立憲民主党と共産党へのギモン

衆議院選挙を前にして、立憲民主党が共産党と選挙協力に踏み出そうとしている。

何を考えているのだろうか。

「立憲」の名称通り、憲法を堅持する方針を持っているはずなのが、立憲民主党である。しかし、共産党は違う。「生産手段の社会化」(党綱領より)を目指している党である。「生活手段」の私有は認める、とはしてあるものの、生活手段と生産手段の線引きには言及されていない。

そもそも生産手段とは一般に、生産に必要な土地、建物、機械、原材料、燃料等をいう。資本主義国家においてはこれらを所有しているのは「資本家」か「地主」である。しかし、いくら資本家や地主が生産手段を所有していても、労働者が労働しなければ生産物は生産できない。生産物には生産手段にない価値が付け加わっている(付加価値)が、これらは労働によって生み出されたものであり、資本家にこれらを用意した功績はあるにしても、本来はすべて労働者に帰さなければならない。しかし、資本家は労働に対する対価を賃金という形で支払ってはいるものの、その金額は不当に安く、付加価値による利潤のほとんどは資本家によって「搾取」されている。これを改めるには、資本家や地主が独占している生産手段を社会化し、労働者が管理するしかない。

以上が、私の理解している社会主義の論理である。現在の日本にあっては個人商店でない限り、生産手段の所有者は「株主」である。株主の所有する生産手段を社会化(つまりは、国有化)するということである。共産党も「個々の資本家が持っている工場や機械などの生産手段を働く人たちの手に移すこと」とはっきり言っている。これが私有財産制(憲法第29条)の否定につながらないとなぜ思うのだろうか。

そもそもこれまで存在してきた社会主義国も同じものを目指していたはずである。しかし、成功例はない。共産党はそれらを「社会主義ではない」として、ソ連や中国を否定しているが、自分たちの目指す共産主義社会を「資本主義のもとで人々のたたかいによって勝ち取った自由と民主主義をすべて引き継ぎ、豊かに花開かせる社会であり、すべての人が自分の持つ力をいきいきと花開かせることができる社会」としているが、社会化した生産手段を、誰が、どのように管理し、そこでどのように労働が行われ、どのように分配が行われるのか、という具体的な共産主義像は提示できていない。これを信じろという方が無理である。

共産党が綱領を目指すなら、憲法の改正は必須条件なのである。なぜ立憲民主党はこんなところと組むのだろうか。

そもそも日本共産党は、現憲法の成立に反対した唯一の党である。その反対理由のなかには、「天皇制」だけではなく、9条の「戦力の放棄」はオカシイ、というものまで入っていた。戦争には正しくない不正の戦争と正しい戦争があるとして「一体この憲法草案に戦争一般放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっと的確ではないか、この問題に付て我々共産党はこういう風に主張している 」としているのだ。マルクス・レーニン主義によると資本主義下の国の憲法はブルジョワ憲法であり、憲法、議会、裁判所もすべて破壊の対象である。日本共産党にとっては現憲法は「国家機構の組織と作用を含めた基本の法であるが故に、支配階級が人民を支配する手段」(「憲法問題と日本共産党」)でしかないので「わが党があきらかにした革命路線にしたがって、人民の民主主義革命が達成されたあかつきには、確立される人民権力にふさわしいようにあたらしい憲法がつくられることは当然」(前掲書)なのである。

この方針はいつ変わったのだろうか。以前このような主張だったが今は違う、というのなら「変わりました」というべきである。現綱領では「二段階革命論」をとっている。だから当面は憲法改正は言わない。現憲法下で支持を広げる。その後、社会主義に移行する。その時は「憲法改定」に反対する人は少数派になっているから大丈夫、ということであろう。過去を否定できない党。変化したことを認められない党。だから「本当は変わってないのだろう」という懸念が消えず、信用できないのである。

変化を認めない、という意味では、1950年代の前半に、コミンフォルムからの押し付けとはいえ、51綱領をかかげて「暴力革命」を目指していた時期があったことも紛れもない事実。共産党は「分派のしたこと」と言い訳をするが、そもそも宮本憲治がコミンフォルムの意見を受けて、アメリカを解放軍として扱っていた当時の主流派(野坂参三、徳田球一ら)を攻撃(国際派)。当時の主流派は「所感」を発表して日本の状況を説明して対抗した(所感派)が、コミンフォルムの圧力を背景とした国際派に自己批判を迫られて作ったのが51綱領なので、この段階では一党あげて暴力路線を取ったのである。ましてやのちの書記長になる宮本憲治こそがその急先鋒なのである。「暴力革命しかない」という路線は「敵の出方」によってどうするか決める、という路線に変わり、その「敵の出方」という言葉は使わない、と変化してきたが、「紛らわしいから使わない」という説明はどう考えても間違っている。

また、現在共産党は、ソ連や中国の体制を「共産主義ではない」と否定しているが、そのスターリンが生きている間は共産党はソ連を礼賛していたし、フルシチョフのスターリン批判後は毛沢東にべったりだったではないか。ベトナム戦争で北軍を応援することを企画し、中国にソ連の武器輸送を手伝うことを提案したら、中国にけんもほろろに拒否されて、それから毛沢東との関係が冷えていったことなど、少し年がいった人間は知っている。ソ連と中国をなぜ、いつから批判するようになったのか。北朝鮮への「帰国事業」を最後まで推進していたのは共産党ではないか。この時北朝鮮を「地上の楽園」と呼んでいたではないか。いつから変わったのか?

