しますか」という解説をしないから国民はため息をつくだけ。どんどんやる気がなくなる。とにかく与党・政府批判ばかり。これが今のニュースバラエティだ。

専門性の高い職業の人をこき下ろして「先生と呼ばれていても所詮こんなもの」という風潮も無関係ではあるまい。

このままのマスコミでは、マスコミが日本を滅ぼす、と言われても仕方がない。マスコミよ!変われ!そうしないと日本が危ない!

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「ホカベン」が深い

ちょっと想像外だった。

弁護士の仕事につきつけられた矛盾をここまで浮き彫りにするドラマは今まで無かった。

上戸彩は元気が取り柄だと思っていたが、役柄が全然違う。今までの彼女のファンはびっくりしているのではないか。だから視聴率がなかなか伸びないのかも知れない。

それほどに「考えさせられる」ドラマなのである。

弁護士の仕事を通じて、真実を明らかにし、弱者に手をさしのべたい主人公・堂本灯の前に、クライアント(依頼者)の利益になるように弁護するのが弁護士の仕事である、という現実が立ちふさがる。

第1話でこそ幼児虐待・DVの夫からは妻と子どもを救うことができたものの、その後は堂本灯が真実を貫いても、誰が救われたのか分からないようなストーリーが続く。第2話の少年犯罪は、全く反省していない少年犯罪者から高額の和解金を得ることができたが、加害少年の家庭は崩壊してしまう。第3話では依頼人を救うことはできたものの、依頼人のあまりに社会をなめた態度に「あなたなんて大嫌いです!」と言ってしまう。そして今日の第4話は、臨海学校で起こった中学3年生の水死事故が、単なる事故として処理しようとしていた弁護士事務所の方針に反して真実を調べ、実は被害者の生徒の悪質なイジメに対する2人の生徒の報復殺人であるということを明らかにしてしまう。加害者2人に反省を促すことはできたが、被害者家族は現地にいられなくなり引っ越しを余儀なくされてしまった。

そう、ゴクセンみたいに「何もかもうまくいった」というストーリーではないのである。真実を貫くことの意味は何か、弁護士はどうあるべきか、ということを考えさせる。重たいのである

しかし、なぜか毎週見てしまうのは、上戸彩が本質的に明るく前向きだからであろう。暗いキャラクターの人が演じるとたぶん見ていられない。

今後が楽しみなのである。

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ホカベンが面白い。

「ホカベン」が面白い。上戸彩が主演のドラマ。題材がいい。上戸彩がちゃらちゃらしていないのもいい。

話の内容はちょっと重い。だからだろうか視聴率は高くないようだ。しかし、いきなり弁護士の上戸綾が証人として証言台に立つという仰天の仕掛けなど、なかなかドラマとしての意外性もある。上司の見えない過去など、今後も様々な謎がちりばめられている。

今後も楽しみなのである。

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山場CM、ゆるさん!

山場CMという言葉をご存じだろうか。ドラマやバラエティが山場にさしかかったところでCMに入ることだ。「答えはこのあとすぐ!」とか「続きはCMのあとで!」などと予告を出す場合もある。CMの間にチャンネルを変えられずにCMを見てもらうためだそうだ。

バラエティなんかCMから復帰後にはほとんどの場合CM前の場面を繰り返すから「これって1時間の尺で実際は45分くらいじゃないの?」と思う時もあれば、映画なんかのいい場面でこれをやられると原作が台無しになることもある。いいドラマでこれをやられると「いいドラマやのにもっと自信持てや」とテレビに向かって叫んでしまう時もある。いいことは全くなし。スポンサーの都合だけのエゴ丸出しの現象である。最近は「このあと○○がマジギレ!」と言ってチョット相方につっこんだだけ、番組の後半に「この後○○が暴走!」とかいってCM明けに次回予告に入ったり、山場CMどころか「ウソCM」まである。

