「韓国修学旅行で土下座って本当?」第四回

韓国修学旅行で土下座って本当?」を書いて8年がたった。
産経新聞が世羅高校の修学旅行を「謝罪行事」と報じたものが、いつの間にか2chの「女子高生」を名乗る怪しい投稿と結びついて「土下座させられた」ということになってしまった経緯と、それらを取り巻く情報を吟味した上で、

「韓国修学旅行で土下座などしていない」と結論づけた。これ以後、多くの情報をいただき、2回の関連記事を書いた。

今回は4回目である。最近「土下座させられている写真」と称するものが出回っているから、これを書くことにしたのだが、しかし、今までで一番骨がない。

土下座写真ではないことが5分で調べられた。

そもそもの記事はこれである。

「まとめ安倍速報」

http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/40559824.html

検証には以下の二つの記事を参照すれば十分であろう。

http://kuyou.exblog.jp/628286/

http://14819219.at.webry.info/201011/article_22.html

検証記事もある。私の「韓国修学旅行で土下座って本当?」も紹介していただいている。

http://ameblo.jp/calorstars/entry-11921232415.html

これ以上何もいう必要もないだろう。

こんな簡単に検証できるデマを拡散する人に、朝日新聞を批判する資格などあるはずがない。

ばかばかしい。

(後記)


「まとめ安倍速報」

http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/40559824.html

のブログ主にトラックバッグを送っても掲載されないので、yossy名でコメント欄に上記事実を書きました。そうしたら反論らしきものを得意げに書いてきましたので、さらに反証したところ、ブログ主さんはその反証をカットし、私のコメントを拒否する設定にされたようです。

過ちを認めたのと同じこと。
この程度のプレッシャーで尻尾を巻いて逃げるのなら主義主張のはっきりしたブログなどやらなければいいのに。あーかっこわる。

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何が悪いのか分からん!

旧聞に属する話である。

埼玉県の県立高校で、自分の子どもの入学式へ出席するために入学式を欠席した担任教諭の行為が批判された。

何が悪いのか分からん!

女性の社会進出、夫婦共同の子育てを推進するためには、

「仕事の代わりはいても親の代わりはいない」

という発想で、入学式や卒業式、運動会などのイベントに保護者が出席できるように制度を整備する必要がある。未来を開く子どもたちに接する学校の教師は、率先してそれを実践すべきだと私は思う。

「担任の代わりはいない」という人もいるだろう。しかし、入学、卒業などの式典は、形式上「学校」全体で行うものである。必ずしも担任がいなければ成立しないものではない。

ましてや入学式で出会う生徒は、ここまで何の関係もなかった、これから毎日接する生徒たちである。入学式の日に担任がいなかったとしてもいくらでもフォローがきく。

卒業式は、形式はともかく、ともに3年間を過ごしてきた生徒と担任の別れという側面がある。担任教諭も何としても出席したいし生徒もそれを望むであろう。

(だからといって「出席するのが当然」などと言われたくないが)

校内人事を決めるのに、選挙で主任を選んだり人事委員会を設置して決めていることが批判されている。

何が悪いのか分からん!

私の赴任校では、主任は校長が決め、他の人事は希望と事情を聴集して管理職が原案を作り、選挙で選ばれた人事委員会がさらに原案を加えて職員会議で最終決定している。もちろん職員会議での決定事項とはいえ、最終決裁者が校長であることは周知の上で、このような「形式」を踏んでいるのである。

なぜなら管理職は2~3年で人事が変わる。現場の事情が完全には分かっていないのである。現場の事情とは、教員同士の人間関係や生徒との関係、前年度無理をしていただいた、などの文書に出来にくい事情を含む。これらの中には現場でないと把握できていないことも多い。しかしそれらを加味ないと最大限に力を発揮できる組織にはならない。

真剣な学校長ほど、現場の声に耳を傾け「ともに子どものために仕事をしよう!」という。そうした学校長にとっては、人事に関して現場の声を聞くことは必須なのである。「民間」とは事情が全く違うのである!