ソ連型でもない、中国型でもない社会主義とはどのような社会主義なのか。現綱領にはまったく明らかではない。

「ずっと護憲」「ずっと平和主義」「ずっと暴力革命否定」「ずっとソ連、中国否定」すべてウソ。これだけウソのつける政党は他にないだろう。

なぜ「共産党は変わったのです」と言えないのか。それが言えないから「暴力革命の可能性が消えてない」と言われてしまう。

社会民主主義(現体制のもとで議会を通じて社会主義的な政策を実現する)になったとなぜ言えないのか。共産党という党名になぜ拘るのか。

もっとも「生産手段の社会化」には賛成できないから、もし「変わった」と言っても応援できないけどね。

立憲民主が本当に分からない。

#共産党

#暴力革命

#生産手段の社会化

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いわゆる「リベラル」のこと

「リベラル」を名乗る政党がある。

 

「リベラル」の定義は毎日新聞によると「リベラルは英語の「自由な」に由来し、個人の自由を重んじて社会を変えていく立場で、欧米の歴史に根ざしている。」「日本のリベラルのルーツは戦後の革新勢力にある。」「今のリベラルは『革新マイナス社会主義』で人権・平和の理念を掲げている」とある。

米ソ冷戦の終焉とともに「革新」という名称が時代に合わなくなって、「リベラル」を名乗りだしたという事だ。

 

アメリカでは民主党がリベラルと言われる。そもそも建国の際に、連邦政府の権限を強化する方向性を持っていた勢力が共和党になり、州政府の権限を強くしようとした勢力が民主党になった。共和党は自由主義を標榜しているのが、民主党はオバマケアに見られるように、国民の生活をケアする方向にも動く。

 

日本の自民党にもリベラル派はいる。岸田文雄政調会長の率いる岸田派(宏池会)がそうである。小選挙区制度になって、おとなしくなったイメージがあるけども。

 

そうしたリベラル派と比べて、日本の野党のリベラル派はどうであろうか。

先の毎日新聞を引用する。

「国際医療福祉大の川上和久教授(政治心理学)は「社会民主主義を掲げる欧州のリベラル政党は福祉を重視し、大きな政府を志向する。それには税負担が欠かせない」とした上で、「日本のリベラル勢力は福祉重視を訴えても必要な負担増をこれまで国民にきちんと求めてこなかった」と指摘する。」

 

まさにその通りだと思う。主張のための主張。実現する気のない「政策」の名を借りた票集めのためのカモフラージュ。私にはそうとしか見えない。

 

多数派の与党が提案した政策の、難点を指摘するのはよい。危険性を挙げるのもよい。それが野党の役割だ。しかし、対案・修正案を提案しなければ議論にならない。共産党や社民党が、重要法案に対して自分たちの主張を少しでも反映させようと、説得力のある修正案を出したことがあっただろうか。

 

安保法制を例に取れば、自民党の案に「与党内野党」として修正をかけたのが公明党であった。さらに野党として修正を要求したのが日本維新の会であった。これも説得力のある修正であったように思う。安保法制の理解に最も役立ったのは、私にとっては維新の質疑であった。

しかし、民主党、社民党、共産党は反対!廃案!のみ。大した対案も出さずに、議決の際に国会内にプラカードまで持ち込んで大騒ぎして「強行採決」を演出したものの、結局は通してしまった。できあがったシアリオ通り。本気で廃案にできると思っている節など微塵も感じられなかった。こういうのを「少数者の横暴」という。反対の世論を掻き立てることで、次の選挙で票が多くなることが目的だったのだろう。多数者(与党)の側に、少数意見に耳を傾ける必要性があるのは当たり前としても、修正案を出さない反対にいつまでも付き合わなければならない謂れはない。

 

あんなことをしていた人たちが、希望の党で保守を名乗るという。人によっては「あの時は党の方針だったからしかたなかった」なんて言っている。面白いものだ。今度こそは本音で政治に取り組む、ということなら歓迎するが、どこまで信用すればいいのだろうか。

 

共産・社民の体質は変わらないでしょう。立憲民主党はどうだろうか。新しい政党が成立したばかりのところである。今は人気があるようだが、これまでの民主・民進党とは違うところを国民に見せないと、すぐに呆れられてしまうだろう。少~し期待している私であるが、さて、どうなるだろうか。