こんな番組作りを指示しているスポンサーの商品は買わないのが鉄則である。民法テレビはスポンサーの広告料で経営されている。その原則から考えればCMがあるのは当然である。しかし絶大な影響力を持つテレビだからこそ守りたい襟度がある。創りたい文化がある。発信したい主張がある。それが商業主義一本でいいのだろうか。社会貢献をしている企業はいっぱいある。テレビ文化の発展に寄与しようという企業は、シオノギ製薬だけでいいのだろうか(ミュージックフェアはすばらしい)。テレビ局はいいなりでいいのだろうか。

亀田問題しかり、バレーボールの変容しかり。私は「悪しき商業主義」の象徴が山場CMだと思っている。

ゆるさん!

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「ジョシデカ」は面白い!

「ジョシデカ」がおもしろい!コミカルなくせに、観る者に推理を要求する。毎回、犯人像を変えざるを得ないほど新しい条件が加わる。

俳優も個性的だ。

コミック出身でないことも好条件である。

なかなかいい!

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「ドリーム・アゲイン」を見た。

ドラマ「ドリーム・アゲイン」を見た。

ちょっとなつかしいこの雰囲気。そう、「天国から来たチャンピオン」(1978年ウォーレン・ベイティ主演)と設定がよく似ているのである。ウォーレン・ベイティはこの映画でアカデミ主演男優賞を取った(と思う)。アメリカンフットボールの名選手が天国の水先案内人のミスで死んでしまい、一時強欲な実業家の体に仮住まい。実業家のところに寄付の要求に来た環境団体代表の女性に一目惚れ。そうした中、彼の命を狙う妻と秘書の陰謀をかいくぐりながら、アメリカンフットボールのチームを買収し、自らプレーすることを目指す。その間コーチにだけは彼の正体がばれてしまう。ラストはちょっと想像しなかったハッピーエンドであった。

1998年には昼ドラで「幽霊ママ/ゴーストママ」があった。これもよく似た設定だったが、舞台はラーメン屋で主人公は女性であるところがちょっと違う。お母さんであることがばれると消えてしまうところも違う。

「天チャン」のアメリカンフットボールが「ドリ・アゲ」では野球に、「天チャン」の恋人は社長の体に入った後知り合ったが「ドリ・アゲ」では死ぬ前からの恋人であることが少し違うが、基本的によく似ている。ただし、ばれると消えてしまうという設定は「幽霊ママ」である。

マネだと批判したいわけではない。ホッとするのである。難しいことを考えないで必ずハツピーエンドになるドラマを見ることに、安心感を覚えるのである。日テレの土曜21時はいいね。

今後も楽しみだ。

《追記》

1992年に「君のためにできること」というドラマもあったそうである。私は見ていないので知りませんでした。今回の設定とよく似ているとのこと。いずれにしてもこの設定の始まりは「天国から来たチャンピオン」でしょう。是非ご覧になることをお薦めします。

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「パパと~7日間」を探してたらワンクリック詐欺に出会った

今日、「パパと娘の7日間」を観た。案外好きなドラマなのであるが、実は第一話を観ていない。内容はなんとなく想像がつくのだが、やっぱり少し興味がある。そこでYahooで「原作本の内容かなにかで第一話のストーリーが分かれば」くらいの思いで題名を検索したら、第1話・第2話のビデオを公開しているという。

アクセスしたら、「yuutube」というサイトにつながり、ちょっと怪しげな画面。中央にあるビデオ画面をクリックすると、会員登録完了、○○円の料金が発生しました、の画面。あわてて消したのでよくは見なかったが、典型的なワンクリック詐欺の画面である。

あ~あこの世の中には本当につまらないやつらがいるものだ。せっかく浮き世離れしたドラマでしばしの休息をしていたというのに、いきなり現実社会に引き戻された。

クリックだけではこちらの情報は相手に伝わらない。ほっておいても大丈夫、が常識とはいうものの、「ゆるせん!」。なにかこちらから報復手段はないものか考えます。

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今日の占いカウントダウン!