今回の二つの報道は、にわか仕込みの教育専門家きどりには、何も分かっていないということを改めて露呈した。大阪ではさっそく選挙をやめさせるらしい。あの人らしい手の打ち方である。大阪で校長・教頭のなり手がどんどん減っているのも当たり前である。

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静岡県知事の失態

静岡県の知事が何かやっている。全国学力テストの結果がわるかったから腹を立てているらしい。

http://mainichi.jp/feature/news/20130921ddm041100018000c.html

私は困難校に長くいたので、どうしても先生がたの苦労を思う。自分の時間と精神力とお金を使って、何度も家庭訪問し、何度も保護者に怒鳴られ、何度かは「今日は家に帰れないのでは」と思う夜もあった。それでも勉強しない子は勉強しない。何とか卒業までこぎつけられる生徒とそれさえもできない生徒がいる。それが困難校だ。
この静岡県知事は、現場を見ようとしているのだろうか。何故平均点の低い学校と高い学学校があるのか、この知事は「教職員の努力が足りない」くらいにしか思っていないらしい。家庭教育のままならない地域が実際にあることを知らないのであろうか。
地域に飛び込んで家庭教育の大切さ(朝食の重要性、子供のほめ方叱り方にいたるまで細かく)をレクチャーし、地域の雰囲気を変えていった教師たちを私は知っている。10年がかりの大仕事である。市も県も何の支援もしなかった。
この人には何も見えていないだろうな。自分が恥をかかされたくらいに思っているのではないか。こんな知事ほど、自分は教育に造詣が深い、と勘違いして教育に首を突っ込んでややこしくするのである。
大変な地域で悪戦苦闘している教師の存在を知り、称え、応援すること。それなしには教育がよくなるはずもない。

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部活動のはなし(自動車での引率)

部活動について、まだ書きたいことがある。
それは、「顧問が自分で自動車を運転して生徒を引率する」ことについてである。
県から「教師が運転している自動車に生徒を乗せるな」と言われていることは事実である。もし事故が起こって生徒に怪我でもさせたら教師と県が賠償責任を問われるからである。この規定は生徒のためではなく、基本的に県のためにできたものと私は理解している。
生徒と保護者にとっては、自動車で連れて行ってもらったほうがいいに決まっている。間違いなく便利で安いのだから。大会会場まで電車、駅から徒歩やバス・タクシーでは会場に着くまでに疲れてしまう。顧問が運転すれば施設の入り口までいける。大型バスのチャーターも考えるが、季節によって料金が違う。観光シーズンにはチャーターすることさえ難しい。さらに一泊する行事への参加の場合には運転手の宿泊料や夕食の代金も負担しなければならない。顧問が運転するほうが乗り物の料金や運転という労働を顧問がまかなうのだから、安いに決まっている。
顧問にとっては運転などしないほうが楽に決まっている。しかし、保護者負担の軽減と生徒の利便を考えると「自分で運転しよう」となるのである。強豪といわれる学校ほど遠征も多い。顧問になってすぐに大型バスの免許をとった人も昔は大勢いたものである。繰り返すがそれもこれもすべて保護者負担の軽減と生徒の利便のためにしてきたことなのである。
ある学校で顧問が生徒を自動車で引率し、ガソリン代と高速代を集め余ったお金でパンを買って生徒に食べさせたという。それを保護者がマスコミに垂れ込んだ。後ろから鉄砲を撃たれたようなものである。県から怒られるのは分かる。指導に従っていないのだから仕方がない。しかし保護者からは言われたくない!
前回も書いたように、部活動の指導は実質的にはボランティアである。時間も労力も経費もかかる。部活動指導に必要なジャージなどの用意は完全に自己負担である(もっとも教科指導に使用する参考書なども自己負担だが)。しかしだからこそ、顧問の善意に生徒・保護者は感謝してきたのではなかったか。善意が通じたからこそ私たちは頑張ってこられたのである。それを踏みにじられる風潮が最近ひどい。教師は奥ゆかしい方が多く声をあげないが、私はあえて言っておきたい。

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部活動のはなし(柳本氏に関わって)

柳本晶一氏が、桜宮高校の体罰(暴力)問題に関わって、大阪市の改革担当の市教委顧問に就任したということが報じられた。私は彼のことをよくは知らないが、まあ頑張ってくれればいい。
しかし
彼のインタビューを読むと気になる事がある。どうやら彼は学校の部活動のことを全く分かっていないようだ。まあ、世間の皆さんも似たり寄ったりの状況なので彼だけを攻めることはできないが。

http://mainichi.jp/area/news/20130220ddn013070045000c.html

まず始めに、どうやら彼は桜宮高校をアスリートを育てる施設であると勘違いしているようだ。体育科を出たからといってアスリートになるとは限らないし、そもそも桜宮高校には普通科もある。そういう学校の部活動で問題が起こったという認識が彼にはあるのだろうか。このインタビューからはあまり感じられない。