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希望の党について

久しぶりの書き込みである。

このところ、少しSNSに傾注したところもあり、パソコンに向かうのが億劫でなかなかブログを書く気にならなかった。これほど長く離れていたことに少し驚いている。

突然発足した「希望の党」が新しい流れを作りつつある。これについての感想を書いておきたい。

戦後、自民政権(その前身を含む)を退陣に追い込んだ例は、3回ある。

昭和47年の社会党・片山哲内閣が最初である。この内閣は日本国憲法下における最初の内閣で、選挙によって政権を得た最初の内閣なので、その後の政権とは少し事情が違うと言えるかもしれない。

二回目が、平成4年の非自民非共産連立内閣である。これが連立時代の始まりとなった。佐川急便事件、選挙制度改革の先延ばしに反発した世論の大勢に、自民党内からも造反が続き、宮沢内閣不信任決議が可決。自民から分かれた新生党新党さきがけそれまで野党であった民社党公明党社民連民改連社会党に加えて日本新党が結成され、八党連立内閣が結成され、政権を握った。党首には日本新党を結成して国政に躍り出た元熊本県知事・細川護熙を担いだ。しかし、新生党と社会党との路線対立、細川のスキャンダルと突如の政権投げだしで、社会党とさきがけが離脱。新進党の結成も及ばず、羽田孜内閣が退陣となった。

つぎが八年前の平成21年の鳩山内閣である。民主党はさきがけ系、新生党系、日本新党系、さらには社民党右派系も加わり、右から左までの選挙互助会的な政党である。「政権を取れば何でもできる」と言いたい放題のバラ色のマニフェストを発表して大勝したが、結局何もできずに野田内閣で下野した。

さて、今回の「希望の党」である。選挙互助会的な色合いはごまかせない。公約も「安保法制OK」「原発廃止」「一院制の実現」などの大枠は掲げられているものの、具体性に欠ける。しかし、これまでの勢力と違うところは、左派を意識的に排除しようとしているところである。小池代表は、平成4年日本新党での初当選である。八党連立の崩壊も見ている。小沢一郎の側近として、新進党崩壊後の自由党に参加。保守党を経て自民党へ、という経歴である。政権の崩壊、野党暮らし、連立小党の悲哀。いろいろなことを経験したようだ。
だからであろうか。大胆に見える今回の挑戦にも、過去の反省が生かされているように見える。

まだまだ不安定だがなかなか、面白い。

こういう勢力が出てこなかったから、自民党の一人一人の国会議員にゆるみがなくならないのである。相次ぐ問題発言、不倫にいそしむ議員(自民だけじゃないけど)。若手の大臣政務官に、肩書を振り回して飲み屋で女の子に声をかけまくっているやつが複数いるらしい。もう一度お灸をすえるいい機会ではないか、と私は思っている。

民進党も左派系だけで一つの政党を作ればよいのである。他人を批判することにしか存在意義を見出せない社民、共産は話にならない。民進党左派は、現実的な提案をするヨーロッパ型の社会民主政党を目指せば、存在意義は大いにある。保守派と別れることは、やむなく共産党に行かざるを得なくなっている真面目で冷静なリベラル票を集めるチャンスになるのではないか。連合も付いてこよう。(数日後に立憲民主党が結成された。我が意を得たりである)

こうなると、公明党の動きが面白い。八党連立、新進党、自自公連立、自公保連立、自公連立と、長く与党を経験し、実務家集団の色合いを日に日に濃くしている。自民も公明党を必要としている。それは都議選で証明された。「希望の党」も欲しいに違いない。参議院議員の山口代表を「総理大臣に」などという実現不可能なことを口走ったのは、自民との間を分離する目的とともに公明党懐柔の意味もあるのではないか。しかし、公明党は八党連立を組んだ時の八党で現存する唯一の政党である。あの体制の痛みを忘れていないだろう。もし「希望の党」が政権を取るようなことがあっても、すぐには公明党は動かないであろうと私は思う。

久しぶりに、今考えていることを書いてみた。それにしても面白い政局である。

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軽減税率に関する報道への違和感3

3回目である。二つのことに触れてみる。

○軽減税率で徴収されない税(約1兆円)の一部を使って低所得者に給付した方が効率的

いわゆる「給付付き税額控除」である。

いったん高率の税を支払う必要があることから、痛税感を和らげる効果は薄い。
所得の把捉と線引きが難しい。
不正受給の防ぎ方が難しい。

などが言われてはいるものの、一考を要する考え方である。

マイナンバーカードを使っての方法を財務省が提案したが、公明党から一蹴された経緯は記憶に新しい。

ただし、一つ疑問がある。一定以下の所得の方に給付を行うという考え方は、定額給付金などで行ってきた経緯があるが、その時マスコミはこぞって「バラマキだ」と批判したのではなかったのか?
多くのコメンテーターに言いたい。
軽減税率にケチをつけ、給付方式を主張するなら、その前にその前歴を総括するべきである。