 毎朝、テレビを見ていて不思議に思うことがある。それは、なぜ多くの朝番に占いがあるのか、ということである。

 「毎朝この占いを見てから出勤・通学する人がいるのだろうか。」「番組によって当たりやすいはずれやすいという評判があるのだろうか。」「はずれやすい番組の担当占い師が首になることがあるのだろうか。」なんてバカバカしい疑問も湧いてくるのだが、もっと不思議なのは必ずついてくる「ラッキーフーズ」や「ラッキーパーソン」と様々な注意事項である。「ラッキーフーズ」が地方では滅多にお目にかかれないタイ料理のメニューだったり、「ラッキーパーソン」が絶対に地方にはいない職種の人だったりすると、「やっぱり占いでさえも東京中心か」なんてこの占いを信じている人の気持ちを思って考えている自分に、より一層バカバカしくなるのである。「今日の占いカウントダウン ハイパー!」も初めて聞いたときは笑った。ハイパーでない占いってなんなのだろうか。さらに最低の運勢の星座などを紹介する際に、「ごめんなさい~」といってから紹介するのがなんだか許せない。なぜあなたが謝る必要があるのか。自信があるのなら言い切ればよい。あの一言が、「所詮は遊びさ。最低にランクしたのは番組の都合で先に謝るからごめね」と語っているようだ。「遊びに公共の電波を使うな!」と言いたくなるのである。

 いつから日本人はこれほど占いに凝るようになったのだろうか。人相とか手相とかいわなくても、人間には顔つきや声色に性格が現れることがある。教師をやっていると何千人という子供たちに出会うので、はじめてあった子供でも「この子はこんな子かな?」となんとなく分かる。そこから生徒のかかえている問題を類推し情報を集めて確認した上で、その子によりそって指導するのである。してみれば教師は一流の占い師か。占い師も多くの人と出会うとある程度の観察眼が養われると思う。しかし、テレビの占いを担当している占い師など本人を前にしているわけでもなく、所詮はありがちな事例を取り上げて適当なことを言っているだけだと断言したい。

 「占いよりも自分の可能性を信じよ!」声を大にしていいたい。

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私がマスコミ批判をする理由(2つの体験)

 このブログをごらんになっておられる方は、私がたびたびマスコミを非難することにお気づきかと思います。それには理由があります。今回はそのことについて。

 はじめはマスコミがウソをつくといっても「火のないところに煙はたたない」という日本人にありがちな感覚が、私にもありました。しかし、一つの出来事が私の考えを変えました。それは、私の母校(創価高校)が甲子園に初出場した時のことです。もちろん私たち卒業生は大喜び。応援にも行きました。しかし、我が後輩が汗と涙で勝ち取った甲子園は、出版社系週刊誌を中心とするマスコミには格好の餌食でした。「第2のPL学園になる」とか、「優秀な選手を学費免除で集めている」とか、「甲子園を舞台に宗教戦争が始まる」などと書いた大手新聞もありました。すべて単なる憶測とウソ!私は心底驚きました。

 もっとも悪質だったのは「週間新潮」などの出版社系週刊誌でした。「創価高校は全寮制の学校」だとか、「野球場にはナイター設備が完備」だとか、当時の主力だった選手にも「中学からのエリート選手」とのレッテルがついていました。その場にいればわかること。すべてウソなのです。当時寮生は200~300人程度(私も寮生の一人)。ナイター設備などなく、古いボールに白いペンキを塗って少しでも長くボールを使った練習ができるようにしていました(私も手伝ったことがあります)。部費が十分でなく、ボロボロになったボールを寮の先輩が持ち帰り、毎日のように糸で修理していました。そう、すべてウソだったのです。それにしても近所の人にもナイター設備がないことくらいわかります。なんと「少しくらいウソがばれてもいいや」という確信犯だったのです。しかも、全寮制かどうかくらい学校要覧を見れば分かります。しかし、見ていないのです。つまり取材などせずに机の上で書いているのです。