次に、学校の部活動は生徒会活動に属する生徒の自主活動である。

部活動の基本は生徒たちが「バレーボールをやろうぜ」と集まり、学校の施設を利用する許可を取り、生徒会から予算をもらって活動することである。しかし、自主活動とはいえ学校内で行われるので、事故が起こってはならない。そこで校内の施設を使用し生徒会から予算をもらう条件として、教員に顧問をお願いしてその指導にしたがいなさい、ということとなる。生徒は、単に無事故の指導だけでなく技術や練習方法も教えてもらえることを期待して当然バレーボール経験者に顧問をお願いする。専門家の先生がいなければ、人気のある話しやすい先生にお願いする。今でも伝統校には生徒が毎年4月に直接顧問への就任をお願いしに行く学校もあるのはその名残なのである。部活動は生徒が主人公の活動なのだ。

しかしそれでは人気のある教員のところに顧問就任要請が集中し、いくつもの部活動の顧問を兼任する人と一つも持たない人がでてくる。そこで、校長・教頭などの管理職が、教員の負担を平等にする為に年度当初に顧問の割り振りをするようになったのである。

生徒の自主活動にすべての教員を強制的に配置した時点ですでにこの制度には矛盾が存在する。部活動指導は学習指導要領になく、教師の本来業務ではない。だから土日祝日に指導のために出勤しても県から超過勤務の給与はでない。都道府県によって金額の異なるスズメの涙ほどの「特殊業務手当」が出るだけである(都道府県政令都市によって金額はさまざま。4時間以上指導して一日2400円、2800円、6時間以上で3700円、1時間600円など。いづれにしても高校生のバイトより安い)。他校に練習試合に行く旅費も宿泊費も出ない。県が出さないのでPTAが出していただいていたのに、それも出すな、という方向に動きつつある。なのに
事故が起これば責任だけは問われるのである。

全員に顧問を割り振ったので、一つの部活動の顧問のなかにも、専門的に指導できる顧問と無事故の指導のみを行う顧問、家庭事情で平日しか指導に参加できない顧問などが混在する。

自分の専門の競技の顧問になれば、生徒に指導することもある程度楽しいし、大会で勝利すると一緒に喜ぶことができ、生徒と一緒に成長している実感も得られる。ある意味教師自身の自己実現にもつながり、やりがいもある。だから矛盾を感じつつも一生懸命になれる。

しかし、専門外の競技の顧問をすると負担感が前面に出て、モチベーションも低くなる。それも当然である。言い方は悪いが生徒に強制的に付き合われているのだから。評価は中心顧問に与えられ責任だけは分担するのだから。

生徒や保護者はいつのまにか自主活動であることを忘れ、指導してもらうことが当たり前だという感覚になっている。部活動をテーマにしたサイトには「どこどこのバレー部が弱いのは顧問の責任」「あそこの顧問は指導力がないから」と当たり前のように書き込まれている。

教師の中にも自分の指導どおりに強制的に練習させ、競技力をあげて強くすることのみを追求する人もいる。まるで自分のものみたいな感覚になっているのである。そういう勘違い顧問の支配する部活動で体罰(暴力)事件が起こったということに多くの人は気づいていない。

柳本氏のインタビューを読むと、彼が部活動指導を教師の中心業務としてとらえていることがよく分かる。次のくだりはさらに印象的である。

「部活動関係の書類を見せてもらうと、各部に顧問の名前が4人も5人も書いてある。「これやったら何かあった時に責任の所在がはっきりしない」と指摘したら、「実際に見ているのはこの人とこの人」と答える。「他は?」と聞くと、「5時には帰っている」。こんな大問題になっているのに、何も変わってない。練習を見なくとも、栄養学とかトレーニング法を勉強して、側面からサポートする方法があるでしょう。」

部活動顧問という制度の矛盾が教師の善意で補われてきたという事実を、どうやら彼は知らない。だから本来業務でないことにさらに励めという。部活動顧問の位置づけの見直しをすることなしに負担だけを増大させるのが彼の改革なら、それは教師をスケープコートにするだけで、一部取材不足のマスコミと変わらない。
教育現場を知らない人が教員現場に首を突っ込むことには良いことも多いと思うが、現場を知らない人が発言したことが世論を形成することは危険である。柳本氏は有名人で発言力があるのだから、もっと勉強してから発言するべきだった。
橋下氏はいつもそういう間違いを犯している。

