滋賀県の体育施設建設は無駄なのか。

最近は、SNSの利用が多くなっており、ブログ記事を書く機会がなかった。
しかし、長い文章はブログの方がふさわしい。今回は久しぶりに腹に据えかねて書くことにした。

2月19日、久しぶりに早く帰って、ABC放送の夕方の情報番組「キャスト」を見る機会があった。「ウエダのギモン」という特集で組まれていたのが、
滋賀国体開催にナゼ500億円かかる!? 県民一人あたり3万5千円の税金負担へというものだった。
 https://www.asahi.co.jp/cast/contents/?cast=sp&page=201902

私はそのあまりに酷い印象操作に驚いた。はなから「滋賀県には立派な体育施設は必要ない」という結論ありきの内容だったからだ。明らかに滋賀をバカにしている。

滋賀では2024年に国体を開催する予定だが、そのメイン会場は彦根に建設中の県立陸上競技場(20000人予定)である。
この完成予想図を見て上田アナの言った一言が許せなかった。

「ビジョンもついているんですか。オリンピックでもできそうな」

できる訳がない!
ビジョンがついていたらオリンピックができるとでもいうのだろうか。日本陸連の規定では、全国大会を開催できる第1種公認競技場の条件として「電光掲示盤を設置することが望ましい」とはっきりと明記してある。しかも国体後の活用方法としてサッカーでの利用を考えると、Jリーグの試合では必ずビジョンは必要となる。J1は観客席が固定席で20000人以上なので、これでもJ1の試合には使えないのである。

大阪のヤンマースタジアム長居(50000人)にも、兵庫県の神戸総合運動公園ユニバー記念競技場(45000人)にも、京都の西京極陸上競技場(20588人)にも、和歌山の紀三井寺陸上競技場(19200人)にも、ビジョンはついている。ならでんフィールドはビジョンはなさそうだが、収容人数は36000人と滋賀の計画中のものよりも多い。
滋賀の新競技場が突出して豪華な施設というわけではまったくないのである。
なのに上田アナは、なぜ「オリンピックでもできそうな」と言ったのか。それはこの国体が金を使いすぎる、という印象を番組の最初にアピールしたかったからに違いない。

滋賀が新しい陸上競技場を建設する必要があったのは、近畿で唯一、2011年から改定適用された規定をクリアした第1種公認陸上競技場(15000万人以上、サブトラックとして第3種競技場を併設)がないからである。日本陸連主催の全国大会の開催は第1種公認競技場でないとできない。前回の国体でメイン会場となった皇子山陸上競技場は観客席12000人と少なく、さらに夜間照明もない。第3種競技場も併設されていない。既設なので第1種Bの扱いにはなるが、改修が条件。大津市は改修を拒否したと聞いている。彦根の新競技場の前の競技場も2種であった。
番組では「当時の施設を利用すればもっと安く抑えられそうですよね」なんていっていたが、その当たりの事情をちゃんと取材したのだろうか?
もっとも、「新設するにしても高すぎる」という批判は可能である。他の同規模のスタジアムの建設費と比較すればよい。マスコミはそうした調査のプロのはずである。ぜひ、調べて報道してほしい。