○「どうせ選挙目当て」という批判について

コメンテーターにとって、こういっておけばとりあえず恰好がつく、という投げセリフ。何も調べなくても、考えなくても、その場限りのええかっこしいができるセリフ。
それが「どうせ選挙目当てでしょ」「あれはバラマキ」
大っ嫌いなセリフである。

国民に受けのいい政策には「選挙目当て」、国民に負担を強いる政策には「庶民の気持ちが分かってない」とりあえずこれを言っておけばニュースバラエティは形が作れるのだ。

問題は政策の中身である。「選挙目当て」という批判を怖がっていては、国民に寄り添った政策を提案できないことになるではないか。
実に愚かなセリフである。

以上3回にわたって、軽減税率に関わるマスコミ報道への違和感を述べてきた。
要は財務省とマスコミが歩調を合わせる姿に違和感を感じるのだ。普段は偉そうに政権批判をしゃべっているコメンテーターも、財務省のお墨付きをもらって安心して批判できるのだろう。
「マスコミは自分の意見を言うよりも、国民に議論の材料をすべて提供せよ。」
今回も深くそう感じる。
 

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軽減税率に関わる報道への違和感 2

前回の続きである。軽減税率に関する報道のどこに私が違和感を感じているのか。

二つ目に、軽減税率を導入する財源がない、というものである。

当たり前のことであるが、まだ消費税は10%になっていない。現在8%で運営されているのだ。軽減税率とは「消費税10%時に食料品を8%据え置く」ということであって「食料品以外の税率を10%にあげる」ということである。
つまり、新たな財源が生まれるという話であって本来財源がなくなるという話ではない。表現の仕方が明らかにオカシイ。
そもそもこんな話が出てくるということは、与党が先の衆議院選挙で公約した軽減税率の導入を無視するつもりで、財務省は予算を考えていた、ということである。国民もバカにされたものである。なのに、なんだか丸め込まれて、軽減税率に反対する人が増えているという。だまされやすいにもほどがある。

普段官僚政治を批判しているマスコミが、なぜか今回は選挙公約を実現しようとしている政党を批判している。やはり「マスコミの裏に財務省あり」と見えてしかたがない。

そもそもなぜ「消費税が足りなくなれば社会保障費を削らざるを得ない」のか。消費増税分を社会保障の充実に充てることは確認されているが、社会保障費の財源は消費税だけではない。

これは脅迫に等しい発言ではなかったのか?

なぜ「防衛費を削らざるを得ない」「公共事業費を削らざるを得ない」ではないのか?
いやなぜ「歳出全体のあり方を見直さざるを得ない」ではないのか?

財務省がそういわないのはまだ理解できるが、マスコミがそういわないのは何故なのか?

軽減税率に関わる報道への違和感

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軽減税率に関わる報道への違和感

軽減税率の導入が世間を賑わせている。

「消費税には低所得者ほど納税率が高くなる逆進性がある。せめて生きていくのに最低必要な食料品の税率を抑えることで、低額所得者の痛税感逆進性を緩和する」
私は基本的に賛成である。

いままでも、財務省が政治家に抵抗する場面になると、なにか違和感のある報道に接することがあった。
今回、政治家が政権公約を実現しようとしたら、自民党税調と財務省が待ったをかけて、それをマスコミが応援している。
違和感を感じない訳にはいかない。

まずは、「軽減税率を導入すると高額所得者のほうが減税額が大きくなる」という批判に対してである。


これは数字のマジックそのものである。ここでは「率」と「額」がすり替えられている。
そもそも、消費税は、税率が上がると低所得者層の負担税が上がる傾向がある(逆進性がある。消費税そのものに反対する人がもっとも強調する点)一方で、高額所得者層のほうがより多くの税を負担することになる、という税なのである。
 逆に言うと
「税をさげれば逆進性は緩和するが、高額を収めていた高額所得者の税がより減る」という特徴をもともと持っている税なのである。
 

 例で見てみよう。

Photo

これが逆進性の説明。低額所得者のほうが5ポイント高い税率で納税していることになる。しかし、高額納税者の方が多い額を納税している。

さて、今かりに消費税を8%に下げてみると、どうなるだろう。

Photo_2

2000万円の所得の方は20万円減額、200万円の所得の方は4万円の減額となる一方、税率ぱ4ポイント差となり逆進性は緩和されている。
これは消費税を廃止する時にも同じことが言える。共産党に「高額所得者のほうが多く減額されるから消費税廃止に反対だ」といったらどうだろうか?  それはオカシイというだろう。しかし共産党は軽減税率の導入に「高額所得者のほうが減税額が大きくなる」といっている。矛盾した話である。