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いじめと暴力と

昨年来、いじめと教師による暴力のことが報道されない日はない。

いじめについては以前書いたことと私の思いは大きく変わらない。文科省が「いじめの早期発見を評価する」という発表をしたが、わが意を得たりである。
残念ながら「いじめはある」。その前提に立てば、最も大切なのは、いかに早期に発見するか。芽は早く積むほうが解決も早い。発見したら絶対にいじめられている側に立つ。そしていじめている子たちといじめられている子の関係を出来るだけ修復する。
加えて、体罰という名の暴力についての報道が連日繰り返されている。大阪の桜宮高校に続いて、豊川工業、ついには全日本柔道女子チームとスケープゴートは目まぐるしく変わる。
しかし考えても見るがいい。体罰が行われてきたのは大阪市立の体育科では桜宮高校だけなのか?駅伝では豊川工業だけなのか?オリンピック競技では柔道女子だけなのか?
みんな知っているではないか!知ってるのに知らないふりをして報道し、今聞いたふりをして怒ってさえ見せる。バカバカしい。体罰を容認してきた社会の風潮の醸成に一役買ってきた人たちは教育職以外にも大勢いるはずだ!
今回痛ましくも体罰を受け続けた生徒が自らの命を絶った。だから桜宮高校体育科は新入生を受け入れる体制にない?よその高校へ行け?何も分かっていない!
府立市立の他の学校に体罰がなかったという確証はあるのか!体育の人事は市内で回っている。ないわけがない!なぜ調査しないのか!
今、現に桜宮高校体育科にいる在校生の教育はどうするというのか!彼らはその「体制の整っていない」高校に居続けるのだ!
問題の本質を避けて桜宮高校だけに矮小化しようとする市長サイドの意図が透けて見える。彼はいつも攻撃対象を絞って自分を正義の側に置く。自殺報道直後「体罰は必要だがあとのホローが大事」などと、いけしゃーしゃーとほざいていたくせに。桜宮を極端に攻撃することでその行き過ぎを押さえようとする教育委員会を悪に据え、正義の味方に立場を入れ替えることにまんまと成功した。
今回自殺した生徒を殺したのは、体罰を容認する風潮を放置してきたすべての人間である。私も、報道機関の人間も、橋下市長も、そのなかに入っている。
どこかの学校や団体を槍玉にあげて溜飲を下げるのはやめにするべきである。今こそ一斉に教育現場から暴力を一掃しようではないか。

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橋下・日本維新への違和感の正体

橋下氏の政治主張に見るべきものがありそうな気がしていることは、以前に少し書いた。それは今も変わっていない。

首相公選、大阪都、道州制、それぞれに魅力的ではある。ガタがきた日本にてこ入れするには、思い切った大きな変革も大切であろう。こうした点、共感するところがある。

しかし、なおかつぬぐいきれない違和感を橋下・日本維新に感じるのは私だけであろうか。私は、この違和感が何に由来するのか、ずっと考えてきたが言葉に出来ずにいた。今回、橋下氏が「夜回り先生」水谷修先生にいちゃもんをつけたのを見て、やっとこの違和感の正体がわかった。

水谷先生はブログで、維新の会に鞍替えした松浪健太が水谷先生といっしょに写ったポスターを無断使用したことを指摘して、

「ましてや、維新の会・・・。多分ことばだけでも、子どもたちへの想いをひとつも語ることのない組織です。私は、彼らの気持ちがわかりません。ただ、大阪の教育を、ただむやみやたらにいじり、そして県知事の職を、ただ捨て、そして市長に。言うことだけは立派でも、結局は、何もしていないどころか、現場を混乱させた橋下氏を信じていないだけです。彼に聞きたい。子どもが大切ですかと。だったら私と夜回りをしましょう。子どもを愛していますかと。だったら、国政を何とかという前に、まずは学校と子どもたちの所へと。」

と書いた。橋下氏は党首として松浪に注意し、謝罪した上で、「超現場を知る水谷さんになぜ信用されないのか。自分の推進した教育施策のどこに間違いがあったのか」を謙虚にきけばいい。水谷先生は、学校でも拾い上げることの出来ない生徒の命を救う為に、自身の命を削って地道な活動をしている方である。テレビにいっしょに出たこともあってご本人の電話番号も知っているのだから電話すればいい。