さて、前回昭和54年「当時の施設」は今どうなっているか。番組では、その傷み具合を映像で一部紹介してはいた。しかし、すべてが検証されたわけではない。
ボクシング会場だった能登川スポーツセンター。行けば分かるがとてもじゃないが全国大会で使える状態ではない。
フェンシング会場だった五箇荘体育館。観覧席(ベンチ)は使用不可になっている。
また、例えば
剣道は今津中学校の狭い体育館で行われた。宿泊施設はマキノの民宿への分宿。会場への移動は陸上自衛隊の隊員輸送車だった。今回も同じようにできるか。当時でさえも選手監督から不満が寄せられたと聞いている。できるわけがない。
既存の体育館で観覧固定席があってかつ冷暖房施設が設置されているのは、県立体育館(固定席1905席)、県立武道館(剣道場の固定席250席)、守山市民体育館(固定席1000席)、野洲市総合体育館(固定席1216席)、布引運動公園体育館(同438席)、くらいしかない。あづちマリエートは空調設備が故障中(観覧席は申し訳程度)。
栗東市民体育館(同500席)も暖房が入ることは確認したが、冷房は分からない。これを加えても、7館しかないのである。瀬田公園体育館は冷暖房は入るが観覧席がない。座席数2000を超える体育館は存在せず、中体連や高体連の近畿大会でさえも開催可能なのは県立体育館しかないのが現状である。バスケットのレイクスターズのホームになっていることもあって県立体育館は熾烈な奪い合いになってきた。全国大会などできないのが現状なのである。
室内用50mプールも存在しない。ようは滋賀県は県民の健全な体育活動を保障してこなかったのである。
今回新たに、新県立体育館、草津市野村体育館、彦根市新市民体育センターが、建設中である。観覧席2000席超で空調の整備された体育館が、やっと3館になる。本当に喜ばしい。室内用プールも草津市に整備される。滋賀の体育施設がやっと他県に少し追いつく。そういう感覚なのである。(大津市は本当に何もしない。もう県庁所在地を返上したらどうか)


なのに県民の中にも「身の丈にあった」という謎の言葉を吐く人たちがいる。「キャスト」と同じ感覚なのだろう。滋賀県にはまともな施設は必要ないという、なんとも自らを卑下した、へりくだった人たちなのである。そもそも滋賀の「身の丈」とはどういうものだろうか。人口は26位。一人当たり都道府県民所得4位。都道府県民所得23位。人口増加率8位。大学生の人口比率3位。0才~24才の人口比率2位。滋賀は活気に満ち溢れ、将来性に富んでいる。全国からどんどん滋賀に人が来るようにすればいい。他県に行っても誇れる郷土滋賀を作ればいい。私はそう思う。「身の丈」という言葉は、郷土を矮小化する響きがある。「キャスト」なんか、滋賀のことを何もわかっていない。


番組の中の批判で納得できたのは「なぜこれまで整備してこなかったのか。今回一気にやるから負担が大きいのでは」という批判だけである。「もったいない」がキャッチフレーズの知事の時代、本当に何もかも実現できなかった。体育施設などまさに「優先順位」が下だったのである。今回の国体の開催にその知事が手を挙げた時、「何を言っているのか。本気か」と驚いたものである。
(いったん掲載しますが、さらに続けます。)

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教員免許更新制はやっぱりおかしい

教員免許更新講習を受けた。
やっぱり、意味がない制度である。すぐにでもなくすべきだ。

本来、教員免許更新制度とは、「教員免許状が教員として必要な資質能力を確実に保証する ものとなるようにするとともに、教員一人ひとりが常に緊張感を持って、自己の資質能力の向上の為に一層研鎮を積むようにするため」に導入されたものである。この導入理由にすでに疑問がある。

この制度が検討されていた段階で、すでに各都道府県では教育センターなどで研修を受けることができていた。無料で出張扱いであるが、自由参加なので、忙しい日常の業務を離れて参加することが難しいのが難点ではある。他に、初任者研修、2年次研修、3年次研修、5年経験者研修、10年研修もある。これらは強制的で、全員が受講しなければならない。

この制度に対する疑問は山ほどある。

導入当初に言われていた不適合教師の排除には、なんの役にも立たない。5日間毎日90分×4コマの講義を受けて、試験を受けて終り。これでどうやって不適合教師を見つけろというのか。

講義内容は、文科省の最新の方針と大学の論文を基にした最新事情が中心。現場から乖離した話が多く退屈であるとはいうものの、これはこれで全く役に立たないわけではないが、どうしてここで聞かねばならないのかが不明。私の専門の地歴・公民に関する講義は1コマのみ。必要な時間を確保するために、しかたなく体育や国語まで選択。何をしているのか、全くわからない苦痛な時間であった。アクティブラーニングについて座学で学ぶ、という矛盾。「自己の資質能力の向上の為に一層研鎮を積む」になっていない。

(やってみて分かったことだが、一つの大学ですべての講座を受講するのではなく、いろいろな大学で興味のあるものを受講すれば、まだましだったも知れないが、これも別に10年に一回学ばなければ免許が効力を失うという要件になるとはとても思えない)