 私は母校を汚したあいつらに怒りました。これが私が週刊誌を信じない原点です。

 第2に私の友人のことです。私の友人が痴漢に間違われたのです。

 彼はその日電車の中で、たまたま出会った親戚のおじさんとしゃべっていたそうです。ある駅に着いた時に突然女性に腕をつかまれ、「この人痴漢です」と突き出されたそうです。彼は警察でも否定しましたが、その日は留置所に宿泊。ところが警察の側にも疑問点があった。被害女性は「下着の中に手を入れた」と主張。しかし被害女性のスカートは膝くらいまである。しかも被害女性と私の友人との間には一人の人がいたというのです。犯行は不可能ではないか、そう思った担当の取調官は翌朝、「俺が職場にお兄さんのふりをして病気で休むといってやるから」といって職場に電話したそうです。ところが職場からは「ウソいってはいかん。新聞に出てるよ」とのこと。なんと罪も罰も確定していない出来事がすでに出ていたのです。それまで優しかった担当の取調官がそれから急変。調書に無理矢理サインさせられたそうです。彼はそれが原因で職を失いました。今は行方不明です。新聞は官製報道を信じて取材などせずに垂れ流したのです。そのことが彼の人生を奪いました。

 こういった経験から、マスコミウォッチャーを開始した訳ですが、「これは臭いな(ウソがあるな)」という嗅覚が働くようになりました。松本サリン事件の時には始めから「この人(河野さん)が犯人とは決まっていない」と授業でも言っていました。ロス疑惑では、弁護士になった後輩と「三浦和義氏は有罪か無罪か」で議論もしました(私は無罪を主張)。だいたい勝利しています。

 ここしばらくで同じような「臭み」を感じている事件が和歌山毒入りカレー事件です。彼女が犯人とは思えないのです。緻密な保険金詐欺と杜撰な犯行が同一人物によるものとは思えないのです。何よりマスコミの熱狂ぶりが、松本サリン事件・ロス疑惑とあまりにもにています。結論は裁判で出るのでしょう。待ちたいと思います。

 マスコミによる報道被害にはもっと目を向けていいと思います。いわゆる「メディアリテラシー」を身につけていきたいものです。

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太田総理へ

 久しぶりにテレビを見ていたら、「太田総理」とかいうのをやっていた。公約(マニフェスト)を掲げて議論する。まあいえば、太田氏の言葉の多彩さをアピールするのが売りの番組だ。「朝ナマ」もそうだが、テレビカメラの前では矢継ぎ早に自分の意見を言う方が勝つ。相手に意見を言わせない。それは議論ではなく意見表明である。「熱血教師を撲滅すべし」というようなマニフェストでは、太田は「熱血教師は暑苦しい」「一つの価値観を押しつけるな」「俺は学校から学ぶものは何もなかった。教師は授業だけでいい。」などと言っていたが、自分の小さな経験の中に世の中のすべてを押し込めようとする暴論だ。自分があれだけ熱血して自分の意見を主張している姿と明らかに矛盾している。「漫才士は他人の価値観を変えられる仕事だ。政治家なんかより上だ」なんていっているが、すべての人の価値観を変えることなどできはしまい。教師も同じだ。自分が生徒の人生に価値あるかかわりをどれだけできるか日々勝負しているが、彼の出会った教師は、残念ながら失敗したということだろう。しかしながら、そのことが即「熱血教師はいらぬ」ということにはならない。(熱血教師の定義って何だろう?)