それを「橋下は子どもの事を想っていないという決めつけはやめるべき」「水谷氏が学校を回るのは結構だが~」と水谷先生の話をでっちあげてツイッターで猛攻撃したのである。

どこに「橋下は子どもの事を想っていない」と書いてあるのか。「彼に聞きたい。子どもが大切ですかと」と呼びかけてあるだけである。「想っていますよ」でよいはず。

橋下氏の批判はしつこく続く。

「社会は役割分担だ。学校を回るのは、教育実践者だ。子どもと話すのも、現場の教員が原則だ。市長や知事は、教育行政の枠組み作りと、財源を確保しての予算の確保。巨大な教育行政を動かしていくのが、市長、知事の役割だということを認識して欲しい。」

ここまではよい。

「水谷氏のような大人に、指導を受ける子どもが、どのような大人になるのか心配だ。決め付けは絶対に良くない。議論をしてからロジックに結論を導く。これが成熟した民主国家において必要な教育。水谷氏は、完全に決め付け型。まさに佐野氏に近い。」

とまさにご自身がかってなでっちあげで「決め付け」と批判しておいて、取って返して「決め付け」の人格攻撃。

「夜回り先生こと水谷氏は、教育は教育実践でのみ成り立っていると勘違いしているのであろう。教育行政システムにも精通した教育評論家、専門家が必要だ。水谷氏に伝えたい。僕らも子どもの事を想って、教育政策を実行している。そこは水谷氏と同じだ。ただ考え方ややり方が違うだけだ。」

著名な教育評論家の尾木直樹氏を攻撃した人物とは思えないような口ぶり。(私は今の尾木氏の仕事振りには感心しないが、彼の教育評論や提言は本当にすごい、と感心させられてきた)

橋下氏は「教育は教育実践でのみ成り立っていると勘違いしているのであろう」とかってに想像するが、少なくともいえることは、教育実践なくして教育はありえない。教育行政だけの教育が存在するだろうか。

教育が行われているのはまさに現場である。生徒と保護者が教育を受けやすいように、教師が教育活動をしやすいように条件を整えるのが教育行政である。彼がいうように役割が違う。しかし、この二者はバラバラではいけない。今現場で何が起こっているのか、今現場に何が必要なのか、実施した教育施策が現場でどのように実践され効果をあげているのか、を教育行政を行うものが知ろうとしなければ、二者はバラバラなままである。ましてや橋下氏には教師の経験はない。教育理論を徹底的に学ぶ機会もなかったはずである。彼の教育観の大部分は、自身の体験に根ざしたものであるに違いない。だからこそ謙虚に現場に耳を傾けなければならないのに、そんなそぶりは感じられない。

しかも彼は、成果が出ないことの責任は、これまですべて現場のせいにしてきた。お定まりの組合批判や国歌・国旗への姿勢に問題をすり替えて、現場を攻撃してきた。しかし、知り合いの大阪の教師に聞いたが、もうそんな次元ではない。現場の教師がまったく信用してない最大の原因は、現場の意見に耳を傾ける姿勢がまったくみられず、責任だけは押し付けるからだという。

そう、橋下・日本維新への違和感。それは現場感覚が欠如しているということである。

現場の声に耳を傾けていないのに自分だけが知っているような勘違いをしているのではないか。大枠の制度を変えればすべてがよくなると思い込んでいるのではないか。

彼らの口から、現場の話を聞いたことがあるだろうか。市井の民の声なき声を救い上げた施策があったであろうか。ちょっとでも施策に意見しようものならたちまち「素人」「政治をしらないなら意見をいうな」「政策論議を」である。いっぱんの庶民には話をする気にさえならない。

大阪都構想もやっと法律ができて具体論にはいるかと思ったらどうなってしまったのか。いきなり国政に進出である。

大風呂敷は広げるけれども畳まない。そういう政党でよいのか。

もったいない存在だがこのままでは、一時期のブームに終わる。私はそう見る。

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「いじめ」について

「いじめ」自殺について、報道が続いている。これまであまり「いじめ」について述べてこなかったが、今回思うところを述べてみたい。

●「いじめ」は起こることを前提とするべき

大人の世界にもいじめはある。ましてや未熟な子どもたちの世界にいじめがないはずがない。知っている教師に、クラスでいじめが発覚したことにショックを受けて登校できなくなった人がいたが、生徒のとらえ方が甘すぎる。