要は、開講大学の臨時収入を確保するのが、この制度の唯一の利点ではないか。実際に講義の中で「みなさんのおかげでこのプロジェクターを購入しました」と言っていた。

今回認められた更新の期限は10年。つまり、64歳まで。はっきり言って次は絶対に更新しない。万単位の金を出して無駄な講義を受けることに、経済的にも体力的にも64歳の身が耐えられるとも思えない。ということは、多くの教員が再任用を退職する。以後免許は失効するので、講師不足になることは間違いない。

早く廃止するか、大きな見直しをするかしなければ、学校運営にマイナスの影響が出る。ここに予告しておく。

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塾の話

塾について書く。

私は塾を頭から否定はしない。

学校の授業では物足りなかったりする生徒が、目的を持って通うことはいいことだと思う。

しかし、学校での学習をやり切らないで塾へ通う生徒には、伸びない生徒が多い様に思う。

塾は学校の授業の予習復習の補助をしてくれるわけではない。予習復習の時間を、塾に通って他の学習に当てるのだから、どちらも中途半端になりやすいのである。自宅学習をする習慣が身についていない生徒が、成績が伸びないからといって塾に通っても、伸びない。そんなことを何度も指摘してきた。それが塾側に伝わって、恨まれたこともある。

「それでも塾に入れは何か伸びるのではないか」と思うのが親心である。
受験生の親となればなおさらである。

ある高校2年生の話。進学校といわれる学校に入学。成績は中位。スポーツ系の部活動に熱心になり、受験勉強のスタートは遅れた。誘われて、夏休みにT塾の無料夏季特別講習に短期間参加してみた程度。

そんな彼に、T塾から模試のお誘い。センター試験レベルの模試を受けたが、できるはずもない。保護者面談を奨められ、保護者と本人と塾長の3者の面談を。

「このままでは志望校は合格できません。この模試でわかったでしょう」
「通っていらっしゃる学校の指導体制はダメですよ。だから他校に追いつかれてる」
「うちのカリキュラムで必ず伸びますよ」

有名な塾なので考えてもいいが、家計は楽ではない。「料金は?」と聞いてみた。

「1講座いくら」の返事。ああ、現代文、古典、漢文、日本史、世界史、数学Ⅰなどひとつづつがその値段なら高くはない。そりゃそうだ。ビデオを見るんだから人件費は抑えられるはずだ。なるほど良心的、と思ったのもつかの間。一科目のなかが細かい講座に分割されていることが説明された。
「結局、受験科目すべてを受講するといくらになるんですか?」との問いに
「100万円!」
驚く二人に、続けて「パックで受講すれば安くなる」との説明。それでも70万円が必要とのこと。

無料で釣って、脅して、いったん高額料金を示して、その後少し安くして安心させる。
「これって詐欺の手口と同じでは」と腹が立った(実は通っている学校を批判されてすでに腹は立っていたらしい)ので、断って帰ったということである。

彼はその後、親に受験に必要な参考書等をすべて購入してもらい、部活引退後、長期の休みも毎日学校に通い、分からないところはすべて教師に質問して解決し、模試は学校で受ける模試を活用することで、学習を進めた。センター試験で目標点数を大幅に上回り、志望校に合格した。

今の例にもあったように、塾に中には、生徒の不安を煽るために学校の指導体制を批判する塾がある。これはまったくもってけしからんと思う。うそを交えて「あの学校の体制では伸びませんよ」というのである。

さらに我慢ならないのは、夏休みのまだ力が付ききっていない時期に、志望校を変更させる塾があることである。確実に合格する学校に変更させるのである。その生徒の人生などどうでもよく、実績をあげることしか考えていないのではないか。

