松江へ行って来た。

先日、島根県松江へ行ってきた。高速の休日1000円を活用して、格安の料金はうれしい。今まで行けなかったところにも足を伸ばそうと思うものである。

しかしおどろいたことがある。中国道から米子道へ。米子インターで降りて、山陰道米子道路へ。この山陰道。最初は無料区間。自然に山陰道安来道路に入りここは有料。さらに松江バイパスに入ると無料。さらに行くと山陰自動車道に入って有料となる。この間料金所以外になんの障害物もない一本の道路である。この不自然さは何だ。しかもこの山陰自動車道は斐文町というところですぐにとぎれ、出雲までさえも行けないのだ。島根県には西側にも益田、江津や浜田という都市があるが、浜田が浜田自動車道で広島とつながっているだけ。つまり、島根県を横断する高速道路はないのである。山陰自動車道を横断させ、西は山口、東は鳥取とつなぎ、兵庫まで行けるようになれば、県内だけでなく他県との交流も進むだろうと、素人でも想像できる。なんと不便なのだろうか。

この高速道路建設を遅らせている原因は簡単に想像できる。「費用対効果」というやつである。鳥取、宮崎も高知もこのわかったようなわからないような言葉のせいで道路建設を見送られている。今までさんざんもうけられるはずの路線でムダをして赤字を出したせいで、よりもうけが望めない路線は建設しないそうだ。つまり都会生じたひずみを地方に押し付けようということだ。

本来都会でもうけて地方の赤字をカバーするべきではないのか!それが「市場の失敗」をカバーする公共事業の真骨頂のはず。これだから東京目線はダメなのだ。

とはいえ松江の町はきれいだ。松江城は最高だ。便利と引き換えに町が汚れるならもったいないと、矛盾したことを考えるわたしであった。

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近江の東海道 ルート決定版

近江の東海道をまとめてみました。意外に間違ったルートを歩いている方が多いようです。ご参考にしていただければ幸いです。

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第二名神を通ってみた。

先日開通したばかりの第二名神を通ってみた。草津(滋賀)~亀山(三重)までが35分。国道1号線を通るときと比べて1時間強の短縮である。料金は通常料金は1600円だが早期開通割引で900円だった。さらに伊勢方面にも自動車専用道路がつながっており、三重県がぐっと近く感じた。これは便利である。

便利であるだけでなく、陸橋の高い所を走るので実にスリリングである。事故が起こって落ちでもしたら大変だ。

また、信楽、土山にインターができたので観光客の誘致が期待できる。さらには企業誘致にも効力を発揮することは間違いない。実際すでに数十社が甲賀市への進出を検討・決定していると聞いている。シャープが亀山に工場を作った理由が分かった。関(亀山市)の重要伝統的建造物群保護地区にも立ち寄ったが信じられないくらい観光客がいっぱいだった。寂れた良さがなくなるのは寂しいが、せっかくウナギが名物なのにウナギ屋もないのがもったいないな、とも思ったほどである。

土山のサービスエリアにも行ってみた。上下線ともに一カ所で営業しているので、お客さんがいっぱいだ。しかも面白いのは、地元の土山茶や信楽焼、滋賀の名物だけでなく、関西の名物も東海地方の名物も売っているのだ。滋賀が関西と中部の接点だということがよく分かる。

かたくなに道路特定財源にこだわるのはよくないと思う。しかし、自動車を使う割合は地方の方が圧倒的に多いのだから、道路関係税を大部分を納めているのは地方だ。なのに東京などの都会の方が道路は整備されている現実をどう考えるのか。道路特定財源は地方の活性化に為に使われるべきだ。地方の了解なくかってに廃止するな!」という意見は、一定の説得力を持っている。滋賀は一時期「国民通過県」と言われたくらい道路が発達しているが、その中で取り残された感じになっていた甲賀市南部~東部にたった一つの高速道路が走るだけでこれほど大きな変化が起こることを見ると、道路の持つ効果がよく分かる。その意味からも、九州道から宮崎道で県庁所在地にかろうじて繋がっている宮崎県などは、九州新幹線が通らないこともあって、特にぶつぎれ状態の東九州自動車道の整備を要求する気持ちもよく分かる。現状では宮崎は「熊本・鹿児島の向こう側」。これが遅れるとそれだけ企業誘致が遅れるのだ。高知や鳥取・島根なども同じ気持ちを持っているのではないだろうか。