 その上でしかし、「太田総理」の発言には傾聴するものがあった。というのは、今日地理の授業で「朝鮮半島」を範囲としたのだ。その際私は、「韓国併合条約」についてこういった。「国際法上問題はない、という人もいるけれども、日本の強制だったのではないのか。手続きと実際とどちらをとるのかという問題だ。同じ事が日本国憲法にも言える。アメリカから押しつけられた、という現実?とクリアーしている手続きとの問題だ。手続き重視なら、韓国併合と日本国憲法をどちらも認めるべきだ。」と。その上で、「私が本当に大切だと思うのは国民が歓迎したのかどうかの現実だ。」と述べた。「太田総理」はそれを見事に言った。「日本国憲法はアメリカの押しつけだっていうけど、当時の日本人は喜んで向かえたっていう面もあるんだよ。」その通りである。

 最近の日本の言論には原点がない。首尾一貫性がない言論が多すぎる。自分の持っていきたい方向に持っていくために、そのつど便利な情報だけを引いてくる。この文章ももちろん私にとって便利な部分だけを持ってきているわけで、そのそしりを逃れられないが、視点を人間に持つことだけは一貫しているつもりである。

 「太田総理」!いいもんもってるやんけ!その力の使い方をしっかり考えや!

 教師としてのアドバイスである。

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実は、ミュージカル・ファンなのです

 授業で「レ・ミゼラブル」を扱おうと思い、ビデオ(レ・ミゼラブル10周年記念コンサート)を使うことにした。久しぶりで再生して感動が蘇った。この作品を見る前正直「あの哲学的文学をミュージカルにして成功するわけがない」と思っていた。ジャン=ギャバン主演の映画でも今一歩だったからだ。しかし違った。嫁さんに連れられて見た舞台は、感動と驚きの連続であった。むしろ原作を読んだが故の感動があった。思わず大枚はたいて(9500円)帰りにビデオを買ったのである。

 そもそも高校2年生の夏に、「サウンド・オブ・ミュージック」を映画館で見るまでは、ミュージカルに対する私の偏見はひどかった。歌って踊ってお気楽なものだろう、と思っていた。レビューに近い感覚だったのである。しかし、友人に誘われて半ばいやいや入った映画館で冒頭のアルプスの風景が写った瞬間、完全に画面の中に入り込んでしまい、休憩を含めて約3時間はあっという間に過ぎ去ってしまったのである。その日から、私はジュリー・アンドリュースファンになり、ミュージカルファンになり、映画ファンになったのである。「百聞は一見に如かず」を地でいく話であった。その後も、「サウンド・オブ・ミュージック」の歌を英語で覚えたり、「マイフェアレディ」の台本を覚えたりしたものである(マイフェアレディのロンドンキャスト版のLPは今も大切に持っている)。さらに名作映画にも没頭し、そこから外国文学の読書にもつながった。

 それからはむさぼるようにミュージカルを見た。お金のない当時、映画が中心であったが、東京の出始めたばかりのタウン誌で、場末の映画館や自主上映で上映している所を見つけては通ったものである。

 また、「雨に唄えば」「パリのアメリカ人」「バンドワゴン」「五つの銅貨」「回転木馬」「オクラホマ」「南太平洋」「王様と私」「ウエストサイド物語」「マイフェアレディ」「ファニーガール」「オリバー!」「キャバレー」「エビータ」などはビデオも購入した。舞台も「マイフェアレディ」「屋根の上のバイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」「レ・ミゼラブル」「キャッツ」「アニー」などをみにいった。

 ミュージカルというのは、現実の世の中や原作から何かを省略することで生じた矛盾を、歌と踊りをいれることで不自然でないものに再構築したものだ。「レ・ミゼラブル」も原作に忠実に映画を作ることは難しいが、ストーリーを思い切って省略し、原作では軽い扱いのエポニーヌをクローズアップするなどの付け加えを行い、感情を歌にのせることでストーリーを再構築することに成功したのだ。やはり、歌や音楽は軽いテーマから重いテーマまで見る人に納得させる力を持っているのだと思う。

 生徒に見せた「レ・ミゼラブル」は抜粋ではあるが感銘を与えたようだ。英語や音楽・文学など他の世界への興味関心へとつなげて人生を彩りある物にするきっかけとして欲しいものだ。