塾について、腹に据えかねることが続いたので、普段考えていることをまとめて書き連ねてみた。

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礼儀と礼節と暴力と

日馬富士が貴ノ岩への暴行の理由に「礼儀と礼節を守らせるためだった」として、引退を表明した。
「礼儀と礼節」のために体罰を行う。これほど矛盾に満ちたことはない。体罰は最も「礼儀と礼節」から外れた行為であるからだ。
これは学校で体罰を行う教師のなかで使われた言い訳と同じである。「貴ノ岩が礼儀を踏み外してさえいなければ」という視点でこの問題をとらえ、暴力を過小に評価する論調があるが、そういう人のなかには、教師の体罰もあり得る、という考えの人がどうやらいそうだ。
剣道や柔道などの武道の世界にもそういう指導者かいる。いまだに体罰を行っている少年剣道の指導者も知っている。親はそれを承知でそこに子どもを通わせているのだ。子どもは強くはなるが、ただそれだけ。そもそもその指導者は礼節を欠いた人物で有名である。
もう一度言う。暴力ほど「礼儀と礼節」に外れた行為はない。日馬富士は間違っている。

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「韓国修学旅行で土下座って本当?」第四回

韓国修学旅行で土下座って本当?」を書いて8年がたった。
産経新聞が世羅高校の修学旅行を「謝罪行事」と報じたものが、いつの間にか2chの「女子高生」を名乗る怪しい投稿と結びついて「土下座させられた」ということになってしまった経緯と、それらを取り巻く情報を吟味した上で、

「韓国修学旅行で土下座などしていない」と結論づけた。これ以後、多くの情報をいただき、2回の関連記事を書いた。

今回は4回目である。最近「土下座させられている写真」と称するものが出回っているから、これを書くことにしたのだが、しかし、今までで一番骨がない。

土下座写真ではないことが5分で調べられた。

そもそもの記事はこれである。

「まとめ安倍速報」

http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/40559824.html

検証には以下の二つの記事を参照すれば十分であろう。

http://kuyou.exblog.jp/628286/

http://14819219.at.webry.info/201011/article_22.html

検証記事もある。私の「韓国修学旅行で土下座って本当?」も紹介していただいている。

http://ameblo.jp/calorstars/entry-11921232415.html

これ以上何もいう必要もないだろう。

こんな簡単に検証できるデマを拡散する人に、朝日新聞を批判する資格などあるはずがない。

ばかばかしい。

(後記)


「まとめ安倍速報」

http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/40559824.html

のブログ主にトラックバッグを送っても掲載されないので、yossy名でコメント欄に上記事実を書きました。そうしたら反論らしきものを得意げに書いてきましたので、さらに反証したところ、ブログ主さんはその反証をカットし、私のコメントを拒否する設定にされたようです。

過ちを認めたのと同じこと。
この程度のプレッシャーで尻尾を巻いて逃げるのなら主義主張のはっきりしたブログなどやらなければいいのに。あーかっこわる。

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何が悪いのか分からん!

旧聞に属する話である。

埼玉県の県立高校で、自分の子どもの入学式へ出席するために入学式を欠席した担任教諭の行為が批判された。

何が悪いのか分からん!

女性の社会進出、夫婦共同の子育てを推進するためには、

「仕事の代わりはいても親の代わりはいない」

という発想で、入学式や卒業式、運動会などのイベントに保護者が出席できるように制度を整備する必要がある。未来を開く子どもたちに接する学校の教師は、率先してそれを実践すべきだと私は思う。

「担任の代わりはいない」という人もいるだろう。しかし、入学、卒業などの式典は、形式上「学校」全体で行うものである。必ずしも担任がいなければ成立しないものではない。

ましてや入学式で出会う生徒は、ここまで何の関係もなかった、これから毎日接する生徒たちである。入学式の日に担任がいなかったとしてもいくらでもフォローがきく。

卒業式は、形式はともかく、ともに3年間を過ごしてきた生徒と担任の別れという側面がある。担任教諭も何としても出席したいし生徒もそれを望むであろう。

(だからといって「出席するのが当然」などと言われたくないが)

校内人事を決めるのに、選挙で主任を選んだり人事委員会を設置して決めていることが批判されている。

何が悪いのか分からん!