さて、食料品のみ税率を8%に据え置いた場合を具体的に見てみよう。
家計に占める食料品支出の割合は、低額所得者の方が高額所得者よりも高い。総務省の2014年度家計調査によると、平均的な食料品支出割合は24.0%なので、今かりに、低額所得者の食料品支出割合を30%、高額所得者の食料品支出割合を20%としてみた。
Photo_3
一律10%の場合と比べると、
   高額所得者 4万      円の減額(0.2%の減率)
   低額所得者 1万2千円の減額(0.6%の減率)
確かに高額所得者の方が減は大きいが、減は低額所得者の方が大きい。つまり、逆進性は緩和されている。それも、食料品で緩和されている、という点が重要なのである。

軽減税率を額で論じるなら、金持ちにとっての4万円と庶民にとっての1万2千円はどちらに重みがあるか、ということを論じるべきなのである。庶民の痛税感を和らげる、というのにそういう議論がまったく抜け落ちているのはどういうことなのだろうか。

こんなに当たり前のことを、数値をすり替えて批判するテレビのコメンテーター、新聞記者には庶民感覚のかけらもないのではないだろうか。
私はこういう報道に「役人感覚」を感じるのだ。裏に財務省がいると考えているのはそういう感覚の問題でもある。

続き 軽減税率に関わる報道への違和感2

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橋下はいらない

いわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票が否決の結果で終了した。
私は素直によかったと思う。
以前も少し書いたが、複数の区割り案がでていて一長一短あるから「もう少し慎重に検討したい」という声があったものを「これで行く」と押し切ったのが今回の原案。当初から多くの矛盾点が指摘されており、今回の反対派はそれを指摘するだけで反対運動になったのだ。賛成派はそうした指摘を隠し打消しながら、最終的には「大阪都体制ができなければ、大阪は終わりですよ」と感情的に訴えるしかなかった。あれが通っていたら大阪はむちゃくちゃになっていたのではないかと思う。

最近、橋下という人がどういう人なのか、ようやくわかってきた。

①戦いが好きなだけの人

おそらく彼は、心底大阪をよくしようなどと思っていない。そして大阪をよくする唯一の手段が「大阪都構想」だとも思っていなかった。もし思っていれば、あんなにサバサバ敗戦の弁を述べられるはずもない。彼の説によれば「大阪都構想が否決されれば大阪は終わり」のはず。「いやー叩き潰されました」なんて気楽に言っているのは、ゲームの勝敗程度にしか考えていなかったからだろう。政治も法律も彼にとっては自身の戦いのステージと武器でしかない。だから解釈も無茶苦茶。そして今「自公の提案ている総合区について検討したい」と言っている。街頭演説で「野党は対案も出さないんですよ」と言っていたのはうそだったのだ。そういう人なのだ。

②民主主義をまったく理解していない人

民主主義は、「選挙で多数を取ったら何をしてもよい」という制度ではない。多数決そのものは単なる手段であって民主主義そのものではないのだ。よく多くの利害関係者の意見と主義主張に耳を傾け、限られた社会資源をできるだけ多くの人に配分できるよう調整するのが民主主義。しかし、最終的には何かを決定しなければならず、それを決するのが多数決である。そこで多数を得たとしても少数意見に耳を傾けなければならない、ということは小学校でも教えている。
 「野党議員は一部の市民しか代表していない」「今、大阪に必要なのは独裁」
 まったくわかっていない。

③民間活力をとことん嫌う人

他地域と比べて大阪のすごいところの一つに、民間活力がある。自前で切り開く文化。全国、全世界に誇る素晴らしい制度が民間発で作られてきた。
 橋下はそれをつぎつぎに潰していった。例をあげよう。

○子どもの家
20数年前、市内のあちこちで、普通のおばあちゃんたちが、自分の家で、子どもたち、高齢者、障がい者、シングルマザーさんなど、居場所のない人たちを、無料で、年齢制限も時間制限もない居場所づくりを始めた。これを「子どもの家」という。
大阪市では「これは有益な取り組みだ」ということで1989年に事業化され、補助金が出たり、市が管理する施設を提供するようになった。
それを2013年、「来年の3月31日で廃止にする、大阪市の施設でやってるところは、出て行け」と橋下が言い出した。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2014
それを境に嫌がらせの電話や、インターネットのいやがらせの書き込みが急増。そこに通う子どもたちへ、心ない罵声を飛ばされた。かくして全廃されてしまった。

○救護施設 今池平和寮(日本ヘレン・ケラー財団)
平成2年に高齢単身の生活困難の人々が利用する救護施設としてスタートしたこの施設。大阪市が「
それはいい仕組みです」と、市立今池生活館の跡地施設を提供することで現地にできた。25年間で100人を超える自立支援者を生み出した。ところが2013年、大阪市は急に来年の3月31日ででていけ、といいだした。理由は耐震問題。それなら代替施設を提供するのが筋道を通す態度のはず。しかし、一切なし。ついに平成27年3月、閉所となった。

http://www.helenkeller.jp/publics/index/208/&anchor_link=page208#page208

○大阪人権博物館 リバティ大阪
西浜の地域の人たちの土地提供によって設立されたリバティ大阪。まず橋下は展示内容にいちゃもんをつけた。「部落差別の内容が多すぎる」と。博物館側はさまざまな人権問題を広く扱う展示変更を実施したが、2013年大阪府市は補助金1億2千万円を廃止。さらに大阪市は土地の賃借料年2700万円を要求してきました。もう驚くしかない。
http://www.liberty.or.jp/member/