しかし、私は「いじめはなくならないよ。所詮人間なんてそんなものだから」というシニシズムとは一線を画す。

●「いじめ」は早期に発見すべき。発見したら徹底的に生徒の成長の契機とすべき。

私たち教師はいじめをする人たちが存在する社会に卒業生を送り込む。自分は「いじめ」をせず、他人のいじめを見過ごさず、いじめられている人を徹底的に守る人間性を涵養して卒業生を送り出さなければならない。

「いじめ」は早期に発見しなければならない。そして発見したら、特に「いじめている側」と「周辺の傍観者」にとって徹底した学びの場にしなければならない。

●被害者を徹底して守る!

その大前提となるのが、被害者を徹底して守る、ということである。「被害者になるなんて情けない」という親がいる。「被害者にもいじめられる原因がある」という教師がいる。彼らにはいじめられている被害者の気持ちは一分も分かっていない。そんな言葉は被害者を少しも救わないばかりか、本人を追い込んで心を閉ざさせてしまう。早期発見は遅れ、解決はできない。

「うちのクラスでいじめがあったら、徹底的に被害者の側に立つ。必ず相談してくれ。」と担任は宣言するべきだ。「しばらく学校を休んでも構わない。自殺するよりはましだ」と教師が言うべきだ。そして、その感覚を保護者とも共有するべきだ。

●「いじめ」が発覚しても教師を責めるな!

以上の観点を阻む要因の一つに、クラスで「いじめ」が発生するとそのクラスの担任を責める風潮がある。上記の前提に立てば、「いじめ」を早期に発見した担任はむしろ評価されるべきである。それを逆に責める風潮が、教師の側の問題もみ消し、臭い物には蓋、のような間違った対応を生んでいる時があるのも事実だ。

●最も難しいのは、加害生徒の保護者への対応だ。

あなたの子どもさんが「いじめ」をしていました、と言われることは親にとって情けないことである。

だから保護者のなかには自分の子どもが加害者だと認めない人もいる。ここが本当に難しい。認めないばかりか訴えてくる可能性がある。訴えられた段階で、加害者と被害者の関係がくずれ、加害宅が学校と教育委員会の指導を受け入れなくなるのは目に見えている。教育現場はそれを極端に恐れる。今回の事例で、「いじめはあったが、それが原因の自殺かどうかは分からない」としているのは、そうした事情からであろうと思う。

だから学校と教育委員会側は、確実な証拠を持たなければ断言しない。でなければ裁判に負ける可能性もある。

しかし私は、「徹底して被害者の側に立つ」という原則を貫くべきだと思う。被害生徒の無念もその保護者の無念は本当に身につまされる。なぜ自分の子どもが命を絶たなければならなかったのか、という真実を知りたい、という気持ちは充分に理解できる。しかも大津市の事例では、すでに被害者と加害者の関係ではなく、悪いのは学校と教育委員会になっている。こんな環境では加害生徒と周辺にいた傍観生徒を指導できるかどうかも疑わしい。ならば、裁判に負けるリスクを犯してでも被害者側に立つべきだったと思う。

★私の体験

それにしても今回の報道が事実なら、中学校側の対応は稚拙である(事件後の対応は大津市教育委員会がいう通りに対応しているだけなので、学校を責めるのは難しい)。生徒の訴えや周辺の生徒からもシグナルがあったようなのに、このような事件を招いたということについては何度も謝罪するしかない(もっともその当たり、どのような謝罪が行なわれたのか、などいっさい報道がないので分からないが。こういう時、学校側の誠意ある対応があったとしても無視するのがマスコミ)。

私もクラスでいじめが発覚したことがある。被害生徒の訴えだった。かなり悪質な事例だった。私は被害生徒を徹底して守り、加害生徒に反省を迫ったが、首謀生徒とその保護者がどうしても「いじめ」を認めなかった。

本人が認めて反省すれば、「被害生徒も、もう大丈夫、といっているから」と被害生徒を立てて仲直りさせ、解決しようと思っていたのだが、どうしても認めない。それどころか「一緒に遊んでいただけ。そんなことで「いじめ」だなんて可笑しい」と親も一緒になって被害生徒を批判し始めた。私は、「この事例が理解できないなら、学校の集団生活には不的確です。残念ながら退学していただくしかありません」とまで迫ったが、それでも認めなかった。