(ちなみに、道路をつくる指標として費用対効果を見ることがあるらしいが、私はそれだけではダメだと思う。経済効果が薄くても作らなければならない道路もある)

郷里が豊かになるのを感じるのはいいものだ。もっとも「ほったらかし」の近江文化が好きな私にとって、それは一抹の寂しさを伴うものではある。

甲賀市の発展を心から祈っております。

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日本ではじめての高速道路サービスエリアは「吹田SA」ではない、という事実

ある日のこと。ふとしたことでNEXCO西日本グループの吹田SA情報をみる機会があった。

http://www.w-holdings.co.jp/sapa/index.php?institution_id=2004

そこには「名神高速道路初のサービスエリアです。」との表現があった。

「待てよ。日本で初めてのSAは大津SAやと聞いたことがあるぞ」そう思った私は、さっそく調査を開始したのである。

まず同じNEXCOのSA・PA情報の大津SAをみるとそのことには触れられていない。しかしいろいろ調べてみると、名神高速道路は日本初の高速道路で、1963年7月16日に栗東~尼崎間が開通。大津SAは、1963年10月1日オープンということが分かった。

ということは吹田SAは1963年7月16日~10月1日の間にオープンしたことになる。しかし、いくら探してもそんな情報はネットにはない。そこで思い切って吹田SAに電話してみた。

「つまらない質問ですみません。吹田のSAは日本で最初のSAだとHPにありますがそれでよろしいんでしょうか?」

「はい。その通りです。」(明るい女性の声)

「大津SAは1963年10月1日オープンですが、吹田SAのオープンはいつですか?」

「え~と、ちょっとお待ち下さいね。え~っと …  1965年7月9日ですね~」(ちょっと困った様子)

「ということは大津の方が早いんですね?」

「ということになりますね~。    お調べいたしまして折り返しお電話させていただきます。私たちも勉強になります~」ということで、電話待ちということになったのである。

ところが約束の時間になっても電話がかかってこない。やむを得ずこちらから電話。

「お仕事中すみません。先ほど吹田SAのオープンについてご質問させて頂いたものですけども」

「ハイ。」(明らかに不機嫌そう)

「先ほどの件いかがでしたでしょうか?」

「担当の者に問い合わせていますがまだ返答がありません。そちらから電話して頂けますか?」(さらに不機嫌なご様子)

NEXCO西日本のお客様サポートの番号を教えてもらってかけてみた。

「すみません。日本で最初のSAはどこですか?」

「大津SAです。」(さわやかな即答)

なんということか!こんなにすぐに分かることをこっちに振るなんて!吹田SAが日本初でないことが証明されて動揺したに違いない。

「じゃぁ吹田は2番目ですね?」という私の質問に担当者の方は「2番目かどうかは~ここではわかりません」とのこと。

しばらくの間、大津が最初だということでいいかと思っていたのだが何か気になる。吹田は2番目なのだろうか?

名神高速道路は、1964年4月12日に栗東~関ヶ原間が供用開始。この間には多賀SAがある。さらに同年9月4日に関ヶ原~一宮間が供用開始。この間には養老SAがある。こっちのほうが早い可能性がある!(東名は1968年とだいぶ遅いのでらち外)

多賀SAに電話。「1964年4月12日オープンです。」多賀町のHPで確認http://www.tagatown.jp/

養老SAに電話。「1964年9月4日オープンです。」養老町HPでは未確認ながらも、おそらく間違いはないだろう。

つまり、吹田SAは、日本で4番目のSAなのである!

この事実は、ウィキペディアのそれぞれの項目に記載させて頂いた。

ネットというのは怖いものである。そこに記載されている「事実」は不確定なものでも確定的な事実として一人歩きをする。今後も注意したいと思った出来事であった。

《追記》

ここまで書いて気がついた。

名神高速道路初のサービスエリアです。」という表現は、「名神高速道路に乗ってはじめて出会うSAです」という意味なのだろうか?それならあっている。(名古屋方面から来たら最後のSAだけど)

ついでに言うとNEXCO西日本も大津SAが日本最初のサービスエリアだということは認識している。

http://corp.w-nexco.co.jp/corporate/release/hq/h18/0912a/

じゃあなんで吹田SAの方はあんな勘違いをしていたのだろうか?!

よけいに分からなくなってきた。

(追記)

冒頭に引用したNEXCO西日本の吹田SAのページは「名神高速道路に乗って最初のサービスエリアです。」と訂正されています。NEXCO西日本の誠意を感じます。

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