私の赴任校では、主任は校長が決め、他の人事は希望と事情を聴集して管理職が原案を作り、選挙で選ばれた人事委員会がさらに原案を加えて職員会議で最終決定している。もちろん職員会議での決定事項とはいえ、最終決裁者が校長であることは周知の上で、このような「形式」を踏んでいるのである。

なぜなら管理職は2~3年で人事が変わる。現場の事情が完全には分かっていないのである。現場の事情とは、教員同士の人間関係や生徒との関係、前年度無理をしていただいた、などの文書に出来にくい事情を含む。これらの中には現場でないと把握できていないことも多い。しかしそれらを加味ないと最大限に力を発揮できる組織にはならない。

真剣な学校長ほど、現場の声に耳を傾け「ともに子どものために仕事をしよう!」という。そうした学校長にとっては、人事に関して現場の声を聞くことは必須なのである。「民間」とは事情が全く違うのである!

今回の二つの報道は、にわか仕込みの教育専門家きどりには、何も分かっていないということを改めて露呈した。大阪ではさっそく選挙をやめさせるらしい。あの人らしい手の打ち方である。大阪で校長・教頭のなり手がどんどん減っているのも当たり前である。

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静岡県知事の失態

静岡県の知事が何かやっている。全国学力テストの結果がわるかったから腹を立てているらしい。

http://mainichi.jp/feature/news/20130921ddm041100018000c.html

私は困難校に長くいたので、どうしても先生がたの苦労を思う。自分の時間と精神力とお金を使って、何度も家庭訪問し、何度も保護者に怒鳴られ、何度かは「今日は家に帰れないのでは」と思う夜もあった。それでも勉強しない子は勉強しない。何とか卒業までこぎつけられる生徒とそれさえもできない生徒がいる。それが困難校だ。
この静岡県知事は、現場を見ようとしているのだろうか。何故平均点の低い学校と高い学学校があるのか、この知事は「教職員の努力が足りない」くらいにしか思っていないらしい。家庭教育のままならない地域が実際にあることを知らないのであろうか。
地域に飛び込んで家庭教育の大切さ(朝食の重要性、子供のほめ方叱り方にいたるまで細かく)をレクチャーし、地域の雰囲気を変えていった教師たちを私は知っている。10年がかりの大仕事である。市も県も何の支援もしなかった。
この人には何も見えていないだろうな。自分が恥をかかされたくらいに思っているのではないか。こんな知事ほど、自分は教育に造詣が深い、と勘違いして教育に首を突っ込んでややこしくするのである。
大変な地域で悪戦苦闘している教師の存在を知り、称え、応援すること。それなしには教育がよくなるはずもない。

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部活動のはなし(自動車での引率)

部活動について、まだ書きたいことがある。
それは、「顧問が自分で自動車を運転して生徒を引率する」ことについてである。
県から「教師が運転している自動車に生徒を乗せるな」と言われていることは事実である。もし事故が起こって生徒に怪我でもさせたら教師と県が賠償責任を問われるからである。この規定は生徒のためではなく、基本的に県のためにできたものと私は理解している。
生徒と保護者にとっては、自動車で連れて行ってもらったほうがいいに決まっている。間違いなく便利で安いのだから。大会会場まで電車、駅から徒歩やバス・タクシーでは会場に着くまでに疲れてしまう。顧問が運転すれば施設の入り口までいける。大型バスのチャーターも考えるが、季節によって料金が違う。観光シーズンにはチャーターすることさえ難しい。さらに一泊する行事への参加の場合には運転手の宿泊料や夕食の代金も負担しなければならない。顧問が運転するほうが乗り物の料金や運転という労働を顧問がまかなうのだから、安いに決まっている。
顧問にとっては運転などしないほうが楽に決まっている。しかし、保護者負担の軽減と生徒の利便を考えると「自分で運転しよう」となるのである。強豪といわれる学校ほど遠征も多い。顧問になってすぐに大型バスの免許をとった人も昔は大勢いたものである。繰り返すがそれもこれもすべて保護者負担の軽減と生徒の利便のためにしてきたことなのである。
ある学校で顧問が生徒を自動車で引率し、ガソリン代と高速代を集め余ったお金でパンを買って生徒に食べさせたという。それを保護者がマスコミに垂れ込んだ。後ろから鉄砲を撃たれたようなものである。県から怒られるのは分かる。指導に従っていないのだから仕方がない。しかし保護者からは言われたくない!
前回も書いたように、部活動の指導は実質的にはボランティアである。時間も労力も経費もかかる。部活動指導に必要なジャージなどの用意は完全に自己負担である(もっとも教科指導に使用する参考書なども自己負担だが)。しかしだからこそ、顧問の善意に生徒・保護者は感謝してきたのではなかったか。善意が通じたからこそ私たちは頑張ってこられたのである。それを踏みにじられる風潮が最近ひどい。教師は奥ゆかしい方が多く声をあげないが、私はあえて言っておきたい。