(この時、私と一緒に家庭訪問をした学年主任は、「どうなるかわからないから」と辞表を用意しておられたと聞いた。私を守って自分がかぶろうと思っていて下さったようだ。後で聞いて本当に感謝した)

何度も家庭訪問するなかで、加害生徒からもその保護者からも、親に対する不満、将来への不安、子育ての悩みや仕事の悩みまで聞き出せるようになったのに、どうしても「いじめ」だけは認めなかった。結局、学校を文字通り自主退学された。

この経験は、「いじめ」の解決というにはほど遠い。被害生徒を守り、加害生徒を指導し、被害生徒と加害生徒の新しい人間関係を構築することに成功して、はじめて本当の解決である。

※いつものことだが、報道が加熱すると何が真実なのか分からなくなる。真実を追究して報道することが使命のはずのマスコミが、スクープ合戦に陥るとウソを垂れ流すようになる。皮肉なものである。得てしてこういう場合は、学校が批判されるもの。

報道をしている人たちと報道を見ている人たちのなかに「加害生徒と周辺で黙って見ていた傍観生徒への指導も大切だ」ということを分かっている人がどれだけいるのだろうか。

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PTAからの旅費等

昨日今日、和歌山県で大多数の県立高校が、PTA会費から教員の出張旅費や学校の修繕費を支出している、ということが報道された。

「PTA会費が賃金に 和歌山県監査委員が改善求める」

 和歌山県立高校の一部で保護者から集めたPTA会費が、職員の賃金や校舎の修繕費に充てられたことが、和歌山県監査委員の調べで分かった。指摘を受けた県教委が調査を始める。

 県監査委員によると、県立星林高校(和歌山市)で昨年3月、校舎の戸締まりや見回りをする非常勤職員の賃金の一部約1万4千円がPTA会費から支出されていた。また、県立和歌山北高校(同)でも2010年5月、壊れた寄宿舎の配水管を修繕し、PTA会費から約10万5千円を出した。県監査委員は昨年9月に指摘し、改善を求めた。

 地方財政法は「国や県は住民に対し、寄付金を強制的に徴収してはならない」と定めている。楠本隆・代表監査委員は、「PTA会費は事実上、ほぼ強制的に徴収されている。県が支出すべき公費に使うことは、地方財政法にふれる可能性がある」と指摘した。

 楠本委員はさらに「ほかの高校でも、教員が県内外の研究会に出向く出張費や、学校の事務アルバイトの費用をPTA会費で支出するケースがあるようだ」として、口頭で西下博通・県教育長に調査を求めた。

 一方、県教委総務課は「PTAへの加入は任意であり、会費の使い方は学校に一任されている」との見解を示した。指摘を受けた約半年後の現在も調査を始めていない。同課は「使途について各校で実態調査をする」としている。

 県教委によると、県内の全日制県立高校30校と4分校では、「PTA会費」「教育充実費」などの名目で保護者から集められている。生徒一人あたりの負担金額は平均で年約2万3千円で、1千人規模の学校では総額2千万円以上に達するという。(北川慧一、千代明弘)   朝日新聞

監査の方々の指摘は正しい。これらの支出は、本来PTA会費から支払われるものではなく県から支出するべきものである。

かつて愛媛県では、県教員組合が県教育委員会にその不自然さを訴えたという事例があった。

旅費や修繕費にPTA会費 愛媛の県立52校

 愛媛県の県立高校52校が2004年度、保護者が負担するPTA会費など計約1億9000万円を学校の修繕費や教員の出張旅費、備品の購入に充てていたことが22日、分かった。

 日本高等学校教職員組合(東京都)は「学校の経費は本来、県が負担すべきだ。自治体の財政難で学校の運営費が減る中、保護者の負担増につながる」と指摘。県教育委員会高校教育課は「各校がPTAの同意を得て教育活動を支援するために使っており問題ない」としている。

同課によると、支出の内訳は家庭訪問や部活動の引率の旅費に約3100万円、雨漏りやトイレの修理などに約8500万円、事務用品の購入に約7000万円など。PTA会費のほか、生徒会費や振興会費も使われた。