○大阪府立国際児童文学館
児童文学者鳥越信氏の膨大なコレクションを、滋賀県とのし烈な誘致合戦を勝ち抜いてもらい受け、1984年に大阪府が設立した、世界に誇る文学館。以後、年間2万点の児童書が無償で提供され、研究もすすんでいた。2008年、橋下はこれを突然中央図書館に移設するといいだし実施した。鳥越氏をはじめとする寄贈者から蔵書・資料の返還請求があったが無視。

④効率だけが基準の文化否定の人

「文化」というものは人の心を潤すもの。それだけで存在価値がある、と私は思っている。「市場の失敗」という言葉があるが、市場が非効率で手が出せない分野を担うのが行政の意義の一つであることを思えば、文化への投資は間違いなく行政の仕事である。
文楽、大阪センチュリー交響楽団への補助金打ち切り。大阪市音楽団の廃止と楽団員の解雇。彼は文化をも効率という尺度でしか測れない。


彼が本当にやめるのかどうか知らない。

ベーコンは物事の正確な把握を邪魔する偏見をイドラと呼んだ。四つのイドラのうち「劇場のイドラ」というのがある。「思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと」つまり政治家やコメンテーター、思想家などの発言を無批判に受け入れること、である。劇場では、観客が演技者の演技を楽しむ。演劇で表現されているものが事実でないことは、だれもが知っている。その上でいい意味で騙されに行くのが劇場である。

「橋下劇場」という言葉があるが、それは橋下氏のことというよりは橋下氏のことを「面白い」「次は何をするのか」と眺めている市民の側の状態を言い表した言葉ではないだろうか。
劇場のイドラを払拭し、真実を見つめねばなるまい。

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橋下は何を考えているのか。

橋下氏が市長をやめた。よくやめる人である。元弁護士で元知事で元市長である。

大阪都構想が頓挫したからだと言っている。

大阪市の区割りに四案あったものを一つに絞ってこのタイミングで住民投票にかけたかったのに、「慎重審議を」「集中審議してもよいから早急に決めるのはよくない」と言われたことが不満らしい。

だったらまだ「頓挫した」わけではない。なぜやめるのか分からない。

ただどうやら、彼が何かに焦っていることだけは、間違いないらしい。

私は、橋下氏には不信感を持ち続けてきた。

世話になった人を裏切る人

万能感にとらわれて現場を見なくても自分の感性で判断できると思い込んでいる人

マスコミを批判しながらもマスコミをうまく利用する人

思ったことを簡単にしゃべる口が軽い人

そういう風に感じてきた。私の彼に対する見方はどんどん増幅されていく。

この「あの人を信じると裏切られるよ」という感覚。

相変わらずマスコミをうまく使っている。

いつまでこの茶番劇は続くのだろうか。

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靖国への疑問

今年も終戦(敗戦)の日が過ぎ去った。毎年この日に、戦没者の無念に思いを馳せ、「二度と戦争を起こしてはならない」と決意・確認することは、この国にとって本当に大切なことであると思う。

さて靖国である。

はじめに、
中国・韓国などの外国が日本の国内の宗教事情に首を突っ込んでくることには私は否定的である。「うるさい」「他国のことに口を挟むな」と言っておく。「政府が宗教を優遇したり弾圧したりしない」という政教分離原則は、国によって形は違うが近代民主国家が獲得した原理である。他国の宗教事情について口を突っ込むのは政教分離原則に反する可能性がある。政府レベルで抗議されても日本国政府が靖国という宗教法人のあり方を変えることは政教分離原則にしたがえばできるはずもない。靖国のあり方は宗教レベルの議論でしか変えられないものなのである。閣僚であれ政治家であれ、個人の信条で参拝することを強制的に止めさせることなどできるはずがない。それを政府レベルで「するな」というのは、近代民主国家の否定である。もちろん、公人として公費を支出しての「公式参拝」は違憲であるが、それも外国から指摘される筋合いのものではない。

ただし、中国・韓国が言うのは問題ない。議論もしたらいい。しかし、ことは靖国神社という日本の宗教法人の問題である。靖国問題は本来、靖国などというばかげた宗教団体を信じて参拝する愚かな政治指導者の「個人的な資質」の問題である。ところがこいつらは、中国・韓国などから批判があるたびに「内政干渉だ」と「政治問題」にすりかえようとする。日本の中で日本人が「靖国をどう評価するか」という議論を進めることが優先されるべきで、外からやいやい言われると、冷静でなくなる人がでてきて「内政干渉」だと勘違いする人もでてくる。自重してもらいたいものだ。