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部活動のはなし(柳本氏に関わって)

柳本晶一氏が、桜宮高校の体罰(暴力)問題に関わって、大阪市の改革担当の市教委顧問に就任したということが報じられた。私は彼のことをよくは知らないが、まあ頑張ってくれればいい。
しかし
彼のインタビューを読むと気になる事がある。どうやら彼は学校の部活動のことを全く分かっていないようだ。まあ、世間の皆さんも似たり寄ったりの状況なので彼だけを攻めることはできないが。

http://mainichi.jp/area/news/20130220ddn013070045000c.html

まず始めに、どうやら彼は桜宮高校をアスリートを育てる施設であると勘違いしているようだ。体育科を出たからといってアスリートになるとは限らないし、そもそも桜宮高校には普通科もある。そういう学校の部活動で問題が起こったという認識が彼にはあるのだろうか。このインタビューからはあまり感じられない。

次に、学校の部活動は生徒会活動に属する生徒の自主活動である。

部活動の基本は生徒たちが「バレーボールをやろうぜ」と集まり、学校の施設を利用する許可を取り、生徒会から予算をもらって活動することである。しかし、自主活動とはいえ学校内で行われるので、事故が起こってはならない。そこで校内の施設を使用し生徒会から予算をもらう条件として、教員に顧問をお願いしてその指導にしたがいなさい、ということとなる。生徒は、単に無事故の指導だけでなく技術や練習方法も教えてもらえることを期待して当然バレーボール経験者に顧問をお願いする。専門家の先生がいなければ、人気のある話しやすい先生にお願いする。今でも伝統校には生徒が毎年4月に直接顧問への就任をお願いしに行く学校もあるのはその名残なのである。部活動は生徒が主人公の活動なのだ。

しかしそれでは人気のある教員のところに顧問就任要請が集中し、いくつもの部活動の顧問を兼任する人と一つも持たない人がでてくる。そこで、校長・教頭などの管理職が、教員の負担を平等にする為に年度当初に顧問の割り振りをするようになったのである。

生徒の自主活動にすべての教員を強制的に配置した時点ですでにこの制度には矛盾が存在する。部活動指導は学習指導要領になく、教師の本来業務ではない。だから土日祝日に指導のために出勤しても県から超過勤務の給与はでない。都道府県によって金額の異なるスズメの涙ほどの「特殊業務手当」が出るだけである(都道府県政令都市によって金額はさまざま。4時間以上指導して一日2400円、2800円、6時間以上で3700円、1時間600円など。いづれにしても高校生のバイトより安い)。他校に練習試合に行く旅費も宿泊費も出ない。県が出さないのでPTAが出していただいていたのに、それも出すな、という方向に動きつつある。なのに
事故が起これば責任だけは問われるのである。

全員に顧問を割り振ったので、一つの部活動の顧問のなかにも、専門的に指導できる顧問と無事故の指導のみを行う顧問、家庭事情で平日しか指導に参加できない顧問などが混在する。

自分の専門の競技の顧問になれば、生徒に指導することもある程度楽しいし、大会で勝利すると一緒に喜ぶことができ、生徒と一緒に成長している実感も得られる。ある意味教師自身の自己実現にもつながり、やりがいもある。だから矛盾を感じつつも一生懸命になれる。

しかし、専門外の競技の顧問をすると負担感が前面に出て、モチベーションも低くなる。それも当然である。言い方は悪いが生徒に強制的に付き合われているのだから。評価は中心顧問に与えられ責任だけは分担するのだから。