 本当の感動の少ない現代。本物にふれる時間を大切にしなければと思う。

 

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高校教師のぼやき3

 いよいよ始まった新学期。ちょっとはりきり気分で登校し、久しぶりで全校生徒に出会いました。新鮮な気分でがんばっていきます。

 さて、今日朝のテレビ朝日の番組で「教師の夏休み」について話をしていたらしいと、他のプログから知った。なんで始業の今日、夏休みの話をするのかさっぱりわからんが、どうせ中身は想像できる。

 「何で教師だけ夏休みあんねん」とか「わしらも夏休みほしいわ」とか「その分給料けずれや」などであろう(ちがったらごめん。そうとう僻み根性が身に付いているので)。私は夏休みに関しては違う次元からの考えがあるが、こと「給料けずれや」に関しては私だけでなく全国の公立学校の教員が世間の無知を問わざるを得ないのである。

 ①教師には残業手当がありません。仕事を家にもって帰っても手当はでません。

 ②クラブ指導で休日出勤しても、振り替えはありません。特別勤務手当が半日で1000円強もらえるだけです。

 ③クラブの練習試合に連れて行っても県から手当も旅費もでません。宿泊をともなっても県から手当はでません。宿泊費もでません。それではあんまりなので学校単位で保護者・OBで後援会を作ってケアしていただいているので、学校によってもらえる金額が違います。

 ④仕事に必要なコンピューターは、個人持ちです。学校には教員分のコンピューターはそろっていません。

 ⑤家庭訪問にかかる出張経費もでません。後援会でなにがしかのケアをしていただいています。

 ⑥クラブ指導に必要なジャージ、予習・教材研究に必要な書籍・参考書などは、必要経費扱いされていません。すべて自前です。

 ⑦すぐに思いつかない矛盾満載。

 教師は身銭を切って働いている。このことを世間の人にははっきりと知ってもらいたい!知りもしないで教師は優遇されているとか言うな!知った上で言いたいことがあるなら言って来い!

 教師の不祥事が大きな事から小さなことまですべて報道されるのは、教員のイメージダウンが目的だ。財務省は教員の給与を減らしたいのだ。はじめは「一部の悪い教師がバカをやっている」と思っていた人までが、報道が続くと「そんなにひどいなら全体の問題だ」「給料減らしてもしょうがない」となるのがねらいだ。生徒のテストや成績をなくした担任が攻撃される。問題を深めて見つめれば、成績を自分のパソコンで処理せざるを得ない状況、テストを持って帰らざるを得ない状況に気がつくはずだがいっさい報道されないのがその証拠だ。マスコミが無能なのかコントロールされているのかどちらかであろう。この四月、滋賀県の守山市立守山女子高校が立命館に経営移管されたが、移管反対の風潮を押し切るために古いすでに解決済みの不祥事?(不祥事かどうかさえ疑わしい事例だった)が突然新聞に発表されたりした。マスコミ諸氏よ、君たちはうまく使われているんだぜ。もっとも本当に救いがたい不祥事もある。なさけない限りである。

 財務省の標的は教師と同和行政。これは今の報道の傾向でまるわかりでしょう。

 そのように考えると、なんで今日みたいな日に夏休みの話をしていたのかも何となく見えてくる。目的が教員のイメージダウンなら別に時期を逸してはいないのだ。

 まじめな教師ほどやる気がなくなってくる、そんな時代。別に金が欲しいのではない。教育という一大事業に携わる者を正当に評価して欲しいだけ。しんどい思いをしても、バカにされるならしない方がまし、と思う教師もでてくるのは自然だ。

 あ~ぁ、またぼやいてしまった。自己嫌悪。でもだれかが言わなければ。ちなみに私はブログだけでなく、県にも知事にも同じような内容のメールを打っています。実名入りで。返事はいっさいありません。

 

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