2005.12.22  共同通信

ハッキリ言う。おかしいのは学校現場ではない。県である。

土日の部活動の練習試合に出張旅費も宿泊費も出さない県である。

荒れた学校の窓ガラスが割れても修理費を渋る県である

警備員を廃止して教師に警備までさせる県である。

研修に行け行け、と強制するくせに旅費を出さない県である。

部活動の指導がどれだけ大きな教育効果を生んでいるのか、分かっているはずだ。なのにどうして部活動を正式な教育活動に位置づけないのであろうか。事故が起これば顧問の責任。費用は個人負担。そんな馬鹿な話があるか!そうした県の矛盾をPTAが埋めて下さってきたのだ。全県民が負担するべきものを、PTAがしかたなくかぶってくださっていたのだ。(それでも先日の県外引率では、一泊2000円しかいただけなかった。熱心に指導すればするほど赤字になる。)

監査委員さんは「本来県が負担するべきだ。」とはっきり言うべきだ。「PTAが出すのはおかしい」だけではダメだ。

責めるべきなのは教師ではない。PTAでもない。県である。なにが「県教委が調査を始める」だ!嘘を付け!全部知ってて「これ幸い」と放っておいたくせに。

義家!お前も元教師の端くれなら事情の一分は理解しているはずだ!私学で働いた経験しかなくて知らないなら、公立の現状を謙虚に見ろ!そして、教師が安心して部活動指導ができるように、荒れた学校の修繕費がすぐに出るように、PTAの負担が減るように、システムを作れ!お前も政治家の端くれやろが!

ああ腹立つ。

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子ども手当に思う

政府による子育て支援を批判する人がいるが、私には分からない。子育てに限ったことではないが、少子化対策は優れて国家的な課題であると私は思っている。

子育てに国から手当がでることを「バラマキだ」という人がいるが、「バラマキ」の意味を明らかにしてから言って欲しい。言葉を使っている本人が分かって言っているのだろうか。私には悪口にしか聞こえない。

「私らも子育てしてきたけど、そんなの当たり前。甘えているのではないか」という年配者がいるが、現在の少子化がいかに深刻なものかがおわかりでないようだ。今は、何もかもが拡大していた高度経済成長期ではなく、何もかもが縮小している時代なのだ。

「子どものいない世帯には関係ない」という人がいるが、一次的な意味ですべての国民に恩恵が無くても、国の将来を考えてしなければならないということには取り組むべきなのである。すべての国民に目前の利益がなくても、国の将来のためになすべきことをなすのが、政治の使命なのである。少子化対策は、個人の課題を越えて国の課題となっているのである。

「手当を支給しても使うかどうか分からない。貯金に回るのが関の山」という人がいるが、その人は短期的な経済対策とはき違えをしているのである。児童手当や子ども手当はあくまで日本の将来への投資である。すぐに使わなくても別にいいのである。子育てに意欲が湧くこと、子どもを産み育てようという意欲を若い世代に持ってもらうことが重要なのである。

もちろん他にも、不妊治療を受けやすくするなど様々な対策を打つ必要があるだろう。だからといって子ども手当等の経済支援に効果がないということにはならないのである。

ここまで言っておいて落とすようで申し訳ないが、現今議論されている子ども手当には若干の疑問がある。

第一に、子ども手当を打ち出した民主党が、以前には児童手当の拡充を「バラマキだ!」と批判していたことである。しかも、財源の一部を今まで通りに地方からも取るという。これでは新たな「子ども手当」という制度ではなく「児童手当の拡充」ではないか。当時の主張をきちっと総括して貰いたい。

第二に、扶養控除という子育て支援の側面を持つ制度を廃止して導入することである。これでは支援の意味合いが思いっきり薄れる。

第三に、財源に対する不安である。将来の日本に対する投資のために今の日本が潰れてしまっては何の意味もない。「予算の考え方を変えればいくらでもでてくる」と言っていたのは何だったのか。鳩山首相が「自民党に言われたくない」といっていたが、「自分たちにもできません」という敗北宣言に聞こえた。国民の立場で言いたい。あれは何だったのか。先頃やめた藤井元財務大臣が、「財源が出てこなければごめんなさいと言えばいいんだ」といっていたが、その通りになりそうだ。

私は、提案した法案をほぼ丸飲みしてもらっても、欠席戦術をして、採決した与党を「強行採決だ!」と攻撃した民主党を信用できない。その民主党が、早速年末に「強行採決」をしたのが情けない。野党の時の後半、民主党のやったことは国民のための政策協議ではなく、「とにかく自民党を悪者にする」という工夫でしかなかったと思っている。

そういう連中が何を言っても信用できない。子ども手当に賛成したいが心からしずらい、複雑な心境なのである。

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