生徒や保護者はいつのまにか自主活動であることを忘れ、指導してもらうことが当たり前だという感覚になっている。部活動をテーマにしたサイトには「どこどこのバレー部が弱いのは顧問の責任」「あそこの顧問は指導力がないから」と当たり前のように書き込まれている。

教師の中にも自分の指導どおりに強制的に練習させ、競技力をあげて強くすることのみを追求する人もいる。まるで自分のものみたいな感覚になっているのである。そういう勘違い顧問の支配する部活動で体罰(暴力)事件が起こったということに多くの人は気づいていない。

柳本氏のインタビューを読むと、彼が部活動指導を教師の中心業務としてとらえていることがよく分かる。次のくだりはさらに印象的である。

「部活動関係の書類を見せてもらうと、各部に顧問の名前が4人も5人も書いてある。「これやったら何かあった時に責任の所在がはっきりしない」と指摘したら、「実際に見ているのはこの人とこの人」と答える。「他は?」と聞くと、「5時には帰っている」。こんな大問題になっているのに、何も変わってない。練習を見なくとも、栄養学とかトレーニング法を勉強して、側面からサポートする方法があるでしょう。」

部活動顧問という制度の矛盾が教師の善意で補われてきたという事実を、どうやら彼は知らない。だから本来業務でないことにさらに励めという。部活動顧問の位置づけの見直しをすることなしに負担だけを増大させるのが彼の改革なら、それは教師をスケープコートにするだけで、一部取材不足のマスコミと変わらない。
教育現場を知らない人が教員現場に首を突っ込むことには良いことも多いと思うが、現場を知らない人が発言したことが世論を形成することは危険である。柳本氏は有名人で発言力があるのだから、もっと勉強してから発言するべきだった。
橋下氏はいつもそういう間違いを犯している。

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いじめと暴力と

昨年来、いじめと教師による暴力のことが報道されない日はない。

いじめについては以前書いたことと私の思いは大きく変わらない。文科省が「いじめの早期発見を評価する」という発表をしたが、わが意を得たりである。
残念ながら「いじめはある」。その前提に立てば、最も大切なのは、いかに早期に発見するか。芽は早く積むほうが解決も早い。発見したら絶対にいじめられている側に立つ。そしていじめている子たちといじめられている子の関係を出来るだけ修復する。
加えて、体罰という名の暴力についての報道が連日繰り返されている。大阪の桜宮高校に続いて、豊川工業、ついには全日本柔道女子チームとスケープゴートは目まぐるしく変わる。
しかし考えても見るがいい。体罰が行われてきたのは大阪市立の体育科では桜宮高校だけなのか?駅伝では豊川工業だけなのか?オリンピック競技では柔道女子だけなのか?
みんな知っているではないか!知ってるのに知らないふりをして報道し、今聞いたふりをして怒ってさえ見せる。バカバカしい。体罰を容認してきた社会の風潮の醸成に一役買ってきた人たちは教育職以外にも大勢いるはずだ!
今回痛ましくも体罰を受け続けた生徒が自らの命を絶った。だから桜宮高校体育科は新入生を受け入れる体制にない?よその高校へ行け?何も分かっていない!
府立市立の他の学校に体罰がなかったという確証はあるのか!体育の人事は市内で回っている。ないわけがない!なぜ調査しないのか!
今、現に桜宮高校体育科にいる在校生の教育はどうするというのか!彼らはその「体制の整っていない」高校に居続けるのだ!
問題の本質を避けて桜宮高校だけに矮小化しようとする市長サイドの意図が透けて見える。彼はいつも攻撃対象を絞って自分を正義の側に置く。自殺報道直後「体罰は必要だがあとのホローが大事」などと、いけしゃーしゃーとほざいていたくせに。桜宮を極端に攻撃することでその行き過ぎを押さえようとする教育委員会を悪に据え、正義の味方に立場を入れ替えることにまんまと成功した。
今回自殺した生徒を殺したのは、体罰を容認する風潮を放置してきたすべての人間である。私も、報道機関の人間も、橋下市長も、そのなかに入っている。
どこかの学校や団体を槍玉にあげて溜飲を下げるのはやめにするべきである。今こそ一斉に教育現場から暴力を一掃しようではないか。

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