さて、ここからは「宗教法人 靖国神社」に対する私の思いである。

私は前安倍政権が誕生したときに「靖国神社に戦争責任がある」という趣旨の記事を書いた。その思いは今も変わっていない。
「日本人なら靖国に詣って当たり前」と言う政治家がいる。大きなお世話である。

1.私には靖国神社に英霊が眠っているとは思えない。
そこにはどのような哲学・死生観があるのだろうか。どういう理屈でそうなるのだろうか。
戦没者を祀るために作った神社だから戦没者が眠っているのは当たり前、とは私には思えない。いかなる信用があってそんなことが信じられるのだろうか。
公が作った作り物の神社になど魂が帰ってくるはずがない。日本の伝統でもなんでもない。日本各地に自然に成立した伝統的な神社を、国家権力によって統合再編成して(潰すものは潰して)ヒエラルヒーに押し込んむことで、むしろ日本の伝統を壊したのが国家神道ではなかったのか。その象徴が靖国神社ではないのか。靖国を認めることは、長年培われてきた日本の文化を国家主導で再編し、国民精神を集めようとした明治新政府の行為を認めることになる。
レイテ島で亡くなった私の祖父はそんな出来合いの靖国になどいない。もし、魂というものがあるのなら、遺骨が埋まっている現地に留まっているか、帰りたくって仕方がなかった祖母と母の元に帰ってきたかであろう。

2.靖国は戦争遂行装置である。
「靖国で会おう」この言葉が、どれだけ多くの若者が無策無謀な作戦を受け入れる動機になったのか。靖国はいわば戦争遂行装置だったのである。この国の軍隊ほど兵隊の命を軽く扱った軍隊は近代には存在しないのではないだろうか。「死して虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の一節に象徴されている。「捕虜にならずに死ね」「死んだら靖国で神になる」この思想がいったいどれだけの生きることのできる命を散らすことになったのか。先の大戦の日本人兵士の半分以上が餓死であったことと考え合わせれば、私は怒りを禁じえないのである。
ちなみに、アメリカのアーリントン墓地などと靖国はまったく違う。アーリントン墓地に眠る兵士たちは母国を守る「神」などではない。アメリカの兵士は「アーリントン墓地で会おう」などと言って玉砕しない。
靖国は無策無能な戦争指導者が無謀な作戦における死を納得させる手段。兵士を玉砕させる言い訳。悲劇を美談に摩り替えるフィルター。つまり戦争の道具。

3.靖国参拝は日本人として当たり前などとのたまう政治家らがいるが、自分の宗教的信念を国民に押し付けていることが分かっているのだろうか。
靖国を否定する人を「日本人じゃない」「売国奴」とまで悪し様に批判する連中がいるが、いったい何様だと思っているのだろうか。議論はいい。信教の自由には布教の自由も含まれているのだから。靖国神社の信者を増やす為に論陣を張るのは信者ならば当然であろう。しかし靖国を嫌いな人、評価できない人に対して、日本人じゃないとまで悪し様にいう政治家の存在はいかがなものか。靖国を強力にすすめる人たちの言動に他の宗教団体にはない独善性・強迫性を感じるのは私だけであろうか。
4.現憲法下に存在する宗教法人靖国神社は自らの戦争責任をどう総括するのだろうか。
国民みなが祈りを捧げたのに一国を敗戦の憂き目に遭わせた宗教的責任。靖国は無力な宗教だということを証明しているのではないか。
○敗戦が決定的だったのにも関わらず、無能・無策な戦争指導者が、無謀な精神論だけで立案した計画で多くの若者の命を散らせた。「靖国で会おう」という誰でも知っている言葉が示すように、そうした無策無謀な作戦の実行に靖国は利用された。その責任を認めるのかどうか。
国内で無策無謀な作戦を立案した張本人たち(その象徴がA級戦犯。彼ら一人一人に対する評価はいろいろあるが、少なくとも戦没者ではない)を合祀した責任。靖国は戦場でなくなった方々を祀るために作られたのではないのか。なぜ、彼らを特別に合祀したのか。そのために、天皇陛下と多くの国民が参拝できなくなった。その責任はどのように誰に取るのか。

4.戦没者名簿を厚生省から得ていた過去のシステムは政教分離違反だったのではないのか。そのことの総括を靖国は行ったのか。

これは、先の大戦を日本人としてどのように総括するか、ということとも関連する問題ではあるが、私の思いの中心はむしろ靖国の宗教としての価値について、である。靖国には参拝に値する宗教的価値などない、と私は思っているのである。

戦争でなくなった方々を国として悼む場所として靖国がふさわしいとは私にはまったく思えない。

ちなみに私は私の宗教的信念に従って、戦没者を毎年供養している。そこに国家が介在する余地などない。なぜ靖国を信仰する人は、政治家に参拝して欲しいのだろうか。政治家が参拝することを目的としている宗教法人は他にないのではないか。靖国という宗教は国家に依存し自立できない弱い国民性を表してもいる。

やはり私には靖国など必要ない。
追記:次の「アゴラ」掲載の主張は、私の考えにほぼ一致している。感性の似通った人と出会うことは、本当にうれしいことだ。

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私が共産党を嫌うわけ

参議院選挙が終わった。
選挙期間中ははっきり書けなかったが、私は共産党が嫌いである。
共産党員の中に庶民に光を当てる為に一生懸命頑張っている人がいることは理解している。しかし、共産が党としてやることには不信感を持っている。
今回は、その理由を書きたい。
(以前も何回も書いたことがあるような気がするが、共産党勢力が伸びた腹いせみたいなものだと思っていただいて結構です)

一つ 共産党は重要法案には反対しかしない。共産党は政権をとる気がないので、とにかく政策のマイナス点をあげて反対する。反対に共感してくれる票を集めて一定の議員数が確保できれば、「運動の成果があった」と満足する政党なのである。
以前ある中核市の共産党議員団のホームページに「要求マップ」というのがあった。「実績マップ」ではない。「要求マップ」である。市民の要求は受けるが実現する気がないのが共産党である。ところがそのマップに「実現しました」というマークもあった。そこを見てビックリ。「○○に反対します」「△△に反対します」と書いてあった。「反対だけが実績です」という共産党批判のキャッチフレーズを聞いたことがあるが、まさにその通りで納得してしまった(現在このマップは削除されている)。

二つ 近所に尊敬すべき市議会議員さんがいる。その方は長年の議員生活の中で「福祉巡回バスの実現」をライフワークにしておられ、4期目にやっと実現できそうなところまで持っていけ、市議会でも行政担当者から前向きな答弁を引き出した矢先、共産党が「福祉巡回バスの実現を」という署名をかき集め、提出した。そして次の選挙でビラに「福祉巡回バスを実現しました」と書いたのである。共産党は実現を横取りする政党だと知った。

三つ 共産党系の人が関わる市民運動には、「主役のすり替え」「テーマのすり替え」をしているものがある。
有名な「豊郷小学校校舎保存運動」(建築家ボーリズが設計した校舎を解体新築しようとする町側に対して、由緒ある格式高い校舎を残して使用するべき、とする卒業生を中心?とする人々の反対運動)には、そもそも大きな違和感があった。校舎で教育を受けるのは子どもたちである。子どもたちにどのような校舎で教育を受けさせるのか、を考える主役は、子どもたちの親と教師、教育行政である。子どもと親の思いを組んで最も教育を行うにふさわしい校舎を作る責任が教育行政にはある。その幾多の主役たちを無視して、卒業生がノスタルジーを持ち込んでマスコミが煽っている。私にはあの運動はそのように見えた。さらに耐震、バリアフリー、最新の情報教育等への対応が可能なのか、等いくつも疑問があった。
そこで、私は運動の責任者にその旨指摘した上で、「現代のボリーズになって子どもたちに素晴らしい校舎を作って後世に残せばいい」と提案した(丁寧な文面にしたつもり)ら、意外な答が返ってきた。「それでは町長の思う壺だ」と。そう。彼らは町長の不正?を暴くために戦場として学校を選んだのだ。そして子どもたちを巻き込のだ。と許せない気持ちになったものである。

今、校舎は保存されたが校舎としては利用されていない。彼らの主張は「校舎として使え」だったはずである。しかし今「運動の結果保存できてよかったね」という本が出ている。全く理解できない。

四つ 教育の世界に政治を持ち込むからである。私の初任校は共産系組合(高教組)が強かった。私も積極的ではなかったが組合に加入していた。ある時、国旗国歌を卒業式でどう扱うか、が議論になった。私は当時、旧日本政府の行為によって不本意にも日本に住まざるを得なくなった人たちの子孫である在日の生徒たちの感情に配慮するべきだ、という意見を持っていたので、斉唱・掲揚反対の立場で議論に臨んだ。急先鋒だったといってよい。組合系の教師は最初威勢がよかった。しかし、最終的に「国歌斉唱」を式次第に載せないこと、国旗を小さなものにすること、で妥協した(本部?に「一定の成果があった」と報告さえした)。私は怒った。それでは子どものためとはいえない。これは教育ではない。単なる政治だ。怒る私を組合はなだめられなかった。私は組合を辞めた。
(念のため。今は組合から脱出したためか、ぜんぜん違う考え方をもっています。)

以上、四つの体験を述べた。今回の参議院選挙でもこの共産党の本質は、今も変わっていないと感じた。彼らの思惑通りに反対した人の票が共産党に集まったのは本当に残念でならない。

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